言葉による音楽的な日々のスケッチ

作曲講座受講日記と、言葉による音楽的日々のスケッチを記録

slow&fast

2005-08-28 03:28:18 | 映画美学校音楽美学講座:初等科
ここのところ、別々にしていた幾つかの活動の何らかが
私の中で少しずつシンクロし始めたなと思う。
始めた当初は繋がるなんて考えてもいなかったのに。

そんな事を感じていた今日はとっても情報量の多い一日だった。
書ききれる自信はないけど書き留めておきたい。

<ピアノレッスン@谷中>

私は現在二人の教師にピアノを習っていて
(音楽全般に関して言えば3人の教師に学んでいる事になる・・・)
教師Aは音大教育を受けた女性で絶対音感を持つ。
子供の頃にこんな先生に出会いたかった、と思わせる人。

教師Bは両親が音大出で幼少の頃から芸大教授によって
音楽教育を受け、芸大で教わる事を踏襲してしまった彼は
物理学の道を究めるべく某理系大学へ行って作曲、演奏
教師、執筆とユニークな音楽的活動を続けている。
硬直した日本の音楽の教育システムに疑問を持っていて
門下生は8割がプロの音楽家だそうだ。


教師Bは教師Aの師でもある。なので教師Aは
パダワンにとっては身近なオビ=ワン的存在。


13時に久々の(ジェダイマスター・ヨーダ的!)ピアノ教師Bの
レッスンを受ける為@谷中。曲はベートーベンの悲愴ソナタ第2楽章。
ビリージョエルもパクる程ポップなフレーズが有名。
親しみ易いし読譜や構成は難しくないものの、
決して好ましい演奏を簡単には表現出来ない曲だ。

久々という事もあって少々緊張して訪ねたら
前回は体調が悪くてレッスンをキャンセルしたので
気遣いを頂きつつ、マスターは待ち構えていたかのように
いつもの様に振幅の大きいレッスン前の雑談的コミュニケーション。

マスターの話しぶり、テンション低いけどパッションが高い。
話題の振幅は激しいけど話の足腰は強く
全くブレがないのでどうしても話に引き込まれる。(菊池先生みたい・笑)
話のキーワードだけでも10近くあるんじゃないか、、、
マスターの家に行く途中、何故か縁日で流しソーメンをしていた話から
日本の過去から現在の大衆文化の話になり(笑)
当時の桐朋音大の学長との対談のこと(※)
「西洋的思想」「日本人の自我の確立」その他幾つかの話題を経て
靖国参拝の話となる、といった具合(笑)

話が「大衆」と「善人」などに広がって行く途中、
私は以前読んだ内田樹氏のブログで書かれた
オルテガの「大衆の反逆」の事をうっすら思い出そうとしたら
教師は同じタイミングで「スペインのオルテガという
哲学者が書いた…」と話を切り出される。
・・・マスター。またしてもフォースを使ったんですねっ。

私も内田樹氏の日記でオルテガが大衆の反逆で
アナトール・フランスの「愚か者は邪悪な人間よりも始末が悪い」という
金言を引用していて、強く印象に残っていた話をする。
私は何でも「善い」ならば「良い」じゃないか的な日本的発想が苦手。
(勿論美点もあるが)内田さんのこの大衆、、、の事は
2度に渡って触れられていて「貴族」とか「高貴」とか
きっと日本人にとっては受け入れ難いし私にもかなりラディカルな
内容に感じられるけど、確かに「愚かな大衆」の存在はイヤだ。


じつは師からピアノレッスンを始めた頃に
ピアノを弾く時の身体の軸を作るやり方(フォーム)を
内田氏と関係の深い甲野善紀氏というユニークで
優れた武術家の教えを例に出して教えてくれる事もあった。
フォームは定着してそれ以来ピアノを1時間以上弾いても
手首が痛くならなくなったのだった。
そして内田氏と甲野氏の関係を知ったのはその後だったので
今、改めて話したというかんじである。

それと当時の桐朋音大の学長と対談した内容で印象に残ったのは
日本の音大には「その曲を弾く動機」が無い生徒が多い、と
学長が言っていたという事。200名の音大生が参加する
コンクールは最たるもので、その曲を弾きたいというよりは
注目されたい、褒められたい、有名になりたい、という
競争意識が全面に押し出され、繊細なベーゼンドルファー
キンキンに鳴り響いたアクロバティックな演奏に
審査員をした師は聴くに堪えなかったそうだ。

