言葉による音楽的な日々のスケッチ

作曲講座受講日記と、言葉による音楽的日々のスケッチを記録

Magical Maestro

2006-01-19 23:31:26 | 映画
講師は以前(去年の4月ごろ)友人から
「興味がある話題なんじゃない?」とメールを頂き
バークリーメソッドを逆にたどる』というタイトルの
日記を読んで興味を持っていた細馬宏通
滋賀県立大学人間文化学部人間関係専攻講師である。
メールを送ってくれたことに感謝する。講師に関して
事前に何らかの印象があるのと無いのとでは大違いだから。


2005年1月12日 映画美学校 音楽美学講座
第4回 特別講義

テーマは
「音/音楽によるコミュニケーションの可能性」

と何だか難そうなタイトルだけど
実はカートゥーンを題材にした
「映像と音楽の同期」という事で
久々に大好きなカートゥーンをスクリーンで観られて
大変楽しく有意義な講義だった。

カートゥーンの動きと音楽の緻密な連関性を知った事や
何故自分の感覚や嗜好がディズニーよりも
MGMやワーナーのカートゥーンを好んでいたのかここへ来て
思想など(笑)理屈として良くわかったのは大きな発見だった。
特にトムとジェリーは父親が好きだった事もあって
子供の頃から本当に大好きでよく観ていた。
ユーモラスで過激、そして毒があって
グルーヴとビートがあるのが好きだ。

トムとジェリーについて
細馬さんの定義が興味深かった。

「トムとジェリーが秀でているのは、
単にネズミがネコに勝つからではない。
二匹の動物の運動が重力から逃れ囚われ、
役割を交代させていく、そのスピードに
注目する必要がある」

トムジェリを子供の頃観ていて
(北海道と確か九州地方はラッキーな事に
平日の夕方学校から帰ると毎日放映されていたそうで)
魅力を感じたのは、奇想天外さはもちろん
スピード感や、あり得ない程の
(数秒でアメリカを何週もするような)逃げ方や追い方など
馬鹿馬鹿しくも楽しくなる非現実的な自由さだ。
確かに重力から逃れている、そして時間からも、SFチックなほど(笑)

フライシャー兄弟という名前は初めて知ったのだけど
(ポパイやベティ・ブープを作った人)
ベティが最初は人間と犬のハーフのような
かなりエキセントリックなキャラだった事や
(ベティの犬時代)ユダヤ系女優として
地位を確立していた事や、デビュ-当初は
可愛いというより「アタシ何でもやります」的な
女優だった(笑)という事やら
昔のフィルムを観ながらだったのだけど
大変に動きがキュートだった。
筒井康隆のベティブープに関する著書も興味深い。

どうやら、このフライシャー兄弟というのは
キャブ・キャロウェイ(ブルースブラザーズの冒頭部に
出て来るおじいさん)というミュージシャンの
不思議なダンス的動きからヒントを得て
アニメーションを作ったらしい。
(歌いながら踊る時の動きで、まるで元祖ムーンウォーク)

ベティーブープの動きを始め
(彼女も最初は犬人間だった・笑)
ネコやらイヌやら動物の動きの何とチャーミングな事!

改めて映画のスクリーンでカートゥーンを観てトムとジェリー

そして元祖アンニュイキャラのドルーピー(お久しぶり)

なども含め、その魅力的な動きは、
動物キャラクター独特の柔らかく可愛らしい動きだった。
(キャラは小憎らしいんだけど)

そして、子供心にもハッキリ憶えているのは
あの、豊かなオーケストラによる音楽。

講義でも当然それに触れられて
今でも記憶の中で聴く事が出来る
スコット・ブラッドレーによる
超贅沢な効果音的な音楽や(役割音楽と言うそう)

何故カートゥーンのキャラクターが
人間でなく動物なのか、という問いも興味深い。

その背景には移民問題も絡んでいるという事や
動物が人間のフリをしているのは
人以外のものが人を演じるところの何か、とか

黒人が白人を演じるとか
そういうところに表出するリアルさのようなものを
狙っているのではないか、という見方。

それを聞いていて
例えば男性が女性を演じる女形に表れる
実際の女性以上に如実な女性性など

それは「そうでない」という状態でいて初めて
表現される何かに似ているように思った。
それは「欠如」した何かを第三者の存在によって置き換え
埋めるような幾分倒錯的ともいえる表現。

いずれにせよ、何か間に異質なものを媒介すれば
その表現は成功する、という事なんだろうか、、
香しい香りを引き立てるために
一滴だけ混ぜられた獣香のように、、、

などと、とめどない事を考えているうちに
大いに学び過去の記憶を動員したりして講義は終了した。

最後に岸野先生の「もう1本見ましょうか」という一言で
私を含め生徒一同拍手喝采。
1本細馬先生がセレクトしてカートゥーンを観る事に、
そして岸野先生のこの一言に大感謝することとなる。

細馬さん「1本を選ぶのは案外難しいですね。
勉強になるものか、エンターテイメントものにするか…
ここは音楽関係の講義ということで…
これでいきましょう」と説明されたストーリーに

まさか、、、あれ?

