言葉による音楽的な日々のスケッチ

作曲講座受講日記と、言葉による音楽的日々のスケッチを記録

ありがとうルグラン・風のささやき

2019-01-26 22:25:30 | POPS(商業音楽)

大坂なおみの優勝に感動していたら「シェルブールの雨傘で」と、
ニュースで流れたミシェルルグランの訃報におもわず涙が出た
昨日、世界一好きなメロディーを持つ「風のささやき」こと
The windmills your mind を歌っていた

軽めではあるが冬季うつ病傾向にある私にとって
ルグランの音楽にはこの時期になると必要になるのだ

彼の音楽は独特で、あまり元気じゃない時には滅入るほど
明るいものもあれば、ロマンティックだけど憂愁的なものもある

そのバランスが、自分の気質に合っていると感じる
昨日はディオンヌワーウィックとのライブのデュエットを聞いて
この人は私にとって存命している音楽家で一番なんじゃないか、と思っていた
そして、北向きのお風呂場で流れる彼の音楽をきいて
暖かな湯船に浸かりながらミッシェルルグランは大天使ミカエルなんだなと思っていた


なので、久々にこのブログを更新します
そして、著作権的に勝手に削除されていた
9年前の記事を公開します



とうとうこの曲に触れることになりました。

BSで、映画「華麗なる賭け」が放送されているので観ていたのです。

どこかの一族…とはケタ違いの華麗さ、です(笑)

フェイダナウェイといい、この時代の俳優たちの素敵なこと、、

早逝したスティーブマックイーンはだんとつ。


衣裳もスタイリッシュ。何よりルグランの音楽が素晴らしい。


主題曲「風のささやき」が好きで、
この手のポップスの中では最も美しいメロディーと
言っても良いくらいなのです。
どんな時でもこのメロディーを口ずさむだけで
気分が高揚するのでした。

シンプルなメロディーとコードなのに名曲な所以は
最初の歌詞のように、じつはこの曲の構造自体も
終わりのフレーズが始まりと同じフレーズに
戻るからなのかもしれません・・・。

メロディーは哀愁を帯びていて、哀しい映画じゃないけど
The Thomas Crown Affairなる原題にもなぜかぴったり。

歌はたった一度しか出てこなくて、場面に合った
幾分抽象的な英詞バージョンはなかなか雰囲気がある。

ルグラン本人が歌っているのも良いのだけど
情熱的すぎるのか何故かいつも吉幾三あたりを彷彿としてしまい
プチくどいのであまり何度も聴けないのですが(笑)
フランス語のせいなのかなぁ、、、

しかし映画が終わるのは二時半過ぎ、、眠い。
朝、無事起きられるかどうか少し心配。

華麗なる駆け…足にならないよう(笑)がんばって起きるわよぅ!


一夜あけて無事起きられました。
いよいよ、この曲のサントラの入手どきだと
タワレコに足を運び、とうとうゲット。

何故この曲のメロディーにこんなに郷愁を感じるのか
わからないけどとにかく弾いても、口ずさんでも
聴いていても泣ける(笑)
哀しいわけじゃちっともないのに。
(というと私が泣き上戸みたいだけど
 人前では滅多に泣きませんよ、笑)

この曲のコードの特徴はダブルケーデンス(4度進行のしりとり)でまあよくあるパターン、
私がピアノを弾くと多用しがちな進行で幾分アナクロ感あり。

たぶん、この映画の時代は
両親の世代が30代で、彼らが最も人生を謳歌していたときだろう。

私の幼少時代の幸福な記憶と両親のそれと、それらの衰退の記憶とが相俟って
私の耳にルグランやフランシスレイなんかのサウンドと共に
郷愁の感情として刷り込まれたのかもしれない。
映像を観ながら聴いた「白い恋人たち」とか「男と女」「太陽がいっぱい」
「シェルブールの雨傘」などの旋律が。

母は高校を卒業したあと札幌のモードの学校に行って
常に映画館に足を運び、当時の流行を楽しんだという。
今も映画好きだ。
母は映画を通してグレンミラーやサッチモを知り愛していたし
(彼女はサッチモの大ファンだ)
少なからず彼女のそういった嗜好は
幼かった私に染み込んで今に至っているのだろう。

