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なぜ日本政府やマスコミは、新型コロナウイルスの原因を追求しないのか?

2020年03月30日 | サイエンスジャーナル

 新型コロナウイルスの原因は?

 コロナウイルスが原因で東京オリンピックの開催が危ぶまれている。麻生財務相が40年ごとに中止や延期になるオリンピックの歴史を振り返って「呪われたオリンピック」という発言をして問題になった。

 しかし、麻生氏がいうようにマスコミが本来言いそうな内容だと思う。現状を一言でよく表しているからである。

 今回のコロナウイルス問題に対するマスコミや科学者の態度には疑問がある。およそ自然科学者であるならば、今回の新型コロナウイルスの原因が何であるか探求するのがふつうの科学者の態度であろう。ウイルスは遺伝子操作された可能性があるからだ。

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第73回ノーベル生理学・医学賞 フリッシュ・ローレンツ・ティンバーゲン「固体化および社会的な行動パターンの組織化と誘発に関する発見」

2020年03月24日 | ノーベル賞

 動物行動学

 この年のノーベル賞は、動物行動学の研究者3名に贈られた。生理学や医学に直接関係のない研究者に贈られるのは初めてのことであった。動物行動学とは何だろう?

 動物行動学(ethology)は、生物の行動を研究する生物学の一分野。近代以降、動物の行動を詳細に観察し、記述した最初の一人は昆虫記を著したファーブルである。

 ファーブルは昆虫の行動の精緻さを創造の証拠だと考えた。同時期にイギリスではダーウィンがオランウータンを観察し、その振る舞いが人間とわずかにしか異ならないことに注目した。

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参考 Wikipedia: コンラート・ローレンツ ニコ・ティンバーゲン カール・フォン・フリッシュ

  

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第73回ノーベル化学賞 フィッシャー・ウイルキンソン「サンドイッチ構造を持つ有機金属化学(遷移金属化合物)の先駆的研究」

2020年03月24日 | ノーベル賞

 1973年ノーベル化学賞の受賞理由

 ノーベル科学賞の受賞理由は、一般の人にはわかりにくい。私のような科学に関心がある専門家でもわかりにくいものが多い。1973年のノーベル化学賞もそうだ。

 1973年のノーベル化学賞の受賞理由は「サンドイッチ構造を持つ有機金属化学(遷移金属化合物)の先駆的研究」である。この受賞理由にはどんな意図が隠されているのだろうか?

 有機金属化学とは金属原子を含んだ有機化合物(ヘモグロビン・葉緑素もその一つ)のはたらきを調べたり利用したりする科学分野。遷移金属とは鉄、マンガン、ニッケルなどのように複数の電子価を持つ金属元素。

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参考 Wikipedia: ジェフリー・ウィルキンソンソ エルンスト・オットー・フィッシャー

  

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第73回ノーベル物理学賞 江崎、ジェーバー「半導体と超伝導体にトンネル効果を発見」ジョセフソン「トンネル効果理論」

2020年03月22日 | ノーベル賞

 1973年ノーベル物理学賞「トンネル効果」

 1973年のノーベル物理学賞は「トンネル効果」の研究に贈られた。トンネル効果とは何だろう?

 「トンネル効果」とは文字通り、ふつう物質が通れないところでも、微粒子の世界ではトンネルでもあるかのように通れるとういう不思議な現象である。

 例えばコップの中の水は、コップの壁を乗り越えるエネルギーを水が持っていないため、自分では外に流れ出ない。ところが、絶対零度でも固体にならない、液体ヘリウムをコップに入れると、コップの壁を伝って外に流れ出す現象が見られる。

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参考 Wikipedia: ブライアン・ジョゼフソン アイヴァー・ジェーバー 江崎玲於奈

  

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第72回ノーベル生理学・医学賞「抗体の化学構造に関する発見」

2020年03月19日 | ノーベル賞

 体を守るしくみ「免疫」とは何か?