もしかして、、、

ああ、やっぱりそうだった。

トムとジェリーの再放送で主役のトムとジェリーより
妙に印象に残っていた或るストーリー。
もうずっと何だったのか探していて
観たいと思っていたものは『magical maestro』というタイトルだった。


Magical Maestro



日本語では「へんてこなオペラ」だそう。

トムとジェリー 真ん中作品 「へんてこなオペラ」


但しトムとジェリー以外のキャラクターが演じるものなので
日本語版のものは未だ媒体化されていない。


3本立ての真ん中にやっていたもので
(真ん中はいつもトムジェリ以外のキャラクターの物語だった)
タイトルは憶えていなかったんだけど
ブルおじさんがフィガロの結婚を歌っていて
悪戯なマジシャンの指揮者が
そのブルドッグマエストロを茶化し邪魔をするように
次から次へと彼をおかしな姿へ変身させていく
マジシャン指揮者、もうやりたい放題。
凄まじい迄の馬鹿馬鹿しいユーモアセンス


細馬さんが仰っていたように確かに
ポリティカルコレクトネスに引っかかりそう。
(まあ、ここはアメリカではないが)
地上波で再放送されないわけだ。
ジャングル黒べえや仮面ライダーアマゾン並に…(苦笑)
ちびくろサンボが文化として復活したのだから
この過激にユーモラスでおかしなカートゥーンを
世界が笑い飛せたら良いのに。

最後の方のあたかもフィルムのノイズのような
画面隅にある「ヒゲ」をちょん切るのは
子供心にも不思議で印象に残っていたんだけど
ここで解明されるとは思ってもみなかった。

ずっとずっと観たいと思っていて
タイトルを知らなかったこのカートゥーンに
映画美学校のスクリーンで出会えるなんて
私にとってはとても感慨深い。
想像もしてなかった。大人になった今でも
これを愛せる事がとても嬉しい。

ここ最近、本当に好きな事は時代を超えて
連綿と繋がり広がって消える事なく、いつかどこかでまた
必ず出会えるものなんだな、と感じる事が多い。

どんなに些細な事でも幸せなこと、と思えるのは幸せだ。

「カフカを読んだディズニー」と評された
テックス・エイヴリーの『凶暴リス』が素晴らしく痛快。
好き!(笑)

Screwball Squirrel


















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偶然と必然

2006-01-11 23:43:10 | 映画美学校音楽美学講座:高等科
黄味がかった白の程良く着古された(皮革素材?)
ヨレッとしたコートを着て菊地さんが
いつの間にかフワリと入室。

2006年1月10日 音楽美学講座 楽理高等科

第7回目の今日は、いよいよ架橋である楽曲分析。
待ちに待っていた瞬間。

新年の挨拶をして講義がスタート。

楽曲分析に入るにあたって分析対象の
曲の選び方について説明される。

基本的に菊地さんが何曲か相応しいものを選曲して
それに対して多数決で決めるという方法をとることに。
選ばれるのは1曲。

いつの場合でもそうだけど、全員一致で
良いという曲を分析するのは難しく
(そりゃそう、だって世代も属性もバラバラなのだから)
なるべくポピュラーかつ名曲を、という事で
菊地さんは何を選ばれたのだろうと興味津々でいた。
全部で3曲用意されてるよう。

これです、と菊地さんがCDをセットして曲が流れた。

思わず顔がほころんで直後に泣きたい気分になる(笑)

1曲目「雨にぬれても」バートバカラック


去年初等科の最後の講義で分析した「恋の面影」同様
映画の存在と共に稀有な出会いの記憶と重なる曲。
バカラックのこれらの曲は
無彩色だった寒い冬の時期に出会い
春の暖かさを予感させるように私の生活に色彩をもたらした。

菊池さんが以前日記に書いていたような「喪失と獲得」
(=「憂鬱と官能」)は私をそれまでよりも一層強く
音楽に向かわせた。その結果、今学んでいる
作曲家のピアノ教師と岸野雄一氏が立ち上げ、菊地成孔氏が教える
この「憂鬱と官能を教えた学校」こと映画美学校の
音楽美学講座に辿り着いた。そしてこの経験が今後
喪失につながるのか獲得につながるのか未だわからない。

そんな事を思い起こしながら
私はこれまで彼岸として見ていた場所に
今居るのだなと実感しつつ

2曲目:世界は愛を求めている (バートバカラック)

3曲目:I'm not in love(10cc)

