地上を旅する教会

私たちのすることは大海のたった一滴の水にすぎないかもしれません。
でもその一滴の水があつまって大海となるのです。

キリストが私たちに残したもの

2011-08-17 23:08:05 | 今日のみことば
イエスは、
わたしたちのために、
命を捨ててくださいました。

そのことによって、
わたしたちは愛を知りました。

だから、わたしたちも
兄弟のために命を捨てるべきです。



『聖書』
ヨハネの手紙一 / 3章 16節


………………

神様は私たちに
早く成長してほしいと願っておられます。
人の悲しみを自分の悲しみとして受けとめ
人の喜びを共に喜ぶような
柔軟な心の持ち主となるように。
そして、困難なことを誰よりも率先して実行し、
そこに、いつも神様への感謝を忘れない、
素直な人になってほしいと願っておられるのです。

(R・S・M)


~今日のみ言葉

残されたもの

2011-08-17 08:36:47 | 今日のみことば
わたしは、
平和をあなたがたに残し、
わたしの平和を与える。

わたしはこれを、
世が与えるように
与えるのではない。

心を騒がせるな。
おびえるな。



『聖書』
「ヨハネによる福音書」 / 14章 27節


今のように、
宗教と人種を全面に立て、
同じ群れどおしで固まる時代が続くとすれば、
人類は戦争を繰り返すほかありません。

慣習と伝統を超えなければ、
平和の時代は決して訪れることはありません。

今まで人間を操ってきたどの主義も、
思想も、宗教も、来るべき未来の平和と
統一を成し遂げることはできないのです。

ですから、未来には、仏教も超え、
キリスト教も超え、イスラ―ムも超える、
新しい理念と思想が出てこなければなりません。



~今日のみ言葉

靖国[死者への祈り]

2011-08-15 23:29:59 | Weblog
もし彼が、
戦死者の復活することを
期待していなかったなら、

死者のために祈るということは、

余計なことであり、
愚かしい行為であったろう。



だが彼は、
敬虔な心を抱いて
眠りについた人々のために

備えられている
すばらしい恵みに目を留めていた。

その思いはまことに宗教的、
かつ敬虔なものであった。


そういうわけで、
彼は死者が罪から解かれるよう


彼らのために贖いの
いけにえを献げたのである。



『マカバイ記二』 / 12章 45節
旧約聖書続編 新共同訳


………………

いかなる国家も、その国家のために
死んだ戦士に対して、
敬意を払う権利と義務があると言える。

それは、戦勝国か、敗戦国かを問わず、
平等の真理でなければならない。


靖国神社が国家神道の中枢で、
誤った国家主義の
根源であるというなら、

排すべきは国家神道という制度であり、
靖国神社ではない。

我々は、
信仰の自由が完全に認められ、

神道・仏教・キリスト教・ユダヤ教など、

いかなる宗教を信仰するものであろうと、

国家のために死んだものは、
すべて靖国神社に
その霊を

まつられるようにすることを、
進言するものである。



(ブルーノ・ビッター[Bruno Bitter]神父)


1945年当時、
GHQ(連合国軍総司令部)は、

靖国神社の存廃について、

ローマ教皇庁[バチカン]公使代理(1945~1952)であり
上智大学総長(上智学院院長)であった
ブルーノ・ビッター神父に意見を求めた。

この発言により、
靖国神社は、焼却され、
「ドッグレース場」にされることから免れたのである。

………………

【大井町(東京都品川区)】

平和を実現する人々

2011-08-15 08:14:35 | 今日のみことば
平和を実現する人々は、
幸いである、

その人たちは
神の子と呼ばれる。



『マタイによる福音書』 / 5章 9節


いちじくの木から
教えを学びなさい。

枝が柔らかくなり、
葉が伸びると、

夏の近づいたことが分かる。


『マルコによる福音書』 / 13章 28節


………………

歴史以来、
どれほど人間たちは
平和を叫んだことでしょうか。

平和を願わない人は
いないのです。

それが成されないのは、
神様がわからないからです。

神様を無視してきたからなのです。


神様を除いて、
今まで人間同士で
これが可能だと
考えてきたのです。


…………

私たちは、
何が人間を幸福に
してくれるかに対する
知識を持たなければ
なりません。

真の知識とは、
神のみ意[みこころ]を
知ることです。



……………


今日のみ言葉

人生の目的

2011-08-14 18:14:46 | 今日のみことば
神は彼ら(人間)を祝福して言われた、



「生育せよ、


ふえよ、地に満ちよ、


地を従わせよ。

また海の魚と、空の鳥と、
地に動く

すべての生き物とを治めよ」



『創世記』 / 1章 28節
(口語訳、英訳を参照)



