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絶滅種865種!絶滅危惧種19,570種?IUCN「レッドリスト2011年版」

2011年11月15日 | 人類学

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 IUCN2011年版レッドリスト
 今年4月、ベトナムのカティエン国立公園内で、ジャワサイ1頭の死体が見つかり、遺伝子調査の結果、これまで見つかっていたふん全てがこのジャワサイのもであることが分かった。殺されたのはベトナムで生き残っていた最後のジャワサイだとWWFは判断した。これにより、ベトナムのジャワサイは絶滅した。

 今年11月に発表された、国際自然保護連合(IUCN)の、「レッドリスト」2011年版によると、何と865種が絶滅したことを発表している。人類は70億人を超えたが、野生生物は確実にその数を減らしている。

 IUCNが、調査した6万1914種の生物のうち、32%にあたる1万9570種が絶滅の危惧があるとされた。そのうち、3879種は、3段階で最高ランクの「絶滅の危険性が極めて高い」とされた。また、865種が「絶滅した」あるいは「野生では絶滅した」に分類された。(2011年11月12日  読売新聞)

 国際自然保護連合(IUCN = International Union for Conservation of Nature and Natural Resources)は、1948年に創設された、国際的な自然保護団体である。国家、政府機関、NGOなどを会員とする。本部はスイスのグランにある。日本は1978年に環境庁が日本の政府機関として初めて加盟、1995年に国家会員として加盟した。また、日本国内の18団体(NGOなど)が加盟している。1993年には、旭硝子財団よりブループラネット賞が贈られた。

 レッドリストでは、生物の保全状況を、 絶滅(EX)、野生絶滅(EW)、絶滅危惧、絶滅寸前(CR)、絶滅危惧(EN)、危急(VU)、低リスク 保全対策依存(CD)、準絶滅危惧(NT)、軽度懸念(LC)、データ不足(DD)、未評価(NE)に分けて評価している。

 クロサイ激減
 IUCNレッドリストの最新版が公表された。調査対象は61900種にのぼる。今回の特徴はどんなところにあるのだろうか?

 レッドリストにあげられたことで、各国は集中して保全活動にあたることになっている。だが、哺乳類の25%が現在、絶滅の危険にさらされている。例えば、西部アフリカの黒サイの亜種、西黒サイ(longipes)は、公式に絶滅が宣言されている。中部アフリカのシロサイの亜種は、北のシロサイ(cottoni)、絶滅危惧(CR)から、野生絶滅(EW)となった。また、ベトナムのジャワのサイは、2010年4月に密猟により絶滅した。

 これで、ジャワサイすべてが絶滅したわけではないが、サイをターゲットとし、サイの角や商業密猟のための違法な需要を増加させる国際的な犯罪組織があり、サイにとって、直面する脅威となっている。"人間は地球環境を共有する多くの生物種を保護する責任があります、"と、サイモンスチュアート(IUCNの種の保存委員会)の議長はいう。

 サイの角は薬用になると信じられていたり、イエメン北部などではジャンビーヤ(短剣)の柄に用いられる。 角目的の乱獲により生息数は激減している。1996年における生息数は2,408頭と推定されている。地域別ではジンバブエでの1980年代における生息数は1,400-1,754頭、1990年における生息数は1,700、1993年における生息数は381頭、1996年における生息数は315頭と推定されている。またタンザニアでの1980-1984年における生息数は3,130-3,795頭、1996年における生息数は32頭と推定されている。 国際サイ基金によると、クロサイの数は徐々に戻っており、2003年には3610頭、2007年には4180頭となった。 世界中の動物園等の飼育施設では、飼育下での繁殖によって個体数を増やす努力が続けられている。(Wikipedia)

 マダガスカルの爬虫類激減
 爬虫類は、世界中の乾燥した島々で、生物多様性の重要な一翼をになっている。近年では、マダガスカル島に、より多くの爬虫類の種が発見されている。しかし、現在のレッドリストでは、マダガスカルの陸上爬虫類のうち、40%の生存が脅かされていることが明らかになった。

 マダガスカルには、爬虫類の保護地域がある。昨年そこに、新種は体長13センチで、ウロコに覆われた絶滅寸​前種、「ターザンカメレオン」が発見された。

 名前には2つの理由がある。1つは、このカメレオンの生息地が地元で“ターザン・フォレスト(ターザンの森)”と呼ばれる場所にあり、その近くにあるアンボディメロカ村が過去に“ターザンビル”という名前だったこと。もう1つの理由は、つるにつかまって密林を移動する“類猿人”ターザンにちなんだ名前をつければ、「新種とその生息地である森の保護への意識が高まるかもしれない」と研究チームが考えたからだ。

 「ターザンという名前は、森を守るために闘うジャングルのヒーローを表している」。 “ターザンカメレオン”は、アフリカ大陸の東の沖にあるマダガスカル島の東部で2009年に行われた夜間調査で発見された。ゲーリング氏によれば、吻(ふん、口先の部分)が平たいスペードのような形をしていることから、ほかのカメレオンと異なる種であることがすぐに判断できたという。

 生息数は定かでないが、国際自然保護連合(IUCN)の絶滅危惧種レッドリストで絶滅危惧IA類に指定された。マダガスカルでは2009年の政治危機以降、全土で大規模な森林伐採が加速しており、ターザンカメレオンの生息地も分断され、森の断片のパッチワークのように変わってしまった。サッカー場程度の面積しかない森もあり、断片を寄せ集めても10平方キロにしかならないとゲーリング氏は話す。

 それでも、研究チームは1カ所の断片だけで最大60匹のカメレオンを発見した。これは、ほかの森の断片でもこの新種が生き残っている可能性を示している。カメレオンのターザンは、今後もつるにぶら下がって次々に躍り出てくるかもしれない。 この研究は「Salamandra」誌2010年8月20日号に掲載されている。(National Geographic)

 植物にも絶滅危惧種
 植物は人類のとっても不可欠な資源であり、野生生物の生息地のためにも重要な構成要素である。植物は動物に比べ、IUCNレッドリストでは過小評価されている。今回、すべての針葉樹の見直しが行われた。結果、これまで心配していたことがはっきりした。中国の水松(スイショウ)(Glyptostrobus pensilis)は、絶滅寸​​前種とされた。

 スイショウは、中国の南東部が原産。日本へは明治時代の末期に渡来した。水辺などによく生え、高さは20~30メートルになる。下部の枝は水平または下垂して伸び、上部の枝は直立する。葉は針形で、秋には褐色に黄葉する。3月から4月ごろ、枝先に目立たない花を咲かせ、秋には小さな球果となる。中国では福利をもたらすとの言い伝えがあり、水田の畔などに植栽されている。

 減少の主な原因は、集約農業を拡大するために生息地の喪失であり、中国に残された野生の植物はない。ラオスで最近発見された中国スイショウのグループは、新しく建設された水力発電所のために水没し激減した。

 別の例では、イチイという植物がある。太平洋イチイの葉からは、タキソールという抗ガン剤がとれる。このため乱獲されており、絶滅危惧種に指定された。この他にも多くの熱帯植物の種が危険にさらされている。

 花崗岩の島、セイシェル諸島には、固有種の顕花植物が多い。この大部分を見直してみると、79の固有種で、77%が絶滅の危険にさらされていることがわかった。その1つが、ココ・デ・メール(Lodoicea maldivica)であり、絶滅危惧種にされた。

 ココ・デ・メールの日本名は「双子ヤシ」。木は20~30mの高さに黒々とした実を付けている。雌の木にだけなる実の中に不思議な形をしたヤシの実が存在する。実を付けるのには15年から20年の年月を有する。

 雄株の花房は細長い棒状のような形で男性のシンボルを思わせる。雌株は女性の臀部にそっくりなのを見て身を乗り出す。
持ってみるとずっしりと20kgほどの重さである。ユーモラスな男女のシンボルは昔からの伝説があるらしい。

 ココ・デ・メールは、また媚薬がとれることで知られている。そのため、違法伐採の脅威に直面している。現在、その種のすべての採取、および販売は厳しく規制されているが、大幅な闇市場の取引があると考えられている。

 オニイトマキエイもランクアップ
 IUCNレッドリストでは、最近まで、1種だとされた、マンタ(オニイトマキエイ)が、2種あることを明らかにした。リーフオニイトマキエイと、ジャイアントマンタレイ(最大で7メートルに達する)である。マンタは乱獲のため減少しており、どちらも、脆弱種として分類されている。

 ダイバーの間では非常に高い人気を誇る。性格はおとなしく、好奇心が旺盛で人なつこい。オニイトマキエイを飼うにはかなりの広いスペースが必要だが、水族館の大型水槽展示が普及するにつれ、オニイトマキエイを飼育・展示することも可能になってきている。沖縄美ら海水族館、海遊館などは大型水槽設備が充実しており、世界最大の魚ジンベエザメと一緒の展示が目立つ。

 フィリピン、メキシコ、モザンビーク、マダガスカル、インド、スリランカ、ブラジル、タンザニア、インドネシアでは漁獲されており、主に地元でひれ、皮、肝臓、肉、鰓弁が消費されているが、近年東洋医学の薬剤として乾燥したオニイトマキエイの鰓弁の需要が高まっており、東南アジアと東アフリカにおける漁の性質が自給から商業ベースに変化してきている。

 本種の漁獲が行われている南シナ海、フィリピン海、スールー海、メキシコの西海岸、スリランカ、インド、インドネシアでは、個体数の減少が報告されている。

 一回の産仔数が少なく繁殖力が弱いことから、一度個体群数が下落すると回復には時間がかかると推測される。ハワイ諸島やヤップ島付近に生息する個体群は生息域から遠くに移動しないことがわかっており、局地的に絶滅の危機に陥った場合、別の個体群からの個体の移入によって個体群が自然に復活することは難しいと考えられる。

 マグロの8種のうち5つは絶滅または近絶滅のカテゴリにある。例えば、ミナミマグロ(クロマグロmaccoyii)は、絶滅寸​​前に、大西洋クロマグロ(T. thynnus)は、絶滅のおそれに、メバチマグロ(T. obesus)は脆弱種に、キハダ(T. albacares)は準絶滅危惧種)に、、ビンナガ(T. alalunga)は絶滅に近い種にされた。この情報は、政府が、これらの種を保全するうえで貴重な資料になるだろう。

 このほかには、紅鮭が新たに、要注意とされた。両生類では、ヤドクガエルの仲間、ブレスド毒ガエル(Ranitomeya)、サマーズ毒ガエル(Ranitomeya summersiは)などがリストアップされた。両方とも、国際的なペットの貿易のため乱獲の脅威にさらされている。

 参考HP IUCN レッドリスト2011年版 地球の島巡りセーシェル諸島 プララン島、ココ・デ・メール

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「ファースト・スター」は太陽の40倍程度?観測と理論が一致!

2011年11月14日 | 宇宙

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 宇宙最初の星は太陽の40倍
 宇宙が誕生して最初にできた星々の質量は太陽の40倍程度であるというシミュレーション結果が出た。観測から導き出される理論では太陽の数十倍と予想されており、今回のシミュレーション結果と一致した。宇宙初期の歴史がまた一つ明らかになったと言えそうだ。

 137億年前に誕生した宇宙には、ほぼ水素とヘリウムしか存在していなかった。そこから星が誕生し、核融合によって様々な元素を合成することで今のような宇宙になったと考えられている。しかし、水素とヘリウムしかなかった時代にどのようにして最初の星「ファーストスター(初代星)」ができたのか、それがどのくらいの大きさであったのかは、よくわかっていなかった。

 これまでの研究では、まず太陽の100分の1程度の原始星が誕生し、その周りに水素やヘリウムのガスが落ち込むことで初代星ができたらしいというところまではわかっていた。宇宙初期にはガスが大量に存在しているため、この初代星はガスを大量に集めることで、太陽の数百倍という非常に巨大な恒星になっていたのではないかと予想されていた。

 このような巨大な星は、できてすぐに超新星爆発などで重い元素を作り、それを宇宙に撒き散らしていったと考えられる。しかし最近の元素量の観測から予想される宇宙最初の星は太陽の数十倍程度であったといわれており、食い違いが存在していた。

 京都大学をはじめとする国際研究チームは、原始星ができてから10万年経った後、初代星はどこまで成長するのかというシミュレーションを行った。その結果、太陽の20倍程度の重さになったところから、周囲のガスを加熱し、ガスが星に降り積もってくるのを邪魔するようになった。最終的に太陽の数百倍という非常に重い星が誕生することはなく、太陽の40倍程度の重さを持つところで成長が止まってしまうことがわかった。

 これにより、これまでの理論的な食い違いが初めて解消された。初代星形成の理論の進展などに大きな影響を与えそうだ。(サイエンスポータル)

 宇宙で最初に誕生した星は集団
 一方、2011年2月10日、独・ハイデルベルク大学のPaul Clark氏と米・テキサス大学オースティン校のVolker Bromm氏らの研究チームは、巨大な恒星というのは、むしろ例外的で、小さな恒星がグループで複数、形成されるというシミュレーション結果を発表している。

 誕生したばかりの宇宙は、水素やヘリウムの小さなガスの塊がところどころにあるだけでほとんど何もない場所だったが、やがて重力で集まったこれらの塊がガス雲になり、太陽質量の100分の1程度の原始星に成長したと考えられている。

 原始星は残りのガスを集め、それが星の周囲のちりやガスの円盤となる。従来のシミュレーションでは、この円盤は分裂することなく中の物質は順調に原始星の重力に引っ張られつづけ、太陽質量の30~300倍の巨大な星が形成されると考えられてきた。