私にとってはこの3曲が選ばれたのは小さな偶然の奇跡。
名曲であるだけでなく、何れも特別な思い入れのある曲で
聴けば、それぞれに対してある物事や鮮烈な感情が
今でも明確に思い起こされるのだ。

しかし時間の都合上I'm not in loveは少々複雑だと言う事で
(以前少しだけコードを取ってみた時に
もしかしたらこの曲は「モード」を使ってる部分が
あるのかなと直観的に感じたことがあった)

多数決によって選ばれたのは
優れて強いポピュラリティと共感性を持つ「雨にぬれても」

「世界は愛を求めている」とは僅差だった。

こんなに思い入れのある好きな曲を
音楽美学講座で分析出来ることはとてもラッキーな事だ。
新春早々、素敵な予感に包まれる(笑)

初等科の時から噂には聴いていたバカラックの
作曲の「作法」のようなもの。
印象は強いポピュラリティを持ちながら
冷徹なまでに静謐で緻密、かつミニマルなものだった。

そういえば映画のインタビューでバカラックは
監督であるジョージ・ロイ・ヒルと共に
バッハの音楽を敬愛していると言っていた事を思い出す。
そしてそれを観ていた私はバカラックの文字には
「bach」が入ってる、と話した事も同時に思い出していた。


大いに盛り上がった今年最初の音楽美学講座は
今週に入ってずっと寝不足でかつ仕事もピークを迎え
気を緩めればへとへとな状態なのにも関わらず
最後迄、気が緩まずに音楽的悦楽を堪能する講義だった。

帰り際に久々にハイテンションで
ふと気がつけばやめたはずの煙草を吸っていた菊地さんは
いつものチャーミングな様子で
楽しげにモロッコへの取材の旅について語り
彼の話を傍で聴きたいと思う生徒達と
灰黄色の煙草の煙にぐるっと囲まれていた。

バルトが定宿にしていた怪しい場所の事や(笑)
ジミヘンが泊まった13号という部屋に
宿泊して気分が悪くなった話とか
回教徒の女性の目力の美しさやら
回教徒の男性の欲求不満度の高さや(笑)
どんなに罵倒しあい喧嘩していても
コーランが鳴れば皆が床にひれ伏す滑稽な様など
短い時間に魅力的な会話がなされ


今日の講義は幕を下ろした。

講義の時より身近な菊地先生と目線が合うと
何故か嬉しくなる。講義を通してこうして時々
近くに居るだけで素敵と思える…のは良いのだけど
考えてみたら菊地さんと講義以外で会話したのは
全て何故か食べ物のことだった、ほんの数回(苦笑)


少し日焼けした様子で無精髭を蓄え
元気だけどどこか枯れたような(笑)
素敵な中年的魅力(でも青年)の気配を漂わせていた。

菊地さんは講義の冒頭に「楽曲分析は精神分析のようなもので
(自分の嗜好性を知るという意味で)
自分を分析する事のようでもあります」と仰った。

私も好きな物事を知りすぎる事は悦びであると同時に
何らかを喪失するかもしれない
切ない行為でもあると考えていた。

楽曲を事細かに楽理によって論理分析し
理解した後のその曲は、まるでただの現象として在るようで
これまでのように新鮮に聴こえなくなります、という事だった。
ただ、好きな音楽を楽しみ快楽的に沢山聴きたいと思うのであれば
いますぐこの学校を退学した方が良いくらいだと。

そしてその事を恋愛に喩えて
ミステリアスに思っていた相手をすっかり知ってしまえば
何とも思わなくなるようなかんじ、と表現された。

「雨にぬれても」は私のiPodShuffleにも入っていたので
聴きながら帰った。

理論によって分析し、これまでよりも色々な事を知り
深い理解をした曲だけれど、聴こえて来たのは
これまでよりもずっと魅力的な「雨にぬれても」だった。

楽曲分析をしていて自分が音楽の表象性と共に
音楽にある本質そのものを必然としていた事を
再認識出来た今年最初の講義だった。
















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奇妙な孤独

2006-01-10 00:06:59 | ART
2006年1月8日 日曜日

<遠い国に住む人からの伝言>

今年最初のアート体験は現在フィンランドに
お住まいのアーティスト三田村光土里さんによる
限定人数招待制の展覧会へ、
中村ケンゴさん
と(美術作家で彼女の友人でもある)
広尾にある「古書一路」という古本店へ向かう。

『遠い国からの伝言』は現在記録展開催中~2006/4/9。
詳細は現在こちらに掲載されています。
ReatTokyo『小崎哲哉氏のコラム』


行くまで、何を見て、何がそこに有って
何が起きるのか全く想像がつかないミステリアスな展覧会。
アーティストご本人とのやりとりを経て鑑賞を決めたので
いろいろな想像力がかきたてられわくわくする。