………………



被造物の創造が終わるごとに、
神はそれを見て良しとされた、
と記録されている創世記のみ言[みことば]をみれば(創一・4~31)、
神は自ら創造された被造物が、
善の対象になることを願われたことが分かる。

このように被造物が善の対象になることを願われたのは、
神がそれを見て喜ばれるためである。

それでは、被造物はいかにすれば、神に一番喜ばれるであろうか。

神は万物世界を創造されたのち、
最後にご自分の性相と形状のとおりに、
喜怒哀楽の感性をもつ人間を創造され、
それを見て楽しもうとされた。

そこで、神はアダムとエバを創造なさったのち、
成育せよ、繁殖せよ、万物世界を主管せよ(創一・28)と言われたのである。

この三大祝福のみ言に従って、
人間が神の国、すなわち天国をつくって喜ぶとき、
神もそれをご覧になって
一層喜ばれるということはいうまでもない。


接ぎ木

2011-08-13 07:39:52 | 今日のみことば
わたしはぶどうの木、
あなたがたはその枝である。

人がわたしにつながっており、
わたしもその人につながっていれば、

その人は豊かに実を結ぶ。


『ヨハネによる福音書』 / 15章 5節




人生は、
「行って、来て、食べて、寝て、良くて、悪くて、」
の6種であり、

与えることもできるし、受けることができる位置が
良い位置です。


いつも受けてばかりいるとか
与えてばかりいる位置は良い位置ではありません。



すべての存在は運動しながら存在しますが、

運動するためには
受ける前に必ず与えなければなりません。


人より愛が先であり、体より心が先です。
男性と女性を一つにするのは愛です。



少年の国

2011-08-12 13:20:15 | 今日のみことば
あなたがたは皆、信仰により、
キリスト・イエスに結ばれて
神の子なのです。

それは、律法の支配下にある者を
贖い出して、
わたしたちを
神の子となさるためでした。


『ガラテヤの信徒への手紙』 / 4章 5節







私は頑固一徹で、愚直で、つまらない少年にすぎませんでした。
私に取り柄があったとすれば、
神を切に求める心、神に向かう切ない愛がそれだったと言えます。

いつ、いかなる場所でも最も大切なのものは愛です。
神は、愛の心を持って生き、
苦難にぶつかっても愛の刀で苦悩を断ち切れる人を求めて、
私を呼ばれたのです。

私は何も自慢できるものがない田舎の少年でした。
この年になっても、
私はただひたすら神の愛だけに命を捧げて生きる
愚直な男です。




戦艦三笠の実寸台(日露戦争時の旗艦 撮影)

(石川県加賀市)

対面

2011-08-11 11:08:30 | 今日のみことば
また、わたしたちが
道に外れた悪人どもから
逃れられるように、

と祈ってください。


すべての人に、
信仰があるわけではないのです。


『テサロニケの信徒への手紙二』 / 3章 2節



心を明るくし、
清めようとすれば、
世の中の喧騒を離れて、
私と私の心、
この二つだけが対面する時間が必ず必要です。

とても孤独な時間ではありますが、
心と親しくなる瞬間こそ、
私自身が心の主人になる
祈りの場であり、瞑想の時間です。

周囲の騒々しさを退けて、心を静めていけば、
心の中の最も深い所が見えてきます。

心が落ち着くその深い場所まで降りていくためには、
多くの時間と労力を注がなければなりません。


一日でできることではありません。



神に愛されている子供

2011-08-11 06:04:41 | 今日のみことば
あなたがたは
神に愛されている
子供ですから、
神に倣う者となりなさい。


「エフェソの信徒への手紙」 / 5章 1節

新約聖書 新共同訳



家庭というのは、
人類愛を学び教える学校です。
父母の温かい愛を
受けて育った子供は、
外に出ていけば、
家で学んだとおりに、
困っている人を愛の心で
助けるでしょう。
また、兄弟姉妹の間で
深い愛を
分かち合って育った子供は、
社会に出て隣人と
厚い情を分かち合って
生きていくでしょう。

愛で養育された人は、
世の中のどんな人でも
家族のように思うものです。

自分の家族のように
思って人に仕え、

人に自分のものを
分けてあげる愛の心は、
真の家庭から始まります。

家庭が大切なのには、
もう一つ理由があります。
家庭は世界に拡大するから
大切なのです。

真の家庭は、
真の社会、真の国家、
真の世界の始まりであり、
平和世界、神の国の出発点です。
父母は、息子・娘のために
骨が溶けてなくなるほど働きます。
しかし、単純に
自分の子供にばかり
食べさせようと
働くのではありません。
あふれるほど
愛を受けた人は、
人のために、
神様のために
働くことができます。

