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言葉による音楽的な日々のスケッチ

作曲講座受講日記と、言葉による音楽的日々のスケッチを記録

SwingSwingSwing

2005-12-06 23:46:16 | Classic
饂飩を入れた暖かい鍋料理を少量作って
ワインと共に食す。とても乾燥した夜なので突如
洗濯意欲が湧く。40分かけて洗濯完了。
シーツやコンフォーターケースを洗う。
明日は太陽が出るらしい。


iPodShuffleを誕生日に頂いてから
とぎれとぎれになったアーカイブを通して
曲を聴く事が楽しみになったんだけど
突然、グールドのピアノ曲をアルバム通して
聴きたくなるクラヴィーア曲集第2巻

この人の奏でるバッハのフーガには
「今」という永続性のないはずの時間が絶えず生起している。
流れる時間が止まり<今この時>を実感出来て
揺るぎなく推進していくスピード感には強いグルーヴを感じる。
何より、スウィングしている。他の人がバッハを弾いても
同じように感じられないのは何故だろう?

湯船にお湯を張って、そこにDiorのHYPNOTIC POISONを
少量ふりまくと香りが立って良いと友人に教わったので
もう何度もやっている、冬に良く合う香り。
体調が悪いので、毒はPOISONを持って制す。
バニラを含んだ甘い香りで気管の調子が良くなる気がする。

眠る前はどんなに寒くても窓を開けて
新鮮な外気を入れることにしている。
少し膨らんだ半月の淡い光にベランダが照らされ
東の空で1億キロ離れた火星がのんびり冷たく
オレンジ色に瞬いていた。
ベッドサイドにラベンダーのポプリを置き、
そこにローズマリーのエッセンスオイルを振りかけて
空気が清浄になったところでベッドに入る。

久々に、行方不明になっていた書物を本棚の奥から見つけ、
或る老女の優雅な動きから霊感を得た不思議な物語を読む。
この小説はバッハの音楽のポリフォニーと、
何故かとても相性が良い。
物語が多層的に生起するからだと思う。

3年程前の真冬この曲集の終曲である
2曲(BWV 881)ばかりを聴いていた。
冬の寒さを思わせるように冷酷に先を急ぎ
不穏でいて秀麗で、人を拒絶しつつも調和しながら
自らのバランスを保っているように聴こえる。

グールドの魔法でバッハの垂直な音の構成(和音)が、
水平的な自由運動(ポリフォニー)に変わるのが聴こえる。

感傷を超えた静けさ漂う孤独がそこにあって
聴くといつも懐かしい所に還る気持ちになる。
私の意識も心地よい眠りへSwingした。

音楽室のバッハの絵

2005-06-22 23:26:01 | Classic
ヨハンセバスティアンバッハ、というと
親しみ易いというよりお固いイメージが浮かぶ。
音楽室に飾ってある絵のせいじゃないかな。
肖像画が決定付けるイメージは写真とはまた違う力がある。




マタイ受難曲とかカンタータなどにある
荘厳で厳めしいキリスト教的なフンイキも色濃い。

しかしバッハはどこか「宗教」に対してあんまり
重きをおいていなかったようにも思う。
じゃなければ「神聖」とされた女人禁制の教会に
後に妻となる当時の恋人、マリアをヘーキで連れて行って
大怒られした上に逆ギレして司教と喧嘩して
教会オルガニストをクビになったりしないだろう。

当時の音楽表現における宗教は
崇拝とか信仰というより聴衆の感情を惹き付けるための
手段だったように思うし、娯楽的な意図や要素も感じられる。

そう思えば深刻なシーンを演出する時に使われがちな
あの仰々しい「トッカータとフーガ ニ短調」の後半にも
かなりデジタルなビートやグルーヴを感じる事も出来る。

意外な事に、バッハの曲とデジタルな音とは相性が良いのだ。
現に、最近エレクトロニカでアレンジされているものを耳にするし
ジャズやポップスへの引用は今日も続き、増え続けている。

以前(キリスト教徒の国の)アメリカ人で、
趣味でオーケストラでフルートを弾いている男性と
クラシックの話をしたことがあった。

彼に私はバッハが好きなんだけど、と言った途端、
独特な苦笑いをして「バッハ?オ~、、、(少なくとも僕はノーだね)」
といったふうに、首を横に振っていたのが印象深く
互いの好みの違いについ大笑いしたものだ。
そして彼は、ストラヴィンスキーが好きだと言った。
一見新と旧とで相反するようにも思える2大作曲家。


「バッハの音楽はすべての人にとって永遠に汲み取るべき源泉」
といったのはシューマンだ。

バッハの音楽は派手でもないし特に華やかでもなく
爽やかではあってもベートーベンやチャイコフスキーの
フルオーケストラの演奏のように大音量の
高揚感やスッキリ感もない。
私はむしろ日本人のああいった演奏を目の当たりにすると
興ざめしてしまうのだけど。

日本人の多くが好きなショパンの音楽が持つ
ロマンティックさもない。

そのショパン本人は演奏前に自分の曲は弾かず
もっぱらバッハの曲ばかり弾いていたそうだ。
バッハの曲が弾けるのなら自分の曲は
問題なく弾けるという法則のもとに。

そして「バッハへ還れ」と言ったその人こそ
じつはストラヴィンスキーなのだった。


ついでに、バッハはほんとは美男子だった。
音楽室に飾られてる絵の10年前の姿。

じゃ~ん!


