言葉による音楽的な日々のスケッチ

作曲講座受講日記と、言葉による音楽的日々のスケッチを記録

泳ぐように踊る Fete de la Musique

2006-06-28 00:22:48 | 日々
6月24日 土曜日

毎年この時期に開催される
日仏学院のFete de la Musiqueに
学院の生徒でもあるピアノ友達のRと出掛ける。

梅雨まっただ中のこの日、これまで毎年来ている4回とも
雨に降られた記憶がない晴れ女の私だけど
(友人Rも晴れ女♪)灰色に湿った
鬱陶しい天気を吹き飛ばすように
時折、陽も射して爽やかな1日となった。




ゆるゆるにリラックスした昼間の音楽の祭典風景



ライヴに熱中していたら映画美学校の音楽美学講座で
同じクラスの可愛らしい女子に声をかけられる。
初めて来たそうで、すごく楽しいからあなたも楽しんで、と声をかけると
「libretomさんってフランスっぽいです」とこれまた
可愛らしいコメントを頂く

思えば菊地さんのライブを生まれた初めて観たのも
2004年のこの場だった。
私は「Vandome la sick Kaiseki」
「フィジカル」を聴いたとき周知であるような
菊地成孔氏の情報に疎かった私だったのだけど
(この日、初めてスパンクハッピーを聴いた)
こういった音楽を作り、演奏するこの人が講師なら
付いて行けそう、楽しそう、面白そうと(笑)
映画美学校の音楽美学講座への
入学への決意を新たにしたことを記憶している。

その後に(この1回のライブのみで突然姿を消した
伝説的美少女from上海)ドミニクちゃん親子(パパもいらした)と
神楽坂でぱったり出くわして「ハイ!ドミニク!」と
声をかけた記憶のことも。ごくフツーの親子だった。

この音楽祭の良いところは気ままに緩く始まって
8時半の終了以降にビストロで盛り上がるDJタイム。
私はいつもフランス語を話すアフリカ系黒人のお兄さんたちと
目が合って不思議なシンパシーを感じて(笑)
ダンスするのが恒例だけど今回はそれをせずに、引き上げた。

<泳ぐように踊る>

私は夜通し踊っても苦にならないほうなので
放っておいても曲にグルーヴを感じて
踊りたくなれば一人で人ごみをくぐり最前列に行って
見知らぬ人の輪に入って踊る、ということをするので
幾らでも楽しめるんだけど、そうしない人は案外多い。

踊る事を強要するつもりもないけれど
こんな風に音楽が鳴っているところでは
踊った方が楽しいに決まってる。

そんな風に音楽に身を任せて踊る事は
海で泳ぐ事と似ているなと思った。

海は深くて冷たく、青い

何が居るのかわからない
怖い
入るのに少し勇気が要る
緊張して身体がこわばる

でも心を決めて重力から解き放たれ
身体の力を抜いて、いざ海の浮遊感に身を任せ
水に揺られて波に乗れば心地よく
水中の風景に目を凝らすと
そこには地上では見た事のない時間の流れと風景が表れて
陸に戻れば心地よい疲れが訪れる

適度な不安と未知の幸福への期待。

そんなときの気持ちと似ている。

夜も更けて、辺りから切り取られたように
甘く、あずき色に澄んだ空は宇宙を身近に感じさせ
初夏の夜風に吹かれる葉のざわめきは
木々のハミングのごとし…

ステージ前の最前列では疲れを知らない
小さくて肌の色の違うエンジェルたちが
数人踊っていた。




皆、日常の憂さから解かれて身体が歌いだす。



音楽のちから、、、

目的だったはずのICUBEはわざわざ屋外でやるほどの
ものではなくヘッドフォンで
もしくはCDで聴けばいい、といったもので
誰も踊らなかった。まったりするにはいいのかもしれないけれど

むしろその前に演奏した(今回初めて聴く)
DoubleFamousのほうに皆が盛り上がって
最後のほうは皆が立ち上がって踊った。




友人のRの妹君の旧い友人ということで
ベーシストの高木さんと談笑。
菊地さんの話で盛り上がる。
彼らも今日のライブの開放的なムードは
とてもやり易かった、と言っていた。

紅一点の花だったタミさんともお話。
ラテンのリズム感と東南アジア的な
エキゾティズムを感じていたら
やはりハーフの方だった。
ちょっとUAと似ている人だった。
とてもセクシー。




このお祭りは本当に楽しい。
炭火で焼いたバーベキューや
焼きたてのクレープ、
ドイツの香しい生ビールやワイン、アブサン
…じゃなくて(笑)アニス酒のトニック割りなどの
珍しい美酒を楽しみ


