言葉による音楽的な日々のスケッチ

作曲講座受講日記と、言葉による音楽的日々のスケッチを記録

ずっと続く幸福な未知

2006-05-26 01:52:54 | 映画美学校音楽美学講座:高等科
2006年5月24日 音楽美学講座


失った恋と書いて失恋と読むわけですが
今回の音楽美学講座は何故かそんな気分を味わった、、、

楽曲分析の曲は、前回予告のあったウェザーリポートの
プラザリアル

この曲のコードの構造はモードスケールでも
ダイアトニックスケールでもない。
(と、この時は勝手に解釈していたけれど
後の講義でハイブリッドコードは
モードのうちだと菊地さんが仰ってました、、、とほ)

初めて触れる「ハイブリッドコード」※

<※カウンターバークリーであるLCCメソッドを作った
ベーシストの濱瀬元彦氏による命名。分数コード。
分子が分母の構成音にならない、などの特徴がある>
参考テキストはこちらをどうぞ

菊地さんは、あらかじめ現在の
この講義が行き着く、楽理の最終段階を提示された。

<USTの非機能連結>
(UST=Upper structure triad :上部構造3声和音)
<単一のメロディーを無限にリハーモナイズ>

これにはPOPSの王道である16世紀ヨーロッパに
端を発した機能和声4度の動きを主とする
ケーデンス=「コード進行の原動力」とは無関係な
独自の運動力がある。「モード」よりも抽象的で
コラージュ的なかんじがする。でもモードみたいに
気取ってないし割と愛嬌があるかんじ(笑)

こんなふうな小難しい表題の中身に
少しでも想像がついている、という事は
やはり少しは私もこの世界に足を踏み入れたのだ、
と実感するのだけど本気でやるなら

この道は一生続く未知なので
考えようによっては怖い道のりだけど
考えようによってはとてつもなく幸福な道で
どちらになるのかは自分でしか選べない。

先に、最終場所を提示される、という順序の入れ違え、
というか飛び級というか
そういう考え方、やり方って好きなのだ。

順番が前後する、、、未来に既視感を憶えるような
時間軸、次元、空間のずれ。アンチクロノス的だ。

例えば、中学か高校を卒業したら一旦
社会に出て最低1年間くらい働くシステムとか
世間を見る目が変わって、いいと思うのだけど(笑)

<胸さわぎについて>

ほんとうに美しい曲。この曲をこのタイミングで
菊地さんのチョイスで初めて聴けることを
幸福に思っていた。でも聴きながら
何故か妙な胸騒ぎがしてくる。

これまでに聴いた事のない美しさ。
抽象と情感が混在しているけれど
両者は対立せずに屹立しつつ、調和している。
対位法の音楽のよう。

先日、友人からLeny AndradeのCDを頂いて
POPだけど重く中身の濃いボサノバを聴いていて
その優れたアレンジとPOPさが耳に残っていた。
スキャット好きとしてはたまらないわけだけど

こういう音楽がすごく好きだ、ということを
自覚しているけれど初めて聴いたこの曲には
POPな楽曲を好きなこととは対照的とも言える
まるで違う世界があったのだった。

どうやら私は分散したり迂回した聴き方で
このような音楽に遠巻きに接触していたようだ。

ジャコパストリアスや彼に影響を受けたイケメン
ベーシスト、マーカスミラーがやったカバーや
(「ジュジュ」は数年前やっていたバンドで
演奏したことがあったことを思い出した)
同じようなハードコアジャズ(?)くくりの
パットメセニーなどを聴いていた。
音楽史的なことは全く知識がないのだけれど、、、

彼らの表現の特徴はハードコアな(つまり高度でハードな)
音楽理論を用いつつも、美しくポップな部分があり
人気があって実際に売れている、という
独特なポジションを持っている、とのことだった。