広尾に着いた時は既に日が暮れ始めて居た。
道に迷いつつも、現場に着く。
事前に現在フィンランドに住む三田村さんご本人から
丁寧な文面の手紙を頂き(手書きの地図まで付いていて)
寒い異国に居て孤独でありながら創作をする境地と
真摯さを感じながら手紙を受け取った。
その手紙にあったある言葉を、店主にお伝えするのが決めごと。

会場に行くと作家本人が店主に託した或るものを、
鑑賞者は手渡される。それごと全てが作品なのだ。
参加者(鑑賞者)全てに別々の作品が手渡される、とのこと。
作品を受け取って、とても豊かな気持ちにさせられた。
鑑賞にいたるまでの経緯を含め
別な所にあった別々な幾つかの大切にしていた
好きな物事が繋がったかの様な不思議な出来事となった。

作品を含め詳細については未見の
ほかの鑑賞者の方々もいらっしゃるので
ここで今は公表出来ないけれど、ご本人からの言葉通り
鑑賞した人のみにしか味わえない作品でした。
(3月に再び同じ場所で展覧会を行う予定だそうです)

そんな風にアーティストご本人から直接与えられた
「機会」そのものが素晴らしいと
感じざるを得ないような出来事が起きた。
とても個人的で小さな幸福なのだけど私にはとても重要な出来事。

ある完全なタイミングでしか
その未知の対象と出会えない、という状況がある。

今から4年程前、ある決意から
これまでやろうとしてやっていなかった
好きなあらゆることを少しでも専門的に学習しようと
まず最初にフランス語を始めた時、

学院の図書館で背表紙のタイトルに心を掴まれて
ある1冊の本と出会った。

タイトルに惹かれたとおり内容は
その時の特殊な状況による孤独の心情とシンクロし
これまでに一度も触れられた事のないような部分にある感情を
これまでにはないやり方で揺さぶられたような文章だった。

その本は30年以上も前に出版されたもので
詳細を調べたら絶版になっていて
記憶と手元に留めておきたい文章だったため
始まりの魅力的な数ページの文を
パソコンに打って保存してあった。

この作家は今では大御所的存在だけど
これは2作目で、今とは全く文体が違っていて
多少大仰だけど、とても瑞々しく情熱的。
何故日本で出版されないのかわからない。
(オリジナルの本はこんなに素敵な装丁)




そして今回の展覧会の会場である古書一路にて
店主に挨拶をしてお茶を頂くべく席に着いて
本棚に目をやって絶句。
(人は喜びにちょっと驚いた時にも絶句するらしい…)
目の前に探していて諦めていたその本が
微笑みかけるように並んでた。


見慣れた装丁だったのですぐに気がつき、
経緯もあったので今ここで出会った事に感銘する。

店主の本に対する愛情を感じるように
古書にも関わらずコンディションが良いのにも感激。
信頼出来る古本店を見つけられた事も
とても嬉しい発見だった。

このような作品と機会を創作し、提供してくれた
三田村光土里さんに深い感謝と敬意を表します。

<小さな偶然>

森美術館で開催され終わり迄あと2日に迫っていた
「杉本博司」展に行こうという事になっていた。
そんな話をしたらチケットをたまたま持っていらした
店主に頂いてしまう…初めて訪れたというのに何て有り難い。
感謝の言葉もありません。

<杉本博司展@森美術館>

美しい光と影、モノトーンの世界。
数理模型の作品は数字という明確な答えがあるものが持つ
独得の美しさを放っていて
割り切れるものの明澄さに惹かれ、美しいと思う。

「フーガの技法」の静謐な明晰さの事が思い出された。

そして作家による強烈に印象的な言葉。

・芸術的野心のないものにも芸術は宿る
・どんな虚像でも一度写真に撮ってしまえば実像になるのだ




観賞後は恒例の夜景観賞。

正月明け間もない東京の空気は冬の冷気と共に澄んでいたらしく
夜景はまるで「大停電の夜に」状態



夜景とハーフムーンがあんまり綺麗だし
気分が良いのでカフェでジントニックを一杯。





アートによるコミュニケーションの力と
語る言葉を持たないほどの
静謐な作品の美を堪能した休日だった。














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抽象と感情

2006-01-08 01:17:19 | ピアノレッスン
1月7日 土曜日

久々にメンデルスゾーンを弾く、
大好きな無言歌の中から最も好きな曲を1曲。

最近のレッスンで弾いているのはショパンのマズルカ。

ショパンは、どこか甘ったるくて軟弱で苦手なイメージ。
嫌いな訳ではない。どちらかというと感覚が近すぎて苦手なのだ。
旋律が持つスラブっぽさは私が生まれた北海道と共通する
何か寒い国の人間が持つ特有の陰鬱なものを感じるので
嫌いじゃないけど敬遠してしまうような想いを抱く。
解りすぎるものとは距離を置きたいのかもしれない。