 今回シミュレーション時間を伸ばしたところ、円盤は実はちぎれやすいことがわかった。「円盤が重く巨大になりすぎると不安定になって壊れてしまい、そこから他の原始星が作られる。最終的に大質量の二重星になったものが今、ガンマ線バーストとして観測されるかもしれない」という。

  チームは、宇宙初期の星形成の様子をこれまでシミュレーションされていなかった段階までスーパーコンピュータで再現した。すると、ほとんどの原始星は太陽~地球の間ほどの狭い領域に4~5個の小さな星が密集した状態でできた。

 いくつかの原始星はお互いの衝突でグループからはじき飛ばされた可能性もある。そうだとすれば、大質量から小型のものまで様々な大きさの星ができあがったと推測され、質量の小さいものは宇宙初期に誕生して今なお輝き続けているかもしれない。 この研究は宇宙初期の星形成の新しい見地を示したが、まだ完全ではない。

 研究チームでは今後、物質が円盤に集積し終えるのにかかるさらに長期間のシミュレーションを目指しているということだ。宇宙最初の星は集団で形成されたのだろうか?(2011年2月10日 McDonald Observatory)

  原始星とは何か?
 一般に、原始星とは、生まれたばかりの恒星のことで、暗黒星雲の一部が自己の重力で収縮しはじめ、輝き出した状態を指す。

 暗黒星雲が近くの超新星爆発などによる衝撃波を受けると、それによって物質の濃淡ができる。濃くなった部分は重力が強くなるので、周囲の物質を引きつけさらに物質の濃度が濃くなる。するとさらに重力が強くなり、加速度的に濃度が濃くなっていく。このようにして原始星が誕生する。

 原始星には周囲からさらに物質が集積してくるので、降着円盤が形成され、原始星に取り込まれきれなかった物質は、円盤に垂直な方向へ宇宙ジェットとして放出される。この宇宙ジェットが周囲の星雲の物質と衝突して輝いているのがハービッグ・ハロー天体である。

 原始星には周囲の物質が超音速で落下していき衝撃波面が形成されている。その面で落下物質の運動エネルギーが一気に熱に変わっている。そのため、原始星は主系列星よりも非常に明るく輝いている。この時は原始星はまだ周囲を暗黒星雲に覆われているため、星雲の外からは可視光では観測できず赤外線だけが観測される。この状態は、それを理論的に導出した日本の宇宙物理学者・林忠四郎にちなんで林フェイズと呼ばれる。

 原始星は自己の重力でゆっくりと収縮していき、その際の重力エネルギーの解放で徐々に中心核の温度を上げていく。また恒星風により周囲の暗黒星雲を吹き飛ばす。こうして可視光でも観測可能になった星がおうし座T型星である。さらに中心核の温度が上昇し、水素の核融合反応が開始されると主系列星となる。(Wikipedia)

 ファースト・スターとは何か?
 宇宙最初の恒星を「ファースト・スター」という。宇宙の年齢は現在137億歳であると考えられている。星や銀河が光輝く美しい宇宙の姿になるにはそれほどの長い年月が必要だったようだ。

 誕生してから数億年の頃までの時期は宇宙の「暗黒時代」と呼ばれ、これまでどのような波長でも観測がなされていない。つまり、この時代を伝える「光」をわれわれはまだ捉えることができておらず。その様子を知ることができないでいるのである。最初の数億年の間、星や銀河などが生まれる前の宇宙には、ガスと暗黒物質が薄く漂い、それにビッグバンの名残である弱い電磁波が飛び交うだけで、文字通り暗黒の宇宙だったと考えられる。

 暗黒宇宙に光を灯したのは、宇宙に生まれた最初の星「ファースト・スター」である.ファースト・スターの誕生により暗黒宇宙は終焉し、やがて光輝く銀河宇宙へと変貌をとげていく。

 ファースト・スターが誕生したのは宇宙創成から3億年ほど経った頃である。われわれの計算では宇宙の平均的な場所を仮定したが、所によって多少の差があるため、宇宙の一番星が光り出したのは1億~3億年の頃というのが妥当であろう。いずれにせよ137億年の宇宙の進化史のかなり早い段階であることになる。次に、原始星(生まれたばかりの星)の質量は太陽の100分の1程度であった。

 中心温度は絶対温度1万度を超え、また密度は1cm3 あたり0.001g 程度、ちょうど空気と水の密度の間くらいに相当する。まわりには大量の温かいガスが存在し、それらが中心にむかって落ち込んでいくため、この小さな星の種はすぐに成長し、巨大な星になると考えられる。実際に3次元シミュレーションから得られたガスの降着率を用いて、原始星進化の詳細な理論計算をおこなったところ、最終的には質量がおよそ太陽の100倍以上にもなると考えられてきた。吉田直紀(東京大学数物連携宇宙研究機構)

 今回のシュミレーションの結果、太陽の20倍程度の重さになったところから、成長のスピードがゆっくりになる。最終的に太陽の数百倍という非常に重い星が誕生することはなく、太陽の40倍程度の重さを持つところで成長が止まってしまうことがわかった。 

参考HP 数物連携宇宙研究機構(iPMU) ファーストスターは太陽の40倍の重さ

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2011年11月9日朝、小惑星「2005YU55」月より近く(32万km)を無事通過

2011年11月12日 | 宇宙

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 最近、地球に接近する小天体が多くないか?
 最近、マヤ文明の予言などの終末説の1つとして、エレ-ニン彗星衝突の可能性が話題になったが、エレーニン彗星は、地球に最接近したのは、2011年10月16日で、距離は約3,500万kmであった。この距離、月の距離は38万kmなので、90倍も離れた場所を通過した。

 今回、月の距離より近い、わずか32万kmの場所を直径400m、ほぼ球形の小惑星が、2011年11月9日朝、静かに通過した。小惑星の名は 「2005YU55」。これほど大きな小惑星が、地球に近づいたのはおよそ30年ぶりだという。このサイズの小惑星が地球に接近するのは1976年以来で、次回は2028年までないという。

 小惑星「2005YU55」は、探査機はやぶさが訪れた「イトカワ」とほぼ同じ大きさ。AP通信では、仮に地球に衝突した場合、直径6キロほどのクレーターができ、マグニチュード7の地震が起きるとの科学者の推測を伝えていた。

 最近小惑星や彗星などの天体が地球に接近するという記事が多い。これは昔より、観測技術が上がったからだろうか?2011年2月4日には、「2011CQ1(直径1.3m)」が、地球表面からわずか5,480kmの位置を通過したことも話題になった。

 月よりも地球に接近して通過した小惑星を、南米・チリにある東京大学のアタカマ天文台が撮影に成功した。「2005YU55」と呼ばれる小惑星は、日本時間の11月9日午前8時半頃、地球に最も接近し、東京大学は、この時間帯に南米・チリの標高5600メートルにあるアタカマ天文台で撮影した。直径が400メートルほどの小惑星は、月と地球の平均距離の85%に当たるおよそ32万キロ付近を通過し、映像には、おぼろげに光りながら進んでいく様子が映し出された。

 東京大学によると、この画像は、「中間赤外線」と呼ばれる特殊な波長で観測した世界で唯一のデータになるということで、今後、データを分析すれば、小惑星の温度や表面の様子が、詳しく分かる可能性があるという。小惑星は、太陽系や地球が誕生したころの姿をとどめているとされ、東京大学は、「小惑星の接近で得られた貴重なデータを基に、地球や太陽系の成り立ちの解明につなげていきたい」と話している。(NHK news 11月11日)

 小惑星の接近を待ち望む天文学者
 
「2005YU55」は10時間足らずの間に、わし座からペガスス座へと東に向かっていくつかの星座を通り過ぎた。

 カリフォルニア州パサデナにあるNASAジェット推進研究所(JPL)太陽系力学グループの上級アナリスト、ジョン・ジョルジーニ氏は、「軌道は、火星の軌道の少し外側に出て、金星の軌道の内側まで急に落ちていく」。そのため、詳しく観測するには「この1年半の間は地球から遠すぎた」と説明した。「それにとても暗く、(太陽の)光を10%足らずしか反射しない」。

 今回の接近通過の好機を生かすため、NASAは11月4日からカリフォルニア州ゴールドストーンにあるディープスペースネットワークで「2005YU55」を追跡している。プエルト・リコにあるアレシボ天文台の巨大電波望遠鏡も、11月8日から「2005YU55」の追跡を始めることになっている。

 「どのように放熱するかを理解するため、熱の調査が行われる。これにより小惑星を形成している物質の特性についてわかるだろう」とジョルジーニ氏は説明している。

「またレーダーによる観測も行う。これで形と回転についてわかる。そして、これらの情報を組み合わせると、この小惑星が何でできているか、どのように構成されているのかがよくわかる」。

 2005 YU55は軌道が定期的に地球に接近するが、危険が迫っているわけではない。少なくともこれから200年間は、今回より接近することはない専門家は話している。

 地球に接近した2005 YU55を訪れる有人ミッションについて、いつの日か実現する可能性はあるが、地球近傍小惑星の2000 EA14など、より簡単に行ける、もっと適切な候補があるとジョルジーニ氏は話す。

 2005 YU55の軌道は「(地球の軌道との)違いが大きく、到達するのに少し余分にエネルギーが必要になる」とジョルジーニ氏は言う。「有人ミッションを計画する際はエネルギーが最小限で済むものが望ましいが、この惑星はほかよりも少しだけ余計にエネルギーがかかる」。(Ker Than for National Geographic News November 8, 2011)

 地球近傍小惑星とは?
 地球近傍小惑星とは、地球に接近する軌道を持つ天体(地球近傍天体、NEO (Near Earth Object))のうち小惑星のみを指す。英語でNEAs (Near Earth Asteroid) と呼ばれることもある。NASAによると地球に接近するために監視が必要とされるものは約8500個とされる。軌道計算では、これらの小天体は今後少なくとも100年間は地球に衝突する恐れはないとしている。

 地球近傍小惑星の起源は3つあると考えられている。1つ目は、揮発成分を失った短周期彗星であり、いくつかの小惑星にはかすかな尾が観測されている。2つ目は、エッジワース・カイパーベルトである。そして、3つ目は木星との重力の相互作用により小惑星帯から弾き飛ばされた、というものである。

 地球に接近する小惑星はその軌道要素からアポロ群、アモール群、アテン群の3つに大別される。 そのため、地球近傍小惑星はアポロ・アモール・アテン型小惑星、AAA天体と呼ばれることもある。

 なお、これらは地球や水星、金星、火星などを通過するときに摂動を受けるので軌道が変わりやすく、長期の追跡調査が必要である。実際に発見後、数十年間に渡って行方不明となっていた小惑星が存在する((719) アルベルト、(29075) 1950 DA、(69230) ヘルメスなど)。

 白亜紀の終わりの地層に発見されたK-T境界(白亜紀 - 第三紀境界層)は、巨大な彗星か隕石の衝突によってもたらされたことがわかって来たが、その元として地球近傍小惑星の存在が浮上してきた。

天体の地球への衝突の脅威は、1994年7月16日のシューメーカー・レヴィ第9彗星の木星への衝突により広く知られるようになった。木星へは、地球以上に多くの天体が衝突していると考えられている。

 直径1kmほどの小惑星の地球への衝突は100万年に数回、5kmほどの小惑星の衝突は1000万年毎、小天体の衝突は毎月2、3回起こっていると考えられている。

 地球近傍小惑星最近の記録
 これまでに数回間違った警報が出ているが、多くの小惑星が地球に衝突する危険性があることが知られている。2002年4月、NASAはアポロ群の小惑星 (29075) 1950 DA(直径1.1km)が2880年3月16日に0.3%の確率で地球に衝突すると発表した。この確率は他の小惑星の危険性の1,000倍に当たる。

 2004年には、それまでの地球接近記録を更新する2個の小惑星が発見された。3月18日にアテン群の小惑星 2004 FH(直径30m)が地球の表面からの距離4万2740kmまで接近し、3月31日には同じくアテン群の 2004 FU162(直径6m)が同6,350kmまで接近した。

 2006年7月3日には、2004 XP14が地球から約42万kmの位置を通過した。

 2008年10月7日には、2008 TC3が発見からわずか20時間で大気圏に突入し、スーダン上空での爆発が人工衛星から確認された。その後、多数の破片が落下現場から隕石として回収された。

 2010年9月8日には、共にアテン群の 2010 RX30(直径12m)、2010 RF12(直径7m)が発見から3日後に地球からそれぞれ24万8000kmおよび7万9000kmの位置を通過した。そのうち 2010 RX30は日本上空を通過している。

 2011年2月4日には、2011 CQ1(直径1.3m)が、地球表面からわずか5,480kmの位置を通過し、衝突しなかった小惑星の接近最短距離を更新した。あまりにも近くを通過したため、地球の重力によって 2011 CQ1の軌道は60度も折れ曲がった。

 2011年6月28日、スクールバスほどの大きさの小惑星が地球をのすぐそばを通過していった。 2011 MDと命名されたこの浮遊天体は、地表から約1万2000キロ上空を通過した。月までの距離の約30分の1の近さだった。この小惑星は、6月22日にマサチューセッツ工科大学(MIT)のリンカーン地球近傍小惑星探査(LINEAR)計画の研究者により発見された。大きさは幅約6~14メートルと見積もられた。計測によると、最高速度は時速約10万1000キロだった。

 2011年11月8日から9日にかけて、「2005YU55」が、地球から32万5000kmのところを通過した。2005 YU55は直径400mもあり、これほどのサイズの小惑星が接近するのは観測史上初めてである。

 このように、地球近傍小惑星はその軌道によっては地球に衝突する可能性も考えられる。小さな小惑星の衝突でも甚大な被害が、予測されることから、これらの小惑星を発見し監視するためのプロジェクトが世界各地で行われている。(Wikipedia)

参考HP wikipedia 地球近傍小惑星 National Geographic news 小惑星再接近、月の内側を通過

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ノーベル賞の田中耕一氏の最新研究は「病原体フィッシィング技術」?

