言葉による音楽的な日々のスケッチ

作曲講座受講日記と、言葉による音楽的日々のスケッチを記録

煙る映画美学校『柔構造』

2004-10-25 23:17:18 | 作曲理論講義/受講録
憂鬱と官能を教えた学校
憂鬱と官能を教えた学校

河出書房新社-
菊地 成孔, 大谷 能生

先日、21日の湯浅学さんによる特別講義は
2時間半の講義とは思えない程
私にとって豊かな情報量だった。

という訳で、再び第1回特別講義に触れたい。

当日、映画美学校のホールは、特別講義のスタートを待ち
そこに集った生徒達が吸う煙草のせいで
乳白色に煙っていた。

そう見えたのは古い建物の漆喰壁の
印象もあったのかも。
ふと煙の存在もたまにはいいなと思う。

不思議な熱気を感じたのは講座への期待感からなのか
21世紀でも芸術系学校の生徒が
熱くアジっている現場の雰囲気のせいか。

いや、単に私の気分のせいだろう(笑)

講義内容の一部は(録音した訳ではなく記憶による
テキストなので少々適当…)


まずコーディネーターの岸野雄一さんがホワイトボードに
ある図を書いた。
例えば縦軸は地理、横軸は時間、といった具合。

その図を元に、『私の音楽史』を書く、
というコンセプトについて
説明する。それは、通史と常に比較しつつ、考察されていく。

私的嗜好性による理解の限界からの脱却を感じた。


ある物事を深く理解したいと考え
自らそれを表現をしようと思った時
例えばその対象が音楽で
それに関わる事を生業にしたいと考える人がいるとしたら
彼はもうそれまでの趣味的な姿勢で
音楽に接する事が出来なくなってしまうかもしれない。

もちろん、創作は才能プラス
それが好きという事からスタートしていくだろうし
趣味的創作を拡大していくのも良いだろう。

先日の講義内容のテーマ『音色の記憶』

・個人嗜好的な文脈で音楽を聴いて理解する事から始まり

・自分が聴いてきた音楽が生まれた
 最古の発生源まで遡ってみたりして

・地理時/時系列的に考証していく事は
・観点を拡げるという事において有効
といった親身で具体的なアドバイスでもあったと思う。

自分が聴いていた音楽を、平面的な情報のみで
理解したと思い込む事は多い…と言っていた。
そして私もそこに大分類されるだろう。

そこで、講義中の岸野雄一さんの名言。

『生まれる前の音楽は、昨日出た新譜と一緒』

2次元的思考ではなく
3次元的な捉え方をする、という発想が
根底にあったのではないかと私は判断した。

つまり主観的になりがちな
個人の音楽史に立体空間的な広がりを持たせる、という
意図を感じた。

そしてこれは音楽に限らず、日々の、
諸々の発想の全てに通じる事だ。

私自身も、こうだ、とか
こうに決まってる、とか
日々思いがちだし
またそういう風に
自分の思考の基礎を固めがちだ。
それで、強固な建物の基礎を造ったつもりにもなる。

でも、それは硬直的で防衛力はあったとしても
創造的思考にはなかなかつながらない。

そして一度造った思考の基礎を
壊す事も容易ではない。

揺れ動きつつも(笑)自らのベースを守るという点では
柔構造的な状態がいいのか…地震の多い昨今だし。

頂いた音源の大半は聴いた事のない音楽だった。
『先入観を持たずに未知の音楽に
触れるのも良いものです』とヒゲの未亡人こと
岸野氏の言葉が添えてある。

聴いていくうちに
少しの違和感は親しみへと変化していった。

岸野雄一さんは講師の湯浅学さんとのやりとりの中で
音楽の中の歪みについて
・歪みは
・滲みになって、広がりを生む

というような事を言っていた。

抽象的な言い方だったけれど
私には、かなり腑に落ちた。


第1回特別講義・湯浅学先生編

2004-10-21 01:36:54 | 作曲理論講義/受講録
10月21日は映画美学校・音楽美学講座では湯浅学さんを
講師に招き特別講義が開かれた。
お題は『私の音楽史』