なるほど、そうだったんだ。と納得。
メセニーの音楽性は嫌いじゃなかった。
漠然と感じていた感覚的魅力が理論で裏付けられて納得する。

ジャコパストリアスの音楽は吸引力のような
狂気と理性の両義的なものが炸裂してるような(笑)
強烈なものがあって少し怖かった…
バッハに感じるような音楽性を感じたのを記憶している。

楽曲分析が進む、胸騒ぎの原因が見えて来る。

ここで使われている不思議な調性を感じる
「ハイブリッドコード※」の特徴をメモ


バークリーメソッドでは、この辺りの音楽理論になると
押し黙る場合が多いとのことだった。
・ダイアトニック環境に居ない

・テンションがない(コードは4音のみ)
 居場所(調性)の固定が不可能

・メロディが語って初めて自らが何かを言う人のように(笑)
 無意識的で受動的→下方倍音列で説明が可能な部分あり
(ダイアトニックは上方倍音列)

つまりダイアトニックスケールにおける(POPSで用いられる)
楽曲はコードにメロディーがある程度現れているけれど
ハイブリッド…にはそれがない。
そしてその分メロディの存在が重要になって
その調性は「濃いけれどシンプル」とのこと。
こういった概念に何故か強く惹かれる。

<未知の味のこと>

これまでに無い概念を持ったこの楽曲の構造。
この曲の特徴は(前回も書いたけど)
10回メロディーが繰り返され
一度無調になったりするけれど
再び美しいメロディーのフレーズが出て来たり、と
いうかんじ。これだけ聴いても極めて魅力的で
私には興味深いものだった。

たとえば漠然と、こんな味の御馳走があったらいいなと
想像したとする。でも、それをかつて食べたことはないし
未知の素材の調理法を知らない。火加減はどのくらい、とか
揚げたほうがいいのか焼いたほうがいいのか、
ソースなどの味付けは何が一番合うのかとか、皆目わからない。

他人が作ったそんな料理を頂いたとき、
自分のこれまでのあらゆる五感と記憶を使って
材料と味覚や調理法を回帰させて
未知の素材を想像上で料理をして味見する…
そんなふうに聴いていた。

この音楽の作曲概念は最も音楽家の
「能動的なクリエイティビティが試される」との事で
以前、初等科の時の授業で菊地さんが言っていたみたいに
自宅に帰ったら「パソコンのキーボードじゃなく
ピアノのキーボードを」叩きたくなった(笑)

胸騒ぎがしたのは、このような、
これまで知りたくて知らなかった音楽の概念を知って
耳が傾けば、たった今魅力的に感じていた幾分単純な
いままで好きで聴いていたポップスの聴こえ方が
変わってしまうような予感がしたから。

その事を考えると、とても切なくて
何かとお別れをするようで胸騒ぎがしたのだった。

今回のハイブリッドコードの概念は腑に落ちることが多く
いつものように混沌とした感覚がなくて
とてもわかりやすかった。そのせいなのか
いつになく頭を使っていたようで(笑)
学校の帰り道滅多にしない頭痛が起きて
帰宅してからも頭が割れそうに痛かった。
お風呂に入って幾分静まったけれど、、、

生徒さんと談笑する菊地さんを横目にしながら
(今日の菊地さんは無精ヒゲを蓄えていて
帽子を被っていて<風雨でヅラが飛ぶから?笑>
身体の線が見える素材のカットソーを来ていて
かなり素敵でした)5月にしては冷たすぎる
雨のなか、東京駅に足早に向かいながら
私はPOPな表現に恋をしたのだから
聴こえ方が変わってもきっと
またここに戻ってくるだろうと考えていた。















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太陽を返して@四ッ谷モンマルトル

2006-05-15 02:18:18 | 日々
久々の日々の備忘録@5月13日 土曜日

ピアノ発表会への参加を機に出会い
意気投合した友人と3度目の逢瀬

彼女のリクエストにより
四ッ谷をモンマルトルに見立てて遊ぼうという計画。

あいにくの雨で気温も10度しかなくて冬のような朝だ。
いつも目覚めが良いのになかなか目が開かない。
身体を動かすと怠い。軽く咳が出て悪寒がする…
私は植物の如く太陽が出ていないと体調を崩してしまう。
熱を計ると微熱があった。

爽やかなはずの5月がこんな天候だなんて
今年の雨の神様は意地悪?(笑)

こんな時は家にこもっていると体調だけじゃなく
精神的にも参ってしまうので「一、二の三!」で起きる。
うん、ちゃんと立てる。前回ほどの風邪じゃなさそう、
大丈夫だ。食欲もある!

