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言葉による音楽的な日々のスケッチ

作曲講座受講日記と、言葉による音楽的日々のスケッチを記録

もうすぐ父の日。父、談志の来店を思い出す

2016-06-05 01:30:04 | 日々
梅雨の走りですね。
久々のブログ更新ですが、いつの間にか
スマホで便利になってる‼︎(笑)

もうすぐ父の日。しっかり者の母が認知症になって久しい。もともと天然ボケの父が今さら、しっかり者のポジションに(笑)

妹から、父と出掛けた先での会話メールが来ました。本屋で落語の本を見ていた父が、かつて営んでいた寿司屋に立川談志が来た事を想い出したと言う話。
やはり変わった人だったとのこと(笑)

これは私も初めて聴いた話でした。かつて寿司屋は北海道の地方都市で割と繁盛していました。

何のツテもない立川談志が来たのなら、やはりそこそこの店だったのだな、当時は共に働いた今は認知症の妻を支え、その時を振り返る高齢の父はどんな気持ちなのかな、などと考えていました。

認知症に関する不幸なニュースが多いなか、例え認知症でも天然ボケでも高齢の両親が仲良く、健在なのは有難い事です。
父の日には好きな帽子でも送ってあげようかな。

写真は今も使っている、母の趣味で窯元から取り寄せた有田焼の醤油皿と(寿司屋の薄い色の醤油が金色の柄をすかして綺麗なんです)
繁盛していた店の前で、知り合いに抱かれている四角い顔の赤子は私です(笑)



雨はとうぶんいらない/やっぱり多様性を愛してる

2015-04-15 02:27:29 | 日々
私の、色んな好きな物事は一貫性がなくて分散してます

そして私の中に二種類の 時に相反する自分が居るのです

友達の友達が仲良くなるのって 素敵だけど
私には時々難しい

例えばAさんとBさんとCさんが居て
私とそれぞれが仲良くても

他のお三方はそれぞれお互いが 気に入らない、
という事がよくある

その事は私が平和主義とか社交的とかいうのではなく
統合的というよりは
分裂してる所があるからではないかと思うのです

などと考えるのは天候不順によって
天候に心身の影響を受けやすい人間の
モノローグなのかも、、、

では、雨の曲をふたつ
お送りしましょう


安藤裕子 / さみしがり屋の言葉達



荒井由美/雨の街を


愛しのチロちゃん

2010-03-09 00:11:10 | 日々
アラーキー氏の著書でしか知りませんでしたが
大好きでした。ひな祭りの日に
陽子さんのもとに旅立ったそうです。

妻なき後のアラーキー支えた愛猫←記事


「やっぱりヤモリはおいしいにゃ~!(バリッバリッ)」という
愛らしい表情が忘れられません



愛しのチロ















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謎の小路、洋菓子、ロシュフォールの恋人たち

2010-03-06 00:20:53 | 日々
会社の帰り、謎の小路を抜けて




坂を下り、やみくもに(いちおう方向を掴みながら)
思いつくままに、歩きました。なるべく、
知らない道を行ったのです、そうすれば、何となく
良い発見があるんじゃないかと
妙な予感を抱きつつ歩いていたら

ほどなくして、心奪われるたたずまいのお店が表れました。
殆ど衝動的に、なのに確信を以て
吸い込まれるようにお店に入りました。

ブルーにも、少しばかり殺風景にも見えるような
古びた店内の天井は高く、なんだかとっても素敵でした、
古き良き時代にタイプスリップしたみたいな懐かしい気分。

包装紙を見て、以前、雑誌のスイーツ特集に出ていた
老舗の洋菓子店でした。大きなショーケースに並んでいる、気取ってないけど、
丁寧に作られた美味しそうで可愛らしいスイーツをみて、
迷わずショートケーキとマドレーヌを購入しました。

(文面もとっても素敵!)