 体内に侵入した細菌やウイルス、それらに感染した細胞(抗原とはこれらすべての総称)と結合するものを抗体という。免疫グロブリンとも呼ばれるこの物質が抗原と結びつくと白血球やマクロファージが働き、免疫作用が生じる。

 例えば、不法侵入者についたマーキング(抗体)がガードマン(白血球やマクロファージ)によって排斥されるようなメカニズムである。

 リンパ球のB細胞から生産される抗体には数多くの種類がある。これはひとつの種類の抗体が、ひとつの抗原にしか対応できないためだ。

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g参考 Wikipedia: ロドニー・ロバート・ポーター  ジェラルド・モーリス・エデルマン

  

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第72回ノーベル化学賞 アンフィンセン・ムーア・ステイン「リボヌクレアーゼの研究」そのアミノ酸配列と分子構造解析

2020年03月18日 | ノーベル賞

 1972年ノーベル化学賞の受賞研究「リボヌクレアーゼ」

 1972年のノーベル化学賞は「リボヌクレアーゼ」の研究者3人に贈られた。リボヌクレアーゼとは何だろう?

 リボヌクレアーゼーぜは、リボ核酸(RNA)の分解酵素のこと。タンパク質を分解する酵素の一種でタンパク質をバラバラにしてアミノ酸に分解する。

 アメリカの生化学者アンフィンセンは、ウシの膵臓リボヌクレアーゼの1次構造の研究を行い、タンパク質の立体構造はその1次構造によって決定されることを発見した。ノーベル賞の授賞理由は「リボヌクレアーゼのアミノ酸配列と生化学的に活性な構造の関連について」である。

 アメリカの生化学者スタインとムーアは、特にリボヌクレアーゼの構造分析の方法で業績を残した。その方法は1948年、ニンヒドリン法というアミノ酸があれば紫色になる試薬で検出する方法と、液体クロマトグラフィーでアミノ酸分子の分子量を比較する方法を組み合わせることで、アミノ酸の種類を特定する方法を開発。リボヌクレアーゼが124個のアミノ酸でできていることをつきとめた。

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参考 Wikipedia: ウィリアム・スタイン スタンフォード・ムーア クリスチャン・アンフィンセン

 

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第72回ノーベル物理学賞 バーディン・クーパー・シュリーファーの「BCS理論と呼ばれる超伝導理論の研究」

2020年03月18日 | ノーベル賞

 BCS 理論とは何か?

 1972年ノーベル物理学賞の受賞理由にある「BCS理論」とは何だろうか?

 これは超伝導を説明する理論である。「BCS理論」は超伝導理論の研究者「バーディン・クーパー・シュリーファー」の名前から取った理論である。
 
 超伝導というと次世代の交通機関の動力源であるリニアモーターがある。また、次世代二次電池である超伝導蓄電池がある。これらはごく低温下で金属などの電気抵抗が「0」になる現象を利用したものだが、この現象を説明することが科学の課題になっていた。


 

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参考 Wikipedia: レオン・クーパー ジョン・ロバート・シュリーファー ジョン・バーディーン 

  

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植物状態から復活!15年間眠っていた男性の意識が回復、定説覆した電気刺激療法

2020年03月17日 | サイエンスジャーナル

 植物状態の人間とは何か?

 植物状態とは、呼吸や体温調節、血液循環などの生命維持に必要な脳幹は機能しているが、頭部の外傷や脳への血流の停止などが原因で、大脳の働きが失われて意識が戻らない状態のことをいう。遷延性意識障害(せんえんせいいしきしょうがい)ともいう。

 植物状態の患者は、脳全体の機能が失われて元に戻らない脳死状態と混同されることが多いが、脳幹が機能しているので、生命維持機能がある点で脳死状態とは異なる。20年ほど前、私のいとこも過労のため脳溢血を起こし、一時植物状態に置かれたことがあった。このときは、脳幹だけは機能していたが、脳のほとんどの機能が失われたため親族の意思で生命維持装置が外された。

 日本脳神経外科学会では植物状態を、自力で動けず、食べられず、失禁状態で、意味のある言葉をしゃべれず、意思の疎通ができず、目でものを認識できない、という状態が3ヶ月以上続く場合と定義している。しかし、患者の認知の程度についての判断に、さまざまな解釈があるため、世界的な基準はいまだ確立されていない。

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参考 National Geographic news: https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/17/092700365/

   

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自然界は何を伝えようとしているのか?新型コロナウイルスの次は「バッタ大量発生」!