朝食を食べて少量のお洗濯。外に干せないので
芳香剤を入れて部屋干しにする。
軽く掃除をしてから夕方近くに家を出る。

5月なのに微妙な格好。
春物をバッチリ重ね着してアウターは
冬の暖かい天候のときに着るものを、
首には春用のレースのマフラー。
四ッ谷モンマルトルに向かう、心はパリジェンヌ(笑)
防寒も兼ねて黒い帽子を手に取る

曙橋で待ち合わせて、彼女の母校を訪ねる。
今は亡き長沢セツさんの学校。
私もかつてこの学校で学びたいと思っていた。
訪れたのは初めて。校内に入って学校のひとと雑談する。
不思議な空間の作り。光と影のバランスが独特。
長居したくなるような場所だった。



周囲も坂が多く確かにモンマルトルっぽい(笑)
この四ッ谷三丁目の地下鉄駅は、ぱっと地上に出て
視界が開けるし緑が深くひっそりしているので
いつか何かに出会うような素敵な予感のする駅だったけど
いざ降り立って裏通りに入ると想像以上に落ち着いていて素敵。
一本路地裏に入ると東京とは思えないほどひっそり閑としている。
階段を上ると小さな大仏さま登場


高層ビルと大仏…何とも不思議な光景!







四ッ谷モンマルトルのお店は
いかにもパリのビストロという雰囲気。


一番乗りだった私達。
メニューも多くリーズナブルなので
土曜で寒い雨だというのに店内はあっというまに
予約客で埋まっていった。

風邪のひきがけだし寒かったので
前菜に暖かいたまねぎのスープをオーダー
とろとろに溶けていて甘くおいし~い、暖まる♪
風邪も退散することでしょう!




店に入って、ずっと5時間私達は、話し続けていた。
不思議だ。何でこんなに話が途切れないんだろう。
こんなノリは10代の頃、しかも中学生以来だ(笑)
何で、こんなに大人なのにこんなにも
私達は無邪気になっているの?

たしかにこの意気投合ぶりは尋常じゃない。
子供のノリだ。赤毛のアンが『腹心の友』ダイアナに
出会ったときのことのよう(笑)
大人になったからといって
諦めなくていいこともあるのね、、、

初めて会った気がしなかったのは
彼女の笑顔が長崎にお嫁に行ってしまった
大好きだった従姉妹によく似ていたからだと気がつく。

長崎に住む彼女の夫となるひとに
「(従姉妹を連れて行く)Kさんなんて嫌い!」と(笑)
悪態をついたり「どうして大好きな悦ちゃんを
連れて行くの?悦ちゃんを連れていかないで」と
泣きながらお願いしたわたしに従姉妹は
ロドリーゴのアルハンブラの思い出(禁じられた遊び)の
木彫りのオルゴールをくれた。

私はそれを聴きながら遠いところに居る
従姉妹を思っていつも泣いていたことを思い出した、
初めて短調が好きなことを認識した
4歳の頃の切ない思い出(笑)

あたま大きい・・・


かくしてその従姉妹によく似た友人に出会ったわけだから
無常なはずの日々も面白いものですねっ

<メインディッシュ登場>
鴨のコンフィと鯛のオリーブソース


いつも大抵のフランス料理とワインが
トゥーマッチな関係になってしまう残念なほどに
純和風な胃を持っている私だけど
(食前酒のシャンパンを頂くと特に)
今日は体調の悪い中、二人でワインのボトルを空けて
料理を全て頂いても問題なかった。

