言葉による音楽的な日々のスケッチ

作曲講座受講日記と、言葉による音楽的日々のスケッチを記録

下町通り 抜かれた剣

2006-07-26 01:49:08 | 映画美学校音楽美学講座:高等科
、、、という歌詞で始まる アルバムCURE JAZZのなかの
ジョビンの曲、ルイーザ。


この曲はこのアルバムの企画とプロデュースをした
楽理の講師でもある音楽家、菊地成孔氏自身によって
(確か今年の3月くらいに)映画美学校の
楽曲分析でも取り上げられた。
初めて聴いたのに一度聴いたら忘れられない曲だった。

発売前に視聴したときLuizaはUAとのデュエットになっていたので、
菊地さんのソロボーカルで始まるとは思わなかった。
Degustation a jazzで初めて彼のヴォーカルを聴いた時と同じく
とても艶のある、中性的な声をしていた。
(初めて聴いた時女性のジャズボーカリストだと思った)

映画美学校の授業でオリジナルのLuizaを初めて聴いた時、
ジョビンのヴォーカルは囁き諦め、哭いているような
静かな悲痛と生命力の美しさに溢れた複雑な曲で、
ポルトガル語がわからなかったけれど、ただ
ロマンティックな恋の歌ではないような気がした。

これまでのアルバムでは大抵の対訳は
大和田俊之氏がやっているけれど(今回も殆どされています)
今回は幾つか菊地さん自らが対訳をしていたり
詩や曲もオリジナルのものも多く
これまで聴いたジャズの作品とは
ひと味違うものになっているようにも感じられた。
時には影のようにUAのヴォーカルを引き立てたり、
緻密で骨太のSAXの演奏表現が魅力的。

ソロアルバムとはまた違って
UAという存在と魅力と表現力によって触発され
菊地さんの表現も増幅し拡張して改めて可能になるようなことも
あるのだろうな、と感じた。コラボレーションの妙。

本場の黒人ジャズ歌手の表現力とは異質でも、
日本人に在るブルーと黒っぽいリズム感や
ビートを聴き手に感じさせる事においては
きっと今居る人気のある歌い手ではUAの表現が最も
優れているのだろうと思う。
菊池さんはインタビューの中で彼女の歌唱の魅力について
「歌に殉じている」という表現をしていたのは印象的。

実際、このアルバムも市場で(ジャズを聴かない人々の間でも)
話題になっているようだ。こんなにコアな
アプローチの曲ばかり入ってるのに…。


ご本人も書かれていたけれど
自分のソロのような気もしてくる、というだけあって
仕掛けや企画は菊地さんなのだろうけれど
そういうことを越えて菊地成孔とUAという
二人のアーティストの魅力は時に寄り添い
決して溶け合う事も無く平行線を辿りながら
互いを求め追いかけ合う
美しく独立したフーガのフレーズの様な表現のごとく
展開されていてセクシーな様相を醸し出している。

アルバムの中で菊地さんによって
UAの母性的な魅力にも触れられていたのも印象的だった。

「ルイーザ」という娘さんに捧げた曲とも言われている
強い愛と悲哀、美しさを称えた曲の
詞の内容を知りたいと思っていたのだけど
(かつて日本語に対訳された事があったのだろうか?)
それを知りたい気持ちがアルバムを買った原動力にも
なったくらい、菊地さんがこのアントニオカルロスジョビンの
隠れた名曲に光を当てた心意気も、私は買いました!