各国の男女が集う恋の予感の場面を、、、


音楽が鳴り響く中、ミュージカルのように楽しめるのも魅力。


















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ペンギン式エスカレーター/異邦人の玉蹴り

2006-06-23 01:17:53 | 映画美学校音楽美学講座:高等科
大好きなブラジル音楽を聴きながらサッカーの中継を無音で流して
(非国民と呼ばれぬよう一応、観るけれど
どちらかというと、たまたま日本に居て
日本のことは大好きな無国籍な人間というかんじで
<やっぱり非国民なんだろうか、私
サッカーファンの日本国民の皆様ごめんなさい>
でもどこか、異国で故郷を思うようには
心の片隅で応援しているけれど)
殊にあのサポーターのおかしな行動には
(中にはそうでない人も居るとは思うけど)
何だか不自然だし、ヒステリックな感情を感じて
そういった行動と愛国心のようなものとは
私の中では、どうしても同じにはならないのだった、、、

昨日は、夜風に誘われて残業で疲れているにもかかわらず
溜池山王から乃木坂を行き、迂回して
青山一丁目で用を足して、そのまま夜風と風景を堪能しつつ
表参道ヒルズに着いて、一休みするために入ったら
既にショップは殆ど閉まっていて飲食店だけが開いていた。
初めて訪れたのは友人の中村ケンゴさんのグループ展の
梅雨の晴れ間のように熱気のあるオープニングに
冷たく冷えたマコンヴィラージュを差し入れするため
思い浮かんだのがここの地下にある
ワインショップだったのだった。

同じヒルズでも六本木ヒルズが出来た時の
あの妙な、いやな感じはここにはなくて
(混まない平日にばかり足を運んでいるせいもあって)
一見さん向きの店が多くて魅力的な商品が少ないことや
バブリー度は似たようなものだけど
落ち着かないかんじがないのは、クールで暖かくて
ハッピーな質感をもつジュリアンオピーの
アートワークのせいじゃないだろうか?(笑)
などと考えていた。そのくらいそこに描かれた
作品は良い「気」を醸し出していた。

気がつけば溜池山王から原宿駅まで歩いていた。
しかも素足に直径1センチに満たないつま先だけが少し出る
ピンヒールの靴を履いて。これもシンデレラのごとく(笑)
靴下を履いているみたいに足にぴったり合って
羽根が生えそうなくらい軽いprecieux jouetの靴だからかも。

かかとの減衰を地元の駅前のおじさんに直してもらっていた。
陽気な鍛冶屋さんのごとく
このおじさまの仕事はMr.ミニットの倍、
そして金額はその半分というかんじで
靴に対する愛情が溢れているのだった、それは
ジミーチュウとかセルジオ・ロッシなんかの靴が
山積みされていることからも用意に判断出来たのでした。

羽がはえた靴のおかげはあったとしても
距離にしてどのくらい歩いただろう?
たいした距離じゃないのかもしれないけど疲れた、程よく。
自分のどこにそんなエネルギーがあるんだろうと
思いながら精神が疲れているときは
身体とのバランスを保つため同じくらい
身体を疲れさせようという心理が働いている気がしてならないのだった。

21日 水曜日

菊地さんの講義だった。
前回に引き続きプ○○○○ル(一般公開されていないので
いちおう伏せ字・笑)
これはペペトルメント…の新しいアルバムで
演奏するそうなのだ。美しい曲。

講義が始まる前に飲み物を買いに行こうと
外に出たらタクシーから菊地さんが降りて来るところだった。
雑誌SWITCHの記者とカメラマンが一緒だったので
すぐに先生とは気づかず、日没となった京橋の通りで
帽子をかぶった人のシルエットが小さくあくびをしていた。

直後にそれが菊地さんだと気がついて妙に新鮮だった。
菊地さんとあくびって、何故か結びつかなかった(笑)
ハイテンションで不眠不休な人、という
イメージが一般的なようだったけれどそんなはずも
あくびをしないわけもなく、我らが菊地先生の
無防備な姿は可愛らしく魅力的だった…。

それで、ふとテンションが低くて無口な菊地さんや
ついでに寝起きの菊地さんはどんななのだろうと
イマジネーションが膨らむ(笑)