彼女が再び菊地さんの話をした。
英語でしゃべらナイトに出ていたとき
どんな言葉に彼女が感応したか、、、それは

I don't care about English
(彼女の記憶によると)

日本語で言うと「英語は気にしなくても、いいじゃん」(笑)
みたいな内容だった。私の解釈では
「別にそんなに改まらなくても
外国語なんてフンイキで通じるものさ!」
みたいな、めちゃくちゃ解釈だけど(笑)


菊地さんがそう言っていたことが
彼女にはとても興味深く印象深かったようだ。
ちょっと、そんなことが想像がつく。

じつは私は英語で…は見逃していた。
だから彼女の話を聴いてしか想像が出来ないのだけど
異邦人を自覚する(笑)二人のフレンチギャルの観想は
「菊地さんは強すぎるくらい愛情が強い人」
ということで一致したのだった(笑)

ふと映画「マグノリア」の印象的な台詞を思い出した。
「愛があっても、そのはけ口がないんだ」
確かにこりゃ愛がないよりも辛いな、と思っていた。

「いつでも愛は過剰か不足かである」と言った人は
誰だっただろう。

そして過剰なことと不足なことは
違うようでいて、似ている。

何でも過剰なことは何らかの不足を生む、
もしくは不足から過剰は生まれるようにも思えるのだ、、、


子供のように盛り上がった私たちは
駅に向かう途中で冗談で「ラーメン食べてく?」と
言ったら本当に入ってしまった(笑)

北海道生まれの私は東京で未だ理想的な塩ラーメンを
食べたことがないので、塩ラーメンをオーダー。
素晴らしく美味。とはいえ実際フランス料理をデザートまで
頂いた胃には、かなり過剰だった(苦笑)



こうして今宵
理想的な塩ラーメンにまで出会ってしまった(笑)

曙橋駅で別れた。
真向かいのホームから彼女が手を振っていた、
伊豆の踊り子みたい(笑)

携帯で電話をしていた。
ご主人に「カエルコール」をしていたのだろう。




もうじきカエルの季節だ。

太陽こそ出なかったけど
太陽みたいなひとと一緒で
素晴らしく心が晴れた、土曜の夜の記憶














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メロディーの向かうところ

2006-05-12 01:38:33 | 映画美学校音楽美学講座:高等科
2006年5月10日 水曜日 音楽美学講座

ここのところ梅雨みたいな天気が続いてる。
とても、太陽と乾いた空気が恋しい。

今朝、自転車のサドルにペタペタと
ベージュ色の小さいあしあとが付いていた。

腰掛けると、ほんのり寂しげな猫の匂い。
猫になって駅まで自転車を漕いでる気になった。
猫バスならぬ猫チャリ、、
すみかのない猫が前のかごに
小さく丸めてあるタオルにくるまって
ひっそり夜を過ごした移り香かもしれない。

北に住む妹から桜が満開という便りをもらう。
ここのところの雨のせいで五月晴れという言葉が
東京から消えてしまいそうな今日、梅雨のない
北海道の乾燥して透き通った空気を思い出した。

さて。連休を挟んで3週間ぶりの講義

お題は「メロディー」

前回に引き続き、楽曲分析の題材は
スティーヴィーワンダーの
「Knocks me on my feet」

これもバカラックの「雨にぬれても」に続き
多数決によって僅差で勝ち取った(笑)楽曲。

学校に行くと菊地さんが
前の仕事の関係で30分程遅れるとの情報が入る。
菊地さんが来るまでジャン・ソオル・パルトルが
登場する物語を読んで暫し待つ。

菊地さんグリーンのジャージを来て登場。少し痩せられた?
全体的な輪郭がシャープになっていて何だか素敵。

スティーヴィーを聴きながら
メロディーについてバークリーメソッドを踏まえつつ
楽理の一般論で説明されていく。

<メロディー>はそれに付随するコードに牽引される
というのが一般的な理論だ。

しかし、今回はカウンターバークリーである
LCC(リディアンクロマチックコンセプト)の理論を用いて
説明がなされた。アンチバークリーメソッド。
無知な私にも、とても興味深く新鮮な内容だった。

