goo blog サービス終了のお知らせ 

言葉による音楽的な日々のスケッチ

作曲講座受講日記と、言葉による音楽的日々のスケッチを記録

曇りの下にも太陽は在る

2010-03-03 00:03:07 | 「好き」はひとことで言い表せない
寒かった或る朝の記憶がよみがえりました。
(今日みたいなかんじの、ちょっと陰鬱な朝でした)

でも、あの日見上げたグレーの曇り空はやわらかく、
仄かな太陽の存在を包み込んだ薄明るい空を、
いつになく綺麗だと感じていました。

<夕べの記憶>


年暮れに近いある日、
久々に会う親しい友人と食事の約束をしていました。
(ここしばらくは、逢っていません)

行こうとしていた店は、私がティーンズの頃から愛する
或るミュージシャンのサイトで知って

漠然と良い音楽が耳に残るように
イメージで記憶に留まって時々思い出す店がありました。

美味なオーガニックかつ廉価で人気が高く、
クリスマスを挟む年末までの時期は
予約でいっぱいなことを訪れた事のない私でも
ウェブサイトで知っていたくらい。

それでいて商売っ気たっぷりの
クリスマス商戦に浮かれたりしない、
平常心を持った良店であればなおさらだ。
(料理の内容をきいて廉価な価格に恐縮するほど)

でも。だからこそ、敢えて電話をした、妙な確信を以て。
(私はこういう事に勘、、というか鼻が利くのだ!)

電話に出た優しげなマダムの声が
あいにくその日はいっぱいです、
でも・・・お待ちくださいね。明日でしたら
空いてますよ、2名様だけですが、
キャンセルがちょうど出たので・・・」と控えめに言った。

やったー

友人に日程の変更を告げないうちに
予約を入れたのは言うまでもなくて

もし自分たちが行けなければ
誰かに譲ってもいいな、と思っていた。
(そういう気になるお店なんです)

店への地図はたいてい曖昧なイメージで頭に入っている。
着いて、まず視覚で店を見つけてみようと試みる。
ぐるっと360度前後左右を見回す。たいていは、
すぐに見つからないから地図を出すことになるけど、
今回はそうじゃなかった。
店から光が漏れている小さな店が目に入る。
穏やかな佇まいから、あの店だと確信するような
坂の途中の小さなレストランでした。




こんな場所に、こんなふうにあったらいいな、と、
かつての想像に近いお店だった。

想像よりもお店が古く
規模が小さかったのは、ことさらに理想的。

料理は美味の、地の魚や肉、野菜を使っていて
(たぶん)その時に沢山獲れた
新鮮なものを選んでいると思われる。

私がチョイスした調理法「せいろ蒸し」の魚は
何と巨大な鯛。ポン酢で頂いた
ぷりぷりのほかほかの白身。

丁寧に作られているけど気取ってないし
マダム(女将)とムッシュ(板前)の愛情関係も
感じられるのが余計に素敵。

二人とも綺麗なグレーの髪をしていた。


巨大な真鯛のせいろ蒸し!



<白か黒か?>



友人はとてもささやかだけど
確実な幸福で満たされている。

傍から見れば幸せに見えても実際そうなのかどうかは
他人には決してわからない。

その友人は「自由なあなたがうらやましい」と言った。

私は自分を自由だと思った事はないし
自由になりたい、と思った事もないけど
たまたまこうなっていて、それを見た人が
自由だ、と感じることもあるというだけのことなのだろう、

幸福や喜びは、他者や外部から与えてもらうもの、と
たいてい考える。でも
平熱を超えて発熱した身体のように(あたかも自家発電のように、笑)
自らが作ったスープで心身を暖めるように

自ら熱情的エネルギーを発することが
可能なのではないだろうか?