「 近江屋洋菓子店は神田淡路町と本郷3丁目に2店舗ございます。
双子のようにうり二つの店舗ですので、お店の前や店舗のなかに入ってしまうと
自分が神田にいるのか、本郷にいるのかわからなくなりそうです。

 広々として開放的な店内、セルフサービスの気軽さ、独特の穏やかで
上品な落ち着ける雰囲気、リーズナブルな価格、
しつこくもたれることのないベーシックな味わい。これらが神田店・本郷店で
味わえます。ぜひ、神田店・本郷店にお越しいただき、
近江屋洋菓子店の味を堪能してみてください。」



レトロでなんとも可愛らしい包装紙なのですが







この包装紙を見て、
ロシュフォールの恋人たち、と思い出すのは
私だけじゃないと思います(笑)
(埋め込みが無効になっているそうなので、
直接YouTubeで観てください)あ、しかも、双子繋がり!(笑)
(ドヌーヴ姉妹はたしか年子で、双子のような姉妹でした、
哀しいことに、お姉さんのほうは、この撮影の年に事故死したのです)


"The Young Girls of Rochefort" (1967) 1 of 12




ここで流れる6/8拍子の曲は、本当に魅力的です。
作曲は、ミシェルルグランなのですが、
この曲、だいぶ前にコマーシャルで小耳に挟んでいて
忘れられなくて、なのに見つけられずにいた曲でした。

まさか、旧いものだったとは考えもしなかった、
新しくて、お洒落なかんじがしたので。


その曲の出現は、4:45ほどのところで予兆があらわれ
5分くらいのところではっきりしてきて、
5:11秒くらいから劇的に(笑)変化するこのかんじ、、、

曲も動きも、ともに、大好き。

ハリウッド的(ブロードウェイ?)なミュージカルと違う
(All that Jazzとか、This is itとかとは全然違いますね)

妙にユルいダンス(笑)もなかなか良い。
コロコロ変わる(長調から短調へ、、後半で
ぐっと短調になって、最後にまた長調になるの、笑)
喜怒哀楽すら、とっても魅力的です、それはたぶんに
泣いたり笑ったり、というどこか恋愛的で、
無邪気な躁鬱感すら漂っています(笑)

さらに魅力的なのは、ドヌーヴ姉妹の美しさと
衣装もお洒落です。(デザイナーは誰だったのでしょうね?
なんとなく、クレージュとかを思わせます)

楽しい発見のおかげで、会社でいやだと思っていたことは、
他愛ないことに変わりました、スイートな魔法のおかげ♪(笑)






















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BONNE ANNEE!!!2010

2010-01-06 02:05:00 | 日々
皆さま


あけましておめでとうございます(遅ればせながら…)



昨年中は大変お世話になりました。

今年は、皆がそれぞれ、様々の幸福を得られる、、

そんな年になるといいですね

本年も、どうぞよろしくお願いいたします。



さっき、終電ぎりぎりに帰京しました。帰郷先の雪は、
ニュースになるくらいひどかったみたい。



遅延したけれど無事でした。そして、明日から新しい就業先で
初仕事です。年末年始は、いつも二つの現実をいったりきたり。
こうして日々は繋がって行くのでした。笑







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ささやかな都会的悦楽

2009-08-21 00:39:05 | 日々
8月某日のこと。
ひさびさに気に入った物語
もうじき読み終わりそうな時の気分に
同調するかのような、どしゃぶりの朝でした。

1分弱ほど遅刻して会社に到着。
朝ご飯を用意し忘れたので、
最低限のルーティンを1時間ほどこなして社食へ行く。
お盆のせいかエレベーターがすいていた。

朝食セットはスタバのショートドリップの価格で、
パン類が三種類選べるのと好みのドリンクと
ゆでたまご、野菜サラダまでついている。
ジャムやバターやドレッシングは好みで取る。