2020年03月15日 | 環境問題

 自然界からのメッセージ

 人間社会では、人間が集まり、話し合い物事が決められていく。その可能性を探るのが「社会科学」である。残念ながら、それをがいつも正しいものになるわけではないのは「歴史」が証明している。

 数々の戦争による悲劇、政策による景気・不景気の波、過労死、いじめ問題などなど…。これは人ごとではなく、日本社会の中にもある重要な問題点である。

 例えば、今回の新型コロナウイルスの問題もそう。おそらく遺伝子操作をして毒性を持たせた中国の生物兵器である「新型コロナウイルス」を人為的なミスで漏らしてしまった。

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参考 National Geographic news:https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/20/022400121/

  

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第71回ノーベル生理学・医学賞 サザランド「ホルモンの作用機作に関する発見」セカンドメッセンジャー(cAMP)

2020年03月13日 | ノーベル賞

 1971年ノーベル生理学・医学賞

 第71回ノーベル生理学・医学賞の授賞理由は「ホルモンの作用機作」に関する発見である。「機作」はあまり見たことのない字だが「きさ」と読み、しくみや機構、メカニズムのことである。

 ホルモンはご存知の通り、男性ホルモン(テストステロン)女性ホルモン(エストロゲン)成長ホルモンなど、生体の外部や内部に起こった情報に対応し、体内において特定の器官で合成・分泌され、血液など体液を通して体内を循環し、決まった細胞でその効果を発揮する生理活性物質を指す。

 ホルモンが伝える情報は生体中の機能を発現させ、恒常性を維持するなど、生物の正常な状態を支え、都合よい状態にする重要な役割を果たしている。

 細胞内で情報伝達物質であるホルモンが受容体(レセプター)と結合することで作られる別の情報伝達物質が、細胞の代謝や変化に影響を与える。

 新たに作られた情報伝達物質は、タンパク質に結合して、体内でのシグナル伝達を行う物質に変化する。この物質はセカンドメッセンジャー(二次情報伝達物質)と名付けられている。

 以前は、ホルモンは血液によって運ばれ標的器官を直接活性化すると考えられていた。しかしアメリカの生化学者サザランドは、活性化する物質は、セカンドメッセンジャーである、環状アデノシン一リン酸(cyclic AMP:cAmp)であることを示した。

 ホルモンが標的器官に到達すると、器官を構成する細胞内の環状アデノシン一リン酸(cAmp)が濃度が上昇しそれによって細胞内の生合成活性が調節されることを発見した。

 ホルモンの働きとセカンドメッセンジャー

 ホルモンの種類には蛋白質のもととなるアミノ酸が数個から100個以上つながった形のペプチドホルモン(成長ホルモン、インスリンなど)、コレステロールを材料につくられるステロイドホルモン(副腎皮質ホルモン、エストロゲン、テストステロンなど)とアミノ酸のチロシンの誘導体であるアミン(甲状腺ホルモン、アドレナリン、ノルアドレナリン)がある。

 体の状態を一定に保つ(ホメオスターシスの維持)ために神経系、内分泌系、免疫系がお互いに密接な関係を保ちながら働いていている。

 内分泌系の情報伝達物質(メッセンジャー)がホルモン(hormone)である。ホルモンは全身のいたるところでつくられている。以前は内分泌臓器でホルモンがつくられ、血液中を流れて遠く離れた標的となる細胞(標的臓器)に到達して、そこで働くと考えられていた。

 しかしサザランドによって、細胞内で情報伝達物質が受容体(レセプター)と結合することで作られる別の情報伝達物質が、細胞の代謝や変化に影響を与えることがわかった。

 新たに作られた情報伝達物質は、タンパク質に結合して、体内でのシグナル伝達を行う物質に変化する。この物質はセカンドメッセンジャー(二次情報伝達物質)と名付けられている。

 ホルモンは非常に少ない量(50mプールいっぱいの水にスプーン1杯程度)で効果がある。 ホルモンは体の健康維持のためいろいろな機能を調節しているが、主には個体の生命と活動性の維持、成長と成熟および生殖機能を担っている。
 現在、体の中には100種類以上のホルモンがみつかっているが、これからもまだ増えると思われている。