つい先日の菊地さんの日記で来年8月までは
彼の私塾である「ペンギン大学」こと
ペン大の生徒募集はしないけれど
美学校の美学講座の生徒はペンギンエスカレーター式に(笑)
編入可能だということを読んで小躍りした!
心身が(特に心が)疲れてしまっていたうえ
卒業まであと3ヶ月足らず、高等科を
卒業したあとのことを考えると少し憂鬱になるのだった。
とはいえ、憂鬱はいつでも官能に映し出される影のように
共にあるわけだけど(笑)「憂鬱と官能」を教えてくれた(!)
学校とさよならをするとどんな気分だろう、と思うと
ドキドキしていた矢先だったので
ペンギン式エスカレーターなお話は朗報だった。
行けるといいな。ペンギンが大好き。

オスがマイナス40°の酷寒のなか空腹で、
寒さに晒される外側に立つ順番を互いに交代して
卵を守る本能的な行動を思うといつも
彼らの存在の全てが愛おしくてたまらなくなるのだ。



私の夢のひとつは一番大きな種の皇帝ペンギンを、
あのふわふわで弾力性のありそうな羽毛にくるまった身体を
むぎゅぅ~~~~~~っと抱きしめること。ま、実際
そんなことしたら猛烈につつかれるに決まってるけど(笑)

新宿のペン大にはどんなペンギンの皆さんが居るのか
楽しみだし、是非編入したいと思う。学費を調べなきゃ…!

カシャカシャと菊地さんを写すカメラの音が聴こえつつ
講義で、プ○○○○ル…の分析が進む。
曲の中間部の分析を通して以前書いた
「ハイブリッドコード」についてさらに詳しく
触れられた。調性が薄い、このコードだけ聴いても
(ベースを併せて音が4つしかないので)
帰属する(決定的な)調性がない、ということ。
そのぶん(前回書いたけど)このコードの調整は
メロディーに牽引される傾向が強い。

じつは前回の講義のあとにピアノで
耳で好きなハイブリッドコードを繋げて
それにメロディーを付けるということを
自宅でやっていた。
これが、まったく簡単じゃない(苦笑)

コードのほうは感覚的に繋げることが出来るけど
メロディーは、ポップな感覚で作る
通常のドミナントモーション的感覚では
付与することができないのだ。

ここに行きたい、と思う場所はこのコードの前だと
ことごとく外さざると得ない、という状態になる。
(私だけ!?笑)

でも考えてみると面白い。
この作曲概念は通常の固定観念のようなものから
離れざるを得ないのだ。

感覚的な好みの傾向性はあっても
(でもそれをうまく表現するのも難しいだろうけど)
理論を用いて確信犯的に作ることも、
感覚だけで作るのも、いずれも一筋縄じゃいかない。

そんな作業をしながら、まだドミナントモーションに心が傾く
私が居た。そんな事を考えながら無音のテレビのチャンネルをひねると
(今はひねりませんね・笑)大好きなジュリーアンドリュース主演の
「ビクタービクトリア」(ヘンリーマンシーニが音楽を監修)が
やっていて、何だ、これって(今更の感想?)
ジェンダーについてしっかり描かれているんだな、とか
女は男に、男は女になるのは難しくて不自然だし
でもその双方の概念を取り持つのはゲイなんじゃないか、とか
タンゴ曲が印象的だった、アカデミー俳優フィリップ・シーモア・ホフマンが
ドラッグクイーンに扮するフローレスや「バードケージ」
「ガープの世界」のロバータとか、映画の中のゲイの存在が
魅力的で好きなわけなんだけど、そんな魅力を
最近、私がゲイだと確信した職場のSEの同僚の(男性)
チャーミングさのことと比較しつつ考えていた。

確かに彼らはとても魅力的なのだ。例えばスターバックスに、
メンズのブティックに彼らが居たとしよう。

常に男性と女性の両極に揺れているような彼らの
その接客やサーヴィスは驚く程、魅力的なのだ。
戦後の日本においては化け物扱いされた
昨今の美輪明宏先生の人気についても(笑)それは言えよう。
ある意味で彼は最強のドラッグクイーンだ。
と楽理から脱線しましたが
ハイブリッドとポップの間を行ったり来たりしながら
映画も終わってiTunesを立ち上げ
シャッフルして流れて来た最初の曲は
「プ○○○○ル」とは対照的な概念である以前分析した
楽理分析したバカラックの「雨にぬれても」だった。

私にとって、このような曲はある種、
初めて聴いたときの記憶と共に個人的に
メタファーというか、ある種の象徴性を帯びていて
どんな時でも思い起こすことが出来る
忘れ難い存在なのだということを
そのポップさと共に認識したのだった、、、

菊地さんはハイブリッドコードについて
「新しい食材」のようなもの、と今回の講義で仰った。
なるほど、と思う。(私も先日の楽理分析日記の拙文で未
知の味と書いたけれど)
この、かつて食べた事のない美味な食材である
ハイブリッドという未知の味に魅力を感じつつ。

















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