しかし同じ寒い国でもバッハと同じ国のメンデルスゾーンが持つ
ロマンティックさは程良く好きと言える。
ショパンより甘くなくベートーベンほどは重くない。
程よいポピュラリティと複雑さを兼ね備えているのが好ましい。

彼は14歳で初めてバッハの大曲マタイ受難曲を知り
約6年後、若干20歳にして新解釈(新しいアレンジで)による
マタイ受難曲を作者であるバッハの死後約100年後に初演し
以降、大衆のバッハに対する興味と理解を印象付けて
過去の作品を再演するということを定着させた第1人者。
あんな難曲で大曲をエンタメにしたなんて(笑)凄い。
メンデルスゾーンがいなければ今日私たちは
あの美しいマタイ受難曲を聴く事が出来なかったかもしれない。
(しかし早熟の天才はこの後すぐ若干20歳にして亡くなる…)

その時の観衆には後に弁証法でお馴染み(笑)ヘーゲルや
詩人のハイネなども居たそうだ。
そして何とバイオリンソロはパガニーニ。

メンデルスゾーンの有名なニ短調のバイオリンコンチェルトを聴くと
1分半を越えたあたりで、あの有名なロマンティックなフレーズから
打って変わってバッハに影響を受けたであろう
極めて対位法的なフレーズに変化する
短いパッセージがあって、そのドラマティックでクールなアレンジに
時代を超えたポピュラリティを感じてゾクゾクする。
彼らと音楽的共通感覚を、今もって感じられる事に心が動く。


2005年12月23日
久々のピアノレッスン@谷中を振り返る


優れた表現とは、ということから広がって行った

・表象の向こうに見える本質の話
(彼は美しく見える雲を表象に、雲を形成する成分を本質に喩えた)
・客観と主観の話

私がバッハ晩年の未完の大曲『フーガの技法』に
以前から感情を超えた抽象性のようなものを
感じるという話、などから、何故そう感じるかという事になって
『作曲は感情表現を発端にしている』という事を前提に

何故多くのクラシックの作曲家が晩年の作品で対位法的で、
モノフォニーというよりは
ポリフォニックな曲を作るようになるのかという事を
ラフマニノフやショパンなどの後期作品の楽譜を用いて
視覚的にも音の流れを追いつつ説明されていく。

「感情というのは多重構造」であり
例えば最も悲しい現象である「死」についても
場合によっては(闘病生活を長く続けていた場合など)
もしかしたら本人も、家族もどこかで戦いを終えたような
一抹の「安堵感」のような感情を抱いているかもしれないし
悲しみが甘美なこともあるかもしれない。

例えば「幸福」な感情の中にも傍らでは
一抹の不安があったり(「幸福とは現象ではない」と
考えていた。心の在り方に幸福はあって
その状態は「沸き立つような幸福」というよりは
様々な感情を抱きつつもなお、幸福と思えるような
その心の在りようこそが「幸福」という事なんじゃないかと
漠然と考えていた)、感情は必ずや一様ではない、
という事で深く掘り下げて行くと対位法的な表現に到達する、
という事から発展していき

客観と主観は別のもののように思いがちだけれど
実は不可分である、とか、いつの間にか哲学講座へ…(笑)

そんな会話をしていて、ふと、このレッスンの「場」は
ちょっと特殊な在り方をしているように思えてきた。

考えてみたら、この音楽の美を追求している
ピアノ教師は私の詳しい属性を何一つ知らない。

私の年齢、出身地、学歴、既婚か未婚か、
どこに住んでいるか、どんな生い立ちで、家族構成はどんなで
どんな仕事をしていて、、、などと言う事は
一切彼は知らないし、訊かれた事もない。
彼を紹介してもらった存在の方にも一切訊かれた事はない。
これは有りそうで無いある種純粋な関係性のように思う。

唯一、彼が知っている大まかな私に関することは
私が彼から音楽を学びたいと思っていて
彼もそれを受容している、という、ただそれだけ。

属性に関係なく、私は彼から音楽を学んでいる。
例えば私と、このピアノ教師が
音楽的共通感覚の素地を持たないまま世間で
出会ったとしたら果たしてここまで
深く会話を研ぎすまそうと互いに歩み寄っただろうか。
たぶん、しなかっただろうと思う。

そういった、属性を持たない私と
教師とのある意味「抽象的な関係性」における場では
自分という存在が純化され易いために
良くも悪くも自分の本質に近いことが自ずと
露呈される事が多い。逃げ場もないし
自分の素養についても誤魔化しようがない。
考えてみれば勇気の居ることかもしれない。