菊地さんは100%採用し難いとしながらも
その「なるほど感」について共感出来るような説明がなされた。

LCCの考え方はメロディーを
ヴァーチカル→垂直=VTG
ホリゾンタル→水平=HTGと定義する。

垂直をメロディーに付随しているコードと捉え
それとは別に水平の捉え方では
「メロディには(音楽を推進する上で)メロディ固有の力がある」と定義している、とのことだった。
寝不足でうとうとしかけた私のアンテナが
にょきにょきと伸びる。私も先のピアノレッスン日記で
和声の水平性と垂直性について書いていた事と比較しつつ。

この定義を踏まえてスティービーの素敵にポップな曲の
メロディーをフラグメントに分けて
どこに「グッときたか」を
菊地さんに訊かれて生徒達が挙手する、、、
これ、楽しい!菊池さんに精神分析を受けている気分(笑)

菊地さんも生徒それぞれの嗜好がよくわかるらしく
ある程度、統一性があって傾向化されていて面白い、とのこと。

こうしてメロディーを区切って細分化して
自分の嗜好性を強化して再認識するのは作曲には
重要だ、と仰った。
ただ、本格的に追求していくと、残念ながら
その曲の魅力が薄れていくのも事実だ、と。

何とも切ない話。魅力的で知りたかったその曲を
深く知れば知るほど輝いていた魅力が薄れて行くなんて。
ただ、そのことは蓋然的だった音楽の存在が
必然に変化して行くことに近い。その時点で
音楽は一時凌ぎのものではなくなる。

輝いていたメロディーも理論分析を極めれば
記号化されてしまう。確かにそのことは、
現時点でも多少感じ始めてきている。

でも、不思議なことに、従来あったような
多幸感に溢れた音楽の輝きが薄れていく分
自分の中で響く音楽が少しずつ色づいてくるような
感覚が時々おこる。

たぶん、もう自分が趣味的な
オーディエンスではなくなったのだと
変化を喜んでも良いと思う。きっとこの現象は
音楽の喜びが消えることではなくて
より音楽に近づいたことのようにも思えるから。
そして新しい音楽との出会いの喜びは今後も無限に続く。

同じ音楽を聴いていても…
例えば同じ風景を誰かと一緒に見ていても
感じる事や目線の動き、捉え方などが違うことと同じく

きっと誰もが同じ様にはその音楽を聴いていないだろうと
漠然と考えていたのだけど、今回の講義で
メロディーをフラグメントに分けて
生徒たち各々の嗜好性の差異を感じる事によって
その考えは濃くなった。

自分が思いのほかメロディーに対して
好きと感じるところと、そうでないところが
明確だということを知る。

自分ではあたりまえのことも一般的には
そうでもないことはあって、そのことは
こうして第三者に言われないとなかなか気がつかない。
特に感覚的なことは、、、

何度か日記に書いているテーマ
「音楽の物語性」でも触れているように
(今回のスティーヴィーの曲みたいに)
2回同じフレーズをリフレインする場面でも
2回目は1回目とは同じに聴こえない場合がある。

1度目は「良い」と思わなくても
前後関係のイメージを持って聴くと
2度目は違って聴こえてきて「良い」と思う場合も当然ある。

そういうプレゼンテーションが好きなのだと思う。
2度目に同じフレーズが鳴っていても
1度目とは違うニュアンスで聴こえるような音楽を。


<モードチェンジ>について。

初等科で詳しく触れられなかった
マイナー(ダイアトニック)上のモード
つまりマイナーコードに立ち上るモードの特性について
触れつつ、興味深かったのは、いわゆる
「ドレミファソラシド」の中のファには
実は2つの異なるファがあって
もう片方は#ファ、ということだった。
(これは増4度で最も不協和な音)