そういえば私も子供の頃に通っていたピアノ教室の生徒達の
競争的な雰囲気に圧倒されて行くのが嫌になった事を思い出す。
でも、その選択が今この教師に学ぶ事に繋がったと思う。
時間かかり過ぎたけど。

「その曲を弾く動機」というのは欲望でない、
例えれば音楽そのものに対する愛着とか愛情とか
まあ、つまり「愛」という概念に代表されるように
穏やかな感情のはずだ、といったような事を言って
私も深く賛同する、それは音楽だけでなく全ての芸術にもあてはまる、
少なくとも私はそういう表現のほうが好きだ。

で、やっと演奏について講評。
私の悲愴ソナタの演奏は、やっぱり性急だった。
師がゆったりと自由に包容的に弾くのを聴いて
これは今の私に不在だけど必要なテンポだ、と直観的に思った。
「ただテンポを遅くするのではなく
心を穏やかにしていないと弾けない」と彼は言った。
確かに心に余裕が無い。それは私のここ数年の
生活の変化にもよるけれど都市生活者の日々の慌ただしさが
顕著になったものでもある。クラシックをこの場所でマスターに学ぶのは
時空とか次元が変わるような感覚があって、終わった後は
どこかの寺で瞑想をし終わったような(!)
そんな感覚になっていつも帰宅する。
頭と身体を駆使する豊かな遊びというかんじ。

<映画美学校>

さて、17世紀から一気に21世紀へ飛んできた(笑)

卒業制作を煮詰める為にいつもの教室へ。
一人慣れないプロツールスをいじっていて訳わからなくて
呆然としていたら同じクラスの天才高校生(笑)Hくんが登場して
色々とご指南くれる。二人の生徒の年齢差と共に
素晴らしいミラクルが次々と、、、ステキすぎ!
自分の頭脳も未だ高校生並みな事も発覚。

そうしている内に美学校生徒皆の頼れる相談相手
T樫お兄さん登場!(って私よりすんごい年下なのに
兄さんよばわりスイマセン)

稚拙なコード展開にも関わらずゴーサインを頂き
私の曖昧な曲のイメージを明確に言語化してもらって
とても助かる。偶然にもベートーベンの音源を聴かされ
曲の展開の面白さについてお話する。
途中岸野先生も入室され、卒業制作に参加する意義について話した。

稚拙でも何でもやってみないと何もわからないと
つくづく思う。やっぱり実践するともやもやと観念的だった事が
明確になって身に付くものだ。やらずとも理解出来る頭があれば
別だけど…私には無理。出たかった特別講義があれど
後ろ髪を引かれながら次の場所へ移動、、ここでもまた
アーティスティックな夜を過ごすが中身が濃すぎて書ききれない。
なので某組織(笑)公式サイトにアップしたい。
前述の話とシンクルする部分も多かった。

1日で体験するにはあまりに感じ入る事の多い日だった。

曲の色

2005-08-26 09:30:49 | 映画美学校音楽美学講座:初等科
曲を作っていて浮かんだ事を忘れないうちにレポート。

卒業制作の曲に少しずつ色が付き始めた。
出来れば綺麗で好きな色にしたいものだ。
頭の中に一度、現れたフレーズは
感覚的に耳が記憶している。簡単に消えたりはしない。

とりあえず曲の元となる音源をリバーブ全開にしてみたら
(リバーブやらディレイやらのエフェクトが好きなので
ついガンガンに入れてしまうと音が歪む)
残像のような倍音はストリングスのイメージに繋がる。

音源は今のところ、とりあえずピアノで左手をベース代わりに
右手はコードを押さえその演奏を聴きながら終盤に
アドリブでフレーズを重ねる。というのも聴いてて
手が勝手に(笑)動いたのでとりあえず残しておいた。
自分ではそれなりと思いながらも
実際にはかなり稚拙なものになっている気もするけど
しょうがない。よちよち歩きの曲。
後にあんな事やってたんだな~と思えれば。

今のところピアノメインの曲みたくなっているけど
そういうつもりでもなく。
自分で講評すると曲が性急なかんじがする。
どうやら私の特徴らしい。
曲に行間がない、動機が弱い、ブリッジが少ない
説明不足の感強し。
これを今すぐ解決するにはどうしたら良いのか考えてみよう。

