ここのところ、別々にしていた幾つかの活動の何らかが
私の中で少しずつシンクロし始めたなと思う。
始めた当初は繋がるなんて考えてもいなかったのに。
そんな事を感じていた今日はとっても情報量の多い一日だった。
書ききれる自信はないけど書き留めておきたい。
<ピアノレッスン@谷中>
私は現在二人の教師にピアノを習っていて
(音楽全般に関して言えば3人の教師に学んでいる事になる・・・)
教師Aは音大教育を受けた女性で絶対音感を持つ。
子供の頃にこんな先生に出会いたかった、と思わせる人。
教師Bは両親が音大出で幼少の頃から芸大教授によって
音楽教育を受け、芸大で教わる事を踏襲してしまった彼は
物理学の道を究めるべく某理系大学へ行って作曲、演奏
教師、執筆とユニークな音楽的活動を続けている。
硬直した日本の音楽の教育システムに疑問を持っていて
門下生は8割がプロの音楽家だそうだ。
教師Bは教師Aの師でもある。なので教師Aは
パダワンにとっては身近なオビ=ワン的存在。
13時に久々の(ジェダイマスター・ヨーダ的!)ピアノ教師Bの
レッスンを受ける為@谷中。曲はベートーベンの悲愴ソナタ第2楽章。
ビリージョエルもパクる程ポップなフレーズが有名。
親しみ易いし読譜や構成は難しくないものの、
決して好ましい演奏を簡単には表現出来ない曲だ。
久々という事もあって少々緊張して訪ねたら
前回は体調が悪くてレッスンをキャンセルしたので
気遣いを頂きつつ、マスターは待ち構えていたかのように
いつもの様に振幅の大きいレッスン前の雑談的コミュニケーション。
マスターの話しぶり、テンション低いけどパッションが高い。
話題の振幅は激しいけど話の足腰は強く
全くブレがないのでどうしても話に引き込まれる。(菊池先生みたい・笑)
話のキーワードだけでも10近くあるんじゃないか、、、
マスターの家に行く途中、何故か縁日で流しソーメンをしていた話から
日本の過去から現在の大衆文化の話になり(笑)
当時の桐朋音大の学長との対談のこと(※)
「西洋的思想」「日本人の自我の確立」その他幾つかの話題を経て
靖国参拝の話となる、といった具合(笑)
話が「大衆」と「善人」などに広がって行く途中、
私は以前読んだ内田樹氏のブログで書かれた
オルテガの「大衆の反逆」の事をうっすら思い出そうとしたら
教師は同じタイミングで「スペインのオルテガという
哲学者が書いた…」と話を切り出される。
・・・マスター。またしてもフォースを使ったんですねっ。
私も内田樹氏の日記でオルテガが大衆の反逆で
アナトール・フランスの「愚か者は邪悪な人間よりも始末が悪い」という
金言を引用していて、強く印象に残っていた話をする。
私は何でも「善い」ならば「良い」じゃないか的な日本的発想が苦手。
(勿論美点もあるが)内田さんのこの大衆、、、の事は
2度に渡って触れられていて「貴族」とか「高貴」とか
きっと日本人にとっては受け入れ難いし私にもかなりラディカルな
内容に感じられるけど、確かに「愚かな大衆」の存在はイヤだ。
じつは師からピアノレッスンを始めた頃に
ピアノを弾く時の身体の軸を作るやり方(フォーム)を
内田氏と関係の深い甲野善紀氏というユニークで
優れた武術家の教えを例に出して教えてくれる事もあった。
フォームは定着してそれ以来ピアノを1時間以上弾いても
手首が痛くならなくなったのだった。
そして内田氏と甲野氏の関係を知ったのはその後だったので
今、改めて話したというかんじである。
それと当時の桐朋音大の学長と対談した内容で印象に残ったのは
日本の音大には「その曲を弾く動機」が無い生徒が多い、と
学長が言っていたという事。200名の音大生が参加する
コンクールは最たるもので、その曲を弾きたいというよりは
注目されたい、褒められたい、有名になりたい、という
競争意識が全面に押し出され、繊細なベーゼンドルファーが
キンキンに鳴り響いたアクロバティックな演奏に
審査員をした師は聴くに堪えなかったそうだ。
そういえば私も子供の頃に通っていたピアノ教室の生徒達の
競争的な雰囲気に圧倒されて行くのが嫌になった事を思い出す。
でも、その選択が今この教師に学ぶ事に繋がったと思う。
時間かかり過ぎたけど。
「その曲を弾く動機」というのは欲望でない、
例えれば音楽そのものに対する愛着とか愛情とか
まあ、つまり「愛」という概念に代表されるように
穏やかな感情のはずだ、といったような事を言って
私も深く賛同する、それは音楽だけでなく全ての芸術にもあてはまる、
少なくとも私はそういう表現のほうが好きだ。
で、やっと演奏について講評。
私の悲愴ソナタの演奏は、やっぱり性急だった。
師がゆったりと自由に包容的に弾くのを聴いて
これは今の私に不在だけど必要なテンポだ、と直観的に思った。
「ただテンポを遅くするのではなく
心を穏やかにしていないと弾けない」と彼は言った。
確かに心に余裕が無い。それは私のここ数年の
生活の変化にもよるけれど都市生活者の日々の慌ただしさが
顕著になったものでもある。クラシックをこの場所でマスターに学ぶのは
時空とか次元が変わるような感覚があって、終わった後は
どこかの寺で瞑想をし終わったような(!)