湯浅氏による個人的音楽史と通史を比較しつつ、3次元的かつ批評的視点で捉えた
とても魅力的な講義だった。殊に、映画美学校のコーディネーターで
音楽家(スタディスト)でも
おられる岸野雄一さんと湯浅さんお二人のやりとりは絶妙で
まさに3次元的な(笑)拡がりを感じられた。
岸野氏作成の音源資料お土産(笑)付きでとても素敵。
それは、あたしみたいに無学な者でも一夜にして
それまでの音楽に対する嗜好的感情を離れ、
曲を抽象的に一つの現象として
捉えられるかも(予感だけど・笑)といった
変化への予兆を感じさせる程に
豊かな内容だった。
その後は恒例の飲み会(学理編曲と録音の初・高等の全学部が
初めて集う日)だそうで若い男子が多い人口の中、
センセイ達の方に世代の近い私も混ざる。
店に行くまでは大半の人々が知り合いのないピン(笑)という
不思議な光景(これから飲みに行くというのに!)の中。
ま、これも面白そうねと思いつつ歩き行くと、
記憶に残る同じクラスの東大生の若い有望な女子を発見し、
談笑しつつ共に横断歩道を渡る。


会場の東京駅前『天狗』(←初めて入る)の席に付く。
初めは互いを知らない事から、よくある
奇妙なよそよそしさもあった。でも、あら不思議。
菊池さんを始め、好きなアーティストや音楽の話になれば、
もうヘンな隔たりは無くなる。ボーダーレス。
普通なら、互いに敬遠する場面もある事だろう。
初対面の他人への判断を、
その属性に委ねてしまう場面は多い。

美大生もインテリ慶応ボーイも
フツーのOLも東大生も。
ジェネレーションギャップや
ステレオタイプのカテゴライズは一瞬にして消えた。

という訳で私の音楽史のコアなポイント。
無意識レベル(笑)のものは
バッハのオルガン曲『小フーガト短調』で
(短調好きの発祥はそれ以前に聴いた『禁じられた遊び』)や
幼少時に耳にしたハイドンのおもちゃのシンフォニーとか
めんどり、シンコペーションクロック、三匹の子豚など。

それとほぼ併行し
家業が自営業(寿司屋=水商売・笑)だったので
風俗的情報の流通度合いも高く耳年増気味。
早くから大人系・昭和歌謡を耳にしていた。
アンビバレントな音楽環境。
人形の家、夜明けのスキャット、手紙などが印象的。

家の向かいにはYAMAHAと日劇系映画館と
ストリップ劇場(笑)
あまり教育によろしくなかったようだ。
おかげで成績もよかった。
何故かポールモーリアやらセルジュゲンズブールが
ガンガンに流れていた。子供心に大人の娯楽を
イージリスニングと
セルジュ&バーキンの囁きを通して想像し垣間みた。

YAMAHA音楽教室にも通ったようだが
教えられている内容が偽物っぽくて魅力を感じず
楽譜も読めないうちに辞めてしまった。
先生に手をパチンと叩かれもしたし(笑)
打って~打って~休んで休んで。
辞めといて良かった。

で、音楽体験の大きな展開は、テクノポップの出現で
M(ロビンスコット)のPOPMUZICを聴き衝撃。
ほぼ同時にYMOを聴く。

新しモノ好きの父が購入した
初代『ウォークマン』とYMOがシンクロした。
これまでと全く違う音環境(音響)とテクノが同時進行。
このデジタル音体験はかなり大きかった。
音楽的な次元が変わった事を感じた。

以降、ポリフォニーの概念と共に
ポリフォニックシンセサイザーの音は
私の音楽的震源地となり、
私の中に音楽の種子は植えられた。












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2004-10-20 23:35:27 | 作曲理論講義/受講録
風は強過ぎると台風や竜巻となって時に騒々しく
全く無ければその日は爽やかさや喜びに欠ける。
普段その存在の確かさにはあまり気付く事がない。

日常を送る中で、歩いている時・仕事をしている時など
そばに気配を感じると自然と楽しい気持ちになる事もある。
そうして、時々はその大切さがわかる。

という訳でまたも台風に見舞われた東京の夜。
今年は台風が多い。
今日の菊池成孔
さんによる
映画美学校・音楽美学講座・楽理編曲科(長!)の
第2回目であった講義は
講師の都合により事前に休講のお知らせが入っていた。
菊池先生、ご多忙の模様。
残念に思っていたけれど、こんな台風だったのなら
いずれにしても休講状態になっていたでしょう。
明日は音楽評論家の湯浅学さんの第1回特別講義。
課題が3つあり、そのうちの2つは