サントラのメインテーマを聴く。暫し体が動かず…
呼ばれても反応出来なくなる(笑)
いつもの音楽的身体反応が起きた。

男性にしては珍しい、ノンビブラートで抑え気味の歌もすばらしいけれど
チェンバロで奏でられるインストゥルメンタルのほうに
ぐっときてしまう。

もしこの曲に涙が流れているとしたら、
それは哀しさとかの感傷ではない
何かもっと別な大きな感情の流れのように思う。

いつもそこに心が動く。うまく説明出来ないのだけど、、、

言葉を介さずともなお雄弁な音楽的世界なのだと思う。
この旋律にはそれを感じる。

たとえば安来節とか聞いて涙するおぢいさんがいるとして(笑)
私はきっとこのメロディで涙を流してしまうのだ。

初めてテーマ曲が流れるこのシーン、
あるといいな、と思っていました。かっこいい…


ノエル・ハリソン歌唱によるオリジナルの「風のささやき」をお楽しみください。
https://www.youtube.com/watch?v=7W6Kyvm9fuc

“風のささやき”

曲:Michele Legrand
歌:Noel Harrison

<The windmills of Your Mind>

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夢の様なライヴはブルーノート/美しきクリシェ

2015-03-17 01:54:18 | POPS(商業音楽)
ひさびさのブログ更新、、、
とかいう決め台詞について

一般人が書くことについて考えつつ
本当に何年ぶりかの更新になりましたが
たとえばその理由は

大貫妙子のライヴを
初めてのブルーノート東京で聴けたから?
そのうえ春を感じられたから?
両手でキーボードを叩けるようになったから?

だとしても、こんなことはもはや
モノローグに近いものでは?

まあそれでもいいかとか思いつつ、、
音楽的愉悦について備忘します

大貫妙子ことター坊を初めて聴いたのは中坊の頃
この曲が最初でした
少女のようでどこか少年のようなメゾの声


Taeko Onuki - Carnaval (1980)



かつてホールでは聴いた事があったけれど
ずっとライブハウスで聴きたかったので
清水の舞台から飛び降りる気分で行った
今日の大貫妙子のブルーノートでのライブ

1曲目が不意打ちでやばかったわ~

Oonuki Taeko 大貫妙子 - Wakakihi no Bourou 若き日の望楼




中坊の頃の私も隣で一緒に聴いていたので
何度か感極まり、甘い桜の味の

大貫妙子オリジナルカクテルが
しょっぱくなりましたw

風の道、横顔、新しいシャツ、突然の贈りもの
Hiverなど新旧含めた
満席のブルーノートの大貫妙子40周年カルテットライブは
夢心地で(小沼純一氏も来場されてました)


歳をとるのは素敵な事だなと思えるライヴでした


(私達があまりに楽しそうだったのか
ドラムの林立夫氏に「そのカクテル、
美味しい?」と突っ込みいただいたり

たー坊の微笑をもらったり一人で来ていた隣席の男性が
話に入ってきたり、した~♡)



1人の頭の中から始まり演奏者、聴衆など
他者を巻き込む音楽(や、アート)とは
美しいコミュニケーションなのだなと


中坊のころ部屋で一人で
大貫妙子を聴いてた私が隣で呟いたのでした



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追記:愛の讃歌(Hymne l'amour 愛のアンセム)

2010-12-06 02:01:51 | POPS(商業音楽)
全曲聴ける動画を発見したので、、、!括弧内は菊地さんの
マネージャーさん情報です↓↓

『菊地成孔 宇多田ヒカルさんの現在CMで流れている
「愛の讃歌」のサウンド・プロデュースをしております。
メンバーは、 太田朱美(flute)坪口昌恭(fender rhodes)
鈴木正人(bass)本田珠也(ds)井谷享志(perc) です。』


Hikkiこと(新生?)半引退表明をした宇多田ヒカルの
Hymne a l'amour を聴いた。CMでちょっと気にかかったので
改めて全曲聴いたら思っていた以上に良かった。

(宇多田ヒカル) Utada Hikaru - Hymne � l'amour (Ai no Anthem)


世代的に(?)たいていのフランス的なものが好きだけど
シャンソンは苦手、それでも銀座にあった
伝説のライブハウスに
幸福いっぱいだった20代当時、
ちょっとイカれた友人に誘われてついていった、
かの場所で生まれた初めて聴いた
苦手なシャンソンは「愛の讃歌」でした。
生まれて初めて歌で涙が止まらなかった時のことを思い出したのです。

この楽曲にはそういうテイストがしっかり残ってて
それでいてすっかり新しい解釈で、
早いサンバ調でスイングしているし

エレクトックピアノとパッショネイトなフルートのアレンジや、
ビブラート抑えめのボーカルも何もかもが魅力的だった。
一人の夜にもパーティーにもぴったりくる
まさに「愛の讃歌」でした。