他人から何か与えられたり与えたりすることは
とても幸福な事で、それによって愛情、思いや
気持ちを確認することも可能だけど

実際は人は自家発電のように、発熱のように
(たいていの熱は自ら作り出せる、と或る
精神科医は言ったそうです)

自らのエネルギーによってチャージし、
愛も身体も冷えないように発熱することも
時には必要だし、可能なのだ、と思っていた。
(最近は、体温を一度上げると健康になる、とか
言われてるらしい、笑)

友人と私のささやかな幸福と、
友人の自由と私の自由とはぜんぜん、二項対立ではない、と
思っていたところ

その翌日の菊地氏の速報欄に、こんなことが書いてあった。

「ここをご覧に成っている総ての皆様。
クリスマスなんか来なきゃ良いのに。
という方も、クリスマスが楽しみで楽しみで。という方もいらっしゃるでしょう。

やっと愛を見つけた方も、
とうとう愛を失った方もいらっしゃるでしょう。
クリスマスに生まれた方も、
クリスマスに亡くなる方もいらっしゃるでしょう。

地獄の中にいる、と思っている方も、天国だぜ。最高だ。と思っている方も、
何も無い、空虚だ。という方も、そこそこ良いね。良い感じだよ。という方も。

 僭越ながらワタクシの考えを申し述べさせて頂くのならば、それら総ては、
つまるところ、本当に。です。同じ事。なのであります。少なくともワタクシは、
総て経験しましたよ。その結果の、この結論であります。
「ちょっと良い感じ」というのは、全部の絵の具を混ぜたグレーであります。」


この言葉が私の漠然とした灰色の空の日の感慨を
明確に代弁されていたことに少し驚いた夜の備忘録と、
もうひとつの備忘はグレングールドが
《フーガの技法》の晩年の演奏についてのコメントです。

「鮮やかな色彩を避け、
代わりに薄い灰色が無限に続く。…私は灰色が好きだ」

あのときはわからなかったけれど、時を隔てて
いまは、なんとなくわかる、グレーの美しさ!

Gould plays Bach\'s Art of Fugue, Cp 1, 4, 2



Glenn Gould Moments- P.03 Gould plays the Art of the Fugue






















<body>
<script type="text/javascript" src="http://www.research-artisan.com/userjs/?h=2&user_id=20060529000243138"></script><noscript>

</noscript>
</body>

愛と偶然とダンディ

2009-02-25 00:14:53 | 「好き」はひとことで言い表せない
新しい職場でまもなく1ヶ月となる今日、
ずいぶん偶然!と思わざるを得ない事がありました。

前にも備忘録で書いたことのある
前の職場の素敵な(女性も男性も皆憧れる)
大好きだった上司と
今の職場のビルの中でバッタリ出会いました。

(とはいえ、彼は直属の上司ではなかったし
自身の事というより同僚が困った事について
いつも彼を頼って相談しようとしていたのですが)

職場の誰かや知り合いとバッタリであったり
もしくは見かけたりすることは、ごくたまにあるけれど
咄嗟に、当たり前のように声をかけることは
そう多くない。(たいていの場合、躊躇する)

今、気軽に声をかけていいものかどうか、とか
連れの人が居たらどうかな、とかあれこれと
考えているうちに彼らの通り過ぎて行くことは多い。

はじめ、よく似た人だなぁと思っていた。
次の瞬間、確信した。

「Kさん、、、!!?
どうして、、ここにいらっしゃるんですか?」
(ここは知っていてわざわざ出向かないと
来られない場所にあって
たいていの「通り道」とはほど遠いところだ)



ダンディ、笑いながら
「外出先の帰りで、食事をしていこうかなと」

「こんなお洒落な場所で、、、ですか?」

「(ダンディ)笑」

「さすがKさん、、(笑)」

「Tさんはどうして?」

「今こちらで勤務してるんです」

「いつから?」

「先月末からです。メグちゃんとも
少し近いからお昼一緒しようよとか話してたんです。
部署が変わられたと聴きました」

「そう、同じビル内だけど10階のほうに異動して。
メグとはまた飲みに行こうよって言ったりしてたんだけど」

「相変わらずお忙しいのですか?」

「うん。食事してこれからまた社に戻ります」

「それにしても、、、ほんと偶然ですね、、、」と
分かれ間際に独り言みたいに言ったら
少し戸惑った照れたような変わらない笑顔で
ダンディは「また。逢いましょう」と
低い声で言って私は深く会釈をした。

