失った夢だけが美しく見えるのは何故かしら?
過ぎ去った優しさも今は
甘い記憶
スィート・メモリーズ、、、(笑)
「スィート・メモリーズ」(1983年)作詞/松本隆、作曲/大村雅朗
この曲、ずっと呉田軽穂、こと松任谷由美の曲かと思いきや違い、
そして詩はやはり流石の松本隆氏なのでした。
以前、私の音楽理論の師、菊地成孔氏とサエキケンゾウ氏、鈴木慶一氏の3人のライヴのとき
菊地さんが自らヴォーカルをとって歌っていて(笑)久々に聴いて
不意打ち的に涙が出そうになった、歌詞の深さに、リアルタイムで聴いていたときと
歌の意味、捉え方がまったく変わったことに驚いて。
あの頃はこんな曲を懐かしむなんて想像もつかなかった。
ただロマンティックに甘い曲としか聞こえなかったのに。
過ぎ去ったもの、失ったもの、も、ずいぶんと多くなったのかな~と(笑)ふと思う。
成熟した大人になることって、多くを失っていく中に
何かを得ることなのかもしれない。
と考えていたのは先日、年上の女性の友人(といわせていただこう)で
以前お世話になっていたピアノ教師と久々にお会いしたせいもある。
若者天国のこの日本において(笑)大人で素敵な年上の友人はとても貴重な存在。
幸福なことにそういう友人は何人か居て、
多忙な方たちなので頻繁には会えないけれど
会えばパワーを頂き、会わずとも、どこかで私の心の支えになっている、彼女たちの存在と生き方。
もう一人、こちらは年上ではないけれどピアノを通じてとても親しくなった
同世代の友人と共に、桜上水から反対側の都内某所に
引っ越した先生を訪ねがてら、3人でランチをする計画を二人で企てました(笑)
ランチの席が空くまで時間が少しあったので、すぐそばだという
先生のお宅に「ぜひ行きたいですー」と、生徒A子、B子ともに図々しくもおねだりする(笑)
先生が楽しそうに笑った。
閑静な場所にある高層のマンションで、先生の新居はさながらホテルのよう。
以前のスタジオより大分広い。ピアノはNYスタインウェイのグランドから
コンパクトなベヒシュタインに変わっていたけれど、このピアノは
薄い木目で、見た目もとてもかわいらしい。
「弾いていいわよ」といってくださるので
「うれしいです!失礼しまーす」と何の遠慮もなく(苦笑)弾かせていただく。
とても弾きやすく、まろやかな音。部屋の響きもいい。
先生、気がつくかな?と思いながら最近練習して
さわりだけ暗譜し始めた夜想曲を奏でる。
「綺麗な曲ね。もしかして○○?」彼女は絶対音感を持っていて
以前、この楽譜を船便で注文したときに一緒に先生の分も頼んでいたから
やはり憶えていらした。弾きながら、先生、この部分素晴らしいですよね、と問う。
先生の解釈はいつも深い。あろうことか生徒A子、またもや
「先生、この難しい、ここのところ、弾いてみてください!」とか
「ぜひ最初から弾いてください」とかねだりまくる(笑)
先生は初見だから無理よ、といいながら、ごくさらさらと
私が1ヶ月かけて弾いた部分を、その場で弾かれる。とても深い演奏。
私が、もっとも美しいと思う曲の部分を、何故そう思うのかを改めて感じる。
それは聴き手、というより弾き手が持つ独特の感情なのかもしれない。
この曲には随所に「二度と来ない輝き」のような感情が流れている。
弾くたびに、それを感じる事が出来るのは幸せなはずなのに、
どこか切ない、というような情緒を以て。
ランチはイタリアンの良店でした。じゃがいものヴィシソワーズ、
パスタは上品な塩梅のジェノベーゼで、メインはフィレステーキ。なのに廉価(笑)
どれもこれも美味なうえ、さらに味をひきたてるのは
給仕の男性の心遣い、笑顔と優れたサービス、そしてリップサービス(笑)
坂の途中の、また行きたいと思う理想的な佇まいの素敵なお店でした。
もうレッスンは受けていない先生に、また来てもいいですか?と告げる。
いつでもどうぞ。と応えてくれた。必ずまた来ようっと(笑)
そのあと、友人の提案で、大好きなビザンティン建築のニコライ堂を初めてまじまじと観て
聖なる場所独特の厳かな雰囲気を楽しんでいたら、
梅雨の決まりの(笑)曇天の予報の中、突然に快晴となる。
陽光射す中庭で、びゅうびゅうと乾いた風が吹き始める不思議なひとときでした。