2011年11月12日 | 化学

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 血液1滴から病気を発見?
 2002年ノーベル化学賞を受賞した田中耕一氏が、新しい研究成果を発表した。研究内容は「抗体の抗原と結合する能力を飛躍的に高める基礎技術を開発」である。抗体・抗原といえばタンパク質。田中耕一氏がノーベル賞で受賞したのは「タンパク質の分析法」。タンパク質分析の専門家である田中耕一氏は、今回、新しくつくった抗体で、病原体を効率よく捉え、これをタンパク質分析することで、病気の早期発見につながる方法を開発した。

 島津製作所(京都市中京区)の田中耕一フェローらは11月8日、人の血液中で病気の進行とともに増える目印物質を高い精度で見つける方法の開発に成功したと発表した。血液1滴で、がんなどの病気を発症前に見つけられる診断システムの実用化につながるという。11月11日付の日本学士院の英文学術誌(電子版)に論文が掲載される。

 田中フェローと佐藤孝明グループリーダー(分子腫瘍学)らは、「Y」の字の形をしている「抗体」が、上半分の「V」の部分を腕のようにして病気の目印物質をつかまえる機能を持つことに着目した。抗体は、病気を防ぐ免疫を担う物質として知られる。

 ハムスターの抗体にポリエチレングリコールを混ぜ合わせると、その前に比べ、目印物質の検出能力が約100倍高かった。ノーベル賞の受賞につながった質量分析装置で調べた結果、抗体のVの部分がポリエチレングリコールで関節のように橋渡しされていた。腕の部分を柔軟に動かせるようになり、目印物質をつかまえる能力が高まったとみられる。文部科学省で会見した田中フェローは、ぐるぐると腕を回してこの構造を説明。「能力が100倍の薬ができれば100分の1の値段で検査ができ、患者さんも助かり医療費もかからない」と述べた。(毎日新聞 2011年11月8日)

 点から線、線から面へ
 抗体は、生物を疾病等から防備する免疫反応の中で重要な働きをしているタンパク質としてよく知られているが、タンパク質研究の分野では多種多様な生体物質が含まれる血液や細胞から、ある種の生体物質だけを高純度で選択する「フィッシング」という技術にも応用されている。

 質量分析装置を用いてタンパク質の構造解析を行う際も、抗体による「フィッシング」を組み合わせることで、感度の向上を図っている。しかし、これまで用いられていた抗体は、生体が作り出したものや、マウス・ヒトのキメラ抗体等が大部分で、抗体のモデル構造を表すためによく用いられる、Y字型のくびれ部分(ヒンジ部)に自由度がほとんど無く、抗原を捕捉できる位置が「点」であり、抗原と結合する能力が限られていた。

 本研究グループは今回、抗体のヒンジ部に人工関節のようなバネ状構造を挿入することで、抗原結合部位に大幅な自由度を与える「可変抗体」を、化学合成により作成する方法を確立した。これにより、抗原であるタンパク質やペプチド等に結合する能力が100倍以上向上できることを世界で初めて確認した。

 この技術により、「フィッシング」機能の大幅向上が期待され、「フィッシング」等の前処理法と最先端質量分析装置との組み合わせで、血液1滴から がんや成人病等を早期発見できる画期的診断システムの構築に貢献することが期待される。

 さらには、最近注目されている「抗体そのものを薬として用いる」抗体医薬の原料として使用することで、抗体医薬の能力向上等に役立つことが期待される。

 抗体(antibody)とは何か?
 そもそも抗体とは何だろう? 「抗体」とは私たちの体を病原体から守る「免疫系」のキープレイヤーとして働いているタンパク質の一種である。抗体は、免疫系細胞のうち、リンパ球、B細胞の産生する糖タンパク分子で、特定のタンパク質などの分子(抗原)を認識して結合する働きをもつ。

 抗体は主に血液中や体液中に存在し、例えば、体内に侵入してきた細菌・ウイルスなどの微生物や、微生物に感染した細胞を抗原として認識して結合する。抗体が抗原へ結合すると、その抗原と抗体の複合体を白血球やマクロファージといった食細胞が認識・貪食して体内から除去するように働いたり、リンパ球などの免疫細胞が結合して免疫反応を引き起こしたりする。

 これらの働きを通じて、脊椎動物の感染防御機構において重要な役割を担っている(無脊椎動物は抗体を産生しない)。一種類のB細胞は一種類の抗体しか作れず、また一種類の抗体は一種類の抗原しか認識できないため、ヒト体内では数百万〜数億種類といった単位のB細胞がそれぞれ異なる抗体を作り出し、あらゆる抗原に対処しようとしている。

 「抗体」という名は抗原に結合するという機能を重視した名称で、物質としては免疫グロブリン(immunoglobulin)と呼ばれる。「Ig(アイジー)」と略される。すべての抗体は免疫グロブリンであり、血漿中のγ(ガンマ)グロブリンにあたる。

 抗体は外見が「Y」の字の形をしている。「Y」字の下半分の縦棒部分にあたる場所をFc領域 (Fragment, crystallizable) と呼ぶ。白血球やマクロファージなどの食細胞はこのFc領域と結合できる受容体(Fc受容体)を持っており、このFc受容体を介して抗原と結合した抗体を認識して抗原を貪食する(オプソニン作用)。「Y」字の上半分の 「V」字の部分をFab領域 (Fragment, antigen binding) と呼ぶ。この2つのFab領域の先端の部分で病原体などの「抗原」と結合する。2本の軽鎖と2本の重鎖からなる。重鎖のFab領域とFc領域はヒンジ部でつながっている。

 抗体の自由度を増すβアミロイド
 今回の研究では、抗体のFab領域(Y字型の「V」の部分)に相当するペプチドとして 化学合成したベータアミロイドを用い、動物細胞で作成したFc領域(Y字型の「I」の部分)との間を、人工関節に相当するバネ状構造を持つ非ペプチドをリンカー(ヒンジ部に相当する)として試験管内で結合させた。合成された「ベータアミロイド/非ペプチドリンカー/動物細胞で作成したFc領域」という合成化合物を質量分析装置(MALDI-TCF-MS)で確認した結果、「Fab領域/ヒンジ部/Fc領域」という抗体の化学構造を備えていることが確認できた。

 その後、ベータアミロイドに特異的に結合するモノクローナル抗体(6E10)との結合能力を表面プラズモン共鳴法で調べると、結合能力が飛躍的(100倍以上)に向上していることが判明しました。ヒンジ部の自由度が増すことによって抗原を幅広い「面」で捉えることができ、捕捉効率が飛躍的に高まった結果と考えられる。

 すなわち、「抗体のヒンジ部を非ペプチドに置き換える」ことにより、抗体のFab領域を伸張性も含むフレキシビリティーの高い「可変抗体」(図2)に変換することに世界で初めて成功した。また、その化学構造は質量分析装置(MALDI-TCF-MS)によって評価できることも明らかとなった。

 本研究成果は、将来的には、新たな「可変抗体」を用いた前処理法と最先端質量分析装置との組み合わせで、血液1滴から がんや成人病等を早期発見できる画期的診断システムの構築に貢献できると考えている。さらに、最近注目されている「抗体そのものを薬として用いる」抗体医薬の原料として使用することで、すでに医薬品や診断キットとして用いられている抗体の「抗原に対する結合能力」を飛躍的に向上させることが期待される。(島津製作所・JST)

参考HP Wikipedia 抗体 JSTプレス 質量分析システムを用いた「血液1滴からの疾患早期診断」

生涯最高の失敗 (朝日選書)
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日本はなぜノーベル化学賞につよいのか!?―田中耕一さんに学ぶ勉強法・思考法、日本の化学・科学の過去未来
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「火星旅行」を520日間!模擬体験した「Mars 500」ついに地球到着!

2011年11月10日 | 宇宙

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 実験が無事終了したことが成果
 「地球に無事戻ったとき、人間は本当に火星に行けると確信した」と、フランス人のシャルル・ロマンさん(32)は成果を強調した。

 密室で6人が生活する。しかも、四六時中モニターで監視されながら…。ちょっと考えただけでも、いやになりそうな生活を520日間も続けた「Mars500」が終了した。帰還後の6人の笑顔を見て、ほっとした。人類に火星旅行は無理かもしれないと思っていたからだ。これなら何とか行けるかもしれない。

 ロシア人は我慢強いのかもしれない。ロシアの宇宙ステーション「ミール」の時代から、長期滞在実験を始めていた。今回の火星旅行を想定した実験も、ロシア科学アカデミー生物医学問題研究所で行われた。昨年6月から始まった実験は、11月4日についに終了。6人の晴れやかな笑顔が、火星旅行の実現を一歩近づいたのは間違いない。

 6人は火星飛行実現への期待を語り、実験を主導したロシア科学アカデミー生物医学問題研究所のボリス・マルコフ所長は今後、国際宇宙ステーションでも同様の実験を検討していることを明かした。

 6人はロシア、フランス、イタリア、中国から参加した技術者や医師ら。ロシア人のスフロブ・カマロフさん(39)は「実験が終わった後、すぐに家族の元に帰った。実験中は電子メールしか許されず、つらかった」と苦労話を披露した。6人には心から拍手を贈りたい。

 擬似火星から帰還 
 2011年11月4日、約1年半の“有人火星探査ミッション”が終了し、帰還した宇宙飛行士たちはモスクワで盛大に迎えられた。写真は昨年夏に撮影した、ロシア製宇宙服のテスト風景。

 6人のクルーは、実際に火星と地球を往復したわけではない。ロシア科学アカデミー(RAS)と欧州宇宙機関(ESA)主導の下、有人宇宙探査が精神へ与える影響を分析する模擬火星旅行実験「Mars500」の一環として、520日間をモスクワの“模擬宇宙船”の中で過ごしたのである。

 このミッションでは火星探査の状況を忠実にシミュレートするため、クルーを外界から物理的に隔離。20分間の通信遅延も再現された。

 心身に関する実験、機器の修理など、彼らにはさまざまな任務が課され、マネキンに対する心肺蘇生法など緊急事態への対応訓練も行われた。余暇は読書やビデオゲームで過ごしたという。

 ミッション半ばでは、砂が敷き詰められた“火星”に降り立ち、土壌サンプルの採取やセンサーの設置を行っている。(National Geographic News November 7, 2011)

 Mars500、実験開始から1年
 2011年6月、6人がモスクワ近郊の施設で過ごし始めて365日が経過した。この施設は、ESAが最終目標とする有人火星飛行の環境をほぼ全面的に再現した“擬似宇宙船”だ。

 模擬宇宙船は、密閉した4つの円筒形構造をつなぎ合わせた作りになっている。それぞれ個室を与えられたクルーは、国際宇宙ステーション(ISS)に滞在する宇宙飛行士と可能な限り同じように生活し、作業を行っている。

「この実験で辛かったのは、365日同じ時間に起床しては、同じ機器を使って同じ健康管理を受けなければならなかったところだ。1年間、週末も休日もなかった!」とクルーの一員、ロマン・シャルル(Romain Charles)氏は日誌に記している。

 Mars500は、IMBPと欧州宇宙機関(ESA)の共同プロジェクトで、火星探査ミッションのシミュレーションが目的だ。個室が用意され、キッチンの椅子とテーブルで食事ができるが、実際はこのような余裕は無いだろう。

 NASAの同様のプロジェクトでは約100日間の滞在に留まっており、520日間の隔離実験は過去最長だ。

 アメリカ、アリゾナ砂漠で惑星探査をシミュレーションした「Desert RATS」プロジェクトの主任エンジニア、ジョー・コスモ氏は、「この長期実験は少し強引だったかもしれない」と言う。アメリカ版では機器のテストが目的で、クルーの心理状態まで調査しなかった。「深宇宙へ往還する目処を付けてからでも遅くない。隔離実験でリジリエンス(ストレスからの回復力)を見るのはその後で良い」。(National Geographic News June 13, 2011) 

参考HP Natonal Geographic 擬似火星から帰還、Mars500完了

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呪われた火星探査?21回連続失敗!ロシアの「フォボス・グルント」

2011年11月09日 | 宇宙

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 火星探査連続21回失敗
 それにしても、火星には何かあるのだろうか?11月9日に打ち上げた、ロシアの火星探査機がまたエンジントラブルが発生して予定の軌道を外れてしまった。何と21回連続の失敗になりそうだ。多くの探査機が火星に向けて送り出されたが、ミッションの成功率は30%前後でしかないという。

 火星の衛星フォボスから表土やバクテリアなどのサンプルを採取するロシアの火星探査機「フォボス・グルント」が中国初の火星探査機「蛍火1号」とともにモスクワ時間11月9日未明、カザフスタンのバイコヌール宇宙基地からロシアのロケットで打ち上げられたが、予定の軌道に乗れない状態となった。