曲を作る前に手法を色々考えてみた。
(その1)
コンセプチュアルにコードの機能を選択して
敢えて音は聴かずにコードを並べて
ストーリー性に基づいて曲を作る

(その2)
バッハ絡みでコード進行を使ってアレンジする

(その3)
コードブックで黄金比率的(笑)コード進行をパクって
自分でメロディーを作る


などというアイデアはあったものの
何れも上手く曲の完成に繋がらない、、、

結局耳と感覚を頼りにコードを割り振って行く。
その結果弾いていてわからないコードが出てくるも
実践によってこれまで学習した事の曖昧だった
幾つかの事について理解の強度が上がる。

少しずつアレンジのイメージも浮かんでくる。

私には作曲よりもたぶんアレンジのイメージのほうが
浮かびやすい。作曲は何も無いところから作るわけだから
やはり理論の知識と共に経験知、イメージや音感が必要。

さて、本当に曲は完成するのだろうか、、、まだ未知。
でも必ず完成させたく思っている。

さっきから保坂和志の『小説の自由』に書いてあった
ある言葉がグルグルと頭を駆け巡って
作曲という作業と繋がろうとしているので引用する。
この方はジャズが好きらしく、メソッドについても詳しいようで
時々文章を書く事が音楽や絵画の描画に喩えられていて面白い。

******************************
『小説とはまず、作者や主人公の意見を開陳することではなく、
視線の運動、感覚の運動を文字によって作り出すことなのだ』
ー中略ー
『作者の意見も感慨も運動の中にあるという直観的な言い方しか
私には出来ないが、とにかくこれは書いておく必要がある』
******************************

これを読んでいて『文字』を『音』に置き換えても良いなと思った。

晴れ女の旅

2005-08-25 15:55:43 | 日々
今年の夏休みも終わり、という時期に伊豆高原へ。
台風が来ているにも関わらず初日は日没まで太陽が出ていて
夕食を終えたら雨が降り出した。

翌朝朝食を食べ終えチェックアウトしたら雨が上がる。
道路が混んでいたので熱海で伊豆スカイラインへ進路変更。
半ばほど行くと曇天から青空が広がり突然快晴になる。
御殿場では日焼けするほど晴天だった。
一日ズレてたら今頃台風に遭遇していただろうな~
ニュースで昨日通った道路の殆どが
今日は通行止めになっていた。晴れ女ぢから。
そして伊豆高原は既に秋めいていた。





夏空模様に卒業制作

2005-08-21 00:37:27 | 映画美学校音楽美学講座:初等科
映画美学校 音楽美学講座 楽理初等科の
卒業制作である曲を詰める。

この作業は作曲だけでなく編曲もするんだけど
思いのほか難産。でも自分が好きなコード進行を
発見することも出来るし
逆に感覚で作っている部分もあるので
どのキーで何ていうコードなのか
わからなくなる場合も多くてとほほ感も強まるが、、、

膨らむイメージを捉まえて譜面に起こすのが難しいけど
ワクワクする。




エシャロットを刻んでたら

2005-08-17 00:36:31 | 映画美学校音楽美学講座:初等科
…不意にメロディーが浮かんだ。

時々、夢の中で完璧なアレンジで曲が流れる事がある。
…などというと私がすごく音感が良いように
聞こえるかもしれないけどそうじゃなく

例えば寝入りばなに素晴らしい曲が聞こえたり
夢見がちな状態で自分の言葉とは思えない質感を持った
文章が現れたりするのはよくあるけど起きたら忘れる。
寝入る時はアルファ派が活発だからそうなりやすい。
天才というのはたぶん、こういった状態を
常に維持しているのではないか、、、起きてても。
麿赤児による『瞑想刑事』を思い出す、、、

卒業制作の作曲を初めて少しずつ変化が現れだした。
そうだ、何事もやってみなければわからないってわけだ。
初めは全く無理だと思っていたけれど
(ぶっちゃけ今も思ってるけど)
曲が少しずつ形になり初めて(とりあえず現時点では
それが優れているかそうじゃないかは関係なく)
そうしていく内にこれまでは断片的だったイメージが
具体的になってきた。

