言葉による音楽的な日々のスケッチ

作曲講座受講日記と、言葉による音楽的日々のスケッチを記録

白と灰色、虹の彼方

2008-01-01 23:08:41 | 日々
毎年帰省して想うのは普段家族から
離れているという意味で、少し寂しいながらも


どこか気楽な暮らしをしている時間のほうが
長くなりつつあるので、
経度や気候の変化も含め(笑)

普段と生活や行動、視点が「家族」中心に変わるのも帰省の魅力です。


たとえば妹につきあって初売りで賑わう、
普段はあまり行く事のない大型量販店に行ったりとか(笑)


年に一度しか逢えない小さくて小憎らしく、

とても可愛い甥っこどもにつきあって

コインで遊ぶ子供向けゲームに段々ムキになり


誰よりも馬鹿みたいに熱くなってみたり、

普段離れている両親が近いせいか


急に童心に帰ったり(急でもないか、、)


北国の星振る零下の夜(晴れているのに何故か
雪が降るのです)に粉雪が舞うのを観るため


お風呂上がりに一人はしゃいで外に出たり(両親は既に就寝)


そんなこんなの新春の夜、

私が愛するあらゆる音楽についても考える、


こうして北にあるホームタウンに戻ると
(懐かしくも最早ここは異国なのだが)


何故、自分が音楽を含む、一見難解な芸術表現や、


たとえば我が師、菊地成孔氏が講義し、表現する

ジャズ的だったりブールーズ的だったりする音楽や


かつポップだったり、リズミカルなようで


複雑さを内包するリズムや構造性を持つ様な

あらゆる芸術表現に魅かれるのか、、、とか。


それと、この懐かしくも異国の様な北の、
開拓民でお馴染みの地方都市に居て

考えざるを得ないのは何故か

いつも生物学的幸福(多産?)と、

人間的幸福(少子化?)について、なのでした。


都市生活者と呼ばれる人たちには、

概ね両方の概念が必要なのだが、大抵の地方都市にあっては


双方の両立は都会より遥かに難しい気がするのでした。



朗報も束の間、
灰色な醜聞で著名になりつつある

北国の灰色の某町が、白い天使のごとく

冷たく静かに振る物体に、染まり始めました。


そんな今夜、眠る前に実家で流れていたBGMは、


此処では遠いようで近い「OVER THE RAINBOW」

アルバム「CURE JAZZ」から。



〈OVER THE RAINBOW〉

対訳 菊地成孔 アルバム「CURE JAZZ」より


あの虹の彼方
遥か上のほうに
いつか子守歌で聴いたあの世界が広がっている
あの虹の彼方
空は青く
いつか見た夢が 本当に叶う時が来る

いつか星に願いをかけて
雲を見下ろす場所で目覚めるの
嫌なことはみんなレモンドロップみたいに溶けてしまい
煙突のてっぺんより高いところで
あなたはあたしを見つけるでしょう

あの虹の彼方
青い鳥が飛ぶ
鳥が虹を超えて羽ばたく
なのにどうしてあたしは飛べないの?
ねえ?どうしてあたしは飛べないの?

あの虹の彼方 遥か上のほうに
青い鳥が飛ぶ



















<body>
<script type="text/javascript" src="http://www.research-artisan.com/userjs/?h=0&user_id=20060529000243138"></script><noscript>

</noscript>
</body>