2月9日
今日は巻上公一氏による
「ジョンゾーン考案によるCOBRA」即興演奏の
ワークショップ第2回目だった。
とても難しくて覚えるのは簡単ではないルールだけど
理解すればするほど、面白さが増してゆく。
(口外無用なのでルールは書きませんが)
ドキドキして少し不安で緊張しながらも
毎回発見が多く、初めはただの音のぶつかり合いにしか
聴こえなかったものも、音楽的な文脈を知ると
全く別の聴こえ方になってくる。
昨日までは知らなかった言葉を覚えたようなかんじなのだ。
もっと言うと、別な世界が開けてくる。
そんなこともあって、つい参加せずにはいられない
講義なのであった、即興演奏するのは苦手だけど、、、(苦笑)
演奏前の参考音源として視聴した、
菊地さんが指揮をされた弦楽器だけのCOBRAは圧巻だった。
演奏技術の高い人々がやると、この音楽の即興ゲームは
無限の音楽的高まりを聴かせてくれるようだ。
楽器が弾けない人でも参加する事が可能な素敵なゲーム。
どちらかというと私の奏法はクラシック寄りになるのだけど
そんなジャンル分けを抜きにしてこのワークショップは
自分で演奏することによってそして人の演奏を聴くことによって
演奏技術とセンスを磨くのに、とても有効だということを実感する。
じつは私のクラシックのピアノ教師(作曲家)も
自身の著書で即興演奏について触れている。引用してみたい。
(少し長いです)
<ピアノの知識と演奏―音楽的な表現のために>
「音楽的能力とは何か」
即興演奏の能力
音楽というものの最も直接的な形態は「即興演奏」であると
言えるでしょう。即興演奏の場合は楽譜が介在せず、
ひとりの人間が頭の中で想起した音楽的イメージが
即時的に現実の音になるわけです。
この即興演奏という行為を分析してみると、二つの重要な
音楽的能力が要求されることが分かります。その一つは
「頭の中で音楽を想起する能力」であり、もう一つは
「想起した音を直ちに楽器で実現する能力」です。
ー中略ー
簡単な旋律を想起するだけならば容易ですが、そのメロディーの
背景にあるハーモニーを想起するのは少し高度な能力になります。
より複雑な音楽を想起できる能力まで、無限の段階があるでしょう。
さらに込み入ったポリフォニーや様々な楽器の音色まで
イメージできれば、交響曲なども頭の中で響かせることが
可能になるわけです。
ー中略ー
即興演奏は弾くたびに曲想だけではなく音の並び方も
異なるわけですから、反復練習によって習得された
画一的な運動能力が役に立ちません。即興演奏のつもりが
手癖でいつも似たようなパターンに陥るというのは、
しばしば見られることなのです。
音楽的で即興的な演奏を行うためには、このような
習慣的な運動に依存することなく、思った瞬間に思った音を
出せるような臨機応変なテクニックが必要です。
「即興演奏が出来るようなテクニック」が、真の
音楽的テクニックであると言えるのです。
音楽の演奏においても、あらかじめ練習したとおりに
弾けば良いというわけにはいきません。
ピアノの具合や会場の音響条件に影響されるだけではなく、
演奏者の音楽的イメージそのものも流動的です、
むしろ実際の響きをフィードバックしながら、刻一刻、
音を決めてゆくところに音楽の「即興性」が生まれるのです。
■
でも、とても難しい、即興。そして巻上先生、優しく厳しい先生!
ミュージシャンというより、、、学者のような人だ。
風格のある猫のような、見透かされてしまいそうな風貌。
10代のころ、ヒカシューの「パイク」という曲が
少し怖くて強烈で記憶に残り好きだった、
(よくキーボードで弾いてた…笑)
あの印象のままのお方がいま、目の前に
(しかもあんまり変わらず)座っていらっしゃる。
彼の指揮でキーボード片手に演奏しているなんて
あの頃の私は想像だにしてなかったな、、、
このワークショップ、全員演奏することになるので
かなり勇気が要る。巻上さんが仰った
「真剣にエネルギーを注いで演奏する」という事も、
とてもよくわかる、それはピアノ教師が言う事と
全く同じことなのだ。
そして、思いのほか、それは難しい。たぶん
難しいと思っているうちは難しいのだと思う。
難しくないと思う事が出来れば、身体の方が
ついていくのだろう、そんな気がする。
普段は一緒に演奏したことのない数名の他者と
即興演奏をする、これは言葉のコミュニケーション同様に
ディスコミュニケーションになる可能性が多分にある。
そして優れた演奏とそうでない場合の差異が、怖い位あからさまに。
でもそこには自分一人で探すのには限界がある発見も
多く秘めているように思う。
そして、昨日はレギュラーである菊地さんの講義
2月8日 第9回目 映画美学校 音楽美学講座
<楽曲分析>
今日の音源は何だろう、と楽しみにしていた。
菊地さんご自身の持ち物であるプレイヤーから
ディスコっぽい曲が鳴っていた。
もしかして?と思ったら、Oh!そう来たか、カイリーミノーグ!(笑)
確かに良く出来た曲。
でも最も理論に遠いようなイメージを持っていた。
そして、そんな曲を楽理的に分析するのは新鮮。
殊に、菊地さんの楽理的解釈と注釈が加わると
曲の印象が鮮烈になるのは何故だろうと考えていた。
少ないコードでいかに曲を展開していくか、というのが
いわゆるポップスのダンスチューン。
単純で軽く捉えがちな曲に隠された
楽理を踏まえた緻密なテクニックに、目から鱗。
コードがあまり変わらずメロディーが変化する、
という特徴にも心が惹かれる。
で、カイリーミノーグの曲、
聴き方がすっかり変わりました(笑)凄い。
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今日は巻上公一氏による