 ロケットから火星探査機などを切り離した後、異常が発生したという。今後修復できるかどうかは不明。ロシアや中国の通信社が報じた。11月9日の新華社電は、ロシア当局者が「われわれにとって苦難に満ちた夜だ」と語り、打ち上げ失敗の可能性を示唆したと報じた。

 ロシアはソ連時代の1988年、探査機を火星周回軌道に投入したが、フォボスの探査に失敗。1996年には打ち上げに失敗し、今回が1991年のソ連崩壊後初の火星への飛行となる。

 その間、日本の「はやぶさ」が昨年、小惑星探ふぉ査を行うなどロシアは日米欧に水をあけられ、宇宙大国の威信をかけての打ち上げとなった。

 フォボス・グルントは来年9月、火星周回軌道に到達。2013年2~3月にフォボスに着陸しサンプルを最大200グラム採取し、2014年8月にサンプル入りカプセルを地球に届ける計画だった。

 火星周回軌道に到達した際には蛍火1号を分離。同機は着陸せずに火星の大気や地形を観測する。フォボス・グルントが歴代惑星探査機の中で最も重い13トン超なのに対し、蛍火1号は約115キロ。(毎日新聞 2011年11月9日)

 火星の呪い
 火星探査の失敗は、何もロシアだけではない。これまで、火星に向かった全ての探査機のうち、およそ3分の2が任務完了後に、あるいは開始前に何らかのトラブルを起こしている。日本が打ち上げた唯一の探査機「のぞみ」も有用な火星の探査を行うことはできなかった。欧州が打ち上げた周回機マーズ・エクスプレスは成功を収めたものの、着陸機ビーグル2は失敗に終わった。比較的成功率の高いアメリカの火星探査機でも19機もうち5機が故障を起こしている。

 これらの失敗は、明確な原因が不明なまま失敗したり通信を絶ったものも多い。研究者の中には、冗談半分に地球・火星間の「バミューダ・トライアングル」とか、火星探査機を食い物として生きる「大いなる宇宙の悪霊」などに言及するものもいるほどであり、この現象は「火星の呪い」としても広く知られている。

 それにしてもロシアの21回連続の失敗はすごい。Wikipediaによると次のような記録がある。
1.命名無し - 1960年10月10日
2.命名無し - 1960年10月14日
3.命名無し - 1962年10月24日打ち上げ、地球軌道上で爆発。
4.命名無し - 1962年11月4日
5.命名無し - 1969年3月27日
6.命名無し - 1969年4月2日
7.コスモ419号 - 1971年5月10日
8.ゾンド計画
9.ゾンド2号 - 1964年11月30日打ち上げ、火星に向かうが通信途絶。
10.マルス計画 (Mars)
11.マルス1号 - 1962年11月1日打ち上げ、火星へ向かうが通信途絶。1963年6月19日に火星から 19万3000 kmを通過と推定。
12.マルス2号 - 1971年5月19日打ち上げ、11月27日にマリナー9号に次いで火星周回軌道に入る。着陸機を投下するが墜落。しかし火星に到達した最初の人工物となった。
13.マルス3号 - 1971年5月28日打ち上げ、12月2日に火星周回軌道に入る。着陸機を投下して初めて着陸に成功。しかし砂嵐が起こっており、着陸後20秒で通信途絶した。
14.マルス4号 - 1973年7月21日打ち上げ、火星周回軌道投入に失敗し、1974年2月1日に火星から 2200 kmを通過。
15.マルス5号 - 1973年7月25日打ち上げ、1974年2月12日に火星周回軌道に入るが、直後に通信途絶した。
16.マルス6号 - 1973年8月5日打ち上げ、1974年3月12日に火星周回軌道に入る。着陸機の軟着陸に成功したが1秒で通信途絶。
17.マルス7号 - 1973年8月9日打ち上げ、6号より早く1974年3月9日に火星に到達したが周回軌道投入に失敗。接近時に着陸機を投下したが、到達できなかった。
 フォボス計画 (Phobos)
18.フォボス1号 - 1988年7月7日打ち上げ、火星に向かうが9月2日に通信途絶。
19.フォボス2号 - 1988年7月12日打ち上げ、1989年1月29日に火星周回軌道に入る。火星の太陽面の反対から酸素が流出していることを発見したが、衛星フォボスの調査はならず、3月27日に通信途絶。
20.マルス96 - 1996年11月16日打ち上げ失敗。
21.フォボス・グルント (Phobos-Grunt) - 2011年、中国の蛍火1号と共に打ち上げ後エンジントラブル。

 火星探査もうすぐ8年「マーズ・ローバー」
 一方、予想以上に活動を続けているのが、米国のマーズ・ローバー、オポチュニティ (Opportunity)である。オポチュニティはアメリカ航空宇宙局 (NASA) の火星探査車で、マーズ・エクスプロレーション・ローバープログラムで使用された2台の探査車のうちの2号機である。

 2004年1月25日午前5時5分 (UTC) に、火星のメリディアニ平原に無事着陸した。このちょうど3週間前には1号機のスピリットが平原の反対側に着陸していた。これらの探査車の名前は、NASAが主催した学生のエッセイコンテストで最優秀賞を取った9歳の女の子の案によるものである。

 探査車は、NASAが想定した耐用期間の10倍以上が過ぎた2011年 11月現在も性能を維持したまま活動を続け、火星の地質学的な分析を行っている。一週間ごとの活動の状況は、NASAのジェット推進研究所のウェブサイトで見ることができる。

 当初は、オポチュニティの活動は90Sol(火星日)間が予定されていたが、何度も延長が繰り返され、2006年11月17日をもって、1,000火星日に達した。オポチュニティは最初に火星に着地した時、たまたま平坦な場所ではなくクレーターの中に着陸したが、土壌や岩石のサンプルの調査、風景の撮影などを行うことができた。この時のサンプルの分析結果より火星の表面に赤鉄鉱が存在することが明らかになり、過去に水が存在していたという仮説が生まれた。

 この調査を行った後、オポチュニティはエンデュランスというクレーターを目指して走行し、2004年の6月から12月までここで再び調査を行った。自らの耐熱装甲が捨てられた場所の近くで隕石を発見し、この隕石はヒート・シールド・ロックという名前で知られるようになった。

 2005年の4月末から6月始めにかけて、オポチュニティは走行困難な砂丘に突入し、いくつかの車輪が砂に埋まってしまった。6週間以上に渡って、地球上で実験を繰り返し、機能を失わずに脱出するための策が検討された。数センチレベルの緻密な作戦によって、オポチュニティは何とか脱出に成功し、走行を続けることができた。

 オポチュニティは2005年10月から2006年3月まで、南方のビクトリア・クレーターを目指したが、その途上でエレバスという大きくて浅いクレーターに立ち寄った。この間に、アーム部分にいくつかの機械的な問題を抱えた。

 2006年の9月末、オポチュニティはビクトリア・クレーターの外縁部に達し、外縁に沿って時計回りに探査を続けた後、2007年9月から2008年8月末まで、クレーターの内部を調査した。2008年9月には、オポチュニティがビクトリア・クレーターを出入りする際にできたわだちの写真が公開された。(Wikipedia) 

参考HP Wikipedia マーズ・エクスプロレーション・ローバー 火星探査機

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恐るべき旅路 ―火星探査機「のぞみ」のたどった12年―
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太陽電池で世界最高の変換効率36.9%達成!モノシック構造多接合とは?

2011年11月08日 | エネルギー

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 太陽電池のしくみ
 太陽電池はどうして光を電流に変えることができるのだろう? 

 太陽電池(Solar cell)は、光起電力効果を利用し、光エネルギーを直接電力に変換する電力機器である。一般的な電池のように電力を蓄える化学電池ではなく、光を即時に電力に変換して出力する発電機である。タイプとしては、シリコン太陽電池の他、様々な化合物半導体などを素材にしたものが実用化されている。

 光起電力効果は光で電気を起こす仕組みであり、半導体のpn接合など、整流作用を持つ半導体の界面で発生するものがよく利用される。 1954年、ベル研究所のダリル・シャピン(Daryl Chapin)、カルビン・フラー(Calvin Fuller)、ゲラルド・ピアーソン(Gerald Pearson)によって世界で初めて、pn接合を用いた太陽電池が発表された。変換効率は6%であった。これが現在の太陽電池の原型となった。

 pn接合(pn junction)とは、半導体中でp型の領域とn型の領域が接している部分を言う。整流性、エレクトロルミネセンス、光起電力効果などの現象を示すほか、接合部には電子や正孔の不足する空乏層が発生する。これらの性質がダイオードやトランジスタを始めとする各種の半導体素子で様々な形で応用されている。またショットキー接合の示す整流性も、pn接合と原理的に良く似る。

 太陽電池の重要な性能の一つに、光のエネルギーを電気エネルギーに変換する「変換効率」がある。現在、導入されている太陽電池の約86%を占めるシリコン結晶の太陽電池では、最高25%程度の変換効率を有している。

 世界最高の変換効率36.9%達成
 今回、シャープ株式会社と新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)が、36.9%という世界最高の変換効率を持つ太陽電池を開発した。

 この太陽電池は、光を吸収する層を3層積み重ねることで高いエネルギー変換効率を可能にするタイプ。「化合物3接合型太陽電池」と呼ばれ、シャープが2000年から開発を進めている。

 シリコンの支持基板上にインジウム・ガリウム・ヒ素層、ガリウム・ヒ素層、インジウム・ガリウム・リン層を重ねた構造をしており、2009年に35.8%という変換効率を実現している。今回、各太陽電池層を直列につなぐ接合部の抵抗を低減させることで、さらに効率を向上させることに成功した。

 今回の成果は、新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)のプロジェクト「革新的太陽光発電技術研究開発」の一環として得られた。このプロジェクトは、変換効率40%以上で、発電コストが1キロワット時当たり7円という汎用電力料金並みの太陽電池を、2050年までに実用化することを目指している。

 プロジェクト目標である40%超の変換効率達成のため、今後、更なる効率向上を進めるとともに、実用化へ向けたコスト低減などの技術開発を進めていく。集光型太陽電池を始め、狭い面積でも十分な発電量が得られる太陽電池としての実用化へ向け開発を進めていく予定だ。(サイエンスポータル 2011年11月7日)

 伸びしろが少ないSi結晶
 しかし、これまで出荷した太陽電池の86%を占める、Si結晶太陽電池では、すでにセル変換効率が最大25%に達しており、この値は限界に近づいている。2025年でも30%に到達できるかどうかは分からない。

 また、これ以外のSi薄膜太陽電池では、変換効率の向上よりも材料コスト、製造コストの低減を目指した研究が続いている。バンドギャップが異なる複数のSi層を成膜することで、1層の場合より数ポイント変換効率を高められるが、それでも20%以上の実現は難しい。

 色素増感太陽電池と有機薄膜太陽電池はSi結晶太陽電池とは異なり、バンドギャップの値を変えやすい。低温での製造が可能であることから、製造コストを引き下げやすい。軽量な太陽電池を製造できることから、ビル壁面などSi結晶太陽電池では敷設が難しい空きスペースを有効に活用できるなどの特長がある。だが、変換効率では、Si薄膜太陽電池にも及ばない。

 現在量産中の太陽電池では変換効率40%を狙えない。比較的量産が近い他方式の太陽電池でも難しい。それではどのような太陽電池であれば、40%を狙えるのだろうか。

 40%を実現する手法とは
 そのような太陽電池技術の候補は、5種類ある。モノリシック構造多接合、メカニカルスタック、量子ナノ構造膜多接合、量子ドット増感型タンデム、中間バンド構造である。いずれも1cm角程度の小規模なセルを用いた研究段階にあり、最も量産が早いと考えられているモノリシック構造多接合でも2020年ごろまで待たなくてはならない。

 モノリシック構造多接合は、III-V族半導体を用いたバンドギャップが異なる複数の層を垂直方向に接合することで変換効率を高める技術だ。

 シャープは2010年5月に42.1%という高い変換効率をモノリシック構造多接合セルの一種である「化合物3接合型太陽電池」で達成した。変換効率の値は自社測定であるものの、これまで発表された値の中で最も高い変換効率であると主張する。

 42.1%という変換効率は、レンズを用いて太陽光を230倍に集光した際の測定値である。集光しない場合は35.8%(産業技術総合研究所が測定)だったという。2014年度の目標は集光時に45%を達成することだ。

 シャープの太陽電池セルは、光が入射する方向の順にまず、バンドギャップが1.88eVであるInGaP(インジウムガリウムリン)、次に1.42eVであるGaAs(ガリウムヒ素)、そして0.88eVであるInGaAs(インジウムガリウムヒ素)を垂直方向に並べた。入射方向から順に波長が短い光を効率的に吸収できる。

  シャープの手法ではSiと格子定数が近いInGaPとGaAsを順にエピタキシャル成長し、格子定数の大きなInGaAsとの間にバッファー層を設けている。従って大面積のセルを製造することは難しい。試作したセルの面積は0.88cm2である。

 なお3接合の場合、非集光時の変換効率の理論上限は39%である。このため、集光装置を使わずに40%以上の変換効率を実現するには4接合以上の太陽電池セルを開発する必要がある。

 中間バンド構造なら60%を超える可能性
 多接合を究極まで押し進めたのが、中間バンド構造太陽電池だ。量子ドットや超格子構造などを用いて中間バンド構造を実現すれば、太陽光に含まれる全波長の光を有効利用できる。

 例えば半導体からなる量子ドットを3次元状に規則的に多数並べることができれば、量子ドット間の結合によって材料が備える本来のバンドとは異なるエネルギー準位に中間バンドを形成できる。

 産業技術総合研究所は2010年8月に開催された第6回「産業技術総合研究所 太陽光研究センター 成果報告会」において、InGaAs/GaAs量子ドットを100層以上積層したと発表した。「今回の成果は歪み補償技術を用いずに100層以上積層した他、中間バンドの形成を確認したこと、太陽電池として機能することを確認したことである」(産業技術総合研究所光技術研究部門光電子制御デバイスグループで主任研究員を務める菅谷武芳氏)。

 同様の手法を採る東京大学の研究では格子定数の小さなGaNAs(窒化ガリウムヒ素)をバリア層中で歪み補償層として用いている。今回の成果では、As2分子線や成長中断法を用いることで、性能を低下させる異種材料を使わずに積層できたという。量子ドット間の距離が3.5nmのとき、中間バンドを確認できた。太陽電池として動作させた場合の変換効率は9.2%(10層)、8%(20層)、7%(30層)だった。量子ドット間の距離が35nmの場合に最も変換効率が高くなったという。(EE Times Japan 2010年10月17日)

参考HP Wikipedia 太陽電池 SHARP 太陽電池セルで世界最高変換効率36.9%達成
EE Times Japan 太陽電池の未来、変換効率はどこまで高まるか 

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量子ドット太陽電池―「変換効率50%以上」を目指す、革新的太陽電池技術
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「2位じゃだめなの?」のスパコン「京」が、毎秒1京回の計算速度達成!