そうして私たちは分かれました。


偶然以外の何ものでもないけれど
偶然とタイミングの両方が合うのは
なんと不思議なことだといつも思う。

いつもそうはならなかったであろう選択肢のほうが
多いように思えるから。

たとえば

<帰るタイミングが10秒でも遅れていたら>

彼には遇えなかっただろう。

今日の帰り際満員のエレベーターに
ギリギリ駆け込んで乗った。


<あのとき乗らなければ>


ダンディには逢わなかっただろう。

高層階にいるからエレベーターがなかなか来なくて
いつもかなり待たされる。
今回は珍しくすぐに来たので
混んでいたけど走り寄って乗った。


<もしあの出口で降りなければ>

今日は風も強く冷たい雨模様で
雨風に打たれる事の無い地下まで
降りようと思っていた。

でも、こんな日こそ外の空気と風景に触れたくて
えいやっと、降りた。

もしいつも通る、人通りの少ない静かなほうの
出口に出ていたらダンディには逢えなかっただろう。


とはいえ、ほんとうはダンディとは
もっと早くに偶然に出会えるはずでした(笑)

私たちはもうずうっと通勤時のターミナル駅が同じ。
それは職場を同じくしていたときからで、
そのときはただの一度も逢わなかった。

駅で姿を見た事もなかったのに
このタイミングで互いに想像もつかなかった場所で
遇ったのはやっぱり不思議です。

未だ職場の人に慣れずに
1年以上居た前の職場の人たちとのやりとりを
どこかでいつも懐かしく思っていたからかなぁ。

前の職場でダンディと面接をしたとき
きっとこういう人がいるのなら
ここでやっていける、と思ったことも思い出して
雨と風に打たれつつも
何とも楽しい気持ちで帰途に着きました。
















<body>
<script type="text/javascript" src="http://www.research-artisan.com/userjs/?h=2&user_id=20060529000243138"></script><noscript>

</noscript>
</body>

Charm of the Ordinary

2008-12-05 00:10:30 | 「好き」はひとことで言い表せない
いったい、どこの誰がEasyだなんて言ったのでしょう?
(たぶんに恋は「みずいろ」なので、邦題も良いです)


誰が聴いても美しいメロディの魅力って大きいですね。

Vicky Leandros L'amor Est Bleu(Love Is Blue)



のちに、ポールモーリア氏のアレンジで
インストゥルメンタルでは未曾有のヒットになりました。

Love Is Blue



原曲と同じなのはメロディーだけで
簡単には思い浮かばない伴奏のフレーズが多くあります。

忘れ難い魅力を、ずっと小さく鳴っている
チェンバロのフレーズに感じる。
(長調に転調するサビよりも)

コードだとAm7-D7の
繰り返しの動きの中に顕れるフレーズ。

音色の重なりが絶妙でメインテーマを重ねるごと、
変奏的になっていって、
カノンのような美しいはじまり。


爆発的ヒットの要因は「魅力的な解釈」とも言える
こうしたアレンジの冴えなのだと感じます。


こちらも、可愛らしい楽曲(邦題:バラ色のメヌエット)
明るい曲調の中に、一度きりしかない
短調のサビが鮮やか。良く知る味。

だけど甘くてとびきり美味しいから
何度も聴きたくなります。

Paul Mauriat - Minuetto


(番外編)

日本のバンド、Hairのカヴァーはなかなかで
オリジナルほどの音楽的愉悦は感じないけど
むしろそこが今っぽい。


最後を飾るのはCharm of the Ordinaryの王道(と今なら言える)
「さよならを教えて」

Comment Te Dire Adieu
]











<body>
<script type="text/javascript" src="http://www.research-artisan.com/userjs/?h=2&user_id=20060529000243138"></script><noscript>

</noscript>
</body>



音楽的にデジャヴ

2008-12-04 00:35:10 | 「好き」はひとことで言い表せない
季節によって聴きたい音楽って変わりませんか?
(私だけかな?)