例えば、自分が漠然と好きだと思っていた曲の
幾つかの特徴がある一定の傾向のもとに
特徴づけられ統合されてきた、この意義は大きい。

楽理をやったおかげで、このコードはどう、とか
分析出来るようにもなったし、好きな音に手が移動するのが
以前よりとても楽になってあまり迷わなくなった。

それと、曲がある所まで出来ると
自然に構造とかサビの雰囲気とかが段々漂ってくるかんじ。

初めにメロディーありきでも
コードありきでもなくて(あくまでも私自身は)
どちらも絡み合いながら進んでいくようだ。

ただ、弾きながら曲を作っているので困るのは
時々、解析不可能なコードを弾いている。
たぶん(笑)メジャーダイアトニックが基調なんだけど
転調してる、とかわかっても
自分が作ろうとしてる曲のKEYが何なのかがわからない、、、

これはちょっと致命的、、、まだまだ勉強が足りぬ。

北海道直送青果/野球/甲子園

2005-08-16 01:56:23 | 日々
磯崎道佳氏(アーティスト/東京出身/現在北海道在住)から
メロン送るので是非食べてくださいと嬉しいメッセージを頂く。

(北海道繋がりで思い出した、
前回の夏の甲子園で優勝した地元の駒大苫小牧が
ベスト8入りを果たしました。野球に無関心だったのに
俄然高校野球フリークです。がんばってね、高校球児たち!!!)

で、急遽それに合わせたかのように盲腸による入院から
無事復帰した浅田創氏の快気祝い@
中村ケンゴさん宅でやりましょう、という事になる。
(あまりに急でしたが、、、笑)
丁度、我々がすぐ食せるように熟したかのような
赤肉のメロン君を頂くと共に(前菜;生ハムと)






集まったメンバーのM45さんのご実家で作られた
激ウマ(無農薬有機野菜)野菜をた~んと頂く。

ただごま油でじっくり焼き付けた元気な茄子や
獅子唐を生姜醤油で、



皮がついたまま蒸し焼き状態で直火焼きしたとうきび
(北海道の人間はそう言います)や

大小様々なトマトを味付けなしで、
グルマンに人気のしんじゃがキタアカリを直火焼きと
油で焼いたのと二通り、
(退院したばかりのグルマンで料理の鉄人的oy8氏に感謝!
、、、というかこんなに食べて大丈夫なの!?)





スクスク育ったヘルシーで大きなキュウリを
生姜と共にさっと塩揉みして頂く。

前菜にしては、メロンと共においし過ぎましたね。
メインの前に満腹。

ここのところ改めて野菜の滋味、旨味というのを
実感していたけれど更に実感する、お肉いらないわ!

でもしっかりお肉も頂きました。(笑)
巨人vs阪神戦を見ながら。
たまたまそこに居た全員がアンチ巨人だったので
(道産子の私をのぞくお三方は関西人でした・笑)
やれいけそれいけ的に盛り上がりながら食べました。

で、何故かミンミンと蝉が鳴き騒ぐ盛夏に『スキヤキ』、、、
坂本九じゃないんだから、、、と思いつつ
やっぱりおいしかった。子供の頃からずっとやりたかった
すき焼きの食べ方(割り下なし)しょうゆを入れて
そこに砂糖を入れるというシンプルなやり方で食べる。
おいし~~い!

これで夏バテ返上だ!と思っていたら
食べ過ぎで若干、翌朝胃腸がヘヴィでした。

何事も過剰なのは考えものです、、、
かといって野菜だけじゃなくお肉も頂きたくなるのが
人の常ですね。
でも人が集っておいしいものを頂くという幸せって
やっぱり普遍的平和な風景よね。


いそちゃん、さっち~、とってもおいしかったです。
制作者に感謝!

どうもありがと~♪

あの日に帰りたい

2005-08-14 00:25:11 | 映画美学校音楽美学講座:初等科
名曲の存在感は時代を超えて自分の中に存在していて
iTMSで聴いても全然変わらないな~と思う。

ここのところiTMSでダウンロードした曲の数、
気がつけば37曲、こんなにCDを持たずして
記憶に残っている曲があったことは、なかなかの発見。

そして、無作為に思い浮かぶままダウンロードした結果
私が10代の頃の3大DIVAの存在を改めて認識した。それは

矢野顕子大貫妙子荒井由美

のお三方であるということに気がついた。
ただ、このうち矢野顕子だけは
iTMSに存在していない、会社の方針なのか本人の思想なのか、、、
ちょっと残念。

しかし「あの日に帰りたい」は
成熟度の高い曲だな~。歌詞と共に。

この頃、彼女は一体幾つだったのだろう。
当時少々おませだった10代の私は
こういった一連の曲を好きな男の子を思い浮かべながら
寿司屋だった実家の二階にある宴会部屋で
一人ひっそり(笑)カセットテープに合わせて歌っていたものだ。