2011年11月07日 | テクノロジー

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 スパコン「京」が毎秒1京回の計算速度達成
 理化学研究所と富士通は11月2日、共同開発したスーパーコンピューター「京(けい)」が毎秒1京回(京は1兆の1万倍)を超える計算速度を達成したと発表した。今月発表される予定のスパコン計算速度の世界ランキング「TOP500」で、6月の前回発表に続く連覇を目指す。

 毎秒1京回の計算速度をめざして名づけられた「京」は理研計算科学研究機構(神戸市)にあり、102個の中央演算処理装置(CPU)の入った高さ2メートルほどの箱を864台つないである。2006年に開発を開始。2009年の事業仕分けでは、世界一を目指す計画に、仕分け人の蓮舫氏から「2位じゃだめなんでしょうか」と問い詰められた。完成途上の今年6月、672台を使って毎秒約8200兆回を達成し、世界一になった。

 今回は864台すべてを使ったところ、計算速度は毎秒1京510兆回を記録した。長時間安定して使えるのが特長で、今後、ソフトウエアの調整を経て来年6月に完成、11月に運用を始める。先端材料を開発するために10万通りもの原子の組み合わせを計算したり、地震や津波のシミュレーションをしたりするのに使われるという。

 理研計算科学研究機構の平尾公彦機構長は「京の部品はすべて日本でつくった。震災で部品の製造などが影響を受けたが、日本の高い技術力で、この性能と効率が出せた」と話す。

 理化学研究所と富士通は11月2日、共同で開発しているスーパーコンピューター「京(けい)」(神戸市)が、目標だった毎秒1京(1兆の1万倍)回の計算速度を達成したと発表した。米国で今月発表されるスパコン性能の世界ランキング「TOP500リスト」で、今年6月に続いて世界一に選ばれる可能性がある。

 理研によると、京は今年8月に8万8128個にのぼるCPU(中央演算処理装置)の設置を完了。10月7~8日に29時間28分かけて行列計算を行い、1秒あたりの平均で設計性能の93.8%にあたる1京510兆回の計算速度を達成した。

 6月時点の計算速度に比べて約1.3倍も速く、理研は「ランキング結果は最後までわからないが、連続世界一を期待できる速度だ」と話している。(msn 2011.11.2)

 「そんな暇はない」
 6月に世界最速になった、スパコン「京」。これまで事業仕分けで窮地に追い込まれながら、よくぞここまで達成したと思う。日本人の誇りである。ここに至るまでどんな苦労があったのだろうか?

 独立行政法人・理化学研究所(埼玉県和光市)が「京速スーパーコンピューター」の開発プロジェクトをスタートさせたのは平成18年4月。当初、民間企業は富士通、NEC、日立製作所が参加していたが、21年5月にNEC、日立が開発費負担の増大を理由に撤退を表明。プロジェクトの存続が危ぶまれたが、理研は神戸に建設中の施設工事を中断して設計を見直し、7月に参加する民間企業を富士通単独として再スタートした。

 その富士通の社内も当初は慎重論があった。理研がプロジェクトを始動させたのは17年末。その話を耳にした技術陣は経営陣に「やらせてほしい」と参加を直訴した。しかし「真っ正面からスパコン開発なんてとんでもない」「そんな暇があるのか」といった意見も少なくなかった。当時、インテル系マイクロプロセッサー(MPU)でスパコン並みの高性能機を販売していた事情もあった。

 技術陣に「検討せよ」と指示が下されたのは平成18年。翌19年7月に「次世代テクニカルコンピューティング開発本部」が発足した。理研が動き始めてから1年以上がたっていた。

 「電力が足りない」
 開発チームの陣容は150人に増強され、19年9月には、後に「京」に搭載することになる新型MPU「SPARC64VIII」の開発もスタートした。ただ、MPU開発を陣頭指揮する井上愛一郎・次世代テクニカルコンピューティング開発本部長は「いまの作り方では電力がもたない」と頭を抱えていた。

 最新のMPUを使って性能を大幅に上げたら消費電力も飛躍的に上がってしまう。その難題をクリアするため、井上さんは「奥の手を使った」と振り返る。

 それは「周波数を下げて電力も下げる」と発想だった。周波数を抑えて電力を下げる一方、周波数に頼らずに演算性能を上げる技術を徹底的に盛り込んだ。そこには「ハードバリア機構」を呼ばれる複数のMPU同士を最適に調整する技術を採用したり、演算状態を一時的に保つレジスターを従来の5倍の256個に増やしたりと、いくつもの工夫を注ぎ込んだ。

 さらに、消費電力を、MPUの設計者が目で確認するためのツールを開発し、電力をいかに減らすかをチーム全体で「意地になって競った」(井上さん)。最終的に30%以上の電力削減に成功した。

 その結果、新型MPU「SPARC64VIII」は、高い演算性能を持ちながら、消費電力を抑えることに成功した。IBMの主力MPUに比べると、消費電力はわずか29%で、演算性能は2分の1ですみ、単位消費電力当たりの性能は2倍近くになった。この省電力技術がなければ8万個以上のMPUを同時に動かす「京」のシステムは「成り立たなかった」(井上さん)。

 1京の演算速度は、毎秒1兆回演算するコンピューターを1万台同時に動かした能力だ。富士通は「地球上の全人口70億人が24時間不眠不休で毎秒1回計算して17日間かかる計算量をたった1秒でやってのける」と説明する。

 理研では、地球変動予測や設計プロセスの革新、生命化学・創薬、新物質・エネルギー創成といった幅広い分野で「京」の活用を進め、日本の国際競争力向上への寄与に期待している。(msn 2011.10.30)

 スパコン「京」世界最速達成
 独立行政法人・理化学研究所(理研)と富士通が共同で開発中のスーパーコンピューター。総事業費は約1120億円で、平成24年秋の本稼働を予定している。完成機は電話ボックスのようなラックに、64ビットマイクロプロセッサー「SPARC64VIII」を8個組み込んだCPU(中央演算処理装置)を計102個収納。

 このラックを20万本以上の高速ケーブルで964台接続し、1秒あたり1京(1京は1兆の1万倍)回という世界初の演算速度を目指す。6月にはラックを672台接続して毎秒9162兆回の演算性能を実現、日本勢として16年6月以来7年ぶりの世界最速をマークした。

 理研によると、京は5月15日に毎秒8162兆回の計算を達成。2位の「天河1A号」(中国)の毎秒2566兆回を大きく引き離した。現在、計算機の数は記録達成時よりも72台増えた744台。来年6月に計画の864台が完成し、同11月には企業や研究機関への共同利用を始める。

 同機構の平尾公彦機構長は「世界一の計算速度を具体的な成果に結びつけるのが重要。防災や環境問題、医療などの分野で活用したい」と話した。(msn 2011.6.21) 

参考HP 理化研プレスリリース 京速コンピューター「京」が10ペタフロップス達成

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ペタフロップス・コンピューティング―地球シミュレータを原点に“和”のスパコンを求めて
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80%減?北極オゾンホール、南極と同程度に!皮膚ガンや白内障に注意!

2011年11月06日 | 環境問題

科学大好き!アイラブサイエンス!最近気になる科学の疑問を、やさしく解説!毎日3分読むだけで、みるみる科学がわかる!


 北極上空にオゾンホール 
 気象庁は今年の南極上空のオゾンホールの最大面積が、9月12日の2550万平方キロメートルだったと発表した。これは過去10年間の平均値程度。オゾン層を破壊するフロンなどの物質は少しずつ減っているものの、30年前の8倍程度の水準だ。オゾンホールは毎年8~9月ごろに発達し、11~12月ごろに縮小する。(asahi.com 2011年11月2日)

 北極の上空で今春、南極のオゾンホールに匹敵する深刻なオゾン層の破壊が起きたことが、日米など9カ国の国際研究チームの調査でわかった。観測史上で初めて。北半球は緯度が高い地域にも人口が多く、本来はオゾン層で遮られる生物に有害な紫外線の増加が懸念される。英科学誌ネイチャー(電子版)に10月2日付で論文が掲載される。

 研究チームは、測定機器を積んだ気球や人工衛星を使って観測した。その結果、北極圏の成層圏で4月上旬、もともとあったオゾンのうち最大で80%が失われた。南極ほど濃度は薄くなっていないが、北極はもとの濃度が高いため、破壊された量は南極のオゾンホールに匹敵した。

 気象条件の違いから、北極は南極のような大規模なオゾンホールはできないと考えられていたが、研究に加わった国立環境研究所の中島英彰室長は「南極で観測されていたオゾンホールが、北極にも出現したといえる」と話す。

 影響で3~4月にスカンディナビア半島やロシア北部で成層圏中のオゾンの濃度が低くなった領域が広がり、人の居住する地域でも有害な紫外線が増加したとみられる。オゾンが薄い領域は4月下旬、「かけら」のようにちぎれて日本の本州付近上空も通過した。(asahi.com 2011年10月3日)

 原因は北極上空の気温低下
 1984~85年にかけて、日英の科学者により南極上空の成層圏にオゾンホールが発見されて以降、モントリオール議定書に始まる国際的な取り組みにより、フロン等の生産・排出が規制されてきました。そのため、オゾンを破壊する元となる大気中の活性塩素の総量は、2000年前後をピークに減少に転じたことが報告されている。ただし、南極オゾンホールに関しては、まだ統計的に明らかなレベルで回復に転じたという報告はない。

 一方北極域の成層圏に関しては、海陸分布の違いから南極に比べて冬季でも10度くらい気温が高いおかげで、南極ほど顕著なオゾン破壊がこれまで起きてきませんでした。それでも、1996年、1997年、2000年、2005年など北極上空の成層圏が低温で推移した年には、南極オゾンホールと比べると小規模ながら、北極上空でもオゾンホール的な状況が現れていました。それが今冬、南極オゾンホールと匹敵する規模のオゾン破壊が北極上空で起こっていたことが、観測史上初めて明らかとなりました。

 2011年3月~4月に観測史上初めて起こった北極オゾンホールにより、低オゾン領域がスカンジナビア半島やロシアの北部など、南極に比べて人口密度の高い領域に差しかかり、生物に有害な紫外線量が通常より増加したことが分かっている。また4月後半に極渦が崩壊した際には、低オゾン領域のかけらが日本上空にまで到達し、4月30日にはつくばで通常の年よりも高い紫外線量も観測されている。

 皮膚ガンや白内障の可能性
 最近の傾向を見ると、北極上空の成層圏の気温は暖かい年と寒い年が入れ替わりにやってきており、さらにその振幅が1970年代に比べ増大してきているという報告がある。

 また、その寒い年の冬季の気温が、近年になるにつれてより低くなってきているような傾向も見られる。モントリオール議定書による規制によっても、成層圏の塩素量がオゾンホールを引き起こさないレベルまで減少するにはあと数十年かかると予測されていて、今後2011年と同等、あるいはそれより激しい北極オゾンホールが起こる危険性を、現時点では排除することができない。

 もしそのようなオゾンホールが起こった場合には、有害紫外線による皮膚がんや白内障といった健康への影響が懸念される。冬季成層圏の気温と極渦の強さは、大気の放射過程と波動活動に依存しており、これらは最近の温室効果ガスの増加による影響を受けている。

 ところが、最新の化学気候モデルをもってしても、将来の北極上空成層圏の気温や極渦の強さの年々変動や傾向を予測するのは困難である。少なくとも、成層圏塩素量が高いレベルにあるあと数十年間は、我々は南極オゾンホールに加えて今後は北極オゾンホールの状況の監視を続け、オゾン破壊の将来予測の不確実性を改善する努力を続けるべきである。

参考HP Wikipedia オゾンホール 気象庁 オゾンホール年間推移
国立環境研究所 北極上空のオゾンホール・南極オゾンホールに匹敵する規模に

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超簡単な不斉合成!ぐるぐるかき回すだけで、分子構造左右を作り分け