このことには作曲の過程で経験的に心当たりがあった。
確信がないのでここには詳しく書かないけれど
この事もとても興味深い内容だったので記しておく。

菊地さんは次回の楽曲分析の予告をされた。
これは何と私が先日の日記で触れた
ある音楽家の曲だった!
何て素敵なシンクロニシティ(笑)

何故か菊地さんが訪れたCDショップに
ことごとくWetherReportのものがなかったという事で
ラッキーなことに!発売前の菊地さんのソロに入っている
「プラザリアル」を聴いた。

聴いて30秒ほどして、或る心的、身体的症状が
久々に起きる。

以前日記に書いたことがあるけれど初めて聴いた音楽に
「音楽そのものが持つ純粋な運動」としかいえないような
音楽的美を感じた時に感情と関係なく
勝手に涙腺が緩む癖が私にはあって、
それが久々に起こった。

目の前の菊地さんが吹いているサックスで
曲の主題が始まったせいもあるのかもしれない…

「その音楽には霊気のような何かが、説明しがたい何かが、
完全に官能的な何かがあった。
肉体から離脱した純粋な状態での官能があった」※
(※ジャン・ソール・パルトルが登場する物語より引用)

内心「なんてなんて美しい音楽…」と
目の前の菊地さんに言いたい気持ちになったけれど
皆がとてもクールな面持ちだったので
大人の振る舞いとして興奮的表現を差し控えた(笑)

でも、これがライブだったらダンスしたかった。
菊池さんの発売前のソロ作品を皆で聴いてるという
とても豪華な生徒の特典なのに
どうして皆こんなにクールでいられるの!?

いや、たしかに全員が感激を表現するのも
どうかと思うけど(笑)学習の場だし…
ただ、こんな時はよくラテン人だったらいいのに、と思う。
そうしたら、こんな素敵な音楽を聴かせてくれて
ほんとにありがとう!とハグを思う存分することでしょう(笑)

いつか、ブラジル辺りで周りが全部ブラジル人の中
屋外でサンバやボサノバを聴いてみたいと夢想する。
夜通し踊ってしまいそう…

目から勝手に溢れる塩分を含んだ水分を出さないべく
感情の形を変えていたら自分の姿かたちや
教室の色や形までも変わったような気がしてきた。

先述の物語の言葉を借りるなら
『音楽の効果で部屋の隅々が姿を変えてきて
まるみをおびてくるのだった』※
そして「どんなふうにこの部屋へはいってこれるかしら、
こんな形をしているお部屋のなかに」※



菊地さんの説明によると
○○氏の曲は、やはり
バークリーメソッドの楽曲分析で多用されるそうだ。

興味深く印象的だったのは、彼の音楽は特別で
同じメロディーでコードが変わったり
抽象的で複雑な展開に聴こえながら
突如として美しいメロディーが現れて
中盤以降はそのメロディーが強調されるも、
そこに付随するコードの全ては
それまでのものとは違う…といったような内容だった。

ときどき、夢の中とか聴覚的なイメージの中で
短く強く聴こえる、とてつもなく美しい音楽があって
(一度も音楽に表せた試しがない…)

今日聴いた菊地さんのソロアルバムのこの曲に
その感覚に近い質感を感じた。
これはきっと私が知りたくて知らなかった音楽だ。


以前書いた日記
<メロディーの因果律>を再び引用

「理由があってそうなっていること、というのは音楽にもある」
と以前の特別講義で外山明氏が言っていた。

また、音楽の機能として曲の終わり以降に起きる
「未来」のことはある程度予測可能だけど
演奏以前に起きたであろう「過去」を想像するのは
困難だと講義で菊地さんが触れたこともある。

そんなふうに音楽を逆行的に想像出来る人は
ある意味天才的だということだった。
何だかファンタジックな話だなと印象に残っていた。

たしかに何度も聴きたくなる曲には
何故そうなったんだろうと考えさせる魅力的なフレーズがある。

高い所から美しい風景を見渡したくなるように
全曲を通してそれを俯瞰するみたいに
何度も最初に立ち戻って聴き始めたくなる。
そして、またその部分に至るまでの様子を確かめる。
これはたとえば画家が絵から離れたり近づいたりして
また描いていく、という作業に似ていると思う。