その頃の自分と変わった事といえば
この曲の中の幾つかの事が現実として
実感出来るようになったという事くらいで
基本的に私自身はあまりその頃と変わっていない。
確かに大人になったけれど、あの頃の自分は消えてない。

この3人のディーバに共通する事は
恐ろしく成熟度が高いという事だ。
20代で作っていたであろう曲は30代40代の女性の詩
とも言える部分が有る。若くてそんなだと
何かと大変だっただろうな~などと考えつつ。
今も現役で活躍する3名の美しきディーバ達を
いつも心のどこかで応援している。

今日は美学校で横川先生の即興ワークショップに参加するつもりが
すっかり遅れて到着、横川先生はいらしたものの
ワークショップには参加ならず、、、

でもでも。

男っぽい雰囲気の中、入って行くのは勇気がいるな~と
思ってエイッと入った教室にはぷんと良い香り。
ずっと気になっていた録音技術科高等科の美女2名が居た、
奇しくも(音楽美学講座に少ない)女性が3名。T樫君そして
横川先生という不思議な取り合わせ。
帰る横川先生にぺこりとご挨拶。う~ん。ダンディでスマートな方だ。

さて、気になっていた女子の一人Kさんと初めて少しお話する。
どんな楽器を演るんですか?という話で
何と彼女はテルミンを!!!!!
触りたくて仕方なかったテルミン。
そう伝えるとあっさり「え?今ありますよ?」と
おもむろにさっき出し入れしたのを見たけれど
とっても可愛いなと思っていたマトリョーシカの小物入れは
実は「マトリョミン」というテルミンちゃんだったのだ!!!
凄すぎる、、、想像の余地はなかった、マトリョーシカが
テルミンだなんて!!!




で、早速触らせて頂く。一体どこから音が出ているんだ!?
手を離したり近づけたりして激しく共鳴するこの音、
初めての不思議な音体験。Kさんありがとう!
でも多分何より目を潤ませてテルミンに
過敏な反応をした私の様子をKさんは
不思議に思っていたかもしれない、、、

さて。いざProToolsをいじくる。
いつも菊池先生が弾いているキーボードで。
録音したり、自分が弾くコードを記録したり。

そんな中、もう一人の魅力的な音楽美学講座の録音科女子
Nさん。私がヘッドフォンをしてあれこれやっている間
終止、鼻歌を歌いながらあちらこちらで(靴音や
美学校の壁に付いている穴の空いた金属を撫でて鳴らしたり)
色々なノイズを録音されていた。そんな様子を横目で見ながら。
素敵だな~こういう女性って、と考えながら
キーボードでコードを追っていると。

あら、このコードって一体何かしら?と
自分で弾いているくせに何のコードかわからない事に気がつく。
T樫くんにヘルプ。何らかのAugとかdimとかにテンションをつけて
何かをマイナスしたコードじゃないか、との判断を頂く。
ちゃんと意識的にコードを弾きたいものだ。

曲の進行の3分の1が何となく決まった。


開く新たな扉

2005-08-13 02:25:40 | 映画美学校音楽美学講座:初等科
8月7日

今日を入れて残すところ4回となった音楽美学講座。
いよいよ新しい世界の出現。

本日の楽理初等科の講義はちょくちょく耳にはしていたけれど
全く想像の余地がなかった次元「モード」界の扉が開いた。

今回の講義はいつにも増してワクワク度が高かった。
講義が終わったあとも、残すところあと3回ということや
講義の内容の充実度も高まったせいか生徒達の質問が相次ぐ。
内容がとても興味深く席を離れられなかった。

授業には(たぶん入学を希望する新入生と見られる女性が)
見学していて、その人も席を立たずその場に居た。
彼女はきっとこの音楽美学講座の魅力を存分に感じたことだろう。

これまで学んで来た世界はもっぱら「コード」界での出来事。
楽理における「コード」の世界にはドミナントモーション(※)という
音楽上の「感情」的なものが存在しているけど
モードの世界にそういった概念はないようだ。