内田樹「先生はえらい」より引用

『学びには二人の参加者が必要です。
送信するものと受信するものです。そして、
このドラマの主人公はあくまでも「受信者」です。
先生の発信するメッセージを弟子が、「教え」であると
思い込んで受信してしまうというときに学びは成立します。
「教え」として受信されるのであれば、極端な話、
そのメッセージは「あくび」や「しゃっくり」であったって
かまわないのです。「嘘」だってかまわないのです』

さて。ピアノレッスンのほうは、苦手なロマン派代表選手
ショパンのマズルカOP.50-2。
比較的弾き易い曲を選んだつもりだけど
それでも演奏に感情を込めるのが苦手な私、
曲に心が入って行っていない事を、すぐに指摘される。

身体がピアノから(いわゆる腰が引けている状態)離れていて
一体感がなく他人事のように、あなたは弾いていますね、
と言われる。この曲を弾く悦びが感じられない、と、、、
(彼は精神論で語ったりしない合理的な物理学者なのだが)
バッハのポリフォニーに向かうには
他の作曲家の対位法的なポリフォニーの曲を経験する
必要性がある、というのは師の考えなのだけど
難しい、、、まだまだ修行が足りないと思う。
ということで作曲家が何故晩年、対位法的な
ポリフォニックな曲を作るかというと
より深いところまで感情を掘り下げようとすると
必然的にそちらへ向かうという事だった。
多声旋律による表現はより深い豊かな感情を表現出来、
しかもその音楽的表現は感情を超える、というのが
本日の学習内容だった。

そしてここで、改めて私はクラシックが好き、というよりは
バッハの音楽から派生し広がって行った音楽が好き、という事を認識した。











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さよなら、ただいま

2006-01-03 02:53:33 | 日々
1月2日 帰京

<夜景のピグメント>

今日はいったい何曜日だろう。
お正月休み中ずっと曜日を気にしない生活をしていた。




毎年のことながら空港で見送られるのは苦手だ。
誰も来てくれなくてもそりゃ寂しいけど
寂しそうな顔で見送られたあと
一人飛行機に乗るのはさすがに辛いので
出来ればお互い笑って別れたいと思う。

まだ甥っ子が言葉もかたことだった2年前、
搭乗し去っていく私に「行かないほうがいい、行かない方がいい!」
と言って泣き、それを見てわが子の初めての「別れ」に対する反応に
感受性の芽生えを感じた妹が感涙し(笑)
その一部始終を見ていた周囲の人々の涙まで誘い(苦笑)
哀しいというよりその場が一瞬にして切ない状況になった事がある。
子供の無垢さって凄い力で人の心を動かす。
痛いくらいその気持ちは嬉しいのだけど。

向こう1年間会えないので、空港での別れは
こうして年に一度の一大イベントとなる(笑)

飛行機が最終便で時間が遅いので見送りは
運転技術と時間に余裕があるお正月休み中の義弟と
冬休み中の甥っ子。(道路は雨と雪でスケートリンク状態だった)


弟も生まれ2年経って少し大人になった甥っ子は
我慢することを覚え義弟と同じく真っ直ぐに目を見開いて
真剣に手を振る姿がそっくりで可笑しくも
いじらしくて少し泣きそうになったけど笑って手を振って別れた。

荷物を検査して搭乗ロビーに入って座り一息つく。
優しさへの感謝と寂しさと
一人になったことの安堵が入り交じった気分。少し切ない。
自宅でまだ乳児の甥を寝かせるため残った妹と
就寝時間が早いので(笑)来なかった両親へお礼のメールを送る。

彼が生まれてから年末年始の空港は私にとって
子供の笑い声や泣き声、テレビの音声や雑多な言葉が飛び交い
家族に囲まれた騒々しく賑やかで楽しげな世界と
音楽が聞こえ幾分の雑事から逃れ
一人で思考する世界とが交差し、何れかに乗り換える場所。

私は前者の場所にずっと居なくて
後者の場所にもずっとは居ない。
異邦人のように宙ぶらりんな事を感じる。


さて、しばしの空の旅を楽しむ。

空港カウンターで座席の変更を希望してみた。
何となく窓際で景色を観たいと思ったのだ。
以前、同じ路線で窓を閉じていたのに
ふと外を見たくなり機内から窓の外を見ると
キラリと流れた彗星を見たことがあって
その時のことを思い出していた。

窓口の女性は快く引き受けてくれて
幸いにも大きなほうの座席の窓際が確保出来た。
満席なのにラッキーだ。

行きはANAで空港は最高だけど機内では
JALのサービスのほうが上質に感じた。
(ここのところ不祥事が多いけど)
スチュワーデスさんは比較的年齢が高めで
落ち着いたサービスをしてくれる。