そんな感覚になっていつも帰宅する。
頭と身体を駆使する豊かな遊びというかんじ。
<映画美学校>
さて、17世紀から一気に21世紀へ飛んできた(笑)
卒業制作を煮詰める為にいつもの教室へ。
一人慣れないプロツールスをいじっていて訳わからなくて
呆然としていたら同じクラスの天才高校生(笑)Hくんが登場して
色々とご指南くれる。二人の生徒の年齢差と共に
素晴らしいミラクルが次々と、、、ステキすぎ!
自分の頭脳も未だ高校生並みな事も発覚。
そうしている内に美学校生徒皆の頼れる相談相手
T樫お兄さん登場!(って私よりすんごい年下なのに
兄さんよばわりスイマセン)
稚拙なコード展開にも関わらずゴーサインを頂き
私の曖昧な曲のイメージを明確に言語化してもらって
とても助かる。偶然にもベートーベンの音源を聴かされ
曲の展開の面白さについてお話する。
途中岸野先生も入室され、卒業制作に参加する意義について話した。
稚拙でも何でもやってみないと何もわからないと
つくづく思う。やっぱり実践するともやもやと観念的だった事が
明確になって身に付くものだ。やらずとも理解出来る頭があれば
別だけど…私には無理。出たかった特別講義があれど
後ろ髪を引かれながら次の場所へ移動、、ここでもまた
アーティスティックな夜を過ごすが中身が濃すぎて書ききれない。
なので某組織(笑)公式サイトにアップしたい。
前述の話とシンクルする部分も多かった。
1日で体験するにはあまりに感じ入る事の多い日だった。
私の中で少しずつシンクロし始めたなと思う。
始めた当初は繋がるなんて考えてもいなかったのに。
そんな事を感じていた今日はとっても情報量の多い一日だった。
書ききれる自信はないけど書き留めておきたい。
<ピアノレッスン@谷中>
私は現在二人の教師にピアノを習っていて
(音楽全般に関して言えば3人の教師に学んでいる事になる・・・)
教師Aは音大教育を受けた女性で絶対音感を持つ。
子供の頃にこんな先生に出会いたかった、と思わせる人。
教師Bは両親が音大出で幼少の頃から芸大教授によって
音楽教育を受け、芸大で教わる事を踏襲してしまった彼は
物理学の道を究めるべく某理系大学へ行って作曲、演奏
教師、執筆とユニークな音楽的活動を続けている。
硬直した日本の音楽の教育システムに疑問を持っていて
門下生は8割がプロの音楽家だそうだ。
教師Bは教師Aの師でもある。なので教師Aは
パダワンにとっては身近なオビ=ワン的存在。
13時に久々の(ジェダイマスター・ヨーダ的!)ピアノ教師Bの
レッスンを受ける為@谷中。曲はベートーベンの悲愴ソナタ第2楽章。
ビリージョエルもパクる程ポップなフレーズが有名。
親しみ易いし読譜や構成は難しくないものの、
決して好ましい演奏を簡単には表現出来ない曲だ。
久々という事もあって少々緊張して訪ねたら
前回は体調が悪くてレッスンをキャンセルしたので
気遣いを頂きつつ、マスターは待ち構えていたかのように
いつもの様に振幅の大きいレッスン前の雑談的コミュニケーション。
マスターの話しぶり、テンション低いけどパッションが高い。
話題の振幅は激しいけど話の足腰は強く
全くブレがないのでどうしても話に引き込まれる。(菊池先生みたい・笑)
話のキーワードだけでも10近くあるんじゃないか、、、
マスターの家に行く途中、何故か縁日で流しソーメンをしていた話から
日本の過去から現在の大衆文化の話になり(笑)
当時の桐朋音大の学長との対談のこと(※)
「西洋的思想」「日本人の自我の確立」その他幾つかの話題を経て
靖国参拝の話となる、といった具合(笑)
話が「大衆」と「善人」などに広がって行く途中、
私は以前読んだ内田樹氏のブログで書かれた
オルテガの「大衆の反逆」の事をうっすら思い出そうとしたら
教師は同じタイミングで「スペインのオルテガという
哲学者が書いた…」と話を切り出される。
・・・マスター。またしてもフォースを使ったんですねっ。
私も内田樹氏の日記でオルテガが大衆の反逆で
アナトール・フランスの「愚か者は邪悪な人間よりも始末が悪い」という
