言葉による音楽的な日々のスケッチ

作曲講座受講日記と、言葉による音楽的日々のスケッチを記録

東京の音楽

2006-11-04 01:16:54 | 映画美学校音楽美学講座:高等科
10月28日(土曜)

念願で、なかなか行く機会のなかったのだけど今はもう卒業した
映画美学校で同級(年も実力も随分違うけど!)だったミュージシャン
神森徹也さんが出演する中川五郎氏率いる「オルタナ歌会」ライヴへ、
場所は新宿NakedLoft。

奇しくもこの場所は私たちの共通の師である音楽家
菊地成孔氏の暮らす場所にほど近く
意識しなければライヴハウスとは気づかないような
雑多な人々が行き交う場所にあってなおかつそこは
透明なビニールシートに覆われただけの文字通りあけすけなライヴハウスで
演奏している人々の音や内部の様子を観ることの出来るスペース。

三組に一組位の確率で演奏中に人が覗き込むさまは
曲の内容と共に興味深い演出効果を醸し出していて
面白かった。(例えばしっとりしたバラードの曲にホストふうの
男子たちが5分ほど足を止めている様子など)
それも含めてライヴ、なのだった。

私は目の前で演奏する神森くんの学ぶ姿と自ら作った楽曲を演奏し
歌う姿どちらもみることが出来ることは二重にラッキー、と思う。
つい夢中になる。

歌う神森くん(隣は青山陽一さん)


中川五郎氏と出演者の皆さんで


初めて聴いた青山陽一さんの音楽もそうだけど
彼らが歌うこういう音楽が好き、と実感。
それは生理的に好きとか本質的に好きとかいう
素朴なものではない、また別なもの。
時間をかけてじっくりと好きになったもののような存在。

概念的に好きな存在なのだ、彼らのやっているような表現を。
他の人の出身はわからないけれど彼らの音楽は「東京の音楽」だと思う。
POPSという表現に隠された都会の狂気や幸福や不幸や、
その豊かさを感じる。
私たちの師である菊地成孔氏の音楽も、まさにそうで
東京でしか生まれない音楽だ。

こうしたPOPSは、誰でも楽しく慣れ親しんでいるような音楽に
あくまでも聴こえるのが魅力。
でも、全然単純じゃない。
むしろ単純でわかりやすいふりをした
難解な問いかけのような時もあって
明快な答えがあるわけではない。

中川五郎氏のことは好きな著書の翻訳で強く記憶に残っていた。
今から6年前に読んだハニフクレイシの「僕は静かに揺れ動く」という
小説で彼の翻訳はビートがあって力が抜けていて絶妙だった。
演奏もそれと同様の魅力を感じた。
中川氏はブコウスキーの翻訳が特に著名だ。
「僕は静かに揺れ動く」では、当時読んだ時の、
心境に強くシンクロしたフレーズを記録したくらい好きなのだった。
握手していただく。あんなに好きだったから
訳者氏にお会いすることが出来て嬉しい。

6年前にある想いを抱いて青山ブックセンターで
この本を手にした時のことを思い出していた。
あの時に立ち戻って今を見つめた。
そして間違いなくこの時に繋がっていたのだと感じる事が出来た。


帰りは夏木マリの店、つるとんたんに行く。
温かい饂飩がおいしい季節なはずだけど
まだそんなに寒くなかった。たらふく。

幸福なライブと、夜だった。





































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