優雅な湾岸の風景を見ながら、野菜だけテイクアウトして
慌ただしく食べた。(別に悠長に食べてもいいんだけど)
言われのないように感じるほど
ホテルライクな至れり尽くせり(過ぎ)。。。
と思うのは、私がここで働く外部の人間だからなのかも。

お盆休みで3分の1ほどしか所属部署の人たちは
出勤していない。静かだ。15時過ぎには
お中元の残りのゴディバのアイスを薦められて食したり、、

というノリをバブリーで薄気味が悪く感じる。
別に悪くはないけれど高層ビルの
大きな窓から見える人工的な風景同様に、
奇妙なほど現実感がない。

とはいえ、この職場に居着いて半年を超えた。
当初想像していたのと違う、何とな~く
和やかな気分と雰囲気のもと、一日を終える。

思えば、そうなるはずがない、という事がそうなったり、
そうなるだろう、と思っていた事が
そうならなかったりする、ここ数年間だった。

こんな日が来るなんて、、という思いまで
現実感がない(笑)

ほぼ定時に退社。妙に長い1日が終わる。

終業後、用があって東京駅まで向かう。
用が済んで、近所の書店ではなかなか手に入らなかった
文庫本を購入すべく老舗の大手書店へ。

数件巡っても無かったのに、ここでは
ほどなくして見つかった。



予算より価格が低めだったから
もう一冊買いたいなとあちこち見ていたら、
二冊目がすぐに決まった。

内容は1冊目のお気に入りと同じく、
属性も年齢も境遇も異なる男性たちの珍道中的な物語を
手に取って、雄弁かつ明快な語り口調に
あ~これこれ、、と、手に取った。

レジ付近にある、書店の特集的コーナーがあるので
精算前にその背表紙を見る。

復刻版の特集など、物語だけでなく
少し懐かしいかんじでまっとうなイメージの
思想、芸術系の幾つかのタイトルを目にした。

ジャンルを超えたナイスセレクションに思える。
出来たら、手に取りたくなる全ての著書を
購入したいくらい。

2冊目の文庫本を購入して最寄りの
ターミナル駅に向かう。


<甘味>

途中でずっと気になっていて寄らずにいた
出店に立ち寄る。

ここのところ、疲れていたとみえて
洋風のものより何故か和風の甘味が欲しかった。

「たいやきとみたらしだんごを」
「お持ち帰りでよろしいですか?」
「はい」

店員さんが。できたてのたいやきの
サクサク感を失くさないように
紙袋を開けたままにしていたので

そこからできたてのたいやきの
甘く香ばしい香りがして、
脇にある小路を見遣ったところ
席が空いていたので、食べる!

未だ火曜だというのに疲れていたのだろうか?
耳付きのため、魚型というより、
すっかり長方形になっている薄皮のたいやきを頂いた。

最初は、上半身だけと思っていたのに
目の前にある自販機で濃いめのお茶を買ってゴクゴク。
結局スクエアの鯛焼きくんを一匹頂く。

「ああ、極楽じゃないの、、」と心で
何度もつぶやきながら(笑)

由緒ある老舗書店にあった背表紙のタイトルの
あれこをを思い出しながら
江戸で暮らすということの醍醐味は、
こうした他愛のないことなのかも、と考えていました。

蒸し暑いとされていた予報だったけど
未だ台風一過してないような灰色の空のなか
びゅうびゅう吹く風は心地よかった。















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雨に唄えばズザザザザ

2009-06-12 00:05:20 | 日々
今朝、空元気のいい気分で家を出たら
雨で滑って階段からコケたあと、
ズザザザザ、ってお姉座りのままずり落ちました。
(階段が7段ずつなので助かった)

