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言葉による音楽的な日々のスケッチ

作曲講座受講日記と、言葉による音楽的日々のスケッチを記録

蜜柑の時間

2006-12-18 01:41:06 | 日々
風邪をひく。いつもの時間に起きる。ひどく体が怠い。
顔を洗い、今から朝食を食べ、駅までチャリで行き、
電車を二つ乗り継いで30分、
駅から歩いて7、8分の会社に行き、
7時間仕事をすることを30秒のうちに想像する、、、
とても無理。全然想像出来ない。

身体が熱のせいで重く、間接までが痛む。
思えば昨日の朝の通勤途中に右側頭部に時折
鋭い痛みが走ったのは発熱の予兆だったのかもしれない。

そして今は胃にも射すような痛み。
これが胃にくる風邪なのか、、、と文字通り痛感。

上司に電話する。しっかり休んで治すように、とのお達しに「ふぁい」と鼻声で返事。
病欠とはいえ今日は給料日、やるべきことがたくさんある。
こんなとき実家が遠いとやはり不便。寝込んでもいられない、
自分のことは自分でやらなきゃ、と一旦病身を忘れて
用を足しにへろへろながらグレープフルーツジュースや
ポカリスエット、ミネラルウォーター、鍋焼きうどん、
蜜柑を買いに走る。汗だくで帰宅。

玄関側の北西の方角から雨模様の灰色を上塗りするように
クリーム色の雲が一線上に広がってる。晴れの予感!

薬を飲むために朝食を無理にでも食べる。
薬が効くまでメールのチェックと返信。
ついでにメアド交換したばかりの会社の友人にメール。
すぐに返信がくる、元気な人からの元気なお見舞いメール。
リアルタイムの他愛ないやりとりに少し心が弾む。

暫く音沙汰のなかった友人からのメールに目を通す。
連絡がないことを心配していた。
「こうして誰かと会っている時は本当に元気な時だけ」
そう言っていた友人。

そうでない時を他人に見せない人は私の友人には多い。
強がりというか強情というか、、、でも、
その状態から簡単に脱出するには
親しく心許せる誰かと会うことだったりする。

そんな相手は決して多くないと私達はお互いに知っているから、
「いつも考えていた、会えるのがうれしい」と返信する。

メールに熱中していたらいつのまにか11時。
外は晴れてベランダから明るい陽が射していた。

窓を開けて朝の陽に身を浸す。洗濯欲が沸く。
猛烈に布団を干したくなる。こうなると
掃除欲はもう止まらない。

浴室の窓を開けて空気を入れ替える。
ベッドの寝具を全部外して陽に当てる、洗濯物を干したら
家のなかには陽がサンサン降り注ぐ。暖かい。

こんなときには音楽が必要だわと、ふさわしい曲を物色。
ルグランを流す、ぴったり!
こうなるとピアノが弾きたくなりそう。爪をバシバシ切る。
熱で喉が乾くからグレープフルーツジュースを
わしわし飲む、床が汚れてるからちゃっちゃと床を拭く。
そうだ、窓が開いてるしついでに掃除機をかけよう。
シーツを取り替えよう。ああ、何だかとってもいい気分!
身体は少し怠いけど。

結局普段の休暇よりアクティブに過ごした午前中、、、
きっとこれも風邪の効用。
昨日の夕方うんうん唸っていたのが嘘みたい。
心身ともに、こういう時間を必要としていたのかもしれない。




















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フーガ/湯船でみる夢

2006-12-12 18:55:18 | 日々
お風呂に入ると時々、様々な思考が速いスピードで駆け抜ける、
思考は、また次の思考へと枝葉を伴うように
フーガのごとく分かれて広がるからつかまえるのが大変。

水とか蒸気のせいかもしれない、と思う。

川や海や湖、泉など水のある場所に行くと
精神的にも科学的にも人はリラックスして癒されるわけだけど
小さなバスルームでも暖かな湯で温まり、蒸気に包まれて
身体を休めることは温泉で癒されるのと同様に
ある意味そこは別の次元になっているようにすら感じられる。

湯船で身体を浮かせるようにあたかも水の浮力で思考までもが
浮上していくようにそれはフワフワと漂い
「考えている」と意識されないほどなので、
思考というよりも、まるでどこかから「聴こえて」くる、
といったほうがいいのかもしれない。
眠りに落ちる時の現実の自分の思考とはかけ離れた「夢」の思考に近い。
瞬間的で鮮烈なヴィジョンにも似ている。

夢から覚めると観たことを忘れてしまうように
バスルームのドアを開けるとたちまち消えゆく湯気のごとく
その時の思考も殆どは消えてしまうし
外に出たら、もうそんな風に言葉は聴こえない。