「ジョンゾーン考案によるCOBRA」即興演奏の
ワークショップ第2回目だった。
とても難しくて覚えるのは簡単ではないルールだけど
理解すればするほど、面白さが増してゆく。
(口外無用なのでルールは書きませんが)
ドキドキして少し不安で緊張しながらも
毎回発見が多く、初めはただの音のぶつかり合いにしか
聴こえなかったものも、音楽的な文脈を知ると
全く別の聴こえ方になってくる。
昨日までは知らなかった言葉を覚えたようなかんじなのだ。
もっと言うと、別な世界が開けてくる。
そんなこともあって、つい参加せずにはいられない
講義なのであった、即興演奏するのは苦手だけど、、、(苦笑)
演奏前の参考音源として視聴した、
菊地さんが指揮をされた弦楽器だけのCOBRAは圧巻だった。
演奏技術の高い人々がやると、この音楽の即興ゲームは
無限の音楽的高まりを聴かせてくれるようだ。
楽器が弾けない人でも参加する事が可能な素敵なゲーム。
どちらかというと私の奏法はクラシック寄りになるのだけど
そんなジャンル分けを抜きにしてこのワークショップは
自分で演奏することによってそして人の演奏を聴くことによって
演奏技術とセンスを磨くのに、とても有効だということを実感する。
じつは私のクラシックのピアノ教師(作曲家)も
自身の著書で即興演奏について触れている。引用してみたい。
(少し長いです)
<ピアノの知識と演奏―音楽的な表現のために>
「音楽的能力とは何か」
即興演奏の能力
音楽というものの最も直接的な形態は「即興演奏」であると
言えるでしょう。即興演奏の場合は楽譜が介在せず、
ひとりの人間が頭の中で想起した音楽的イメージが
即時的に現実の音になるわけです。
この即興演奏という行為を分析してみると、二つの重要な
音楽的能力が要求されることが分かります。その一つは
「頭の中で音楽を想起する能力」であり、もう一つは
「想起した音を直ちに楽器で実現する能力」です。
ー中略ー
簡単な旋律を想起するだけならば容易ですが、そのメロディーの
背景にあるハーモニーを想起するのは少し高度な能力になります。
より複雑な音楽を想起できる能力まで、無限の段階があるでしょう。
さらに込み入ったポリフォニーや様々な楽器の音色まで
イメージできれば、交響曲なども頭の中で響かせることが
可能になるわけです。
ー中略ー
即興演奏は弾くたびに曲想だけではなく音の並び方も
異なるわけですから、反復練習によって習得された
画一的な運動能力が役に立ちません。即興演奏のつもりが
手癖でいつも似たようなパターンに陥るというのは、
しばしば見られることなのです。
音楽的で即興的な演奏を行うためには、このような
習慣的な運動に依存することなく、思った瞬間に思った音を
出せるような臨機応変なテクニックが必要です。
「即興演奏が出来るようなテクニック」が、真の
音楽的テクニックであると言えるのです。
音楽の演奏においても、あらかじめ練習したとおりに
弾けば良いというわけにはいきません。
ピアノの具合や会場の音響条件に影響されるだけではなく、
演奏者の音楽的イメージそのものも流動的です、
むしろ実際の響きをフィードバックしながら、刻一刻、
音を決めてゆくところに音楽の「即興性」が生まれるのです。
■
でも、とても難しい、即興。そして巻上先生、優しく厳しい先生!
ミュージシャンというより、、、学者のような人だ。
風格のある猫のような、見透かされてしまいそうな風貌。
10代のころ、ヒカシューの「パイク」という曲が
少し怖くて強烈で記憶に残り好きだった、
(よくキーボードで弾いてた…笑)
あの印象のままのお方がいま、目の前に
(しかもあんまり変わらず)座っていらっしゃる。
彼の指揮でキーボード片手に演奏しているなんて
あの頃の私は想像だにしてなかったな、、、
このワークショップ、全員演奏することになるので
かなり勇気が要る。巻上さんが仰った
「真剣にエネルギーを注いで演奏する」という事も、
とてもよくわかる、それはピアノ教師が言う事と
全く同じことなのだ。
そして、思いのほか、それは難しい。たぶん
難しいと思っているうちは難しいのだと思う。
難しくないと思う事が出来れば、身体の方が
ついていくのだろう、そんな気がする。
普段は一緒に演奏したことのない数名の他者と
即興演奏をする、これは言葉のコミュニケーション同様に
ディスコミュニケーションになる可能性が多分にある。
そして優れた演奏とそうでない場合の差異が、怖い位あからさまに。
でもそこには自分一人で探すのには限界がある発見も
多く秘めているように思う。
そして、昨日はレギュラーである菊地さんの講義
2月8日 第9回目 映画美学校 音楽美学講座
<楽曲分析>
今日の音源は何だろう、と楽しみにしていた。
菊地さんご自身の持ち物であるプレイヤーから
ディスコっぽい曲が鳴っていた。
もしかして?と思ったら、Oh!そう来たか、カイリーミノーグ!(笑)
確かに良く出来た曲。
でも最も理論に遠いようなイメージを持っていた。
そして、そんな曲を楽理的に分析するのは新鮮。
殊に、菊地さんの楽理的解釈と注釈が加わると
曲の印象が鮮烈になるのは何故だろうと考えていた。
少ないコードでいかに曲を展開していくか、というのが
いわゆるポップスのダンスチューン。
単純で軽く捉えがちな曲に隠された
楽理を踏まえた緻密なテクニックに、目から鱗。
コードがあまり変わらずメロディーが変化する、
という特徴にも心が惹かれる。
で、カイリーミノーグの曲、
聴き方がすっかり変わりました(笑)凄い。
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