片手に荷物、ゴミ出しのゴミ
もう片手が掴んでいた傘は

マンションの外階段を乗り越えて
ヒラヒラ隣の家の庭へ落ちて行きました。

さして面白くもない冗談のような朝のおかげで
会社を15分遅刻。

思えば今週はヘンなことが幾つかありました。

おとといは、まだ夏でもないのに
あろうことか「5」の音で始まる
この世で最も苦手な黒い虫の
奇妙な歓待に遇いました。

あろうことか、エントランスの階段のど真ん中に
カブトムシかクワガタだったら
どんなに良かっただろうと思うほどデカいやつが
微動だにせずに鎮座していた。

両手に荷物を抱えたまま、
何度か駆け上がろうとトライするも、
足がすくんでそこに向かえない。


うわ~~~。だめだめ。やっぱり無理、
ブツブツ言いながら行ったり来たりしてるのが
よほど挙動不審だったのでしょうか。

「大丈夫ですか?」と背後から女性の声。

振り向くと、麗しくも若い女性。自転車に乗っていて
近所にあるスポーツ施設がえりとみえる。

わたし、藁をもつかむ状態だったので
「すみません、ゴ△△△があそこにいて、、、」

(彼女、自転車を止めてそこに移動)
「あ、、ほんとだ(笑)」

「ごめんなさい。平気な人なんて居ないですよね。
でもだめなんです、怖くて近づけなくて」

(彼女、階段に近づいて)
「あ。今ちょっと動きましたよ」と実況中継。

「どっちに?」
「右に」
「さっきは左に行きかけたのに」

(彼女、階段を上がりながら盾になるように)
「あ、、端に行った。今ならだいじょぶかも」
「ほんと?」
(私、観ないようにして階段を上がって無事入り口のドアへ)

ドキドキしながら慌てて入る前に、ふと階段の下を観ると
まだこちらを見上げてた。見ず知らずの人。

感謝の意を込めて笑顔で会釈をした。

今日、その話をランチの時(何故かタランティーノの
ヴァイオレンスと愛の話で意気投合しながら)

今年になって勤務した会社(仲良くなる人など
皆無だろうと思っていたのに)で
仲良しになったSちゃんにしたらえらく感動してた。
「そんな人が居るの?」「その人親切だね!」って。

私も天使じゃないかと思った。
また会えるといいなぁ。会える気がする。
わからないけど。

今朝コケたせいで仕事の帰り際、
身体のあらぬところが急に痛くなってきて
楽しみにしていた作曲の講義を休んだ。

帰宅して朝落ちていった傘を引き取りに行こうと
隣の玄関先に行ったら、開いたまま落ちたはずの傘が
きちんとたたまれて階段の手すりに掛けられてた。

ありがとうありがとう。

お風呂上がり湿布をする。痛くて冷たい。
入梅の雨の日の現実は
ジーンケリーみたいな気分にはなれないけど
治る事を前提とした少しの痛みは
たまになら悪くないのかな。

I'm Singing in the rain, Gene Kelly














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忌野清志郎とブルース

2009-05-12 23:15:35 | 日々
私は日本人なのでブルースがどういうものだかわからないし
奏でることも出来ない。
作曲理論を習ってるくせに未だちゃんとわかっていない。
でもいつも「ブルース」という言葉にどこかひっかかる。
ブルースのことが気になる。

口ずさみ、奏でればそのときだけブルーを忘れる、
それがブルースという概念なんじゃないか?(逆説的だけど)って
考えることもある。それは音楽のジャンルによってとか、
黒人だから、とかと、区別なく存在するもの。
(「ブルース」という音楽を黒人が作ったのは言うまでもないことですが)

キヨシローはきっと「忌野清志郎」と自ら名乗った時から
ブルースマンだったんだと思う。

ところで、師匠が書く故人への追悼文を割と気にして読んでいる。
意外な人について書いていたり、書いていなかったりされるので。

訃報とほぼリアルタイムでたいてい書かれていて
遅くても当日か翌日には書かれていたのだけど
今回は、そうじゃなかった。

今回の事は、書かないんだな、と。でも、
この空いた日数とともに何かひっかかっていた。
ブルースが関係していたはずから、と。。。
読んで感銘した。こんなに愛のある追悼文を読んだ事はそうない。
(最後のほうに文章を転載させて頂きました)