これをプロデュースした師匠の手腕に感服しました。
先日の、彼の日記から引用します。


グルーヴは決して情報化されません。
グルーヴは常に現在性の直接的な具現であり、
永遠性の直接的なヒントであり続けます。


http://www.kikuchinaruyoshi.com/dernieres.php?n=101010031225

愛の讃歌:Hymne a l'amour

2010-10-11 19:42:41 | POPS(商業音楽)
Hikkiこと(新生?)半引退表明をした宇多田ヒカルの
Hymne a l'amour を聴いた。CMでちょっと気にかかったので
改めて全曲聴いたら思っていた以上に良かった。

世代的に(?)たいていのフランス的なものが好きだけど
シャンソンは苦手、それでも銀座にあった
伝説のライブハウスに
幸福いっぱいだった20代当時、
ちょっとイカれた友人に誘われてついていった、
かの場所で生まれた初めて聴いた
苦手なシャンソンは「愛の讃歌」でした。
生まれて初めて歌で涙が止まらなかった時のことを思い出したのです。

この楽曲にはそういうテイストがしっかり残ってて
それでいてすっかり新しい解釈で、
早いサンバ調でスイングしているし

エレクトックピアノとパッショネイトなフルートのアレンジや、
ビブラート抑えめのボーカルも何もかもが魅力的だった。
一人の夜にもパーティーにもぴったりくる
まさに「愛の讃歌」でした。

これをプロデュースした師匠の手腕に感服しました。
先日の、彼の日記から引用します。


グルーヴは決して情報化されません。
グルーヴは常に現在性の直接的な具現であり、
永遠性の直接的なヒントであり続けます。


http://www.kikuchinaruyoshi.com/dernieres.php?n=101010031225

バート・バカラックのコンサートへ

2008-02-17 01:14:25 | POPS(商業音楽)
2月16日土曜日


国際フォーラムで行われた
バート・バカラックのコンサートへ行きました。




じつに11年ぶりの来日で
私には初めてのバカラックコンサート。


土曜の初日ということもあって会場はほぼ満席、
外国人の姿や当日券を求める人の姿も多く、
年齢層も幅が広かった。


多くの人がそうであるように
私にとってもバカラックの楽曲は
記憶と共に在って、特別なもの。


音楽家達から今回のコンサートに向けた
コメントを読んで改めて彼の人気の高さを
感じていました。


さらにここ数年間に
映画美学校の音楽理論講座で
恋の面影
と、雨にぬれても が取り上げられ、

菊地成孔さんによる楽曲分析から
バカラックの音楽作品に対する
新たな解釈、視点も生まれたこと、


去年の秋にミシェル・ルグランも来日して、
生きながらにして伝説的存在の
両者の来日を心待ちにしていたこともあり、

ひときわ忘れがたいコンサートになりました。



フルオーケストラ、男女ヴォーカル3名という
超豪華な編成で演奏された最初の曲は、

what the world needs now is love
(邦題:世界は愛を求めている)


著名な曲たちがワンコーラスの
メドレー形式で演奏されていく。

数時間のうちに収まらないほどの、ヒット曲の多さ。


ヴォーカルをとっていないけれど
ピアノを弾きながら中腰の姿勢で
オーケストラを指揮をしているバカラック、
時折満員の観客席のほうにも顔を向けていて


演奏家のサービス精神と
コンポーザーの厳しさの両側面を感じられる。

また、ノリノリで生き生きした様子は
80歳の年齢を疑いたくなるほど。


いっぽうの観客は耳を澄ますべく
水を打ったような静けさである。


しかし、バカラック本人がステージで
初めてヴォーカルをとった「恋の面影」の
イントロ部分で、
弾けるような喝采と声援が起きた。

ふりしぼり、ささやくようなヴォーカルに
じ~んとする。

ジョビンと同じように、
この方はあまり自分では歌わない。
(少なくともCDには多くは収録されていない)