2011年11月05日 | 化学

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 分子構造の左右作り分けで新手法
 東京理科大学の山下俊准教授と奈良先端科学技術大学院大学の藤木道也教授の研究チームは、同じ原子成分を持ちながら、“右手と左手”のように鏡に映った対称的な構造を持つ分子を、簡単に作り分ける手法を開発した。液体を寒天のように固めるゲル化剤を水に入れ80℃にして、時計回りか反時計回りにかき混ぜた。

 分子構造の左右の偏りを調べる手法を使い、溶液内で左手系分子と右手系の分子を作り分けられることを示した。なぜこうなるかについて、岡野久仁彦東京理科大助教は「かき混ぜ方でゲル化剤を構成する分子の塊が、右巻きもしくは左巻きにねじれた構造をとるのでは」と話す。

 医薬品や調味料などの分野への応用が期待できる。長野県テクノ財団が推進する文部科学省補助事業の一環で行われ、成果は独化学会誌電子版に近日、掲載される。(2011年10月27日日刊工業新聞)

 鏡像異性体は化学反応性や物性はほとんど同じであるため分離や作り分けが困難だが、生体への影響などは全く異なる場合があり、工業的にはこれらを選択的に得ることは非常に重要である。

 このような鏡像異性体の作り分けは、これまでにも盛んに研究されてきており、例えば2001年のノーベル化学賞を鏡像異性体の作り分けに関する研究で野依氏らが受賞した。

 それがまさか、固めてかき混ぜながら作るという、単純な方法で作り分けできるとは驚きである。

 鏡像異性体とは何か?
 ある特定の分子構造に対し、鏡像関係にあり、等価でない(重なり合わない)分子について比較表現として用いられる用語。比較表現でない場合は、光学活性化合物(もしくは不斉化合物)と呼ばれる。

 分子内部にねじれの要素がある場合、ある配置の分子とその鏡像関係の配置の分子は重ねあわすことができず、異性体になる。それぞれ平面偏光を逆向きに回転させる性質をもつ。

 ほとんどの鏡像異性体は、光学活性炭素原子上に4つの異なる官能基が置換することによって発現する。ある物質とその鏡像異性体を比較すると、ほとんどの物性や反応性が同じであるが、性質を及ぼす基質が光学活性化合物の場合に限り、反応性に違いが見られる。

 すべての分子とその鏡像体を比較すると、沸点、融点、屈折率、誘電率、紫外吸収スペクトル、核磁気共鳴スペクトルおよび質量スペクトルなどの物性や分光学的データは完全に同一である。ただし、円偏光(もしくは楕円偏光)に対する吸収スペクトルは、わずかに異なる。

 サリドマイドの鏡像異性体の一方は睡眠薬としての薬効を示すが、もう一方は妊婦が服用すると、生まれた子供の手足が短くなる「奇形児アザラシ肢症」という副作用を引き起こす。体内の蛋白質を構成するアミノ酸は、全て鏡像異性体の片方のL体である。

 鏡像異性体と光学異性体
 「鏡像異性体(エナンチオマー)」とは、「二つの化合物の構造式について、平面に書いた(=3次元立体構造を無視した)構造式は等しいが、立体構造を考えると重なり合わず、丁度鏡に映した物同士の関係(実像と鏡像)になるもの」を指す。例えば右手と左手。L-アミノ酸とD-アミノ酸など。

 鏡像異性体を有する分子構造を「キラル(掌性)」と呼ぶ。一般に炭素原子に異なる四つの置換基が着くとキラルな分子と成り、その四つの異なる置換基がついた炭素原子の事を「不斉炭素」と呼ぶ。

 「光学活性」とは、光の偏光面を回転させる性質のある物質のこと。「光学異性体」とは、「鏡像異性体」の内「光学活性」なものの関係を指す。一般に、全ての光学活性体には光学異性体の関係を満たす分子が存在し、その光学異性体同士は、光の旋光面が丁度正負の関係で反転している。例えば、ある化合物が光学活性でその旋光度が+20°なら、その鏡像異性体は-20°の旋光度を持ち、それらは光学異性体の関係にある。

 全ての「光学活性体」はキラルな構造を有し「鏡像異性体」が存在するが、全てのキラルな分子が「光学活性体」では無い。また、「不斉炭素」を持たない「キラル」化合物があり、「不斉炭素」有していてもキラルでない(=アキラル)、すなわち、光学不活性な分子も存在する。

 例えば、L-酒石酸は光学活性でその光学異性体(かつ鏡像異性体)は、D-酒石酸だが、世の中には光学不活性なメソ酒石酸なる分子も存在する。この三つの分子構造は、平面状に書くと(立体を無視すると)全て同じだ。

 また、キラルで光学不活性(鏡像異性体が存在するのに光学不活性)な分子として、5-エチル-5-プロピルウンデカンという分子が存在する。(Wynberg. H, Hulshof. L. A., Tetrahedron, 1974, 30, 1775)

 これまでの不斉合成
 化学物質は物理化学的な性質がまったく同じでも立体構造が異なることがる。これは光学異性体と呼ばれ、分子構造が右手と左手のように鏡に映した関係にある。しかし、生体が作り出す物質は、アミノ酸が左手型、遺伝子の本体であるDNA(デオキシリボ核酸)が右手型というように異性体の一方しかない。医薬品や農薬、調味料、香料などもどちらか一方の光学異性体しか効力がない

 通常、医薬品などを人工的に合成しようとすると左手型と右手型が一対一の割合でできる為、効率が悪い。このため、どちらか一方の型だけを選択的に合成する製造プロセスに導入されている。現在の不斉合成法は触媒や酵素を使った熱反応が主流(熱不斉合成)。

 触媒を使った熱反応は反応工程が7、8段階必要なうえ、反応温度の制約も受ける。一方、酵素反応は生物が必要とする物質しか合成できず、光学異性体のどちらをつくるかという選択の余地もなくなってしまう。

 野依良治氏は不斉な配位子を持つ金属錯体を触媒として、不斉要素を持たない化合物の鏡像体(エナンチオ)選択的還元反応において有用な方法を開発し、ノーベル化学賞を受賞している。

 今回発見された方法のように、ただ、左右にかき回すだけで鏡像異性体ができるのであれば、非常に簡易で便利な方法である。

参考HP Wikipedia 不斉合成キラリティー光学異性体 キリヤQ&A 異性体 

研究はみずみずしく―ノーベル化学賞の言葉
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実力養成化学スクール〈1〉キラル化学‐不斉合成 (実力養成化学スクール (1))
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大地震の前兆か?解消か?房総半島沖で「スロースリップ・ゆっくり地震」観測!

2011年11月03日 | 地学

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 房総半島沖で「スロースリップ」 
 防災科学技術研究所と国土地理院は10月31日、房総半島の東方沖で、地震を伴わずプレート(岩板)境界が動く「ゆっくり滑り」が起きていると発表した。

 ゆっくり滑りは、フィリピン海プレートが日本列島の下へ沈み込んでいる場所で起きている。防災科研は傾斜計、国土地理院は全地球測位システム(GPS)を使った地殻変動のデータを解析。いずれも、10月26日から5日間で6センチほど滑ったと見積もった。

 房総半島沖では、平均約6年間隔で同様の現象が観測されている。前回の発生は4年前の2007年8月。今回の発生は過去30年の観測で発生間隔が最も短かった。(asahi.com 2011年11月1日)

 この場所のスロースリップは約30年間観測が続いており、前回までの5回は平均6年間隔で起こっていた。今回は2007年8月以来4年2カ月ぶりで、間隔は過去最小。東日本大震災の影響で早まった可能性もあるという。2007年には、スロースリップに誘発されたとみられる群発地震が房総半島周辺で発生した。

 防災科研が全国に整備した、高感度地震観測網のうち、房総半島6地点のデータを分析。最大の動きは、10月26~30日の5日間に深さ約20キロで約6センチ滑ったと推定した。(毎日新聞 2011年11月1日)

 スロースリップとは何か?
 スロースリップ(slow slip)とは、地震学の用語で、普通の地震によるプレートのすべり(スリップ)よりもはるかに遅い速度で発生する滑り現象のことである。「スローイベント」「ゆっくりすべり」「ゆっくり地震」などとも呼ばれるが、厳密には「スロースリップ」か「ゆっくりすべり」が最も的確に意味を表している。海溝などの沈み込み帯ではよく見られる現象。また、1つのプレートの中に存在する断層の面でも発生する。

 「普通の地震よりもはるかに遅い速度」というのは、地震を起こす地殻変動の速度のことである。地震としては、地震動の継続時間が非常に長く、地震動の周期が比較的長め(約0.5秒~数十秒)であるという特徴を持つ。

 海洋プレートが大陸プレートの下に沈みこむ構造(沈み込み帯)では、海溝ができ、プレート同士の境界面の一部が強い圧力によって密着して固定され(固着)、固着域(アスペリティ)ができるのが一般的である。固着域は、数十年~数百年の間圧力を溜め込んで動かず、地震の時に一気にずれ動く部分である。

 通常、この固着域は帯状に分布するものもあれば、まだらに分布したりするものもあり、大きさも分布も場所によってさまざまである。大まかに見れば、海溝に対してほぼ平行に分布する。ちなみに、この固着域の分布はプレート同士の境界面の温度に関係があるとされているが、温度だけでは説明できず、そのほかにも多数の要因があると考えられている。固着域の周り(すぐ内側と外側)には、スロースリップを起こしながら沈み込む部分(スロースリップ域、遷移領域)が細長く分布し、そのさらに内側には地震を起こさずに安定して沈み込む部分(安定すべり域)が広く分布している。

 力学的には、固着域は動的な不安定破壊を起こす特性、遷移領域は静的に不安定破壊を起こす特性、安定すべり域は安定したすべりを起こす特性を持っている。つまり、固着域は大きな振動を伴った地震、遷移領域は振動をほとんど伴わない地震や「すべり」、安定すべり域は振動を全く伴わない滑らかな「すべり」を起こす。

 基本的には、沈みこむ海洋プレートは移動方向と同じ向きに、乗り上げている大陸プレートはその向きとは逆方向に、スロースリップを起こす。(Wikipedia)

 スロースリップ構造の例
 東海地方: 東海地方では、南海トラフ(海溝の1種)でユーラシアプレートの下にフィリピン海プレートが沈み込んでいる。浜名湖付近では、2000年から2004年まで、年間1cm程度の速度でスロースリップが発生していることが、GPSの観測により判明した。当初は、東海地震に関連のある異常、特に東海地震発生の引き金なのではないかとの見方があり、多くの研究がなされた。

 結果、東海地方のプレート同士の境界面は通常とは異なることが判明した。東海地方の南東には、伊豆諸島と平行して銭洲海嶺という細長い海底山脈がある。この銭洲海嶺は古くから何度も活動しており、東海地方の地下には沈み込んだ古い銭洲海嶺が何列も存在している。プレート同士が強い圧力によって滑っている境界面では、銭洲海嶺のような隆起した地形があると、海水などの水が堆積物と一緒に地下に沈み込み、そのままプレート同士の境界面を作ってしまう。

 地下では深く沈み込むに従って圧力が高まるため、堆積物に含まれる水は鉱物内から外に染み出し、鉱物同士の隙間に入り込んで高圧の水となる。これを「高間隙水圧帯」という。水は粘度が低いため、高間隙水圧帯は潤滑油の働きをして、鉱物同士が押し合うプレート境界よりもすべりやすくなる。

 東海地方の地下では、銭洲海嶺の影響で高間隙水圧帯ができ、そのため、スロースリップを起こす部分の幅が通常よりも広くなり、スロースリップの規模が大きくなっていることが分かった。

 房総半島沖: 房総半島東部から東方沖にかけての地域では、地表にある北アメリカプレートの下で、太平洋プレートがさらにフィリピン海プレートの下に沈みこんでいる。太平洋プレートとフィリピン海プレートの境界面では、1983年、1990年、1996年、2002年、2007年、2011年の計6回、スロースリップが発生した(観測によるものと、事後解析によるものがある)。2011年のスロースリップは観測開始以来最短の間隔で発生したが、東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の影響を受けた可能性が指摘されている。(Wikipedia)

 大地震の前兆か?
 スロースリップはゆっくりとした地震のこと。通常の地震は急激に地殻変動を起こすのに対し、地殻変動がゆっくりで、ほとんんどゆれを感じることがない。今回のようにGPSを使ってわかる程度である。さてこのスロースリップが、実際の大地震の引き金になるかがどうかが気になるところだが、これには2つの見解がある。

 1つは、スロースリップにより震源域にかかる歪みが大きくなるので、大地震のきっかけとなる考え。防災科研のプレス発表資料発表資料には、「発生が固着域(アスペリティに)歪みをさらに蓄積すると予想されるため」と、まるで、スロースリップが巨大地震を誘発するかの様な説明になっている。

 また、日本地震情報研究会の地震情報日誌(2004/4/20)では、東海地震予知を担う、政府の地震防災対策強化地域判定会会長が、” ひずみという地震のエネルギーが解放されるのだからいいのでは、と考える人がいますが、実は全く逆なのです。浜名湖周辺で解放された分、その東の想定震源域にかかるひずみが大きくなってしまう。”

 ”スロースリップが止まってくれれば、まだここまで心配しない。だが、スロースリップが止まらないのです。2000年後半に始まってから、もう4年目に入りました。ーーーそろそろ止まってもいいのでは、と研究者は考えているのですが、止まらない。東海は明らかに異常な状況です。スロースリップで解放されたひずみも相当な量となっているはずなのに、どんどん突き進んでいる。”と書いている。