真夏に書いた備忘録のサマーヌードも、
今はあまり聴きません。聴きたくない訳じゃなく
変わらずに好き。

お気に入りの洋服を箪笥から出すようにして
大事に仕舞っていた曲を季節ごとに出す、
というかんじで聴く事があります。
そうすると。出す度に、新鮮に聴ける。

たとえばミシェル・ルグラン作曲「風のささやき」は
秋冬に聴きたくなる代表的な曲。
(2月くらいの真冬向きです、笑)

Windmills of your Mind - Movie Version HQ



個人的に不思議な存在感の曲でもあるのです。
タイトルを知らずメロディーだけを憶えていた、
はず。ずっと前に。なのに、
すっかりこの曲の存在を忘れてしまっていた。

思い出したのはカヴァーで歌っていた
Swing Out Sistersのライヴで、でした。
(’90年代のこと、、)

一度だけ聴いて、メロディーの記憶をすっかり取り戻し、
もう忘れないように(呪文を唱えるかのように)
たびたび口ずさんでは
機会あるごとに曲名を探していました。

あのライブで記憶を取り戻した時
「初めて聴いたのに、そうじゃない」といった
「聴覚的・既視感」とでもいう状態になって
懐かしさに涙が出ました。

迂回したような聴き方をしたあと、
オリジナルの曲のほうを後に知る、というのは
たまにあって、1度忘れて2度知るような
忘却は、悪くないです。


以下風のささやきのカヴァーです。

「恋の面影」のダスティが歌う風のささやき

Dusty Springfield - Windmills Of Your Mind (1968)


スティングが歌う風のささやき

Windmills Of Your Mind ~STING~


好きなことばかり書いても何なので
アレンジやカヴァーするアーティストの解釈で
こんなにも違ってしまう例も

やはりこの歌はメロディーが叙情的なだけに
感極まって歌うのは、トゥーマッチになるみたい。
好き好きだとは思いますが、私はこれがオリジナルなら
好きにならなかったんだろうなー。
(良い、悪い、じゃなくて)



これは、オリジナルを歌うノエルハリソン。
想像どおりでした。甘さと意思を感じます。
タートルといい髪型といい
どことなくモッズィ~なテイストもマルッ!

Windmills of Your Mind



最後は、オリジナルヴァージョン
(こんなに何度も聴いてもまるで飽きないなんてどうかしてる)

Thomas Crown Affair- Theme Song
















<body>
<script type="text/javascript" src="http://www.research-artisan.com/userjs/?h=0&user_id=20060529000243138"></script><noscript>

</noscript>
</body>

オリジナルと変貌

2008-11-26 00:58:34 | 「好き」はひとことで言い表せない
松っちゃんの、貴乃花親方の妙な物真似に
もうず~っとハマってます。
この週末、やっと一本見つけました。

怪しげな面影を残しつつ、オリジナルとは
まるで違う何かに変貌してる。
観るたび、私も関根さんみたく笑ってしまいます。

松ちゃんのコーナーは2分10秒くらいからです。
いきなり貴乃花がみたい方(笑)は
4分40秒あたりから、どうぞ。

貴乃花親方










<body>
<script type="text/javascript" src="http://www.research-artisan.com/userjs/?h=0&user_id=20060529000243138"></script><noscript>

</noscript>
</body>

I Will Survive、Heartbreaker

2008-11-25 01:02:03 | 「好き」はひとことで言い表せない
この週末、「Heartbreaker」という曲を聴きながら
とある、少し切ない曲を思い出していました。

I Will Survive




Heartbreaker

Will.I.Am - Heartbreaker



この二つの曲、鼻歌で合わせるとわかりますが
コードもキーもほぼ同じ。

敏腕プロデューサーでもあるWill.i.amのこと、
偶然ではないんだろうと思われます。


前者は傷心なのに強がる女性の歌で、
後者は僕が悪かった、とひたすら謝る歌になっていて

一見関係なさそうな両者を結ぶ共通点に、
音楽愛を感じてぐっときちゃいます。

それが、ただの偶然だとしても(笑)

( ところで、グロリアゲイナーのPVで踊る女の子って
フラッシュダンスのジェニファーなんとかさんという
女優さんに似てません?)