ピアニスト

2004-12-17 01:15:05 | Classic
ヴォロドスの演奏を聴きにサントリーホールに行った。
彼は新進気鋭の若手のピアニストで新日本フィルにタクトを振るのは小澤征爾、
演奏曲目はかの有名なラフマニノフのピアノコンチェルト第3番。

実在するピアニスト、ディヴィッド・ヘルフゴットの半生を綴った映画
「シャイン」
のテーマとなる音楽だったのでたまたま知っていた。

会場のサントリーホールは前評判を聞き付けてか冷たい強風の中
キャンセル待ちに並ぶ客も居た。私がここに来られたのは
私にないある社会的地位を持つ知人のおかげだ。

私はクラシックマニアではないので21世紀の今聴いてもシンプルで、
強い構造性と豊かな音韻を持ちつつ、ポップなバッハの音楽性は好きでも
ラフマニノフには特に興味はなかった。

彼のイメージといえば驚異的なまでの超絶技巧的な曲を作り
それを自らも完璧に弾いた人で身体能力的に優れており
手が大きく実際に2メートル近くの巨人だったという事…程度しかない。

この曲もCDで聴く限りは華美なロマンティシズムと
過剰な抑揚に溢れていてあまり魅力を感じない。

ところがロマンティックな旋律の奥深くに
決して感情に左右される事のない強い構造力と、豊かな音韻を感じた。

曲の変化の繋ぎ目に突如現れる、短い幻のようなフレーズ。
完璧なアーティキュレーションと共に更なる音韻を生む。

意味は衰退と増幅を繰り返しやがて消えてゆく。
このコンサートを勧めたピアノ教師はきっとこのような
音楽性を私に伝えたかったのだろう。来てよかった。

特に小澤征爾さんの指揮のファンではないが小柄な体型とは反対の、
この存在感の大きい魅力的な指揮者は、
今回の演奏では光に寄り添う影の役割を演じていたようにも見えた。

ヴォロドスは唯一彼が見いだしたピアニストだそうだ。
強烈な存在感がある。自らのこの先の演奏をしっかりと予見し、
それを確認すべく弾いているようにも、戯れ、
楽しんでいる余裕すら感じられる。
控えめで繊細なオーケストラと好対照を成す見事な演奏だった。

外に出てみるとアークヒルズは夜道を照らす
ルドルフの鼻のように赤くて明るいクリスマス色に彩られていた。









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ソレルスによるバッハ

2004-12-01 01:59:31 | Classic
バッハの音楽や創造性についての文学的表現で
いいな、と思われた文章を記録。

Philippe Sollers/Theorie des Exceptions より
(一部中略)

バッハの音楽には「年齢がない」。なぜだろう。
バッハの音楽は年とともにますます時間と喧騒を越え、
あらゆる性質の、数かぎりない録音をものともせずに
超然としている。どうしてだろう。
世俗の世界を離れたあのすがすがしさはどうだ。
あの、荒々しさと喜びに満ちた父性の源にあるものは何か。
言葉を話す神。

神は一個の観念ではないし、たんなる法でもない。
神とは、音楽上の事件なのである。
極度の単純さと極度の複雑さが同居する事件。
この事件を説明できるまでには、まだ無限の時間が必要だ。
なにかが暗示され、なにかがざわめき、それが静寂に跡をとどめる。
あるいは、逆に、なにかが荒々しく、ふいにあふれだす。
リード管に雷鳴がとどろき、パイプオルガンと、
持続の翼の演じるフーガが耳を襲う。

だが、それにもまして、
執拗さが持続しているところが重要なのだ。
それがいちばん根本的なリズムだからである。

ぼくらのなかにバッハがいる。
ぼくらはバッハを感じる。バッハを呼吸する。
バッハはきみたちの記憶より先を行っている。

バッハは活動状態におかれた
きみたちの記憶なのである。

こちら、真実と自由のバッハ放送…。

復活のことが忘れられていたとしても、
それはいつものことではないか。

バッハは必要なだけ自己を反復する。

何度も繰り返す。この世は退屈だ。
策略と恋愛、陰謀と欲情など、永遠におなじことが
生起するわけだから。

バッハは限りなく聴きなおすことのできる音楽家なのである。










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