 大地震の解消か?
 もう1つの見解は、プレートにかかっているエネルギーが分散されるので、大地震を防ぐという考え。ただしこの場合は、近くの固着域(アスペリティ)にたまったエネルギーが、小地震や群発地震で分散される必要がある。

 プレートは、常時、マントルにより動かされている。スロースリップが起きないと言うことは、その分のストレスが、プレート間に蓄積されるということ。それが解放される時、巨大なエネルギーが放出されるしくみだ。

 「固着域の歪みが増える」は正しいですが、それにより、プレート間の歪みの総エネルギーは増えない。東南海の3連動、4連動地震を警戒するのは正しく、警戒すべきは、プレート間に蓄積された「総」歪みエネルギーである。

 スロースリップは、総歪みエネルギーを減らすことに大きく貢献している。スロースリップが、微小な固着域の滑りを誘発し、微小な群発地震が誘発される。群発地震に依り、さらに、総歪みエネルギーが減ると考える。スロースリップが起きることは、とても喜ばしいこと。(toshi_tomieのブログより) 

参考HP toshi_tomieのブログ 房総沖のスロースリップ地殻の歪みをを解消するので喜ぶべき現象
Wikipedia スロースリップ・ゆっくり滑り・ゆっくり地震 

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地球村、人口70億人を突破!問題山積!貧富の差、温暖化、環境破壊…

2011年11月03日 | 人類学

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 世界の人口 70億人を突破  
 世界の人口は、10月31日、70億人を突破した。国連は、10月31日に生まれる世界中のすべての赤ちゃんが70億人目になるとして、その誕生を祝うとともに、国際社会に対し、貧困の広がりなど人口増加に伴う問題に対する取り組みを強化するよう呼びかけた。

 国連によると、世界の人口は急激に増えており、1959年には30億人でしたが、僅か半世紀で2倍以上増え、31日、70億人を突破した。そして、今後も増え続け、今世紀中に100億人を超えると予測されている。このうち、最も多いアジアは今世紀半ばには52億人に増えるほか、アフリカは2100年に現在の3倍以上にあたる36億人に達すると予測されている。

 これに対し、日本やヨーロッパといった先進国では出生率の平均がおよそ1.7と、人口を維持するのに必要とされる2.1を下回り、人口が減少するとみられている。この結果、国連では、途上国を中心に貧困の問題が広がるほか、都市に人口が集中する都市化や、水不足が深刻化するおそれがあると指摘している。

 国連は、10月31日に生まれる世界中のすべての赤ちゃんが70億人目にあたるとしており、パン・ギムン事務総長は、70億の人口を抱えるようになった世界を祝うとともに、人口増加に伴う問題について国際社会に一層の取り組みを呼びかけることにしている。

 国連人口基金の東京事務所では世界の人口が70億人を突破する10月31日、日本で生まれた赤ちゃんに「70億人目の赤ちゃんの1人」であるということを証明する認定証を発行することにしている。応募は郵便で受け付けていて、母子健康手帳のコピーなどが必要になる。詳しくは、以下のサイトを参考にしてほしいということだ。http://www.70okunin.com (NHK news 10月31日)

 人口70億人を突破した地球村 
 世界人口が1億人になったのは、BC 2500年ころ、その後長い間があって、AD 1年ころ、2億人に達した。1億人増えるのに2500年かかった。また長い間があって、1000年ころ3億人に達した。1億人増えるのに1000年かかった。そして、1650年には5億人。2億人増えるのに650年かかった。

 1800年には、ついに10億人。5億人増えるのに150年…というように、人口増加のスピードは加速度的に増えていき、1927年に20億人に達するまでは1世紀以上かかった。1959年の30億人には32年間。しかし1987年の50億人から1999年の60億人まではわずか12年、70億人までは12年しかかからなかった。国連によると、2050年ごろの世界人口は90億人を超える見通しだ。

 英経済学者、トマス・マルサスの人口論、すなわち、食糧は算術数的に増え、人口は幾何数的に増えるため、大量の餓死が発生するだろうという予測は外れた。しかし、地球環境を持続可能に保ちながら、これほどの大勢の人口を食べさせなければならない悩みは、依然進行形だ。これまでは人口増加を農業生産の拡大で乗り切ってきた。しかし、農業生産性が落ちる兆しを見せており、切り開くことのできる農地をさらに見つけるのが厳しくなっただけでなく、水不足や地球温暖化による気候変動により、今後、食糧供給不足は深刻になるものと見られる。

 人口が急激に増加するところは、南アジアやサハラより南の黒いアフリカだ。2020年ごろ、南アジアのインドは、一人子政策を展開した中国の人口を抜くことになる。黒いアフリカの人口は、1950年代の欧州の3分の1に過ぎなかったが、2100年になると、5倍になる。彼らが世帯ごとに冷蔵庫を稼動し、自動車を乗り回すことを想定すれば、環境汚染も深刻な問題として浮上するだろう。

 欧州が1945年から1975年まで、東アジアが1980年から2010年まで、「繁栄の30年」を謳歌したのは、出生率低下を受け、扶養児童が減り、経済活動人口が相対的に多くなったからだ。その経済活動人口が引退する年になり、恩恵は負担に変わっている。日本はすでに、世界最高齢社会だ。欧州や米国もまもなく、このレベルに達する。2050年ごろ、韓国の高齢化は、日本よりさらに深刻になる見通しだ。不足した老人年金や医療保険基金を拡充したり、予防するための政策変化は避けられない。(東亜日報 2011年9月2日)

 世界の貧富の差拡大   
 世界では貧富の拡大、温暖化など問題が山積だ。石油の枯渇が近づき、表土と森が失われている。水と食料が、病院と学校が不足している。人の生活が、太陽と地球からの恵みを、超えそうだ。

戦争なんかしている場合ではない!独り占めでなく、分かち合って、共に生きなくては。今、生きてる。それだけで奇跡的なことなんだ。ヒトも動物も植物も、全宇宙で唯一の、137億年の中の一瞬の生命なんだ。

  5人に1人、子どもも含め、12億人がひどく貧しい状態で、1日1ドル未満で生活し、5億人が飢餓か、栄養不足に苦しんでいる。貧しい国の多いサハラ砂漠以南のアフリカ諸国は雨が少なく、土も栄養分が少ない。肥料も高い輸入品なので使えず、主食の穀物は少ししか作れない。

 食料を輸入しているが、輸出できるものがない。軽工業は安い中国製に対抗できず、貧しさから抜け出すのがかなり難しい。教育と医療の応援が必要だ。 

 アフリカの一部には石油や鉱物資源に恵まれた国があるけれど、その奪い合いで戦争がおき、折角の資金が兵器購入などに使われている。 武器を売るのは国連理事国の米ロ英仏中の5ケ国とドイツ、イスラエル。家や国を追われた大勢の難民がキャンプで苦しい生活を続けている。日本は武器を売らない、戦争をしかけない、しない?、唯一の経済大国。
   
  マータイさんの運動のように、アフリカにたくさんの木を植え、鳥や虫も増えて、その糞や死骸が土の栄養になり、雨も降るようになり、穀物や野菜がたくさん採れるようになれば、少しずつ、良い方向に進んでいくはずなんだ。
   
  ユニセフの世界子供白書2005によると、6億4千万人の子供がちゃんとした住居に住んでいない。5億人の子供がトイレなどの衛生設備のない家で暮らしている。4億人の子供が安全な水を利用することができない。3億人の子供がTVラジオ、新聞などの情報を得ていない。 

 2億7千万人の子供が健康診断など保健衛生サービスを受けていない。1億4千万人の子供が学校に行っていない。9千万人の子供がまともな食事を与えられていない。 (世界の人口より)

 「世界人口クイズ10」、70億人の世界
1.70億人を代表するとしたら、一番多い国籍と民族は何だろうか?

 正解は中国の漢民族である。統計によると、世界で最も人口の多い国は中国。民族は漢民族で、年齢層は28歳。性別を比較すると、女性1人に対し男性が1.01人いる。

2.70億人全員が起立して隙間なく並ぶと、次のうちどの程度の面積に収まるか?サンパウロ(ブラジル)か東京(日本)か、フロリダ州(アメリカ)か、ロサンゼルス市(アメリカ、カリフォルニア州)か? 

 正解は、ロサンゼルス。70億人全員が起立して隙間なく並んだ場合、ロサンゼルス市(約1300平方キロ)に収まる。

3.先進諸国と呼ばれる国に住む人達の平均寿命は何歳?

 正解は80歳。現在、先進諸国の平均寿命は80歳前後で、100年前に比べると30歳も伸びている。53歳にとどまっているサハラ以南のアフリカ諸国とは対照的だ。

4.これまで地球上に存在した人類の総数は? また、そのうち何%が現在生きている?

 正解は、1080億人。これまで地球上に存在した人類は1080億人と推定されている。このうち現在生きている人は70億人。計算するとその割合は6.4%である。

5.現在最も人口の多い国は中国。2050年に最多と予想される国はどこか?

 正解は、インド。アメリカのワシントンD.C.にある民間の非営利調査団体によると、インドの人口は2050年までにおよそ17億人に達し、中国を抜いて世界第1位になると予想されている。

6.都市部と農村部、どちらで生活する人の方が多いか?

 正解は都市部。世界人口は大部分が農村生活者で占められていたが、2008年時点では都市部の人口が50%を超えるようになった。現在、都市生活者のほとんどは人口50万人未満の都市で暮らしている。2050年までに、総人口の70%が都市部に住むようになると予想されている。

7.就業者数が最も多い職業分野は? 

 正解はサービス業。最も就業者数の多い分野はサービス業で、全体の40%。次いで農業が38%、工業は22%と最も少ない。

8.2011年の世界の出生数は1分あたり何人?

 正解は、266人。2011年の世界の出生数は1分あたり約266人。1日に38万2351人、1年では1億3955万8000人が誕生している。(Nancy Gupton for National Geographic News November 1, 2011)

9.日本の人口は世界第何位? 

 正解は世界第10位。世界1位は、中国の13億5410万人、2位はインドで12億1450万人、3位はアメリカの3億1760万人。以下、4位インドネシア、2億3250万人、5位ブラジル、1億9540万人、6位パキスタン、1億8480万人、7位バングラデシュ、1億6440万人、8位ナイジェリア、1億5830万人、9位ロシア、1億4040万人、10位日本、1億2700万人。(国連人口基金2010年)

参考HP Wikipedia 世界人口 世界の人口
National Geografic news 世界人口クイズ、70億人の世界

世界がもし100人の村だったら 完結編
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地球村の思想―グローバリゼーションから真の世界化へ (グローバルネットワーク21人類再生シリーズ)
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新「1キログラム」物語 「キログラム原器」廃止へ!新基準は「Si」原子数?

2011年11月03日 | 物理

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 キログラムの定義、120年ぶり見直しへ
 質量の単位「キログラム」の国際的な定義が、120年ぶりに見直される。フランスで開催中の国際度量衡総会が10月21日、定義の見直し方針を採択したもので、今後、最先端研究をもとに4~8年かけて新しい定義を決める。

現在、1キロ・グラムは仏の国際機関・国際度量衡局に保管されている白金とイリジウムの合金でできた円柱形の分銅「キログラム原器」が基準。日本も同じ材質の原器がつくば市の産業技術総合研究所にある。

 しかし、これまで繰り返し行われた洗浄やほこりの付着で、質量が微妙に変化したとされる。そのため定義の見直しの必要性が指摘されていた。今後は、質量の単位を原子の数、エネルギー量など普遍的な形で定義し、それをもとに分銅を作製する。新定義によって微小な分銅の作製も可能となり、ナノテクノロジーなどの産業にも生かされる。(2011年10月22日  読売新聞)

 国際キログラム原器は、白金イリジウム合金製の分銅。1889年、メートル条約に基づいてつくられ、パリの国際度量衡局に厳重に保管されている。

 本来、質量は一定のはずだが、1988年に洗浄された際は1億分の6程度軽くなった。また、2007年9月、国際キログラム原器が50µg軽くなっている事が判明した。“50µg”とは指紋が付いた分に相当するという。同時に作られた複製品には異常がなく、また厳重保管されているのに、なぜこのような状態になったかは未だに不明だという。

 この量は、極々わずかなので私たちの生活に問題はない。しかし、高精度の測定が必要な先端科学の世界では、より正確で安定的な定義が求められていた。

 「1kg」はどうやってきめられたか?
 「1m」は光の速さで、真空中を約3億分の1秒に進む距離として定義されている。では1kgはどうやって決められたのだろうか?