水蒸気となった水が雨になって還ってくるように
一度忘れてしまったその思考を再び想い出せるかな、と
思うけど、湯気の外に出ると、もう別な言葉になってしまう。

1つだけはっきり憶えていたのは
寒い冬の夜に暖かな湯舟に身を任せた時の適度な緊張感と
脱力的な解放感と安堵感、、、あの身体が芯から緩むかんじは、
泣く時の状態と似ているな~と、湯に浸かりながら感じたこと。

さて。菊地さんの日記におぉ!というのがあったので
転載しましょう。いつも勝手に呼応してますが(笑)
今回のひっかかりキーワードはバッハの「フーガの技法」
これ無人島に持っていきたいくらい好き(笑)
いや。無人島に持っていって聴いたら確実に憂鬱。
それに「好き」というのとはちょっと違うな。
「畏怖している」といってもいいかも。
まあとにかくそれくらい、好き(笑)


「特に悲しい事もむなしい事もないよ。毎日、なんか楽しいし。
今まで生きててそんなに嫌な事もなかったし。喪失の哀しみ?うーん。
そいえば自転車盗まれた事有るね一回。といった方は、恐らく
ワタシの音楽からは何も感じない(嫌悪感や抵抗感さえも)のではないかと
思われます。」
「世界中から、この港に船が着くのだ」という感慨を、
ワタシは深く深く愛しております。幼少の頃に刷り込まれたからでしょう。
どこの港に行っても、大阪の南港であろうと、東京湾であろうと、
そう思っては心地よく胸を痛めます。しかし、リスボンのそれは
少々度を超していたようです。誰もいない港の入り口で潮風に吹かれながら
「やっぱキリスト教素晴らしいわ(笑)」などと冗談を言っていた時です。
突如、白日夢の様にして「プラザ・リアル」のラテン・ラウンジ・バージョンが
聴こえて来たのでした。

 そして、この曲のタイトルについて、ショーター氏に
聴くのを忘れていたな。と思ったのです。「リアル」には
「輪唱」「フーガ」という意味が有りますが?それとも、
「実物」という名の広場が、あなたのイマジネーションの中にあるのでしょうか?
つい先日まで、ワタシは輪唱どころか、あらゆる民族音楽がひしめく
広場に居たのでした。マラケシュの、元・公開処刑場だった
「ジャマール・エル・フナー」です。

 白日夢と言うのは強烈で、ましてや音が鳴り出すと止まりません。
夜見る夢との一番の違いです。そして、いろんな事の意味が、
どんどん分かってくるのでした。ショーター氏の「プラザ・リアル」は、
海が見える場所にあるのだ。
そこでは宗教音楽による輪唱が行われていて、ショーター氏お得意の
フーガの技法による旋律が、世界中の楽器によって奏でられ、
ぐるぐる回っているのである。この強烈無比な郷愁。この強烈無比な歓喜。」


というわけで、私達生徒は菊地さんによって直接
この「プラザリアル」という曲を共に理論分析したし
(今も菊地さんのラテンヴァージョンのをよく聴いてる)
相当長いことかけてこれを分析して私も3つほど
この曲について日記を書いていた。しかも長々と、、、
そして「転調の美」というタイトルの日記で私は(いつものごとく)
半ば動物的に、この初めて聴いた美しい楽曲を
「フーガの技法のよう」と書き記していたのだった。
ウェインショーターに関する知識は全くないからこの事は
知る余地もなかったのだけど、彼は菊地さんによると
フーガの技法がお得意、だそうなのである。

私にとってこの「フーガの技法」という言葉は
本当に美しい音楽に近づくことの出来る魔法の呪文のようで(笑)
日記は「ピアノレッスン」枠でいくつか書いていて
今は休止中だけどピアノを習うことに繋がったのも
この曲(とグールド)について調律師さんに話したことから始まったし
もう10年以上前に坂本龍一が「最近こればっか聴いている」と
グールドが弾くオルガンヴァージョン(私はこれを真冬のパリ旅行に
持って行ったくらい好きだった)について触れたとき
「フーガの技法ってそういう存在なんだ!」と無知丸出しで
何にも予備知識なく耳だけで動物的に聴いていた私なので(苦笑)
これには驚いたくらいなのだけど、

初めて聴いた時から20年以上経ったいま実際にピアノ教師に
バッハが音楽で顕そうとした宇宙、と教えて頂き、
mixiのプロフィールにはフーガの技法の謎解きをしたい、と書いていたし(笑)
実際この音楽美学講座に入る時のテストで評価の対象となる
目標を書く欄に「フーガの技法のような音楽を作りたい」と
途方も無い壮大なことを(苦笑)書こうとしたけれど
間違いなく変人扱いされるからよそう、だいいち出来るわけがない、
などと思ったことなど、これからペン大に進学(?)しようという時に
魔法の言葉「フーガの技法」が出てくるとは、と感慨もひとしお、なのであった。