 エール・ウィルバー・サザランド・ジュニア

 エール・ウィルバー・サザランド・ジュニア(Earl Wilbur Sutherland Jr.、1915年11月19日 - 1974年3月9日)は、アメリカ合衆国の生理学者。カンザス州バーリンゲームにて生まれる。1971年、(cAMPの様な)セカンドメッセンジャーによる「ホルモンの作用機作に関する発見」により、ノーベル生理学・医学賞を受賞した。 受賞理由は「ホルモンの作用機作に関する発見(cAMPに関する研究)」である。 

 1937年、カンザス州トピカにあるウオッシュバン大学にて科学の学士号を受け取る。
 1942年にミズーリ州セントルイス・ワシントン大学メディカルスクールを卒業。第二次世界大戦中に医師を務めた後にセントルイス・ワシントン大学に戻り、カール・コリの研究室にて研究者を務める。
 1953年、オハイオ州クリーブランドのケース・ウェスタン・リザーブ大学医学部長となる。彼はここでcAMPを発見した。
 1963年、研究の義務を減らすためにナッシュビルのヴァンダービルト大学にて生理学教授に就任し、1973年まで働いた。
 1966年にはアメリカ科学アカデミー会員に選ばれ、1974年、彼が死去したとき、マイアミ大学メディカルスクールの生化学の教授であった。

 サイクリックAMP(cAMP)はすべての動物細胞に存在し、すべての動物の活動に関係する。この発見によって世界中の生化学者がサイクリックAMPの研究に熱中した。セカンドメッセンジャーとして現在ではカルシウムイオン、サイクリックGMP(cGMP)、ジアシルグリセロール(DAG)が知られている。

 サザランドはサイクリックAMP(cAMP)を発見し、セカンドメッセンジャーの理論を確立する。これらの研究はケース・ウエスタン・リザーブ大学の教え子であるアルフレッド・ギルマンに受け継がれ、ギルマンは「Gタンパク質」を発見。1994年のノーベル生理学・医学賞の受賞につながる。

 サイクリックAMP(cAMP)とは何か?

 環状アデノシン一リン酸(cyclic AMP, cAmp)は、アデノシン三リン酸 (ATP) から合成され、リボースの 3', 5' とリン酸が環状になっている分子。

 cAMPは、グルカゴンやアドレナリンといったホルモン伝達の際の細胞内シグナル伝達においてセカンドメッセンジャーとして働く。

 細胞膜を通り抜ける事はできない。その主な作用はタンパク質リン酸化酵素(タンパク質キナーゼ)の活性化で、これはイオンチャネルを通して、Ca2+の通過を調節する事にも使われる。

 cAMPはアデニル酸シクラーゼ(adenylate cyclase)によってATPから合成される。アデニル酸シクラーゼは細胞膜に位置する。これはホルモンのグルカゴンとアドレナリンやGタンパク質により活性化される。

 肝臓アデニル酸シクラーゼはグルカゴンにより強く反応し、筋肉アデニル酸シクラーゼはアドレナリンへより強く反応する。

 AMPへのcAMP分解は、ホスホジエステラーゼという酵素により触媒されている。この酵素は、カフェインによって抑制され、カフェイン様薬物による刺激作用によって細胞内cAMP濃度の上昇が引き起こされる。

 cAMP その他のはたらき

 タンパク質キナーゼ活性化:環状AMPは幾つものタンパク質キナーゼと関係している。

 例えば、PKA(タンパク質キナーゼA、cAMP依存タンパク質リン酸化酵素としても知られる)は普通は四量体ホロ酵素として不活性で、それは2つの触媒ユニットと2つの調節ユニットからなり(C2R2)、調節ユニットが触媒ユニットの触媒中心をブロックしている。

 環状AMPはそのタンパク質リン酸化酵素の調節ユニットの特定の部位へ結合して、調節ユニットと触媒ユニットの分離を行って、これにより触媒ユニットはその基質タンパク質のリン酸化ができるようになる。

 グリコーゲン分解調節:cAMPはグリコーゲンのグルコースへの分解や脂肪分解など多くの生物学的過程をコントロールする。

参考 Wikipedia: エール・サザランド

  

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第71回ノーベル化学賞 ヘルツベルク「遊離基の電子構造と幾何学的構造に関する研究」

2020年03月12日 | ノーベル賞

 

