だって見たいんだもん!

映画と共に生きてきた私。大好きな映画と芝居と絵画をメモします。

「サイコ」はどうやって生まれたか?

2013-03-03 21:28:28 | 映画
1955~62年まで放送されていたTV番組「ヒッチコック劇場」。始めは30分枠、62年~65年まで1時間枠での放送でした。オープニングのテーマ曲は、シャルル・グノー作曲“マリオネットの葬送行進曲”

思い出します。ヒッチコック本人が冒頭と終わりにユーモアたっぷりに解説。製作と1部作品の監督も担当。日本でも1957年から4回に分けて放送。たぶんリアルタイムでは見ていないと思うのですが…

日本語吹替えの熊倉一雄氏の声と語りが大好きでした。本名アルフレッド・ジョゼフ・ヒッチコックを最初に知った番組でした。ヒッチコックは、1899年8月13日イギリス、ロンドン出身。

1980年4月29日、80歳で亡くなるまで“サスペンスの神様”と呼ばれ、監督、製作、脚本、編集、美術、そして解説もこなした人。ちょっと太目のその横顔が、シルエットとして使われていました。

映画の方は初期のイギリス時代と、アカデミー賞作品賞受賞の「レベッカ」(40)からのハリウッド時代とに分かれます。「白い恐怖」(45)「汚名」(46)「ロープ」(48)「見知らぬ乗客」(51)

「ダイヤルMを廻せ!」「裏窓」「泥棒成金」(54)「知りすぎていた男」「間違えられた男」(56)「めまい」(58)「北北西に進路を取れ」(59)「サイコ」(60)「鳥」(63)「マーニー」(64)

「引き裂かれたカーテン」(66)「トパーズ」(69)「フレンジー」(72)「ファミリー・プロット」(76)…ヒッチコックは、自分の映画にチラッと出演するのも有名。どこに出てるか探すのも楽しみでした。

そのヒッチコックのリアルな姿を描いたのが、「ヒッチコック」(12)です。原作はスティーヴン・レベロ著『アルフレッド・ヒッチコック&ザ・メイキング・オブ・サイコ』。映画「サイコ」はどうやって誕生したのか?

監督は、「フェイク・クライム」(10)の脚本家サーシャ・ガヴァシ。ヒッチコックをアンソニー・ホプキンス、妻アルマ・レヴィルをヘレン・ミレン、ジャネット・リーをスカーレット・ヨハンソン

ヴェラ・マイルズをジェシカ・ビール、アンソニー・パーキンスをジェームズ・ダーシーが演じます。他にトニ・コレット、ダニー・ヒューストン、マイケル・スタールバーグ、マイケル・ウィンコット。見ましょう。

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