その後、リゾートウェアを探すべく
友人と下北沢へ。約一年ぶりの賑やかさ。
写真はそこで遭遇した子(笑)飼い主の膝で無邪気かつ無防備に眠るネコ。

物事の記憶や感情って音楽のようで、あとになっても私の中に響きます。
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過ぎ去った優しさも今は
甘い記憶
スィート・メモリーズ、、、(笑)
「スィート・メモリーズ」(1983年)作詞/松本隆、作曲/大村雅朗
この曲、ずっと呉田軽穂、こと松任谷由美の曲かと思いきや違い、
そして詩はやはり流石の松本隆氏なのでした。
以前、私の音楽理論の師、菊地成孔氏とサエキケンゾウ氏、鈴木慶一氏の3人のライヴのとき
菊地さんが自らヴォーカルをとって歌っていて(笑)久々に聴いて
不意打ち的に涙が出そうになった、歌詞の深さに、リアルタイムで聴いていたときと
歌の意味、捉え方がまったく変わったことに驚いて。
あの頃はこんな曲を懐かしむなんて想像もつかなかった。
ただロマンティックに甘い曲としか聞こえなかったのに。
過ぎ去ったもの、失ったもの、も、ずいぶんと多くなったのかな~と(笑)ふと思う。
成熟した大人になることって、多くを失っていく中に
何かを得ることなのかもしれない。
と考えていたのは先日、年上の女性の友人(といわせていただこう)で
以前お世話になっていたピアノ教師と久々にお会いしたせいもある。
若者天国のこの日本において(笑)大人で素敵な年上の友人はとても貴重な存在。
幸福なことにそういう友人は何人か居て、
多忙な方たちなので頻繁には会えないけれど
会えばパワーを頂き、会わずとも、どこかで私の心の支えになっている、彼女たちの存在と生き方。
もう一人、こちらは年上ではないけれどピアノを通じてとても親しくなった
同世代の友人と共に、桜上水から反対側の都内某所に
引っ越した先生を訪ねがてら、3人でランチをする計画を二人で企てました(笑)
ランチの席が空くまで時間が少しあったので、すぐそばだという
先生のお宅に「ぜひ行きたいですー」と、生徒A子、B子ともに図々しくもおねだりする(笑)
先生が楽しそうに笑った。
閑静な場所にある高層のマンションで、先生の新居はさながらホテルのよう。
以前のスタジオより大分広い。ピアノはNYスタインウェイのグランドから
コンパクトなベヒシュタインに変わっていたけれど、このピアノは
薄い木目で、見た目もとてもかわいらしい。
「弾いていいわよ」といってくださるので
「うれしいです!失礼しまーす」と何の遠慮もなく(苦笑)弾かせていただく。
とても弾きやすく、まろやかな音。部屋の響きもいい。
先生、気がつくかな?と思いながら最近練習して
さわりだけ暗譜し始めた夜想曲を奏でる。
「綺麗な曲ね。もしかして○○?」彼女は絶対音感を持っていて
以前、この楽譜を船便で注文したときに一緒に先生の分も頼んでいたから
やはり憶えていらした。弾きながら、先生、この部分素晴らしいですよね、と問う。
先生の解釈はいつも深い。あろうことか生徒A子、またもや
「先生、この難しい、ここのところ、弾いてみてください!」とか
「ぜひ最初から弾いてください」とかねだりまくる(笑)
先生は初見だから無理よ、といいながら、ごくさらさらと
私が1ヶ月かけて弾いた部分を、その場で弾かれる。とても深い演奏。
私が、もっとも美しいと思う曲の部分を、何故そう思うのかを改めて感じる。
それは聴き手、というより弾き手が持つ独特の感情なのかもしれない。
この曲には随所に「二度と来ない輝き」のような感情が流れている。
弾くたびに、それを感じる事が出来るのは幸せなはずなのに、
どこか切ない、というような情緒を以て。
ランチはイタリアンの良店でした。じゃがいものヴィシソワーズ、
パスタは上品な塩梅のジェノベーゼで、メインはフィレステーキ。なのに廉価(笑)
どれもこれも美味なうえ、さらに味をひきたてるのは
給仕の男性の心遣い、笑顔と優れたサービス、そしてリップサービス(笑)
坂の途中の、また行きたいと思う理想的な佇まいの素敵なお店でした。
もうレッスンは受けていない先生に、また来てもいいですか?と告げる。
いつでもどうぞ。と応えてくれた。必ずまた来ようっと(笑)
そのあと、友人の提案で、大好きなビザンティン建築のニコライ堂を初めてまじまじと観て
聖なる場所独特の厳かな雰囲気を楽しんでいたら、
梅雨の決まりの(笑)曇天の予報の中、突然に快晴となる。
陽光射す中庭で、びゅうびゅうと乾いた風が吹き始める不思議なひとときでした。

その後、リゾートウェアを探すべく
友人と下北沢へ。約一年ぶりの賑やかさ。
写真はそこで遭遇した子(笑)飼い主の膝で無邪気かつ無防備に眠るネコ。

物事の記憶や感情って音楽のようで、あとになっても私の中に響きます。
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