「Luiza」

詞/曲 アントニオ・カルロスジョビン
対訳:国安真奈 

UA&菊地成孔 「CURE JAZZ」より

下町通り 抜かれた剣
夜空に浮かぶ黄色い大きなブイ
月のなんと丸いこと
月のなんと揺れて見えること
青空の青が
ゆっくりと広がる
ゆっくりとした沈黙の中
星を山ほど抱えた吟遊詩人がゆく

さあ 僕の歌を聴いてくれ
ルイーザを忘れるための歌を
僕は ただの情けない素人
君の恋する 愛の教え子

ねえ君 起きてよ
この雪の下にこそ 心があるんだ
ルイーザおいでよ
手をつなごう
君の望みは僕の望みだ
僕に魔除けのおまじないをしておくれ
キスをおくれ
燃えるバラの花をおくれ
キスをおくれ
陽の光をおくれ

君の髪に映る
ダイアモンドのような光が七色に輝ける時
僕がルイーザのためにだけとっておいた
幾千もの愛が輝く















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POPS、現代アート、クリエイティビティ

2006-07-19 02:00:29 | ART
話題の日本×画展に足を運ぶ。


今日は出展作家である中村ケンゴさんとしりあがり寿さんの
クロストークショーが見ものだ。



両者の作品は全く違うけど
まさに「クロストーク」という名のとおり
漫画と絵画というジャンルを横断して
よくぞこのお二人が、、、、という魅力的な組み合わせ。
何だか顔つきや背格好、オーラも似てて兄弟みたい!(笑)

ケンゴさんはもう20年近く前の高校時代に
しりあがりさんの漫画を読んで以来、後の
自分のクリエイティビティに直接影響を及ぼすくらいの
インパクトを受けられたそうで、今は現代美術家である彼の
そういった話を、しりあがりさんは時に感慨深げに
時に恐縮しつつもしっかり受け止めて
先輩後輩の枠を飛び越えたかんじで
応えていらした姿が印象深かった。
漫画や文章のイメージどおりの無理のない自然体の方だった。

現代美術とか日本画とかいうと
敷居が高いかんじもするし確かに敷居は必要な場合もあって
必ずしも気軽なのが良いという訳じゃないけれど
素人には分かりにくい内容に終始したり
観念的な内容になる事も多いけれどしりあがりさんは
自然体で心地よい緩さを持った方だし
ケンゴさんはポップスの解釈を創作のコンセプトに用いたりと
例えば商業音楽理論を学ぶ私でも共感するような
発想を持っておられるので
その思想が現代美術の枠に収まらず
横断的に広がるところが魅力だと思う。

前々日に行われたアップルストアのトークショーでも
触れられていたアートにおける「POP」について
ケンゴさんが言及していたことは
奇しくもその翌日に行われた菊地成孔氏の
「メロドロジー」講義で触れられたPOPについての言及と
ほぼ同じもので 両者共それぞれ絵画と音楽における著作権や
引用、盗用、オリジナリティについての言及だったのだけど
殆どにおいて一致したのは興味深かった。
(これについてはちょっと長くなるので
講義の詳細と共に別の機会に書きたいです)


出身大学で先輩後輩である、しりあがりさんと
ケンゴさんのお二人のやりとりは
世代や属性に関係なく共感性が高くて
傍目で聴いていても流れよく心地良いものだった。
音楽で言うと極上のアンサンブルのよう。
私は特に宝島世代で彼らと近い世代なので(笑)
感じ入ってしまった。

トークショーは予想に反して4倍近い人数が参加して
その7割近い人がその後の「自分の夢をスピーチバルーンに
書き込む」という中村氏のワークショップに参加した模様。
もちろん、私もスピーチバルーンに夢を書いて遊びました。

美術館でのこうした雰囲気の展覧会ってあまりないし
親和性を観覧者に抱かせつつ考えさせられる内容が
しっかりあって魅力的な場だった。
実際の作品を前にしたトークだったせいか、
アーティストの考えが伝わりやすい。
私は時々、背後のカラフルな作品を見渡しながら聴いていた。


沢山来場していた10代と見られる子たちは
何を感じ、思って帰ったのだろうか、興味深い。

私が今のように情報を入手しやすくなかった(笑)10代の頃、
こういったジャンルの横断的なアーティスト同士の会話を
頻繁に雑誌で読んだりラジオで聴いたりしては
刺激を受けたものだけど、そんな事を思い出させるような
トークショーだった。











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