私のように多感な年齢の頃に聴いたファン、というのは
愛していたミュージシャンの死と同時に、若き日の思い出に
さよならすることも哀しくて、大事にしてた宝物が壊れるみたいに
涙する部分も大きいんだろうけど

菊地さんの文面には純粋に楽曲、音楽表現と
清志郎というミュージシャンへの愛情と悼みが溢れていて
それが私のような旧いファンにも伝染して涙が滝のようにこぼれた。

清志郎に感じていた「ブルース」そのものが
菊地さんにはもっと強烈にダイレクトに、しかも鮮明に伝わっていて
たった一度聴いただけなのに、ずっと記憶に刻まれていたようで
意外だったとともに、やはり先生は、、、!と感銘を受けた。

おそらく私にとってリアルタイムで聴いて
親しみのあったミュージシャンの初めての死だったので
思っていた以上に哀しくて、ここ数日つかず離れず頭にあって
どう向き合っていいのか躊躇していたのだけど
これを読んで安心して(?)故人を追悼出来た気がします。

キヨシローの音楽の素晴らしさを教えてくれて
ライヴを観る為に共にススキノに徹夜して並んだ(笑)
中学時代からの親友にも感謝の意を込めて、
若い頃、一緒にあのライブに行けて良かったって伝えよう。

従姉妹に海へのキャンプに連れて行ってもらった時従姉妹の婚約者が
車の中でかけた「雨上がりの夜空に」を初めて聴いたとき



「なんや、この曲(詩)は!?」と車中が
夏のように爽やかな笑いで満たされたこともあった。
(嘘。車内は微妙な空気になった、笑)

ライヴのとき、まだ大人じゃなかったけど
めいっぱい大人に見えるように化粧をして
ナンパの危険をかわしたり(笑)
白や黒のスーツでキメたヤ○ザの皆さんが
否応なく視界に入ってきたりと
初めての不安と疲労を抱えながら歌舞伎町と
似ていなくもない北の歓楽街で夜を徹した。

ライヴではそんな不安は全て吹き飛んで
別な世界が開けた気がした。
初めてのR&Bのライヴだった。

忌野清志郎さんのご冥福を確信するとともに、
ここにお祈りします。


菊地さんの追悼の本文はこちら→追悼 May-11-2009

<以下、上記サイトより抜粋>



歌舞伎町に戻って信濃屋さんでナッツとドライフルーツを大量に買い込み、歩いて赤札堂に向かい、洗剤をいくつか買って、もうこの季節になると、すっかり売春婦の如き服装になる、一律全員スタイルの良い韓国人女性達の、凄まじい脚線美を見つめながら、つまり、こうして書いてみるとなかなか濃密と言えなくも無い2日間を過ごしながら、アタマの片隅でずっと考えていた事がありました。それは故人との、唯一の思い出です。現在ワタシは、長時間の撮影用にメイクを施しております、クレンジングしないまま、書いて居ます。

 川崎クラブチッタで90年代のいつかに行われた、忌野清志郎が主催の年越しイベント。という情報だけで、検索が上手な方、もしくは記憶力の良い方は「ああ、9×年ね。確かに山下洋輔が出たな」とお解りに成るかもしれません。ワタシは師匠の山下が当時やっていた「デュオ+」という、実質上の「90年代山下トリオ」のレギュラーで、ドラムは堀越彰という男でした。山下はそのそものデビューである60年代から、積極的にフォークやロックのコンサートに出演していたので、そして故人は、日本のフリージャズメンとの交遊が深かったので、山下トリオが故人が主催するパーティーに出る。という事は、ほとんど何の抵抗も無い事に思えました。