オーケストレーションやアレンジの美しさ、
和声の変化による曲の感情の動きに
悲しくも無いのに勝手に涙が溢れてくるのは
私のおかしな癖なのだが、

音楽が演奏される場に
作った本人と
それを奏でる人々、

彼の音楽を愛する聴衆が居て

それら全ての人の思いを音楽が繋ぎ
今も、これからも
結び続けていくことを感じると
やはり心が震えるのでした。


喝采は波のように鳴り続け、
一人また一人と立ち上がって

会場のほぼ全員による
スタンディングオベーションと
2度のアンコールで
コンサートは幕を閉じました。

激しいロックや盛り上がるクラシックでもなく
優しい恋の歌が主なポップスのコンサートで
満場のスタンディングオベーションとなった場面は
さすがに感動的で、


アメリカに住み、恋の歌を作る
もう老齢のバカラックが
日本のコンサートで
始まりと終わりに選んだ曲は
「世界は愛を求めている」だったことも
このコンサートへの感慨をさらに深めるのでした。



What The World Needs Now Is Love

作曲:Burt Bacharach
作詞:Hal David
1965年


今、世界が求めているもの、それは愛、やさしい愛
手に入れることがむずかしい、たったひとつのもの
今、世界が求めているもの、それは愛、やさしい愛
だれかへの愛ではなく、すべての人々への愛を

神様、もう、これ以上山はいりません
登るための山も丘も十分あるんです
渡るための海や川も十分あるんです
最後の最後まで十分あるんです

神様、もう、これ以上墓地はいりません
とうもろこし畑と麦畑も十分あるんです
輝く太陽の光も月の光も十分あるんです
だから神様、聞いてください
もし、お知りになりたいのなら

























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フライミー・トゥー・ザ・ムーン

2007-10-26 01:37:35 | POPS(商業音楽)
今宵は十三夜でしたねー
ベランダで、まだ円に満たない美しい月と
星空を観ていた。

この日曜日の夜も、昼間
久々に秋らしく晴れて
空気が冷たく闇夜が澄んでいて、

終電の一時間前ほど、友人と別れ、帰途に着いて
自転車で坂を一気に駆け上がる。

自宅近くになったとき、膨らみかけた半月が
木々の影に見え隠れしながらときに
満月のように大きく迫ってみえていた。


帰りぎわに友人が荷物に入れてくれた、
この時期に甘さを帯びる数個の蜜柑たちのジューシーな重み、

寒さから解放されるという安心感を抱いて、
少しブルつきながら玄関に向かう。


これからの時期、蜜柑は
風邪から守ってくれる必然的存在で、
私の頼もしいヴィタミンなんです(笑)


住んでいるマンションの周りは都心に近い割に
夜の闇を程よく確保しているので
そんな夜はベランダに出る。


澄んだ空気のせいなのか赤ワインと
普段は滅多に吸わないタバコを手にしたくなる。

タイミング良く流れてきたのは
月夜にふさわしいAジルベルトが唄う
フライミー・トゥー・ザ・ムーンだった。


ベランダにいると、家の中に居るよりも
考えが溢れて広がっていくのは、こんなに近く感じるのに
どこまでも続いて届かない深い夜空のせいだろうか。

見えていても星によっては既に宇宙で消滅していて、
実際は存在していないものを観ている場合もある。

なんてファンタジックなことも考えつつ、


最近は、学んだ楽理の習得の小さな成果(?)なのか、

週末にいいなぁーと聴いていた、くるりのジュビリーや
富田ラボの企画物の新曲のサビが、各々
マンシーニやバカラックの名曲と全く同じだったことに気が付いて
それは偶然か確信犯(笑)か、パクりかなんてことは
この際はどうでもいいことなんだけど(だって、
盗用引用などの、そんなこんなの全てが
商業音楽だから。とはいえたぶん前者は無意識的に、
後者は明らかに確信犯的だと思います、笑)

純粋に音楽を楽しみたいなら、神秘性を大切にして

距離を置いて、マジックの種明かしには
気が付かないほうがいい場合もあるにせよ、

それでも愛し続けられるポップな音楽は、

理論的には平均律を確立したバッハから

端を発したと言われ、今も変わらず存在し続けていて、

その表現、作曲とは、、とか、いつになく
真面目にナイーブな事を考えたのはペン大がかれこれ
一ヵ月半に渡る休みだったからです(笑)

見上げると夏には見えなかった星が東の方向に
ひときわ大きく見えた。


その星はオリオン座の真下にあるんだけど、

銀と赤と金色に瞬いた、あの星の名前
何ていうのだろう?


さて。来週からは秋休みだったペン大が始まります。













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声の自由

2006-03-24 00:55:18 | POPS(商業音楽)
快癒した鬱状態や 梅雨の晴れ間 恋の病とか
冬眠から醒めた熊のごとく
春と桜前線の訪れを感じると途端に
色々なモチベーションが上がるのは
私の生まれが北方系だから…?