 1971年ノーベル化学賞

 1971年のノーベル化学賞は「遊離基の電子構造と幾何学的構造に関する研究」に贈られた。

 遊離基とは何だろうか?遊離基とは 不対電子をもつ原子や分子、あるいはイオンのことを指す。ラジカル(radical)とも呼ばれる。

 また最近の傾向としては、C2, C3, CH2 など、不対電子を持たないがいわゆるオクテット則を満たさず、活性で短寿命の中間化学種一般の総称として「ラジカル(フリーラジカル)」という場合もある。

 通常、原子や分子の軌道電子は2つずつ対になって存在し、安定な物質やイオンを形成する。ここに熱や光などの形でエネルギーが加えられると、電子が励起されて移動したり、あるいは化学結合が二者に均一に解裂(ホモリティック解裂)することによって不対電子ができ、ラジカルが発生する。

 ラジカルは通常、反応性が高いために、生成するとすぐに他の原子や分子との間で酸化還元反応を起こし安定な分子やイオンとなる。

 一方、ゲルハルト・ヘルツベルクがラジカルを分析する手段として、分光法を発展させラジカルの電子状態が詳しく調べられるようになった。

 その結果、ラジカルが単純に結合を切断した形で存在するのではなく、特に二つの結合を切ったようなビラジカル(またはバイラジカル;CH2等)では基底状態は不対電子を持たない形で存在することが明らかになった。

 一方で安定な分子の一部(O2など)も不対電子を持つことから、ヘルツベルクはラジカルに対して「不対電子をもつことにとらわれず、反応性の高い活性で短寿命の中間化学種一般の総称」という広い定義を彼の著書の中で使用した。

 これを受けてヘルツベルクと関連の深い、分子科学(化学物理)、化学反応論、宇宙化学の分野ではこの広い定義で扱われるようになった。

 分光法とは何か?

 分光法(spectroscopy)とは、物理的観測量の強度を周波数、エネルギー、時間などの関数として示すスペクトル (spectrum) を得ることで、対象物の定性・定量あるいは物性を調べる科学的手法である。

 spectroscopy の語は、元々は光をプリズムあるいは回折格子でその波長に応じて展開したものをスペクトル (spectrum) と呼んだことに由来する。

 18世紀から19世紀の物理学において、スペクトルを研究する分野として分光学が確立し、その原理に基づく測定法も分光法 (spectroscopy) と呼ばれた。

  当初は可視光の放出あるいは吸収を研究する分野であったが、光(可視光)が電磁波の一種であることが判明した19世紀以降は、ラジオ波からガンマ線(γ線)まで、広く電磁波の放出あるいは吸収を測定する方法を分光法と呼ぶようになった。

 また、光の発生または吸収スペクトルは、物質固有のパターンと物質量に比例したピーク強度を示すために物質の定性あるいは定量に、分析化学から天文学まで広く応用され利用されている。

 天体とスペクトルの関係

 19世紀に分光(スペクトル)分析が天体観測に用いられるようになって、天文学は一変した。
 従来はもっぱら天体の位置や形状を調べることによって宇宙の姿を把握しようと試みられてきたが、スペクトル観測により、人類は太陽をはじめとする星がどのような物質からできているのか知ったり、宇宙が膨張しているという認識を得ることができるようになった。

 スペクトル観測によって得られるのは、大きく分けて天体の組成と運動についての情報である。スペクトル線の強さ(ある波長での光の放射や吸収の量)からは、天体の組成、つまり光の放射や吸収に関与する原子や分子がどのくらいあるのか、ということがわかる。

 これには元素レベルでの組成だけでなく、天体の温度や圧力などの状態についての情報も含まれる。
 一方、観測者からみて天体が遠ざかったり近づいたりすると、いわゆるドップラー効果によって光の波長が延びたり縮んだりしている。つまり、スペクトル線の波長のずれから、天体の速度(観測者からみた方向の速度で、視線速度とよばれる)が測定できる。

 ゲルハルト・ヘルツベルグ

 ゲルハルト・ヘルツベルク(Gerhard Herzberg, 1904年12月25日 – 1999年3月3日)は理論的および実験的な化学の分野を発展させた化学者である。ドイツ帝国ハンブルクで生まれ、ヒトラー政権樹立後、1935年にカナダに亡命している。