 しかしやはり、チッタのフロアを埋め尽くしたロックファン達を前にした、ボトム(ベース)がない、グランドピアノ、サックス、ドラムセットだけの完全アコースティックの演奏は、どれだけ扇動的な演奏を行っても、まったくの無力でした。アウェイというレヴェルではない、あれほどの無力感を感じた演奏は、ワタシの乏しい音楽歴の中でも、あれっきりです。何せ、我々の三人の最大爆音が、前のバンドの、ギターを手にした1~2年程であろう若きロッカーのギターの、軽めのカッティングより遥かに音量が小さいのです。ワタシは「ポップヴォイス」という本の中に出て来る、モンキースのリーダーが、自分たちのライブの前座に、デビューしたての無名バンドである、ジミ・ヘンドリクス&エクスペリエンスを起用した時のエピソードが好きで、今でもたまに読み返すのですが、もうそういう問題でもない。ワタシは極端な状況が当時から大好物でしたので、非常にワクワクして、大熱演しました。

 演奏は30分間でしたが、会場全体がどん引きでシーンとすることも、ヤジが飛ぶ事も、一切ありませんでした。我々の演奏は、やってるかやってないか、演奏なのかサウンドチェックなのか解らないものとして理解され、演奏中は、休憩中と全くおなじざわつきが、同じデシベル値のまままったく止まらず、演奏は空を切ると言うより、一秒ごとに、演奏している我々3人だけの独占物になって行きました。

 最後の曲は、我々のキラーチューンとも言える「おじいさんの古時計」でした。武田和命氏への追悼ナンバーとしてワタシが山下組に持ち込んで以来、山下の愛奏曲になっていました。我々は交感し、焚き付け、挑発し、謳い上げ、それを破壊し、再生し、動かなく成り、死に、蘇り、再び最初から繰り返し、名演と言って吝かでない15分以上の演奏が見事なフィニッシュを飾りました。しかし、フィニッシュと共に聴こえて来たのは、長いイベントの中の、休憩中のノイズでした。ワタシは、もうモダンジャズが、モンクのミステリオーソや、エヴァンスのいくつかのライブ盤の様な、名演に拮抗する会場のイズを記録しえなくなった今、こうした形でしか、あれは反復されないのではないか。あの当時の、ディナー中の白人達の立場に立てるのは、今夜のロックファンの若者達だけなのではないかと一瞬考えかけ、どうにもそれは違うなと思いながら、不思議な充足感の中にいました。山下は、いつもの豪快な苦笑で「まあ、こんなもんだろ。うはははははは」といった感じでした。

 その時です、上手から、故人があの声とあのテンションとあの抑揚で飛び込んできました。マイクを斜め45度に構え、会場に向けて、故人は「いえー!最高に盛りあがったぜっ!!」と絶叫しながらこちらにやってきて、我々全員と固い握手を交わしたのです。故人のシャウトは、緩み切った会場の中を、無理矢理にでも切り裂く様にして、しかし、同時に、限りない柔らかさと優しさに満ちていました。そして、握手の際には、うってかわって、故人と相手にしか聞こえない小さな声で「ありがとう」「ありがとう」と、笑っているのかかしこまっているのか、恥ずかしがっているのかわからない、不思議な情緒と共に、そう伝えて来ました。後にも先にも、ワタシが故人と触れ合ったのはその時だけであり、凄まじく鮮烈で奇妙な印象を残したまま、おそらく一生忘れないだろうと思います。

 ロックンロール(乃至、それを基礎装備したロックンロールスピリット)という物の意味や形が、ほとんど解る様で、やはりとうとう解らないワタシは、巷間言われる様に、故人がロックンローラーであったかどうか、残念ながら解りません。あくまで私個人の判断では。としますが、故人は日本人では珍しい、本物のフォークシンガーであり、ブルースメンだと思います。言葉と声が、異様なほどに突き刺さって来るからです。輪郭線の太い、シンプルで凄まじい言葉と声が、ワンセンテンスごとに、発せられるたびにこちらの胸に突き刺さり、乱反射して、こちらのハートが普通で居られなく成ってしまう。という現象は、ジャズと言わず、ロックと言わず、他のジャンルでは起り得りませんし、また、起るべきでもありません。これは、最も優れたフォークとブルースの力であるとワタシは考えます。
 