心が動くフレーズは、感情を操作する
音の修辞的技術から生むことは可能だけど
聴き手はテクニックに感動してるわけじゃない。

目の前で響く音のアンサンブルが
技術や作り手の作為から完全に独立していて
その時「音楽」自らが自由な運動をしている。

で、初めて聴いた曲がそんなだった場合
感情と関係なく涙腺が緩むことがあるのは
「音楽そのもの」というような存在が
別の次元から立ちのぼってくるのを感じるからだ。

音楽はこうして、ほんの数秒間の短い出来事なのに
言葉で表現不可能な忘れられない何かを残して
駆け抜けて行く。今はまだその残った何かの痕跡を
音で辿ることしか出来ないんだけど、
そんな表象的なことを表現するのに楽理は雄弁なのだった。


※部分はボリスヴィアン『日々の泡』より引用











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キーワードはルックオブラブ:波瀾万丈な発表会の記憶

2006-05-03 14:18:55 | ピアノレッスン
発表会の1日は予想に反して
吉凶入り乱れ(笑)稀有な1日となった。

稀有なこと1つめ

発表会の3日前に酷い風邪に見舞われ
発熱と共に重苦しい咳が出て
全身が倦怠感に包まれる。

この、たちの悪い風邪は
発表会当日にピークを迎えた。

稀有なこと2つめ

あり得ないことに、発表会の日付を間違えて認識していた、、、

30日の日曜だと思っていた発表会は
29日の土曜だったということを体調不良を伝えるべく
ピアノ教師にメール連絡して知る驚愕の事実、、、!
知ったのは前日の金曜日、、、とほほほほほ~~~(苦笑)

稀有なこと3つめ

1週間前のリハーサルで近年稀に見る程(笑)
意気投合した素敵な女子と再会を果たす。

というわけで素敵な彼女のリハーサル風景をパチリ



リハーサル終了後、東急のドゥマゴでランチをする。
シャンパンで乾杯する(風邪薬と熱のせいで通常の3倍くらい効く…)

話す殆どのキーワードが私達の会話を結びつけるのが
心地よかった。前回初めて会った時に続き、話が止まらない(笑)
こんな事ってあるんだな~と不思議な気持ちに互いになる、
「10代の頃みたい」って。

私が告げる色々なキーワードに彼女が好反応する(笑)
私の場合、バッハ発(笑)ルグランやバカラック、フランシスレイ、
マンシーニなどの映画音楽やジョビンやジルベルト(二人とも)などの
POPS、YMO坂本龍一テクノ経由で
間にPOPだったりムーディーだったりする
昭和歌謡などを経由して至ったピアノレッスンだけど(笑)
彼女はジャズ発、映画音楽経由、ドビュッシー着だったようだ。
モードスケール好みの人なのかもしれない。

マイルスデイビスの名前が登場し、そのあとに
ウェインショーターの名前も出たので
このキーワードにどう反応するだろうかと
菊地成孔」って知ってる?と訊いてみた。

彼女の表情がぱっと変わった。
「そのひと知ってる。といってもつい最近。
実は英語でしゃべらナイトで観た時に
話の内容が強く印象に残って
この人はただものじゃないと興味を抱いたから
彼の名前をメモしていたの」と吃驚な答え。
こんなことって一体どれくらいの確率で起きるのだろう。
神様教えてください(笑)

私は現在映画美学校で彼に商業音楽理論を教わっている事を告げ
今度必ずライブに一緒に行こうと約束する。

前回バカラックの話で盛り上がり
菊地さん繋がりもあってルックオブラブの話になる。

CASINO ROYALの話になり
出番まで一度家に帰った彼女は
DVDを持って来てくれたのだった。





とにかく大きなミスもなく無事終わる。


ピアノは、タッチ、鍵盤の感触、音の響きともに
ほぼ完璧に理想的で素晴らしいものだった。