家庭は、
あふれるほど愛を与え、
また与える所です。
家庭は、
家族を包む囲いであって、
愛を閉じ込める所ではありません。

かえって家庭の愛は、
外にあふれ出て、
絶えず流れていかなければ
なりません。

いくら愛があふれ出ても、
家庭の愛は渇くことがありません。

神様から受けたものだからです。

神様から与えられた愛は、
いくら掘り出しても
底が見えない愛、
いや掘れば掘るほど
もっと澄んだ泉が
あふれ出てくる、
そのような愛です。

その愛を受けて育った人は、
誰でも真の人生を
生きることができるのです。


愛の学校

2011-08-11 06:00:41 | Weblog
あなたがたはもはや、
外国人でも寄留者でもなく、

聖なる民に属する者、

神の家族であります。


『エフェソの信徒への手紙』 / 2章 19節

新約聖書 新共同訳



家庭というのは、
人類愛を学び教える学校です。
父母の温かい愛を受けて育った子供は、
外に出ていけば、
家で学んだとおりに、
困っている人を
愛の心で助けるでしょう。

また、兄弟姉妹の間で
深い愛を分かち合って育った子供は、
社会に出て隣人と
厚い情を分かち合って生きていくでしょう。

愛で養育された人は、
世の中のどんな人でも
家族のように思うものです。

自分の家族のように思って人に仕え、
人に自分のものを
分けてあげる愛の心は、
真の家庭から始まります。

家庭が大切なのには、
もう一つ理由があります。

家庭は
世界に拡大するから
大切なのです。

真の家庭は、

真の社会、
真の国家、
真の世界の始まりであり、

平和世界、神の国の出発点です。





【自由が丘(目黒区)】

逃れる道

2011-08-09 18:34:27 | 今日のみことば
あたがたを襲った試練で、
人間として耐えられないようなものは
なかったはずです。神は真実な方です。

あなたがたを耐えられないような
試練に遭わせることはなさらず、
試練と共に、それに耐えられるよう、

逃れる道をも備えてくださっています。


『コリントの信徒への手紙一』 / 10章 13節



傷ついて生きることに疲れたとき
神様に祈ってみなさい
生きる勇気を与えてくださいと。

悲しみに涙がとまらないとき
思いを馳せてみなさい
もっと大きな悲しみに涙している人に。

喜びがあなたの心を満たすとき
祈ってみなさい
この幸せが多くの人にも与えられるように。


謙遜な者

2011-08-08 18:10:43 | 今日のみことば
神は、高慢な者を敵とし、/

謙遜な者には恵みを
お与えになる。


『ヤコブの手紙』 / 4章 6節



宗教なくして科学は不具であり、
科学なくして宗教は盲目です。

神の前では、
われわれは平等に賢く、
平等に愚かです。


(アインシュタイン 『アインシュタイン150の言葉』より)



恐れ

2011-08-08 18:04:54 | 今日のみことば
愛には恐れがない。

完全な愛は恐れを締め出す。


『ヨハネの手紙一』 / 4章 18節



苦労の多い社会であるから
一日も早く平和にしてあげたいと思い
困難な道だからこそ
最も愛する者を遣わすのです。

悲しみと孤独の境地を通過する時
その気持ちを神様に帰しなさい。

涙を流しただけ
神様の心情を知ることができ
苦労する人の心の痛みを
理解できるのです。

あなたが歩んだ苦労の道は
いずれの日にかきっと
多くの人に希望と喜びを
与えることでしょう。






※今日のみ言葉※

兄弟

2011-08-03 20:43:56 | 今日のみことば

「光の中にいる」と
言いながら、兄弟を憎む者は、

今もなお闇の中にいます。


『ヨハネの手紙一』 / 2章 9節


大切なことは、人よりもっと多くの仕事をすることです。

人に与えられた人生が六十年であれ七十年であれ、
時間が限られていることには変わりはありません。

その時間をどのように使うかによって、
普通の人の二倍にも三倍にもなる
豊かな人生を生きることができます。

時間を必要度に応じて細かく刻み、
一瞬でも無駄に使わず一生懸命働けば、
その人の人生は本当に貴いものになります。

人が一本の木を植えるとき、
自分は二本、三本の木を植えるのだ、
という勤勉で誠実な姿勢を持って生きるべきです。


自分のためにそのように生きよと
言うのではありません。

自分よりも人のために、
自分の家庭よりも隣人のために、
自分の国よりも世界のために
生きなければなりません。

世の中の大概の罪は「個人」を優先するときに
生じます。

個人の欲心、個人の欲望が隣人に被害を与え、
社会を滅ぼすのです。





【今日のみ言葉】

2011-08-02 09:01:30 | 今日のみことば
イエスは涙を流された。


『ヨハネによる福音書』 / 11章 35節



神様は常にあなたのことを
愛しておられます。

ですから、あなたは
神様に愛された分だけ
多くの人に尽くしてあげなさい。

人の和は、与えることによって
大きく広がっていきます。