憂鬱と官能を教えた学校
河出書房新社-
菊地 成孔, 大谷 能生
先日、21日の湯浅学さんによる特別講義は
2時間半の講義とは思えない程
私にとって豊かな情報量だった。
という訳で、再び第1回特別講義に触れたい。
当日、映画美学校のホールは、特別講義のスタートを待ち
そこに集った生徒達が吸う煙草のせいで
乳白色に煙っていた。
そう見えたのは古い建物の漆喰壁の
印象もあったのかも。
ふと煙の存在もたまにはいいなと思う。
不思議な熱気を感じたのは講座への期待感からなのか
21世紀でも芸術系学校の生徒が
熱くアジっている現場の雰囲気のせいか。
いや、単に私の気分のせいだろう(笑)
講義内容の一部は(録音した訳ではなく記憶による
テキストなので少々適当…)
まずコーディネーターの岸野雄一さんがホワイトボードに
ある図を書いた。
例えば縦軸は地理、横軸は時間、といった具合。
その図を元に、『私の音楽史』を書く、
というコンセプトについて
説明する。それは、通史と常に比較しつつ、考察されていく。
私的嗜好性による理解の限界からの脱却を感じた。
ある物事を深く理解したいと考え
自らそれを表現をしようと思った時
例えばその対象が音楽で
それに関わる事を生業にしたいと考える人がいるとしたら
彼はもうそれまでの趣味的な姿勢で
音楽に接する事が出来なくなってしまうかもしれない。
もちろん、創作は才能プラス
それが好きという事からスタートしていくだろうし
趣味的創作を拡大していくのも良いだろう。
先日の講義内容のテーマ『音色の記憶』
・個人嗜好的な文脈で音楽を聴いて理解する事から始まり
・自分が聴いてきた音楽が生まれた
最古の発生源まで遡ってみたりして
・地理時/時系列的に考証していく事は
・観点を拡げるという事において有効
といった親身で具体的なアドバイスでもあったと思う。
自分が聴いていた音楽を、平面的な情報のみで
理解したと思い込む事は多い…と言っていた。
そして私もそこに大分類されるだろう。
そこで、講義中の岸野雄一さんの名言。
『生まれる前の音楽は、昨日出た新譜と一緒』
2次元的思考ではなく
3次元的な捉え方をする、という発想が
根底にあったのではないかと私は判断した。
つまり主観的になりがちな
個人の音楽史に立体空間的な広がりを持たせる、という
意図を感じた。
そしてこれは音楽に限らず、日々の、
諸々の発想の全てに通じる事だ。
私自身も、こうだ、とか
こうに決まってる、とか
日々思いがちだし
またそういう風に
自分の思考の基礎を固めがちだ。
それで、強固な建物の基礎を造ったつもりにもなる。
でも、それは硬直的で防衛力はあったとしても
創造的思考にはなかなかつながらない。
そして一度造った思考の基礎を
壊す事も容易ではない。
揺れ動きつつも(笑)自らのベースを守るという点では
柔構造的な状態がいいのか…地震の多い昨今だし。
頂いた音源の大半は聴いた事のない音楽だった。
『先入観を持たずに未知の音楽に
触れるのも良いものです』とヒゲの未亡人こと
岸野氏の言葉が添えてある。
聴いていくうちに
少しの違和感は親しみへと変化していった。
岸野雄一さんは講師の湯浅学さんとのやりとりの中で
音楽の中の歪みについて
・歪みは
・滲みになって、広がりを生む
というような事を言っていた。
抽象的な言い方だったけれど
私には、かなり腑に落ちた。
河出書房新社-
菊地 成孔, 大谷 能生
先日、21日の湯浅学さんによる特別講義は
2時間半の講義とは思えない程
私にとって豊かな情報量だった。
という訳で、再び第1回特別講義に触れたい。
当日、映画美学校のホールは、特別講義のスタートを待ち
そこに集った生徒達が吸う煙草のせいで
乳白色に煙っていた。
そう見えたのは古い建物の漆喰壁の
印象もあったのかも。
ふと煙の存在もたまにはいいなと思う。
不思議な熱気を感じたのは講座への期待感からなのか
21世紀でも芸術系学校の生徒が
熱くアジっている現場の雰囲気のせいか。
いや、単に私の気分のせいだろう(笑)
講義内容の一部は(録音した訳ではなく記憶による
テキストなので少々適当…)
まずコーディネーターの岸野雄一さんがホワイトボードに
ある図を書いた。
例えば縦軸は地理、横軸は時間、といった具合。
その図を元に、『私の音楽史』を書く、
というコンセプトについて
説明する。それは、通史と常に比較しつつ、考察されていく。
私的嗜好性による理解の限界からの脱却を感じた。
ある物事を深く理解したいと考え
自らそれを表現をしようと思った時
例えばその対象が音楽で
それに関わる事を生業にしたいと考える人がいるとしたら
彼はもうそれまでの趣味的な姿勢で
音楽に接する事が出来なくなってしまうかもしれない。
もちろん、創作は才能プラス
それが好きという事からスタートしていくだろうし
趣味的創作を拡大していくのも良いだろう。
先日の講義内容のテーマ『音色の記憶』
・個人嗜好的な文脈で音楽を聴いて理解する事から始まり
・自分が聴いてきた音楽が生まれた
最古の発生源まで遡ってみたりして
・地理時/時系列的に考証していく事は
・観点を拡げるという事において有効
といった親身で具体的なアドバイスでもあったと思う。
自分が聴いていた音楽を、平面的な情報のみで
理解したと思い込む事は多い…と言っていた。
そして私もそこに大分類されるだろう。
そこで、講義中の岸野雄一さんの名言。
『生まれる前の音楽は、昨日出た新譜と一緒』
2次元的思考ではなく
3次元的な捉え方をする、という発想が
根底にあったのではないかと私は判断した。
つまり主観的になりがちな
個人の音楽史に立体空間的な広がりを持たせる、という
意図を感じた。
そしてこれは音楽に限らず、日々の、
諸々の発想の全てに通じる事だ。
私自身も、こうだ、とか
こうに決まってる、とか
日々思いがちだし
またそういう風に
自分の思考の基礎を固めがちだ。
それで、強固な建物の基礎を造ったつもりにもなる。
でも、それは硬直的で防衛力はあったとしても
創造的思考にはなかなかつながらない。
そして一度造った思考の基礎を
壊す事も容易ではない。
揺れ動きつつも(笑)自らのベースを守るという点では
柔構造的な状態がいいのか…地震の多い昨今だし。
頂いた音源の大半は聴いた事のない音楽だった。
『先入観を持たずに未知の音楽に
触れるのも良いものです』とヒゲの未亡人こと
岸野氏の言葉が添えてある。
聴いていくうちに
少しの違和感は親しみへと変化していった。
岸野雄一さんは講師の湯浅学さんとのやりとりの中で
音楽の中の歪みについて
・歪みは
・滲みになって、広がりを生む
というような事を言っていた。
抽象的な言い方だったけれど
私には、かなり腑に落ちた。