『初めて聴いた音楽』
そして『初めて買った音楽(CD・レコード)』

遠い記憶を辿りましょう…(笑)











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短調と憂愁

2004-10-19 14:28:33 | 作曲理論講義/受講録
NHKのBS放送では、ここしばらくフランソワ・トリュフォー特集で
今日は『大人は判ってくれない』を放送していた。
(ちなみに他のBSデジタルではマーラーの(あの有名な)
アダージョがテーマ曲でもあるルキノ・ヴィスコンティの
『ベニスに死す』もやっていた、21世紀の昨今では
思わず笑ってしまう程に耽美的(笑)でも普遍的映像美は顕在。
ビーチのシーンでモネの『日傘をさす女』を想い出す。

ヨーロッパの映画…特にフランス映画は好きで
私の中では音楽のコードに喩えるなら
短調のイメージが在る。

心理描写が多くて台詞が少ないという事と
(そうじゃないものも最近は多いけれど)
フランス語の周波数の低いボソボソとした(笑)響きと共に、
暗いとかいう一般的印象を耳にもする。
(日本語の周波数は高いそう)

確かに、例えば冬のフランスは南仏を除き
AM9時位にようやくしらしらと夜が明けて寒いし、
かなり陰鬱…私自身も北国生まれなのでどこか憂愁的な
性質もあるのかもしれない。1月~3月までは恒例的に
心理的冬眠に入る。

芽吹こうとする何かが蠢くような
不穏でいながら春の暖かさへ向かう雪解けや開花への
期待を抱くような、ある意味両義的な状態の
季節なのかもしれない。

で、北国では(春夏、白夜のようになるフランスと同様に)
冬とは対称的な春から夏にかけての
(ちょっと狂ったような、笑)解放感は色濃い。

実りと収穫へと向かうような全てが落ち着きゆく
これからの豊かな秋が四季のうちで最も好きで
秋のない国には住めないといつも思う…。

さて。音楽へと戻り…『大人は…』の音楽、
すご~く良かった。

子供の頃から短調の曲が好きで
音も器楽ではチェロなど通奏低音に、
歌もソプラノよりメゾやアルトの音に耳がいく。

そして低い音にも、とりわけ短調の曲に対して暗いとか、
寂しいというイメージを持った事がないという事に
最近気がついた。ただ気持ちが落ち着く。

そういった感覚の違いって、音楽や映画などの
好みを大きく分ける誘因になるのかも。

ちなみに、解放感満載の(笑)
おバカなハリウッド映画も大好きですが。

















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音楽美学講座受講初日

2004-10-06 01:27:07 | 作曲理論講義/受講録
2004年10月6日

憂鬱と官能を教えた学校
憂鬱と官能を教えた学校
河出書房新社-
菊地 成孔, 大谷 能生


【講座初日の印象】
映画美学校』で月2回の音楽美学講座がスタートした。

講師である菊地成孔さんはスタート時間の少し前に
風のようにごく自然にフラリと入って来た。
いでたちは
黒いベルベットのブルゾンの襟に
うさぎの(多分)毛皮がついていた。
上着を脱ぐとアイボリーのサテンのシャツ。
女性ものの洋服のようにも見えた。
フェミニンなイメージの氏に良く似合っている。
講義はというと、まず初めに生徒の履歴書を見ながら
一人ずつ希望する学習方向をヒアリング。
生徒は約20人で男性が多数を占めていた。
当日、女性は4名。
菊地さんが東大でも教えているせいか
現役東大生も何人かいるようだ。

その結果このクラスには、読譜に関してコードよりも
五線譜に強く、希望する学習内容は教養よりも実学寄り…
つまり最終的には作曲・編曲の創作活動に向かいたいと
考えている生徒が多いらしい。

私もその1人。
いつもそれ以前に楽曲を構造的に把握したいと思うけど
自分が作った曲を客観的に判断して聴くのはとても難しい。
創作作業全般に言える事だと思う。

しかし、作曲とはいえループを使っただけで
まだ楽曲を作ったとは思えない。
そう告げたら作曲経験アリのほうの分類に入った…
やはりあれも作曲になるんだな。
編集したというかんじがする。

そうか…記号化された音楽という事でMIDI出現以降の
作曲概念に位置づけられるのかも。菊地さんの著書にあった…
やはり一読して受講するのはとても有効だと実感。












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