 ヘルツベルクは分光学を発展させ、ラジカルと呼ばれる不安定な分子の電子状態の構造および原子核の配向を解明する方法を開発した。その功績により1971年にノーベル化学賞を受賞した。

 化学においては、彼の発見した分光学的な情報によって不安定な分子の分析が可能になり、化学反応素過程の解明が進んだ。天文学においては天体望遠鏡を用いて観測されたスペクトルを解析する土台となった。

 小惑星(3316)のヘルツベルクは、彼の名を取り命名された。1999年にオタワにて94歳で没した。

 経歴・業績

 ゲルハルト・ヘルツベルグは、1904年にドイツのハンブルグで生まれた。1928年にダルシュタット工科大学を卒業。その後ゲッティンゲン大学では、ジェームズ・フランク(1925年ノーベル物理学賞)とマックス・ボルン(1954年ノーベル物理学賞)のもとで物理学を学んだ。

 1635年にカナダに亡命。1936年から1945年までカナダ中西部サスカチュワン大学で物理学の教授を務めた。1945年カナダに帰化した後、1948年までシカゴ大学ヤーキス天文台の分光学の教授に就く。1948年からカナダ国立研究所に勤務し、1955年に物理学部門長になった。

 原子から出る光を分光器に当てて通すと、原子ごとに特有の波長が固有の色に分かれて見える。これを手掛かりとして光の強度や周波数、エネルギーなどを調べたのがヘルツベルクである。
 水素や重水素の真空紫外線吸収スペクトルや、酵素の禁制遷移(ふだんは起きない遷移)の吸収スペクトルから、解離エネルギーを決定した。さらに閃光光分析法を用いてC3、CH2、CH3など、いくつもの多原子遊離基の構造を決定した。

 ラジカル(遊離基)と呼ばれる原子は、一番外側に配置されている電子が奇数になっていることから不安定な存在であるが、これをスペクトルから解析して分子内の電子の状態の構造や原子核の配向について解明した。
 このほか、天体望遠鏡で観測されたスペクトルを分子分光学の手法で行い、惑星や彗星、星間に存在する分子の同定にも成功している。これらの業績に対してノーベル化学賞が授与された。

参考 Wikipedia: ゲルハルト・ヘルツベルク

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第71回ノーベル物理学賞 ガーボル・デーネシュ「ホログラフィーの発明および発展」

2020年03月11日 | ノーベル賞

 ホログラフィーとは何か?

 ホログラフィー(holography)とは、光の干渉を利用して、立体的な映像の情報をフィルムなどの平面上の記録媒体に記録し、必要に応じてこれを空間的に3次元の立体像に再生する技術のこと。イギリスのガーボル・デーネシュが発明した。

 身近な例として,お札がある。5千円札や1万円札の左下のキラキラと虹色に輝く部分を見てみると、平面であるはずの部分に3つの絵が浮かび上がってくる。5000の数字と桜(ソメイヨシノ)と日本銀行のマーク(行章)が共存している。見る角度を変えると、見える絵も見える色も変わる。これはまさに回折格子でありホログラムである。

 私たちは平面は2次元であり、一つの絵でしか表現できないと信じているが、光のあたり方(干渉)の違いを平面に記録できれば、複数のものが共存させることができる。これは、日常では気づきにくいに感覚である。この"立体的写真"のことを ホログラム(hologram) という。

 

  スクリーンに映し出される映画のワンシーン。この映画が平面ではなく、あるがままの立体的な画像として再生されることは、まだ夢のお話。だが、ホログラフィーはこの夢のお話を現実のものとしてくれる可能性を持っている。ちょっと考えただけでも面白い。

 現在ホログラフィーは、偽造防止のために紙幣・有価証券に使用されている。自動車のフロントガラスに投影するヘッドアップディスプレー(HUD)、小さな物質の立体像を観察するための”ホログラフ顕微鏡”にも使われている。こうした視覚関連の用途だけでなく、光コンピューターや高密度の記憶媒体としても応用されている。

 ホログラフィーの仕組み

 ホログラフィーとは、3次元の像を記録し再生する技法。では、3次元の像を記録するとは、どういうことだろうか?