 それがいつだったか、どこでだったかは一切憶えていません。余りの事に、忘れ切ってしまったのです。ある日テレビジョンを観ている時に、画面で故人が歌い出しました。ワタシは「お、キヨシローだ。<いけないルージュマジック>歌わねえかな」などと思いながら何気なく番組を見ていました。

 ただしい記憶ではないので、ファンの方々には失礼に当るかもしれませんが、もしよろしかったら、正しい情報は、どうかワタシに教えないで下さい。ワタシは、曲のタイトルも憶えていませんし、メロディの動き方も憶えていません、正しい歌詞も憶えていません。しかし、以下の様な言葉をはっきりと憶えています。シンプルなコード進行に乗って、故人は、一行ずつ絞り出す様に、しかし軽やかに、こう歌い出しました。




 オレがどんなにわるいことをしても
 オレは知ってる
 ベイビー、おまえだけは オレの味方

 オレがどれだけウソばかりついても
 ベイビー、おまえだけは オレを解ってくれる
 オレは知ってる




 ワタシは、自分が、日本の音楽を聴いて、これほど泣くのだと言う事に、当惑する程でした。涙が流れたとか、嗚咽が止まらなかったとか言う問題ではない、ワタシは全身全霊が泣き果てて、泣いて泣いて、この曲が終わる前に、幸福で死んでしまうのではないかと思いました。

 この歌詞を、落ち着いて口にしたり、キーパンチしたりすることが、ワタシは一生出来ないでしょう。今こうして、たった100文字に満たない言葉をキーパンチするだけで、ワタシの目玉はずぶぬれになり、鼻からは滝の様な鼻水が流れています。読み返すと、更に涙があふれて来ます。こんなに人は泣けるのか。と呆れる程です。ワタシは、フォークソングの門外漢として、日本語のフォークソングは、生涯に一曲、フォーククルセイダーズの「あの素晴らしい愛をもういち度」だけあれば、そして、日本語のソウルとブルースは、この1曲があれば事足りると思っています。

 この曲がワタシを永久に泣かせてしまう力は、不謹慎を承知で申し上げるならば、故人の死、そのものよりも遥かに大きい物です。死は、遅かれ早かれ、我々全員にやってきます。故人が故人になったことで、多くの人々が泣きました。わたしはそれにつられて、場合によっては自分も泣いてしまうかも知れない。と思い、2日間もやもやし、当欄を書き始め、故人の死よりも、この曲の歌詞の方が遥かに巨大な力でワタシを泣かせる続ける事を改めて知ったのです。ご冥福をお祈り申し上げるなどといった事ではぜんぜんありません。あれだけ福の多かった方が、冥土で福に恵まれない訳が無い。安心して故人を見送り、そして彼が残した、我々のハートから抜ける事のない永遠の楔を、噛み締めようではありませんか。フォークとブルースの神が我々に授けた辛苦と歓喜を、死ぬまで背負おうではありませんか。オレがどんなに悪いことばかりをしても。オレは知ってる。ベイビー。オマエだけは、オレの味方。











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虹/雨上がりの夜空に

2009-05-09 01:03:45 | 日々
5月8日金曜日


東京湾岸で夕方、こんな虹を観ました。
(写真ではわかりにくいけれど二重の虹でした)
















夜空には、ジンライムのようなお月様














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Cherry petals fell like snowflake

2009-04-12 23:43:20 | 日々
冬眠から醒めました。

春ですね♪

いつもより1週間遅いお花見でした。
もうほとんど葉桜になっていたけれど
サーモンピンクに散った桜と
グリーンのコントラストもなかなか素敵でした。





夕暮れどきの「恋人たちの小径」にて



















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