4月27日の映画美学校講義は久々の疾風怒濤の講義であった。
早い、そしてどんどん広がる…
高速度で俯瞰された
難関「マイナースケール」概念の講義
…が始まる前に宿題未提出だったA田君の宿題の分析。
解説後、いつもの3段階の判断
「キタ」「まあまあ」「コなかった」
についておのおの挙手、私は「キタ」に一票
まず構成が面白いなと思う。同じコード展開2小節を2度繰り返し
次の3つ目の章の2小節目で急展開
キャラが変わり始める。
菊池さんの分析によって
ケーデンスが小節の途中で開始されているのは
面白いという「ズレ」を発見、これは
意図的ではなかった事も検証される。
やっぱりズレは面白い、楽しい
風変わりなようで少しユーモラス
(本人のコメントによるところ多し)でいながら
知的で冷徹な印象も受けるこの曲調の魅力は
まさに本人のキャラを彷彿とさせる、、、
先日のジムオルークの講義でジム本人が言った事にも繋がる
こうして何人もの生徒が作ったコード展開とその曲調は
全てが違う、その事を知るのはとても面白く有意義で
映画美学校の音楽美学講座での、菊池成孔氏による講義でしか
感じられない体験なのかもしれない
その醍醐味は、この講義において
音楽の創作を通してそれぞれのキャラが表出していた時。
こうした差異が表現される時
私たちは全員、全てが違う、作品はその数だけ生まれる事が出来て
その事こそ貴重だという事が
音楽を通して雄弁に語られる瞬間。
マイナースケールの概念は
キャラが変わる瞬間を生むスケールで
これまでのメジャースケールの概念を含みつつ
それまでとは全く違う方向へと向かわせる力を持っている。
菊池さんは何度もマイナースケールを表現する時に
バッハ風に弾いてみせた。
ずっとバッハの音楽が時折モダンに
そしてPOPに聴こえていた事と
バッハとバークリーメソッドの因果関係について
色濃くなってくる
そして私が好きなバッハの作品の多くは
短調だという事に気がつく(代表的なのは「フーガの技法」)
例外は(かの有名な)メヌエットとゴールドベルクのアリア、
アリオーソやG線上のアリアなど
禁じられた遊びも短調の部分が好きだったし
(短調から長調へと変わる瞬間も)
このスケールに私が音楽で表現したいと思う何かが
多く含まれているのかもしれない、と感じる。
しかも、そこに表現されるグルーヴ、ビートも
曲のイメージに絡んでくる、そのイメージの中で
例えばニーナシモンのLove Me Or Leave Meにおける
バッハ風アプローチのジャズピアノによる間奏に表れる
対位法のPOPな解釈/表現による
哀調の中にあるグルーヴとビート、
The Swingle Singersによる
フレンチテイストのPOPなバッハ、今聴いてもなお
お洒落な雰囲気を醸し出している
こうして、一見とっつきにくく
厳めしいように聴こえながらその実、
バッハの音楽性にスイングさせられる何かと
そこに含まれるPOP性は
JAZZやコーラスによるポリフォニーよって為された
新解釈へと繋がり始める
そしていっぽうこちらは
オフビートなレッスン
明日は3回目の
「フーガの技法」コントラプンクトゥス第1番のピアノレッスン
今回で完結するだろうか…
早い、そしてどんどん広がる…
高速度で俯瞰された
難関「マイナースケール」概念の講義
…が始まる前に宿題未提出だったA田君の宿題の分析。
解説後、いつもの3段階の判断
「キタ」「まあまあ」「コなかった」
についておのおの挙手、私は「キタ」に一票
まず構成が面白いなと思う。同じコード展開2小節を2度繰り返し
次の3つ目の章の2小節目で急展開
キャラが変わり始める。
菊池さんの分析によって
ケーデンスが小節の途中で開始されているのは
面白いという「ズレ」を発見、これは
意図的ではなかった事も検証される。
やっぱりズレは面白い、楽しい
風変わりなようで少しユーモラス
(本人のコメントによるところ多し)でいながら
知的で冷徹な印象も受けるこの曲調の魅力は
まさに本人のキャラを彷彿とさせる、、、
先日のジムオルークの講義でジム本人が言った事にも繋がる
こうして何人もの生徒が作ったコード展開とその曲調は
全てが違う、その事を知るのはとても面白く有意義で
映画美学校の音楽美学講座での、菊池成孔氏による講義でしか
感じられない体験なのかもしれない
その醍醐味は、この講義において
音楽の創作を通してそれぞれのキャラが表出していた時。
こうした差異が表現される時
私たちは全員、全てが違う、作品はその数だけ生まれる事が出来て
その事こそ貴重だという事が
音楽を通して雄弁に語られる瞬間。
マイナースケールの概念は
キャラが変わる瞬間を生むスケールで
これまでのメジャースケールの概念を含みつつ
それまでとは全く違う方向へと向かわせる力を持っている。
菊池さんは何度もマイナースケールを表現する時に
バッハ風に弾いてみせた。
ずっとバッハの音楽が時折モダンに
そしてPOPに聴こえていた事と
バッハとバークリーメソッドの因果関係について
色濃くなってくる
そして私が好きなバッハの作品の多くは
短調だという事に気がつく(代表的なのは「フーガの技法」)
例外は(かの有名な)メヌエットとゴールドベルクのアリア、
アリオーソやG線上のアリアなど
禁じられた遊びも短調の部分が好きだったし
(短調から長調へと変わる瞬間も)
このスケールに私が音楽で表現したいと思う何かが
多く含まれているのかもしれない、と感じる。
しかも、そこに表現されるグルーヴ、ビートも
曲のイメージに絡んでくる、そのイメージの中で
例えばニーナシモンのLove Me Or Leave Meにおける
バッハ風アプローチのジャズピアノによる間奏に表れる
対位法のPOPな解釈/表現による
哀調の中にあるグルーヴとビート、
The Swingle Singersによる
フレンチテイストのPOPなバッハ、今聴いてもなお
お洒落な雰囲気を醸し出している
こうして、一見とっつきにくく
厳めしいように聴こえながらその実、
バッハの音楽性にスイングさせられる何かと
そこに含まれるPOP性は
JAZZやコーラスによるポリフォニーよって為された
新解釈へと繋がり始める
そしていっぽうこちらは
オフビートなレッスン
明日は3回目の
「フーガの技法」コントラプンクトゥス第1番のピアノレッスン
今回で完結するだろうか…