 私たちは、ある物体から反射される光が目に入ることによってその物体を見ることができる。そして、そのときは物体はもちろん立体的に見える。つまり、この物体からの光を情報として記録することが、3次元の像を記録するということにつながる。

 記録に使うのは干渉性のよい、コヒーレントなレーザー光が使われる。“コヒーレント”という性質を光を例にとって簡単に言うと、赤色レーザー青色レーザーのように、光が単色でひとつの波長の成分を持ち、位相がそろった、どこまでも平行に進む光の性質のことである。

 ちなみに私たちの身のまわりの光(自然光)である、太陽光や蛍光灯の光はこれらの条件を全く満たさない、干渉を起こさない性質を持っており、この性質のことをインコヒーレントと言う。

 レーザー光を、ビームスプリッターで二手に分け、それぞれを対物レンズで広げる。 一つは物体に照射して反射光を生じさせ、ひとつは記憶材料に照射させる。すると、二つの光の波は干渉し、記録材料上では干渉縞が発生する。この干渉縞を記録材料に記録すれば、ホログラムが完成する。

 このように作ったホログラムは、そのまま自然光などに照らして見たのでは干渉縞しか見えない。(といっても,肉眼で見ないくらい細かい)。

 では,そんな干渉縞を記録しただけのホログラムからどうやって3次元の像を見るのか?

 記録された記録材料表面は回折格子になっている。つまり,この記録材料に光を当てれば、光は直進するほかに回折して進むものがある。

 ホログラムを再生するためには,記録したときの参照光と同じ光をホログラムに当ててやる。すると,ホログラムは参照光と物体光が干渉してできた干渉縞を記録しているので、回折光の中に物体光とまったく同じ形をしたものが出てくるしくみである。

 ホログラフィーの歴史・種類

 ホログラフィーは1947年にハンガリーの物理学者ガーボル・デーネシュによって発明された。彼は1971年にノーベル物理学賞を受賞しており、この発明に関する特許権も保有した。

 この発見はイギリスのウォリックシャー州ラグビーにあったブリティッシュ・トムソン・ヒューストン社にて電子顕微鏡を改良する研究をしていたときの思わぬ結果によるものだった。

 しかし、レーザーが1960年に発明されるまでは研究があまり進歩することはなかった。 最も初期のホログラムは透過型ホログラムと呼ばれる。これは、レーザー光をホログラムの裏側から照射しないと観察できなかった。

 その後改良が進み、表側に白色光をあてれば観察できるレインボーホログラム(体積ホログラム)が作られるようになった。レインボーホログラムは裏面の金属めっきによって反射された光が像を再生する。

 ただし、「レインボー」の名の通り虹のようにさまざまな色の縞模様となる。クレジットカードや紙幣に見られるホログラムで偽造防止に利用されている。日本の紙幣では、現在発行中の10000円券及び5000円券に採用されている。

 ほかに白色光反射型ホログラムがある。ガブリエル・リップマンの天然色写真と原理がよく似ているため、日本ではレインボーホログラムと区別してリップマンホログラムと呼ばれる。

 レインボーホログラムと同様、観察者と同じ側から自然光をあてることによって再生することができる。レインボーホログラムとは異なり、金属めっきの反射を利用するのではなく、ホログラムそのものの回折(構造色)によって反射させる方式である。

 白色光反射型ホログラムの中にはフルカラーの3次元像が観察できるものがあり、実物と見分けがつかないほど精巧なものもある。ゼラチンを使用している場合には経年変化によって劣化するが近年では屈折率の高い光硬化樹脂が利用されるようになつつあり、耐久性が向上している。

 以前から、一部の愛好家や教育の一環としてホログラフィーの製作が試みられてきた。以前は大きくて高価な気体レーザーがホログラフィーに必須とされたが、DVDなどにさまざまな応用がなされている安価で小さい半導体レーザーでもホログラフィーの製造が可能になってきている。そのため、研究費の乏しい研究者や芸術家、熱心な愛好家でも手が出せるようになっている。

 2015年には、筑波大学・東京大学・名古屋工業大学の共同研究チーム)が、フェムト秒レーザーを用いて触れる事が出来るホログラム投影システム「Fairy Lights in Femtoseconds」を発明しSIGGRAPHで発表、将来的に建築・医療分野での利用が期待されている。