映画美学校 音楽美学講座 特別講義

2006/3/23


講師は横川理彦氏と、福岡ユタカ氏(Pinkという
バンドをやっていらっしゃる作曲家、
フリーボーカリゼーションアーティスト、プロデューサー)の
お二方でした。

で、今回はタイトルを付けるとしたら
「声」を使った即興のワークショップ、
といったような内容だった(タイトル認識してなかった…)
かなり楽しかった。時間があっという間だった。

気さくなトークのあと、いきなり福岡氏の
フリーボーカリゼーションと横川さんの
即興演奏が始まってちょっと面食らう。

聴き慣れない、初めて聴くヴォーカルと
即興演奏のアンサンブル。アフリカ的なエスニックさ、とか
お経のような日本的なかんじとか、
何だか一度に認識出来ないような、
少しの違和感と多くの親和性を持った音楽。

私は今日迄、福岡氏のことを全く知らなかったのだけど
(後日、友人のアーティストの突っ込みにより
Pinkをカセットで聴かせてもらっていた事を思い出しました・笑)
今回のワークショップでは、全員立って、
福岡さんのフリーボーカリゼーションを真似て
声を出すことをした。彼は受講生の合唱(?)を録音し
心から合奏を楽しみ喜んでいらした様子、
生徒達は先生に褒められてちょっぴりいい気分な雰囲気

そして全員、目をつぶり、徐々に声を出して行く。
最初はこわごわ遠慮がちに(日本人だし)そして徐々に慣れてきて
声高に、自由に、個々人のヴォーカルが炸裂して
最終的にはちょっとした…いや
完全にバラバラで溶けることのないポリフォニー

気がつけば、ブレスの関係もあって生理的に
ちょっとハイになる。心身が解放されて
しばし音楽的自由を取り戻す。

そうこうしてるうち、完全に、
音楽的想像力において自由になり、
それを表現しているイメージが浮かぶ。

そのイメージに近づくことは、本来音楽的に創造的、
などと理屈ではなく感覚的、身体的に腑に落ちる。

印象的だった言葉を幾つかメモに書き留めた。
(抽象的だけど)

・普段使わなければ自らのボーカルも使った事の無い楽器同然
・例えば既存の曲のAメロの続きを自分で作ってみる
・非論理的
・前と今のフレーズの繋がりを連想
・ヴォーカルはエモーショナルで、コブラはエディット的
・ジョンゾーンのコブラは編集的。
 彼は即興の中の良いフレーズを選んで繋げていく
・空港など待ち時間があってヒマな時、誰かの顔を見て
 イメージを作り、リズムなどから始めて音楽を頭で鳴らしてみる
・バンドの練習で楽器ではなくそれぞれのパートを声でやってみる
・優れた編曲は、絡み合うグルーブがあって、
 例え楽器の編成を同じにしても、やはり優れている。
・演奏的な訛り(こぶしとか?)

最後のほうで『ケチャ』をやって遊んだ。
味わったことのないグルーヴを感じる。
確かに、これを続けていたらいとも簡単に
トランス状態になるだろう。

リズムを刻み、自由な発想で声を出して表現したことで
これまでひっかかっていた何かが見えて、
一瞬、自由になった。

音楽は、既存のものを聴きすぎてもいけないなと思った。
音楽のないところで、立ち上る私の音楽、、、
というものについて考えていた。

講義が終わってトイレにいったら
いきなり頭の中で音楽が鳴りだしてそれは5拍子の曲、
初めに聴こえてきたのはベースライン。
その後にリズム、そしてメロディーライン。

そういえば自宅に居るときも、トイレであるとか
(一番多いのは)寝入る直前とか、お風呂に入ってる時とか
そんな風に、媒体に書き留められないときほど
音のイメージは膨らむ。

ストイックでエレガントでクールな横川さんと
情熱的で開放的な(この方はお名前からして南方の方?)
福岡さんのコンビネーションが魅力的で楽しかった。
途中で我らが岸野先生が入って来て、即興カラオケ(詩付き)は
本当に素敵だった。今日こそ、この後の飲み会に行こう!と
思いつつ明日の早起きを考えると、足早に帰宅、、、

それにしても、いつでも歌う事、声を出すことは
楽器(ピアノ)を弾くことより、ダンスする事と同様、
いつも心身が解放されて自由で身軽な気持ちになるのだった。









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