I Will Survive
(参照元のブログはこちら<http://knit-rit.blogspot.com/2008/05/i-will-survive_09.html>)

はじめは恐かった。凍りついた。
あなたがいなきゃ生きていけないと思っていた。
でも毎晩毎晩、あなたが私にどんな仕打ちをしたか考えて、
私は少しずつ強くなって、どう進めばいいかわかったの。

それなのに今日、帰ってきたら部屋にあなたがいる。
どこからか戻ってきて、悲しそうな顔をして。
こんなことになるとわかっていたら鍵を替えておくんだった。
キーを置いていってもらえばよかった。

さあ帰ってよ。出ていって。あなたなんかもう歓迎してないんだから。
別れを切り出して私を苦しめた人じゃなかったの?
私が粉々になっていると思った? 臥せって死んでしまうと思った?
違うのよ。私は生きるの。愛さえ知っていれば人は生きていける。
私には私の人生があるし、愛も持っている。だから一人でやっていくの。

駄目にならないように力をふりしぼらなきゃならなかった。
ぼろぼろの心をつなぎ合わせようと必死だった。
夜がくるたびに自分を哀れんで泣いた。
でも今はまっすぐ顔を上げている。だから別人に見えるでしょう。
もうあなたに恋して鎖に繋がれていたときみたいな子供じゃない。
あなたは私が待っていると思って寄ったわけ。
でも私の愛は私を愛してくれる人にとっておくんだから。

だから帰ってよ。出ていって。









<body>
<script type="text/javascript" src="http://www.research-artisan.com/userjs/?h=0&user_id=20060529000243138"></script><noscript>

</noscript>
</body>

ヒップでホップな黒い音楽のこと

2008-11-20 00:36:54 | 「好き」はひとことで言い表せない
ちょっとコミカルでチャーミングな
will.i.amが作る音楽のことを書きます。

will.i.amといえば、数年前、セルメンこと
ラテンの大御所、セルジオメンデスにラブコールを送って
晴れてコラボレーションしたアルバム「Timeless」は有名ですよね。


普通なら、あり得ないようなジャンル(HIPHOP&LATIN)や
アーティストの組み合わせで、一歩間違えると
邪道になりかねないものをマリアージュさせる手腕から、
インテリなイメージがあります。

たとえばこのジョビンのカヴァー、ピアノは
セルジオメンデス。タイトルを「Sexy」としたところで
あり!!!(笑)

Black Eyed Peas - Sexy




ヒップでホップという文字通り、
軽々しく始まる雰囲気の曲の中に
三回ほど、明らかにその様相が変わる部分があります。
(確信犯的で恣意的なところにシビれちゃう)たとえば、
この曲(何故か埋め込み出来なかったのでリンクにします)
will.i.am - I Got It From My Mama




たとえば、その2。
始まりのストリングスのオーケストレーションがすごく美しい
(これは引用?それともオリジナルなのでしょうか)
BEP - Don't Lie





PVも細かく丁寧に作られていてとても楽しくなる皆が大好き!
「Mas Que Nada」!!

ああ、このPVの中に入りたい!(笑)
寿命が10年くらい伸びそう。
セルメンの楽しそうなかんじもキュート。

Black eyed peasのCD「Timeless」のレビューにあった
セルメンとウィルの愛のある(笑)やりとりを思い出します。

ウィル氏は、絵心のある絵画のように、
音楽を深くわかっている人、と感じます。

そういう意味では、クインシー・ジョーンズと
つい重ねてしまうんですよね。というのも、

ぼ~っと映画を観ていて
たとえばそれがウィズや、ホットロック
流れている音楽、それがどんなに
短いフレーズでも、耳が行くので

どうしても気になって、
この音楽担当は誰だろうと調べると
たいていクインシージョーンズなんです。










<body>
<script type="text/javascript" src="http://www.research-artisan.com/userjs/?h=0&user_id=20060529000243138"></script><noscript>

</noscript>
</body>

「好き」の差異と愉悦

2008-11-14 00:01:01 | 「好き」はひとことで言い表せない
ここ数日、曇天で寒かったせいか
あまりポップな曲を聴いていなかったのですが
(何故、こんなに天候に左右されるんだろう?)