金言を引用していて、強く印象に残っていた話をする。
私は何でも「善い」ならば「良い」じゃないか的な日本的発想が苦手。
(勿論美点もあるが)内田さんのこの大衆、、、の事は
2度に渡って触れられていて「貴族」とか「高貴」とか
きっと日本人にとっては受け入れ難いし私にもかなりラディカルな
内容に感じられるけど、確かに「愚かな大衆」の存在はイヤだ。
じつは師からピアノレッスンを始めた頃に
ピアノを弾く時の身体の軸を作るやり方(フォーム)を
内田氏と関係の深い甲野善紀氏というユニークで
優れた武術家の教えを例に出して教えてくれる事もあった。
フォームは定着してそれ以来ピアノを1時間以上弾いても
手首が痛くならなくなったのだった。
そして内田氏と甲野氏の関係を知ったのはその後だったので
今、改めて話したというかんじである。
それと当時の桐朋音大の学長と対談した内容で印象に残ったのは
日本の音大には「その曲を弾く動機」が無い生徒が多い、と
学長が言っていたという事。200名の音大生が参加する
コンクールは最たるもので、その曲を弾きたいというよりは
注目されたい、褒められたい、有名になりたい、という
競争意識が全面に押し出され、繊細なベーゼンドルファーが
キンキンに鳴り響いたアクロバティックな演奏に
審査員をした師は聴くに堪えなかったそうだ。
そういえば私も子供の頃に通っていたピアノ教室の生徒達の
競争的な雰囲気に圧倒されて行くのが嫌になった事を思い出す。
でも、その選択が今この教師に学ぶ事に繋がったと思う。
時間かかり過ぎたけど。
「その曲を弾く動機」というのは欲望でない、
例えれば音楽そのものに対する愛着とか愛情とか
まあ、つまり「愛」という概念に代表されるように
穏やかな感情のはずだ、といったような事を言って
私も深く賛同する、それは音楽だけでなく全ての芸術にもあてはまる、
少なくとも私はそういう表現のほうが好きだ。
で、やっと演奏について講評。
私の悲愴ソナタの演奏は、やっぱり性急だった。
師がゆったりと自由に包容的に弾くのを聴いて
これは今の私に不在だけど必要なテンポだ、と直観的に思った。
「ただテンポを遅くするのではなく
心を穏やかにしていないと弾けない」と彼は言った。
確かに心に余裕が無い。それは私のここ数年の
生活の変化にもよるけれど都市生活者の日々の慌ただしさが
顕著になったものでもある。クラシックをこの場所でマスターに学ぶのは
時空とか次元が変わるような感覚があって、終わった後は
どこかの寺で瞑想をし終わったような(!)
そんな感覚になっていつも帰宅する。
頭と身体を駆使する豊かな遊びというかんじ。
<映画美学校>
さて、17世紀から一気に21世紀へ飛んできた(笑)
卒業制作を煮詰める為にいつもの教室へ。
一人慣れないプロツールスをいじっていて訳わからなくて
呆然としていたら同じクラスの天才高校生(笑)Hくんが登場して
色々とご指南くれる。二人の生徒の年齢差と共に
素晴らしいミラクルが次々と、、、ステキすぎ!
自分の頭脳も未だ高校生並みな事も発覚。
そうしている内に美学校生徒皆の頼れる相談相手
T樫お兄さん登場!(って私よりすんごい年下なのに
兄さんよばわりスイマセン)
稚拙なコード展開にも関わらずゴーサインを頂き
私の曖昧な曲のイメージを明確に言語化してもらって
とても助かる。偶然にもベートーベンの音源を聴かされ
曲の展開の面白さについてお話する。
途中岸野先生も入室され、卒業制作に参加する意義について話した。
稚拙でも何でもやってみないと何もわからないと
つくづく思う。やっぱり実践するともやもやと観念的だった事が
明確になって身に付くものだ。やらずとも理解出来る頭があれば
別だけど…私には無理。出たかった特別講義があれど
後ろ髪を引かれながら次の場所へ移動、、ここでもまた
アーティスティックな夜を過ごすが中身が濃すぎて書ききれない。
なので某組織(笑)公式サイトにアップしたい。
前述の話とシンクルする部分も多かった。
1日で体験するにはあまりに感じ入る事の多い日だった。