 1790年フランス、国王ルイ16世の号令の元、新しい時代の度量衡としてメートル法を策定すべく、主に科学者達で構成された委員会が結成された。当時その委員会において、質量単位のモデルとして1メートルの10分の1で構成された立方体の升に入った水の質量、すなわち1リットルの大気圧下で氷の溶けつつある温度(0度)における水について、grave(グラーブ、記号G)と名称が与えられた質量単位を標準とする事が提案された。その語源はgravity(重力)から由来したものである。

 当初案の定義では、「大気圧下で氷の溶けつつある温度(すなわち0度)における水について」となっていたが、その後、水の体積は温度依存することが分かり、結果として定義は、1790年に「最大密度(=液温摂氏4度)における蒸留水1立方デシメートル(1リットル)の質量」と定義された。しかし、水の密度は気圧と温度に影響され、気圧にはその因子に質量が含まれている。すなわち、このキログラムの定義は正確ではなかった。 

 1884年メートル条約で、国際キログラム原器をつくって、定義されることになった。国際キログラム原器はプラチナ(白金)90%、イリジウム10%からなる合金でできており、直径・高さともに39mmの円柱である。フランス・パリ郊外セーヴルの国際度量衡局に、二重の気密容器で真空中に保護された状態で保管されている(世界のすべての質量計測の基準であるので、万一にも錆などにより質量が変化しては困る)。国際キログラム原器の質量は "Le Grand Kilo" と呼ばれる。

 国際キログラム原器を元に40個の複製が作られて各国に配布・保管されており、約10年ごとに特殊な天秤を用いて国際キログラム原器と比較されることになっている。日本には1889年に複製のうちの1つ (No.6) が配布され(日本到着は翌1890年)、日本国内ではこれをキログラムの基準に使用している。この日本国キログラム原器は現在、茨城県つくば市の独立行政法人産業技術総合研究所に、国際キログラム原器と同様の容器内に保管されている。日本国キログラム原器は国際キログラム原器に比べて0.170mg重いことが分かっている。

 このように、メートルなど他のSI基本単位は、普遍的な物理量に基づく定義に改められているのに対し、キログラムだけが人工物に依存する単位として残ってしまった。人工物による定義では、経年変化により値が変化し、また、焼損や紛失のおそれもある。1970年代から、普遍的な物理量によるキログラムの定義が検討されてきた。

 普遍的な物理量による定義へ
 では、どのような定義が採用されるのだろうか?現在の定義に変わる新しい定義の候補として、アボガドロ定数やプランク定数などを用いた各種の提案がある。

 最も有力なのが、一定個数のケイ素 (Si) 原子の質量をキログラムとするという原子質量標準である。アボガドロ定数の値をより正確に求めることができれば、そこからケイ素1キログラムに含まれるケイ素原子の数を決定することができる。ケイ素が採用されたのは、ケイ素が不純物を含まない単結晶を作りやすいからである。現在、国際度量衡委員会 (CIPM) が中心となって、各国の研究機関でケイ素を用いてアボガドロ定数の不確かさを少しでも小さくするための研究が行われている。

 現在のアボガドロ定数の値 NA = 6.022 141 29(27)×1023 mol-1(CODATA2010年推奨値。括弧内は標準不確かさ)には、8桁目に不確かさがある。現行の定義による精度は8桁なので、あと1桁精度を上げることができれば、キログラムの定義を原子質量標準に置き換えることに意味が出てくる。

 他には以下のような提案がある。

・静止エネルギーと質量の関係式 E=mc² を用いて、ある振動数 ν の光子のエネルギー (E = hν) と等しい静止エネルギーを持つ物体の質量を1キログラムと定義する。
・かつてプランク定数とキログラムを関連づけることでアンペアを定義するのに用いられたワット天秤を用いて定義する。
・伝導コイルで発生する磁場で超伝導体を浮揚することによってキログラムと電気量とを関連づけ、コイルに流れる電流により定義する。
・ジョセフソン定数 (KJ≡4.835 978 70(11)×1014 Hz/V) とフォン・クリッツィング定数 (RK≡2.581 280 744 34(84)×104Ω) を用いて定義する。すなわち、真空中に1メートルの間隔で平行に置かれた無限に小さい円形の断面を有する無限に長い2本の直線状導体のそれぞれに、1秒あたり6.241 509 629 152 65×1018の電荷による直流の電流が流れるとき、導体に2×10-7m/s²の加速度が生じたときの、その導体の1メートルあたりの質量を1キログラムと定義する。
・金の原子を蓄積し、それを中性化するのに必要な電流によって定義する。 (Wikipedia)

参考HP Wikipedia キログラム ・ アイラブサイエンス 1キログラム物語 

質量の起源 (ブルーバックス)
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物質のすべては光―現代物理学が明かす、力と質量の起源
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早川書房

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アップル、ジョブズ氏の残した多彩な作品「iMac、iPod、iPhone、トイストーリー」

2011年11月01日 | IT

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 iPhone4を手にして
 私がスティーブ・ジョブズ氏を知ったのは、確かApple社のCEOとしてiPhone4の商品紹介のプレゼンをしているのを、テレビ番組で見たときからだったと思う。面白そうだとは思ったが、なかなか手に入れることはできずにいた。そして、最近になってようやく、念願のiPhone4を手に入れた。あっという間に引き込まれていた。

 スティーブ・ジョブズ氏はすごい人だ。そう思っていたところで、弔報を聞くことになった。Macintosh、iMac、iPod、iPhone、iPad、どれもこれもセンスがよく、エンターテイメント性を備えている。このセンスの良さは、あの「トイストーリー」や「ファインディングニモ」を制作した、ピクサー・アニメーション・スタジオの会長時代に身につけていたことも後で知ることになった。

 もっと早く出会いたかった。しかし、知らないうちに彼の作品とはと出会っていた。死去前日(10月4日)の午前中にiPhone 4Sの正式発表が行われていて、かろうじてその発表を見届けてからの死去となった。ご冥福をお祈りする。

 前アップルCEO、スティーブ・ジョブズ氏死去
 米電子機器大手アップルの創業者、スティーブ・ジョブズ氏が死去した。56歳。ジョブズ氏は体調不良を原因に8月に米アップルの最高経営責任者(CEO)職を辞任していた。

 ジョブズ氏は1976年にアップルを共同創業し、パーソナルコンピュータ「Apple」や「マッキントッシュ」などを発表、同社を世界的な企業に押し上げたが、社内的な対立で1985年に退社。1986年に設立したピクサー・アニメーション・スタジオは、多くのヒット作を出して、世界屈指の映像制作会社となった。

 1997年、経営悪化で苦しむアップルの経営トップに復帰し、2000年には最高経営責任者(CEO)に就任した。復帰後は斬新なデザインのパソコン「iMac」を大ヒットさせ、携帯型デジタル音楽プレイヤー「iPod」で音楽事業をパソコンと並ぶ事業の柱に育てるなど、業績を急回復させた。

 その後も、2007年に発売したスマートフォン(多機能携帯)「iPhone」、10年のタブレット型情報端末「iPad」と、革新的な製品を次々と世界に送り出し、同社をパソコン大手から、デジタル家電やメディア配信事業を含むIT企業の雄へと変貌させた。2011年4~6月期決算では売上高と最終利益で過去最高を更新、アップルは株式時価総額で世界最大のIT企業となった。

 一方で、2004年に膵臓がんが発覚。半年程度の療養後、仕事に復帰したものの、2011年1月から再び病気療養で休職し、8月にはCEOを辞していた。スティーブン・ポール・ジョブズ(Steven Paul Jobs、1955年2月24日 - 2011年10月5日)は、アメリカ合衆国の実業家。スティーブ・ウォズニアック、ロン・ウェイン、マイク・マークラらと共に、商用パーソナルコンピュータで世界初の成功を収めたアップル社の共同設立者の一人。また、そのカリスマ性の高さから、発言や行動が常に注目を集め続けた。(msn 2011.10.6)

 ITの革命児、波乱の道のり
 56歳の若さで死去した米電子機器大手アップルの創業者で現会長、スティーブ・ジョブズ氏。一時代を築いた「ITの革命児」の道のりは、決して平坦(へいたん)ではなかった。

 米サンフランシスコに生まれ、すぐ養子に出される。大学を中退後、1976年に友人とアップルを創業。パーソナルコンピューター「マッキントッシュ」がヒットし、一躍若手起業家の仲間入りを果たした。

 しかし、経営対立から会社を追われる。再びコンピューター会社を立ち上げるが成功しなかった。この会社をアップルが買収、1997年に古巣に戻った。

 経営トップに立つと製品の種類を絞り込み、「21世紀のウォークマン」とする「iPod(アイポッド)」を発売。さらに高機能携帯電話「iPhone(アイフォーン)」、タブレット型情報端末「iPad(アイパッド)」とヒット商品を連発。直感的な操作と美しいデザインにこだわり、若年層を中心に爆発的な人気を博した。

 今年3月には、病気療養中ながら新製品iPad2の発表会に登場。成功の秘密について「技術が教養や人間性と結びついてこそ、人の心を動かすことができる」と強調していた。

 また、IT機器とコンテンツ供給サービス一体の「統合モデルは大きな強み」と話し、ネット検索最大手グーグルなどとのデジタル時代の覇権争いを見据えていたが、志半ばでの死去となった。(msn 2011.10.6)

 スティーブン・ポール・ジョブズ 
 スティーブ・ウォズニアックと共に、ワンボードマイコン「Apple I」を開発・販売し、アップル社設立後には、パーソナルコンピュータ「Apple II」を発表。株式公開後には2億ドルもの巨額を手中にし、20代でフォーブスの長者番付に載り、世間の注目を集めた。

 ゼロックス社パロアルト研究所を見学した際、Altoで動作していた暫定Dynabook環境のグラフィカルユーザインターフェースにインスピレーションを受け、パーソナルコンピュータ「Lisa」を開発。続いて、ジェフ・ラスキンらのMacintoshプロジェクトの主導権を握り、新たなコンピュータ像を創造した。発表された「Macintosh」は、当時存在したあらゆるパソコンを凌駕する洗練されたものであり、再び時の人となった。しかし、本人の立ち居振舞いのために社内を混乱させたとされ、アップルの役員達から社内でのすべての職を剥奪された。

 アップル退職後、ルーカスフィルムのコンピュータ・アニメーション部門を買収して、ピクサー・アニメーション・スタジオを設立。また、自ら創立したNeXT Computerで、ワークステーション「NeXTcube」と先進的オペレーティングシステム (OS) NEXTSTEPを開発した。1996年、業績不振に陥っていたアップル社にNeXTを売却することで復帰、1997年には、暫定CEOとなる。その後、ライバルとされていたマイクロソフトとの資本連携に踏み切り、Macintosh互換機へのライセンスを停止、社内のリストラを進めてアップル社の業績を回復させた。

 2000年、正式にCEOに就任。2001年から2003年にかけてMacintoshのOSをNeXTの技術を基盤としたMac OS Xへと切り替える。その後はiPod・iPhone・iPadといった一連の製品群を軸に、アップル社の業務範囲を従来のパソコンからデジタル家電とメディア配信事業へと拡大させた。

 暫定CEOに就任して以来、基本給与として、年1ドルしか受け取っていなかったことで有名であり(実質的には無給与であるが、この1ドルという額は居住地の州法により、社会保障を受けるために給与証明が必要なことによる)、このため「世界で最も給与の安いCEO」とも呼ばれた。2006年に、ピクサーをディズニーが買収したことにより、ディズニーの個人筆頭株主となり、同社の役員に就任したが、ディズニーからの役員報酬は辞退していた。

 2011年10月5日、アップルはジョブズが死去したと発表した。別の報道では死因は膵癌に伴う呼吸停止と報道している。56歳没。(Wikipedia)

 ジョブズに対する評価 
 長年ライバル関係であったが30年来の良き友人でもあったビル・ゲイツを始めとする世界中の業界関係者からその死を惜しむ声が相次ぎ、バラク・オバマアメリカ合衆国大統領も弔意を表明した。

 スティーブのように深い影響力を与えられる人間は、めったにいない。その影響はこれからの多くの世代にも受け継がれるだろう。—ビル・ゲイツ, The Gates Notes, 2011年10月5日

 スティーブは米国のイノベーターの中で最も偉大な一人でした。違う考えを持つことに勇敢で、世界を変えられるという信念に大胆で、そしてそれを成し遂げることに十分優秀でした。この星で最も成功した会社の1つをガレージから作り上げることで、彼は米国の独創性の精神を実証した。スティーブは毎日が最後の日であるかのように生き、私たちの生活を変え、全産業を再定義し、私たち一人一人が世界を見る方法を変えました。—バラク・オバマ, The White House Blog, 2011年10月5日

 ジョブズには1000マイル先の水平線が見えていた。しかし彼にはそこに到達するまでに通らなければならない道の詳細は見えていなかった。それが彼の天才性であり落ち度でもあった。—ジェイ・エリオット

 他人の脳みそを盗むのはジョブズにとって普通のやり方さ。まず人のアイデアを鼻であしらっておいて、その1週間後には、素晴らしいアイデアを思いついたなんていいながら戻ってくる。そのアイデアというのは、もちろん1週間前に誰かがジョブズに話したアイデアなんだ。我々はジョブズのことを現実歪曲空間と呼んでいたのさ。—ジェフ・ラスキン

 スティーブはまさに刺激的な存在だ。放漫で、暴虐で、激しく、無い物ねだりの完全主義者だ。彼はまた、未成熟で、かよわく、感じやすく、傷つきやすくもある。そして精力的で、構想力があり、カリスマ的で、さらにおおむねは強情で、譲らず、まったく我慢のならない男だ。—ジョン・スカリー

 人は私がクソ野郎についての本を書いていると聞きつけるや否やスティーブ・ジョブズについての話を話し始めただろう。シリコンバレーでいかにジョブズが恐れられているか、そのレベルには驚嘆するものがある。彼は人を震え上がらせ、悲嘆にくれさせる。だが、彼はほとんどいつも正しく、たとえ間違えている時でも、その創造性の豊かさには目を見張るものがある。—ロバート・サットン(スタンフォード大教授)

 民主主義に沿ってたんじゃ、素晴らしい商品なんて創れっこない。闘争本能の固まりのような独裁者が必要なんだよ。—ジャン・ルイ・ガセー(Be社創業者、元アップル社員) 

スティーブ・ジョブズ I
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講談社
スティーブ・ジョブズ名語録 (PHP文庫)
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PHP研究所

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