コードでいうところの「音階」は
モードにおいては「音列」となり(階→列)
「根音(Root)」は「軸音」(根→軸)という捉え方に変化する。

ヒエラルキー的な概念は消えて水平思考的になり
ただ各々の色彩が「違う」という特性のみが存在している。

例えばコードの世界において「Cm7」というコードを
モードの世界で使ったとしても、同じ音に聴こえていながら、
それを使う根本的な発想や概念が全く異質、といったかんじなのだ。
(これは質問をした優秀生徒K原くんの解説)
同じものでありながら同じものに感じない、ということが
音楽の上で起きるという事か、、、確かに曲の中で
そこだけが異質になる瞬間がある。あれがモードなのだろうか…

現時点での私の単純解釈ではモードの世界には「感情」と違った
「抽象性」といった概念を感じているし
だとしたらそれは私が好む何らかの傾向性を持っている。
この時点で頭の片隅でついバッハの
「フーガの技法」のことを思い出す、、、

yaplogのブログ日記のプロフィール文にもあるとおり
私はずっとこの作品の音楽性を抽象的で
感情とは別な何かを感じると日記に書き続けていて
フーガの技法に特別な音楽性を感じ、
なぜそう感じるのかはわからなかったので
謎解きをするべく音楽美学講座で何かを掴もうとしたわけだけど。

例えばバッハの、アリオーソやクラヴィーアの
プレリュードにドミナントモーションを感じても
フーガの技法にその気配はあまり感じない。
でも何というか、グルーヴみたいなものを時折感じることがある。

頭の中に「モード」「チャーチモード」「フーガの技法」という
3つの言葉が響き始めた。
もし「モード」と「フーガの技法」が何らかの形で
結びつくことがあれば私が知りたかった商業音楽の楽理は
「モード」に通じているのかもしれない。
けど、全然見当違いかもしれない。
今の段階ではただの拙い推測なんだけど。
まあとにかく感じる何かがあるけど理論的に説明不能、、、


講義の始まりのほうで、前回の更に復習をしてくれて
作曲に対する実習的なことも学ぶことが出来た。
これまた「願ったり叶ったり的講義」パート2。

「卒業制作」の楽曲の作/編曲&作品のCD化という
初等科での学習の集大成的実技ということで
実は、これに勢いで(何事も勢いは大切)エントリーした私、
とてもタイムリーな「メロディーを付ける」という
実技の説明に興味津々。

私は作曲をしようと思うと
割と面倒くさい考え方をしてしまうらしい。
常々、初めにメロディーありきなのかコードありきなのか
思うがままに作るべきでも無く、かといって自由を欠く事も無く…
と両義的な考えを抱いてしまうので表現に繋がりにくい。
でも菊池さんの説明は明解だった。

まとめとしては、コード展開がマイナーコードだとしても
元々全てのスケールには(たとえマイナーコードでも)
白鍵は常に入っており、白鍵のみで
メロディーを付ける事も可能だということだった。

その分、マイナーコードで奏でられる長調のメロディーは
人によっては(スケールに関係なく)
マイナーに聴こえたりする場合もあるらしいし

それはコードの聴音も同様で
「下から取る」場合と「上から取る」場合が
あるということだった、この辺はもっと突っ込みたい気がした、
というのも前回の日記で書いたコードの聴音について
私は3回とも全てルート音ではなく3rdの音を捉えていたので
その事と照らし合わせるも、思考の回転速度が及ばず、、、

音を捉える聴覚という感覚には個人差があるという不思議。
きっと同じ音楽を聴いても感応する部分には
個人差があるという事でもある。
短調=暗いという風に聴こえない私としてはこの辺り、興味深い…


菊地さんは子供のような情熱で夢中になって生徒に応えていた。
私を含め何人かの生徒はそのまま残って菊池さんの熱心な説明に
耳を傾けていたら、残りの受講回数を僅かにしながら
これから学ぶであろう「モード」世界への
自分の中にありながらまだ未知である部分へ向かう音楽性を、
彼の説明の言葉と演奏されるコードの音にビンビンに感じる何か。

コード界と違うことは感じる。
ただ、それがどう違うのか耳も慣れていないし
理論的にもまだわかってない。

毎回の講義で、この日記に書いていたり書いていなかったり
読まれているかそうじゃないかどちらでもいいんだけど
少なくとも菊地さんは一生徒である私が毎回講義に
望むこと、訊きたい事、知りたい事、についてその殆どにおいて
叶えられ聞き届けられているような気になってくるのは不思議。