で、久々に晴れた今日の終わりにぴったりだったのは、
Georgie Porgieです(コアに人気のある曲みたいです)
「Georgie Porgie」とはTOTOの曲(トイレじゃないです)

このタイトルはマザーグースと関係があるようなので後述します。
(サビの部分はその詩を使ってます)


相変わらず「好き」について、ひとことでは
言い表せないのですが、覚えの悪い私でも
こうした備忘を続けていれば

多岐に渡って私の中で分裂気味の「好き」の幾つか
(もしくはたった一つ)の特色とか、傾向について
わかるのではないかと思えるので
それまではちょっと続けてみようと思います。


この曲を知ったのは、今からおよそ10数年前のこと。
当時は、派手でもなくシンプルなこの曲に
へぇ~そうなんだ、というかんじだった。


バンドをしていたころ、頭脳明晰な当時のギタリスト君に
(日本一ハードコアな音楽理論を生み出した
濱瀬元彦氏によるスタジオラングを紹介してくれた)←数十年経ったのに
未だ行っていませんが、

この曲をやりたい。オリジナルのバックトラックを作ったから
ヴォーカルを載せて欲しいんだけど、と頼まれて
戦々恐々、初めてスタジオでヴォーカルの録音をしたときに遡ります。


あの頃は、今とは全然違う生活と、私。
だったようでいて実際の私は、さほど変わっていない
ということを考えながら聴いていました。
繰り返し何度も。


TOTOとソウルディスコヴォーカルの女王
シェリル・リンをフィーチャーしたGeorgie Porgieの
三者のアーティストによる差異を楽しんでいました。


1つめ:オリジナル

Toto featuring Cheryl Lynn - Georgie Porgie



2つめ:椎名林檎による完コピカヴァーが潔くて粋。
(林檎ちゃんは中盤から主にシェリル・リンの役割です)

Georgy Porgy ~邪(椎名林檎)cover~



3つめ:言わずと知れたアシッドジャズの帝王!
泣く子も黙る(笑)インコグニートによるカヴァー。
ゴーヂャスなアレンジが楽しい。

Georgie Porgie by Incognito



Georgie Porgie:邦訳

ジョージー・ポーギー プリンにパイ
女の子にキスしたら泣かれちゃった
男の子たちがやってきたら
ジョージー・ポーギー 逃げちゃった

Georgie Porgie - Mother Goose Nursery Rhymes

Georgie Porgie, puddin' and pie,
Kissed the girls and made them cry.
When the boys came out to play,
Georgie Porgie ran away.










<body>
<script type="text/javascript" src="http://www.research-artisan.com/userjs/?h=0&user_id=20060529000243138"></script><noscript>

</noscript>
</body>

Are you going with me?

2008-11-11 00:16:21 | 「好き」はひとことで言い表せない
今日は諸事情で作曲講義を休んでしまった。
だから、備忘録では音楽のことを
休みなく(笑)書こうと思います。



「Are you going with me?」

(邦題:ついておいで)という曲は

不思議なフンイキの曲です。

私はずっと、勝手に「ついてくるかい?」と
訳していた。

コードの数も進行も少ないし曲調も決して明るくない。
なのに、とっても美しい。

「暗いけどゆったりしているボサノバ」とでもいいましょうか。

その美しさは、寒い冬に
太陽を隠した灰色の空のよう。
(今頃の季節に必ず聴きたくなります)


、、、ということで、


●Are you going with me?
の三つのヴァージョンを聴いていました。



ヴァージョンその①
Are you going with me?(原曲)

出だしは穏やか。抽象的なかんじ。
中盤からのメセニーのギターソロだけが、
全体をつんざくようなエモーションの役割を担っている。

Youtube(上記リンクで聴けない方はどうぞ)

"Are You Going With Me?" Pat Metheny Group



ヴァージョンその②
Are you going with me?(ヴォーカル付きヴァージョン=カヴァー?)