しかし、今は思う。菊地さんは当然、楽理で対位法や
バッハの音楽性についてもあらゆる角度で触れられるけど、
ご自身は緻密な対位法的な音楽を作ろうとする
タイプではない、とたしか仰ってもいたし
確かにフーガの技法のような厳格な楽曲と
彼の情熱的で官能的な音楽やお人柄とは違うけど(笑)
やっぱりきっとどこかで「フーガの技法」のことと、
ちょっとだけでも繋がっていたのかな~と、
勝手に思わせて頂くことにしよう。まだ謎は解けていないけど。


(参照用過去日記)


ずっと続く幸福な未知

メロディーの向かうところ




























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紅葉、効用、想像

2006-12-06 20:28:14 | 映画美学校音楽美学講座:高等科
銀杏の葉も、すっかり黄色くなりましたね。

ふと寝入りばなに夢現で考えていたこと。

「現実と非現実の区別って・・・?」
いや、ちゃんと言うと
「現実と想像の区別って?」ということなんだけど。
何だか、そのとき如実に思った。

現実に起きていることでも判断や感じ方は
ほとんどの事は(独自の想像が働いていて)
人それぞれ違っている。
その人の感じ方だけ別な現実があるのだと、、、

なんて事を考えつつ、「想像」について辞書をひいてみる。
「実際には経験していない事柄などを推し量ること。
また、現実には存在しない事柄を心の中に思い描くこと。」

脳学者の茂木さんなんかが「クオリア」とか
声高に言って(微妙に怪しいが)認知され始めていることではあるけれど
想像だとしてもその想像の度合いによっては
その人にとってはある種のそれも、現実なのだと確かに言えると思う。

双方の区別がつかなくなってしまったら
精神のバランスを崩しますが。

私もちょっとだけだけど
作曲をする時、頭の中で流れたもの(これもある種の想像)を
音にして現実にしていくという作業をしていて
感じ始めたことで、創作活動をする人ならば
きっとみな感じていることだろう、というか
昔から虚実皮膜という言葉もあるくらいだし。

菊地さんの日記でブニュエルの映画について触れつつ
サルサ、理性と非現実性、現実性について
書かれて面白かった。相変わらず日記も
彼の音楽のように情報量が濃い…


さて。
菊地さんからもうじきスタートのペン大の案内メールが届く。うれしい。
案内とはいえ直接メールで少しだけ菊地節が炸裂していて。たのしい。

タイミング的に12月初めだと諸事情で(笑)
早々に休んでしまいそう、、、と心配していた。
しかし菊地さんの多忙によりスタートが繰り下がって
全てがクリアになった。相変わらず色々あるわけで…

映画美学校の授業が終了してからの約2ヶ月間
今までより多くピアノに向かって
曲の分析をしたりしていた。

作曲理論をやった人ならば当たり前のことだろうけど
私にとっては、これまでの学習の効用を
あらためて具体的に感じ始めている。
というのも、昔好きだった(歌謡曲から
童謡やら、ふと思いついたJポップやら)
色々な曲をメロディーだけでも弾くと
大抵のものから、面白いくらいにコードが取れる。
これまでは出来なかったこと。


それは楽譜に表されているけれど
和音になっていないクラシックの曲なんかも同様で
テンションも含めて音が取れる。
「うわ、ベートーベンったらこんな動きを!?」とか
「松田聖子の(笑)あの歌ったらこうだったんだ、スゲー!」とか
ルグランの大好きな曲の途中まで単純なトライアドコードの
ドミナントモーションが突然何の前触れもなく
ディミニッシュに移行することに「ああ…そうだったんだ」と
深く納得し、ゾクゾクしたりと(笑)大変。

菊地さんは楽曲分析をよく精神分析に喩えるけれど
ある意味では翻訳にも似ているなぁと思う。
これはクラシックの曲(他の人のしかも異国の)を弾くと
いつも感じることなんだけど、なんていうか
その人の「頭」の中に入ったようなかんじ。

ほんとうにほんとうに当たり前のことだけど
コードの概念と構造を知ると
それを知らなかった時と判断力は比較にならない。
楽譜も何もなくてもメロディーがわかれば
ちゃんと手がコードに動くのだから、、、

そしてこちらもほんとうにゆっくり少しずつだけど
私の中で鳴る音楽も現実に音に出始めていて
それは子供が作るみたいに稚拙なものだけど
ともかく出して行かなければ、、、というかんじ。

わかるのは、耳が変わり始めた、ということ。
あらゆる意味で。ジャズの音の動きのことも
これまで以上に気になりだす。

ペン大に行けるのは、嬉しい。
だって、こんな先生と音楽の学校、他にないもの!(笑)
ここは菊地さんの私塾だし。
(芸大でも非常勤で教えるそうですね)
より濃い内容になっていくことへ
気持ちが引き締まる思いもありつつ。

また1年間の音楽生活が始まる。
濃い1年間にしようっと。
































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