私がそう感じるという事は皆感じているんじゃないかしら?
願えば通ず、的なもの。「打ち出の小槌」的講義(笑)
例えば授業を離れてこんな出来事があった。その時の日記を参照。

「ショコラで幕開けした新年初講義を振り返る1」



<※ドミナントモーションとは>

<Dissonance Level=音程が具えている色彩的特性の
不協和度による分類>=コードにおける機能

<機能名>
ドミナント(不協和)
サブドミナント(曖昧)
トニック(解決)

この理論を元に
問題発生(ドミナント)→解決(トニック)という風に
コードの上で音楽的解決感を促すテクニック

講義録の前に

2005-08-12 01:02:18 | 映画美学校音楽美学講座:初等科
作曲は厳密にいうと初めてではないけど
2分以上の曲を初めから最後迄作るのは今回が初めて。

いや、初めて作曲したのは幼稚園の頃。
家にあったオルガンで、今思えば たぶん
「カノン」形式の短い曲、 上から下に降りて行く
単純なフレーズが2回続くだけ、今も弾けるくらいに簡単なもの
(速度が速かったのでトッカータかもしれない)

あとは、そういったアプリケーションソフトで
ループを使って7分くらいの曲やら数曲を作ったけど
これは作曲といえるのか、曲にはなってるけど
どちらかというと編曲した気分。

私はどこかでクラシック的なものとポップなものとの
不自然じゃない融合を考えている、
かつビートがあってダンス可能な音楽を。
(卒制でそれが実現出来るか無理だとしても)

私が愛するバッハは当時はじつにモダニストだったらしい。
情報収集及び情報処理に炊けていて、色々な作家のフレーズを
パクったりもしていたそうな。
意外に実験的で前衛的だったらしいね、バッハ。


今回、無謀にも(自宅に設備がないにもかかわらず)
映画美学校の卒業制作にエントリーした関係で
作曲と編曲をしてCD制作に参加する事に成った。

こういった事は、宣言とか勢いが大切な部分もあるので
エントリーしたら物事は運び出した。
これをやらずして、何の為に映画美学校で
楽理を菊池成孔氏から学んだのかわからないくらいだ。
(奮起のためにこのくらい言っておく)

そんなこんなでこの卒業制作に、美学校スタッフのT樫くんを親分に
エントリーしている優秀生徒K原くん、S藤くん、
現役ミュージシャンである神森くんと共に
講義の後、今後のプランニングをその場に居たこの5人でざっと話す。
録音技術に無知な私なので
T樫くんにProToolsでどんなことが出来るか、などの説明を聴く。

新たに美学校に入校しようと思う生徒諸君、
この楽理とアプリケーションソフトにもハード方面の知識にも明るい
美学校のT樫お兄さんが居る限り、あなたたちは
安心して学べます、という事をお伝えしたい。

経験未熟な私に示唆すべく
多忙な中時間をとってくださり、お気遣いに感謝しています!

いつも思う、一人の頭のほうが良い場合もあるけれど
自分以外の何人かの頭を借りると
あっという間にイメージが掴めたり
答えが見つかる事は多い。互いの知恵を出し合って
うまく出来たらいいなと思う。

今回の講義は異界である「モード」界に突入し
どこか生徒の皆さんのモチベーションが上がっているような
気がしたのは私だけだろうか?
菊池先生も、とても熱心だった。(いつも以上に)
あと3回の講義、、、今回の講義録はあとで。

曲は、日記で何度も試したように「音楽の物語性」を
テーマにしようと思う。
その結果、全く違う方向に行く場合もあり、、、

曲がどうなっていくのかは現段階では全くわからない。
ただ今の段階ではイマジネーションだけがもの凄い速度で
通り過ぎて行く、、、。

レイハラカミ@銀座アップルストア

2005-08-11 04:38:43 | 映画美学校音楽美学講座:初等科
8月5日

昨日の特別講義に引き続き、あまりにもタイムリーな情報を
仕事中にメールでゲットしてしまう。

iTunesMusicStoreのオープンに関連するイベントで
何と7時からレイハラカミのライブが銀座のアップルストア
開催されるという情報を知ってしまった、、、

実は映画美学校の音楽美学講座で卒業制作の曲作りに
エントリーしてしまった私、それにも絡んで
レイハラカミのあのような美しい音源に
とても魅力を感じていてその音作りについて
少しでも触れたいと思っていた矢先のことでもあった。