これ、Jangoで初めて聴いたのですが、すごくいい。
ヴォーカルは誰なのかわからないけど、
CDが欲しくなりました。(Jangoの思うつぼだ、、、)

追記:知人のDJ、MoonLight氏にヴォーカリストを
教えて頂きました。YouTubeにもあったので追記します。

Pat Metheny & Anna Maria Jopek - Are you going with me?



ヴァージョンその③
オーケストラによるライヴヴァージョン

Pat Metheny - Are You Going With Me


このような編成で、この楽曲が
演奏されているとは、何て素晴らしい。
(しかもライヴで!)


以下、当曲が入っているアルバムOFF RAMPについてのレビュー
ロックとフォークのない20世紀:菊地成孔著 より引用

デビュー当時のパットメセニーグループ(以下PMG)は、
たしかにその音楽性や演奏技術という点では郡を抜いていたけれど、
それでも所詮は数多あるフュージョングループの一つ、
みたいな位置づけしかされていなかったと思う。そんな彼らが、
「こいつら、こっこうヤベーんじゃないか?」という印象を
聴き手にもたらしたのが、本作だ。では、なにがヤベーのか、ここでは、
メセニーの内にある「凶(狂)性」が色濃くにじみ出しているのだ、
それに伴い音楽は、それまでのPMGの特徴であった爽快感を喪失し、
代わりに暗く湿った禍々しい響きを発することになる。もし、
「ついておいで」や「ジェームズ」というナンバーが含まれていなかったら
本作は、たとえば「ソングX」や「ゼロトランスフォーサイレンス」のように、
「例外的メセニー作品」としてCD棚の隅に追いやられていたのではないか。

「舟歌」のフリーキーなシンセギター。「オーレ」の沈潜していく暗さ。
「オフランプ」の過激なインプロヴィゼーション。
「ザ・バッド」の幻想性、、、。これらはけっして一般受けする
音楽ではないけれど、しかしあえてそういうものを
送り出す勇気を持ったがゆえに、PMGは一頭地を抜いた存在になったのだと思う。
そして、そんな作品に「愛のカフェ・オーレ」という邦題をつけた勇気も、
また別の意味ですごい(文:藤本史昭氏)


















<body>
<script type="text/javascript" src="http://www.research-artisan.com/userjs/?h=0&user_id=20060529000243138"></script><noscript>

</noscript>
</body>


アナログの煌めき

2008-11-04 09:30:47 | 「好き」はひとことで言い表せない
ひさびさに映画を観てきました。

「僕らのミライへ逆回転」

文化の日にふさわしい作品(笑)

「アナログだけど大切なものがある」という
ふれこみのミシェル・ゴンドリー監督のこの映画、

ひさびさに映画館で笑って泣けた(笑)
ジム・ジャームッシュ監督の
Bloken Flowers 以来かも。

ミア・ファローがゴーストバスターズのビデオを借りにきて
自分が出ている映画への著作権侵害だと
シガニー・ウィーバーが怒る、、、映画!
(うそ。でも。まさか。ゴーストバスターズ繋がり!?笑)

未見の方はぜひ。


そして同じくアナログだけど(創った本人でもないのに
勝手におすそわけしたくなるくらい)
大切にしたいと思う曲を発見しました。

この週末、Freddie Hubbardというアーティストの
Little Sunflowerという
1979年の曲を聴いていました。もう何度も。
(上記リンクからJangoというなかなか秀逸な
ネットラジオで曲が聴けます。YouTubeより音も良い)

もし違う曲が流れた場合はYoutubeをどうぞ

freddie hubbard little sunflower



こうしたことに通な人なら「Little Sunflower」といってピンと
くるみたいですがDJに人気だったり
カバーが多い楽曲だそう。ITunesで検索したら
100曲近く出てきました。

少し陰鬱なホルンとベースライン、
天から降る日差しのようなストリングス。

感情を抑えたようにノンビブラート、
でもどこか思いつめたような黒人のスキャット。
ヴォーカルに重なるフルートのコーラスと
ベースとのコントラストが美しい。

Freddie Hubbard本人によるトランペット
(フリューゲル・ホーンというらしい)のソロの途中で、
ゆったりとした曲調が突如サンバ調になる。
すごくかっこいい。こういうのは大好物(笑)
もう、何度でも頂けます。

全体に漂う、尋常じゃない美しさとグルーヴは何だろう?