離陸の時の推進力が浮遊感へ変化するかんじがとても好きだ。
備え付けのヘッドフォンから「テンペスト」が流れた。


機内でスパークリングワインが飲めるらしい。
高度数万メートル上空でフレシネを頂く。
飛行機でお酒を飲むと早く酔うけどその分早く醒める気がする。
酔い方もジェットエンジン級(笑)

ほろ酔い状態で窓の外を見る。日中雨だったせいか
離陸した頃はとても晴れていて風も雲もなく
止まっているように静かな状態で機体が進んでいく。


きらきらと闇に小さく光る
貴石を散りばめたような街や車の灯り、
海岸線が美しく良く見えた。




函館と青森を挟んだ津軽海峡が見え
ずっと街の光が見え続けて
東京タワーが手招きしているのが見えてきた。

銚子あたりから徐々に羽田方面へ旋回。
木更津から川崎に渡る海ほたるが眼下に見える。

羽田は混んでいたらしく長い間伊豆半島のほうまで迂回して
羽田へ向かってまっすぐ体制を整え着陸した。

BGMはアンダーワールドに変わっていた。

何と東京の気温は4度。いつもより暖かかった
千歳の気温は2度。2度しか違いがないなんて!
今年の東京は異常に寒い。

1月3日

<冷たくて暖かい我が家へ帰宅>

帰ってきて妹から電話があり、
甥っ子が私を見送った後、寂しくて悲しくなり
自宅に帰ってからも目がウルウルするのをあくびで必死に
誤魔化していたと聴かされて、いじらしさに私もしんみりする。

ここに住んでもう丸2年。
近くの大きなお寺に初めての初詣に行ったあと




ピアノの弾き初めをして

北の友人が送ってくれた巨大な「遊星からの物体X」のような毛蟹を頂き



ほんと、白いワインと魚介は合うな~と、いい気分になっていたら
またも電話が鳴る。

甥っ子からだった。とてもしょんぼりした声で
「あのね、○○ちゃんが帰った後、、、寂しくて、泣いた」
あまりの無垢さに胸がきゅんとなって
返す言葉が暫く出なかった。去年はこうじゃなかったのに。
この位の子は感受性も目まぐるしく変化していくんだな~と思う。

私が居た時は、抱きしめようとしても照れて逃げるし
ほぼ毎日両親の諸注意に逆らっては
わがまま大王ぶりを発揮して(笑)
大人たちをがっかりさせた彼だったのに全く憎めない愛いヤツ。
何度も「また、遊びに来てね、待ってるからね」と可愛い声で。
「わかったよ。また必ず行くよ」さよならを言って電話を切った。

私が去ってからの彼らのやりとりを想像すると
この世に居なくなってしまった人を想う言葉のよう(笑)
有名な台詞を思い出す、
「さよならを言うのはわずかのあいだ死ぬことだ」

離れていても、家族の存在をとても近くに感じた夜。
また明日からいつもの日常が始まる。









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言葉による日々のスケッチ

2006-01-01 02:53:09 | ART
カレンダーでは西暦が1年進み
2006年、元旦になりました。

深夜、両親は既に就寝。

東京に居るときは、時々望郷の想いを抱き
こうして郷里からは東京の親しい人々へ
想いを馳せつつ


皆様。新年あけましておめでとうございます。
どんな皆さんが読んで下さっているのか全てを把握する事は
出来ませんが、いつもありがとうございます。

全ての皆様にとってより充実し、
より良い年でありますように。


さて。2005年最後の日々の備忘録を
スケッチのように記録しようと思います。

従いまして新年である2006年の日記のテーマは
『日々を文章でスケッチする』事に。

この日記のタイトルも変わり
『言葉による日々のスケッチ』日記となります。

『憂鬱と官能を教えた学校』こと
映画美学校での音楽美学講座受講日記も
もちろん、続けます。
どうぞ引き続きよろしくお願い致します。

以下、日々の備忘録

12月28日

<ノン・リュー>

仕事納めの土壇場で年内迄にと言われていた
自社ウェブサイトの更新作業に追加の依頼が入る。
今日の今日で大丈夫なのかと思ったら
締め切りも来年の10日まで延びたので、とりあえず
何事も無く仕事を終える。

16時半頃から納会が始まり、去年と同じような雰囲気で
ビールとワインを三杯ほど頂き
サンドウィッチやお寿司などを少しつまみ
また仕事に戻る。帰り際に最後に社長や役員に挨拶。
「(北海道に)帰るの?」と訊かれ、今からこのまま帰るのです、と
上司たちと短い談笑。年の瀬の挨拶をして
そのままリムジンバスで羽田へ。
毎度の事ながら仕事納めの日は慌ただしい…