しかし、今日は残業を9時までする予定で
そのくらいしなければ仕事量的に間に合わない状態だったのだが
昨日の映画美学校の特別講義の話題に
引続きあまりにタイムリー過ぎたうえ
アップルストア銀座は会社から徒歩数分。行くしか無いだろう。
あまりにもクッキリとレイハラカミのライブを聴く状況を
イメージしてしまったので残業は月曜日に延ばし(!)
行く事に決定。

アップルストアのライブはどんなビッグネームでも無料。
細野晴臣やテイトーワの時は店の前に朝から人々が並んだらしい。
もしも行ってみて人だかりだったら諦めて会社に戻るつもりで
定時に退社していざ出陣、ラッキーな事に人が並び始めている所で
以降あっという間に階段から下は長蛇の列。
ライブ直前には店の外にまで人が並んでいたらしい。タイミングばっちり!

ハラカミ氏がリハーサルをしているらしく音が漏れていて
並んでいるオーディエンス達が耳を傾けた。
アップルストアではこんなとき、前後に並んでいる人に
声をかけあって席を立つことになっているらしい。
(いつもアップルストアの店員の接客をみるとディズニーランドを想い出す)
途中私の前に並んだスラリとしたロングヘアーの
素敵な女の子に声をかけて荷物を見ていてもらい
ライブを行うホールを通ってトイレに。

ドアを開けたら紺色のTシャツにブルーの短パン姿で
バカボンを彷彿とさせる気さくなかんじの男性とすれ違う。
(スイマセン)
スタッフの人なのかなと思いつつ目を合わせる。

約1時間半程待っていざ入場したら私は4番手だった
(熱烈な学生のファンみたい・・・)しかも最前列だったのでラッキー。
残業を返上した甲斐あり、これぞ銀座の不良OLの醍醐味。

ライヴが始まって前座のバンドの演奏。
これもエレクトロニカ。ピアノのフレーズが良かった。
私がここのところ曲作りのフレーズの候補として
発想していたラテンピアノ。なかなかカッコいい。

彼らの曲もMusicStoreで入手出来るらしい。
SL@yRe & The Feminine Stool(覚えにく!)という
2名からなるアーティスト。
これ、スライ&ザ・ファミリーストーンのもじり?

そしていよいよレイハラカミの登場、、、
あ。さっきトイレですれ違った気さくなかんじのお兄さん!(笑)

音楽のイメージでアーティストを勝手に想像していた。
私はあの繊細で優しく美しいエレクトロニカの
サウンドから、少し神経質そうな男性像を描いていた。
(矢野顕子のライヴに出ていたのを衛星放送で見ていたけど
音楽のあまりのインパクトのせいで
ハラカミ氏の姿を記憶していなかった・・・)


ナマレイハラカミは、関西弁の面白いお兄さんだった。
この方があの音楽を作っているとは何と素敵な意外性。
ただ、うなづけるのは
「笑い」を知る関西人独特の「間」がある。

ストアライヴを何度か観たけれど(打ち込み系は特に)
何となく演奏者側のクールな印象を持って終わりがちな
ライヴの雰囲気を、彼のトークのどこか「お笑い的」ノリが
完全に払拭していたのが独特なMCでとても素敵だった。
こういうナマの発見が出来るのもライブの魅力。

そして、私は何故か彼の奏でるエレクトロニカには
このジャンルに一般的に感じがちな「無機的」さを感じない。
むしろ、音の材質性と有機的な暖かみを感じるし
強い律動性もあってそれと共にあるのは
フレーズのポピュラリティと美しい和声感。
ちょっとラモーなどのピアノ曲を彷彿とするものもあった。
ちなみにLustの中で一番好きな曲は「last night」
美しいエレクトロニカのサンバ。

打ち込みによって一人で作られた音楽にありがちな
閉鎖性よりも開かれた構造性を感じる。素敵なライブであった。
来て良かったと思う。

帰りにアップルからのプレゼントがあって
MusicStoreで5曲購入出来るプリペイドカード。
これはなかなかの贈り物。

早速MusicStoreにアクセスして5曲を購入。
欲しいと思ったものは半分は無かったし
アーティストによっては(レコード会社との絡みが
あるのか本人の思想によるのかはわからないけど)
MusicStoreに出品(?)していないアーティストも居た。
詳細レポートは後日。