こうして聴いていると、
私はアレンジを主に聴いていて
優れたアレンジの楽曲に魅力と
「好き」を感じているのだと気がつきました。


確かにアレンジで曲の善し悪しが決まる場合は多い。
もちろん例外もあるけど。主旋律がずばぬけて美しいとか
演奏力やその場の雰囲気で素晴らしいものになるとか。


極めて優れたアレンジャーは、自分ではない誰かの、
たとえば文章作品に対して魅力的な翻訳をする人、のような
存在ではないかと思うことがある。
批評性とか解釈の深さという事と繋がるんじゃないかと感じる。


曲は9分弱と長いのですが、ITunesのストアや
Amazonも探したけれど、ヴォーカルとストリングスの入った
この美しい9分ちょっとのヴァージョンが
どこにも見つからなくて一旦諦めかけたけど

どうしても忘れられなくて、
ふとTOWER RECORDを思い出して
サイトを訪れると、YouTubeでこの曲を聴いてみた時と
同じジャケットの画像があって目が行きました。


こういうタイミングの情報入手に関しては
不思議なトントン拍子状態になるのですが
(これってまさに音楽的)

曲が収録されたアルバムは
「ラブコネクション」という既に絶版になった名盤のようで
近日発売になるそう!

そのことに驚いたのも、つかの間、
発見のうれしい連鎖反応(笑)


この美しい曲のアレンジャーは
ACジョビンの楽曲の名アレンジャーとしても名高い
クラウス・オガーマンと知って、納得。


これまでに何度か触れた事があるけど
オガーマンのオーケストレーションは希有な宝石みたく

聴く度に煌くようで、何度聴いても飽きることがない。
(このアルバムのプロデュースもしていたらしい。)



LOVE CONNECTIONというこのアルバムを
私が予約したのは言うまでもないのだけど
このタイミングでこうしたことを知れたのはラッキー。

それ以上に、本当に優れて美しい音楽は
絶版になっても人の記憶に残って消える事なく

また人の手によって生まれ変わるということを
感じさせる出来事でした。


30年を隔てた今でもこんなにも胸がときめく。

こうした音楽存在は、それ同士で
時を超えて繋がり合えるのだろうし
そのことを知れて良かった。


*****

追記:オガーマンだけでなく驚異的なメンツでした。
ヴォーカルはアルジャロウで
ピアノはチック・コリアでした。
ジャズ無知の私でも、ただならぬアルバムだと
改めて知ったのでした。

<以下タワレコのレビューより>

ジャズ/フュージョン史にその名を残すスーパー・トランペッター、フレディ・ハバード79年の快作。名アレンジャーのクラウス・オガーマンがプロデュースを手がけ、チック・コリア、スタンリー・クラーク、アル・ジャロウなどといった強力メンバーたちとともに、彼のフリューゲル・ホーンをフィーチュアした、ホップでクリエイティヴでゴージャスなサウンドが展開されている。フレディとチックとの熱のこもった共演は、フュージョン・ファン必聴。DJの間で人気が高いクラブ・クラシックス「リトル・サンフラワー」も収録。1979年作品。

フレディ・ハバード(flh、tp)、クラウス・オガーマン(arr)、チック・コリア(key)、スタンリー・クラーク(b)、チェスター・トンプソン(ds)、アル・ジャロウ(vo)、チャック・ドマニコ(b)、ジョー・ファレル(sax)、ユマ・サントス(perc)、ルーベンス・バッシーニ(perc)、トム・スコット(sax)他










<body>
<script type="text/javascript" src="http://www.research-artisan.com/userjs/?h=0&user_id=20060529000243138"></script><noscript>

</noscript>
</body>