仕事納めで頂いたアルコールのせいで、ついつい居眠り。
あっという間に到着。危うく乗り過ごすところ。
師走の首都高は思ったより空いていた。

羽田は初めて利用する去年新設された第2空港。
空港とはフランスの人類学者マルク・オジェによる
著作によると『非場所』と定義されている。所謂ターミナル。

ターミナルという場所の雰囲気は嫌いじゃない。
多くの人と人とが行き交い、それぞれの目的地へ向かう
一過性の場が持つ独特な雰囲気や
通り過ぎて行く沢山の人々の間に流れる距離感は心地よい。
そのせいかそこで過ごす時間は(トランジット以外は)
いつも、あっという間。

日本の空港はどれもデザインが一緒で
慣れてしまえばつまらないけれど、今回はとりあえず
初めての場所なので(第1空港よりは多少カフェが充実していた)
サバティーニ系列のカジュアルラインの店の
混雑し慌ただしくも不思議に落ち着く
雰囲気の中でサラダとスパークリングワインを注文する。

あいにく飛行機は到着機の遅れによって
40分程遅延してしまったけれど
揺れもせず快適なフライトだった。22時40分に到着。
北国の空港は雪景色で晴れ。星が眩しいくらい澄んだ夜。
気温はー8℃。



12月29日

<地方都市とメイドインアメリカ>

郊外に出来た巨大ショッピングスポットに
おいしいコーヒーを飲むという目的だけのために行く(笑)

土地が余っている地方都市に建設された大手スーパーの店舗は
さながらアメリカ西海岸の郊外にある
無意味に巨大なショッピングモールのようで、ちょっと驚いた。

でも巨大な器に対して中身は画一的。

かくしてメイドインアメリカの本格的コーヒーや
ヴィンテージジーンズは(4万も5万もする)
地方都市に済むモードへの関心度の高い若者にも
入手可能になったけれど
そこにはその土地が持つ独自の魅力は
完全に失せていた。

人口が増えているにも関わらず
かつて街の中心地だった場所にあった
にわか景気で出来た店舗はことごとく閉店に追いやられ
昔から在る老舗の珈琲店など顧客を獲得した優良店が幾つか
かろうじて生き残っていたのは象徴的。


12月30日

<暖かく山を臨む場所>

31日までは妹夫婦と子供が住む家に泊まる。
この家の主(義弟)はとても良く出来た人。歳は妹と同じ。
彼らは、私が日頃から素敵だなと思うアーティスト達のように
優れた知識人だったり
表現力に秀でていたりするわけではないけれど
彼らが発するさりげない一言や、
たった一つの行為は、人の気持ちを暖かくする。
とても素敵な才能だと思う。

自由な姉(傍からはそう見えるであろう)からすると
育児を含め家を取り仕切る妹は、もはや妹ではなく
頼りになる姉のようだ。立場がいつしか
逆転してしまった事を感じるのだった。

皆で近くにある温泉に出かける。大きな火山と
森に囲まれた場所にある。眩しい程、晴れて居た。

昼間から山と雪景色を見ながら露天風呂に浸かる。
空は透明で青く雲はところどころ桃色で
色や質感は東京のそれとは少し違うといつも思う。
思い出すのはフェルメールの絵に出て来るような空。
たっぷりと寛ぐ。




12月31日

<私の時間を両親と共に>

1年ぶりに姉妹やその家族達と賑やかな(場合によっては
子供が居るので騒々しくも)振り返れば楽しい時間を過ごし
31日の今日は両親が住む小さくて静かな家で3人で過ごす事に。
両親とだけ過ごすのは何年ぶりの事だろう。

母と久々に1対1でじっくりおしゃべりをする。
私が家に居た時は、母と何でも話した。

時に親友や姉のように、恋愛の話しとか
好きな映画や音楽など、まあまあ突っ込んだ会話なども。

久しぶりに家族と過ごすと、良くも悪くも
家族で居た時の自分の『立場』というものがわかってくる。
それは、その時そこに居なかった新しい家族と過ごしても
変わらないようだ。

家族という集合体には芝居のように
誰にでも必ず役割というものがあるように思える。
その中では誰でも良い役ばかりでもなく
悪役を引き受ける家族も居る。そんな存在の人のことを考えつつ。

人はいつか生まれた家を出る時がくる。
そうしなくて済む人は、幸いだと思う。



もう高齢の母に「人生に後悔はない?」と
訊いてみたいと思っていた。母は、後悔は無いと言った。
それを聴いて安心した。0時を過ぎて母に
「まだ寝ないの?」と訊かれ
「これからが、私の時間」と答える。

やっぱり一人で、あれやこれや、考える時間は
どこにいても必要。今日は、皆が寝静まった後、、、

母の母親(亡くなった祖母)の話をして
彼女がとてもモダニストだったということや
その影響を母が最も影響を受けた事や
(母親は世代の割にはリアリストで
独自の世界観を持っている)改めてその母親の思想が
最も私に強く引き継がれた事を感じた2005年最後の日。