 ガーボル・デーネシュ

 ガーボル・デーネシュ(Gábor Dénes、1900年 6月5日 - 1979年 2月9日)はハンガリー系イギリス人の電気工学者・物理学者。有名な業績としてホログラフィーの発明があり、それにより1971年のノーベル物理学賞を受賞した。 受賞理由は「ホログラフィーの発明」である。 

 オーストリア=ハンガリー帝国のブダペストで、ユダヤ人一家の長男 Günszberg Dénes として生まれる。1902年、一家は姓を Günszberg から Gábor に変える許可を得た。第一次世界大戦中は北イタリアでハンガリー軍の砲兵として働いた。

 1918年からブダペスト工科大学で学び、その後ドイツに渡ってシャルロッテンブルク工科大学、現在のベルリン工科大学に進学した。そこで陰極線管オシログラフを使って高圧送電線の解析を行い、電子光学に興味を持つようになる。オシログラフの基礎原理を学んだガーボルは、電子顕微鏡やテレビなどの陰極線を応用した機器へと興味を広げていった。1927年、ブラウン管についての論文でPh.D.を取得。その後はプラズマランプを研究した。

 1933年、ユダヤ人であるガボールはナチス・ドイツから逃れてイギリスに渡り、ウォリックシャーのラグビーにあるブリティッシュ・トムソン・ヒューストン(英語版) (BTH) の開発部門に招かれた。

 ラグビー時代にマージョリー・バトラーと出会い、1936年に結婚。1946年、イギリス市民権を取得[6]。1947年、BTHで勤務中にホログラフィーを発明した。電子顕微鏡の解像度を向上させる研究の中で水銀灯光源に何重にもフィルターをかける実験をしていて発見した。

 このホログラフィーはインライン型ホログラフィーと呼ばれる像を鮮明に観察できない形式のものであった。これは当時レーザーがなかったため、コヒーレント長の短い光源を利用せざるを得なかったからである。そのため1960年にレーザーが発明されるまでこの発明が注目を集めることはなかった。

 ガボールは電子の入力と出力の着目した研究をすすめ、再ホログラフィーの発明に到達した。基本的な考え方は、完全光学イメージングのためには全ての情報を利用する必要があり、通常の光学イメージングで活用する振幅だけでなく位相も利用する必要がある。そうして完全ホロ空間写真を得ることができる。ガボールは1946年から1951年にかけてこの再ホログラフィーの理論に関する一連の論文を発表した。

 また人間のコミュニケーションと聴覚についても研究し、グラニュラーシンセシス(英語版)の理論を生み出した。ただし、これを実際にシンセサイザーの技法として発明し実用化したのはギリシャ人作曲家ヤニス・クセナキスとされている。この研究や関連分野の研究が時間周波数解析(英語版)発展の基盤となった。

 1948年、インペリアル・カレッジ・ロンドンに移り、1958年から1967年に引退するまで、応用物理学の教授を務めた。引退後は主にイタリアで過ごしたが、シニア研究フェローとしてインペリアル・カレッジとも繋がりを保ち、またコネチカット州スタンフォードにあるCBS研究所(英語版)のスタッフになった。

 そこで生涯の友人となったCBS研究所長ピーター・C・ゴルトマルク(英語版)と協調し、通信と表示の新方式を数多く研究した。その後は社会を分析することに関心を持つようになり、1972年に The Mature Society: a view of the future(成熟社会 新しい文明の選択)を出版。

 レーザーが急速に発展し、様々なホログラフィーの応用(芸術、情報の格納、パターン認識など)が生まれ、ガーボルは生前に世界的に注目され成功を収めた。ノーベル賞を頂点として様々な賞を受賞している。

参考 Wikipedia: ガーボル・デーネシュ

  

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第70回ノーベル生理学・医学賞 カッツ・オイラー・アクセルロッド「神経末梢部における伝達物質の発見と、その貯蔵、解離、不活化の機構に関する研究」

2020年03月11日 | ノーベル賞

 神経細胞とシナプス

 神経細胞はどのようにして外界からの刺激や脳からの命令などを伝えるのだろうか?

 その一つは生体内の電気信号による。ガルバーニは銅と亜鉛を接触させたピンセットをカエルの神経に接触させると筋肉が収縮することを発見した。これが化学電池の始まりだったのは有名な話である。

 もう一つ情報伝達物質を伝える方法がある。それが1970年ノーベル生理学・医学賞の受賞理由になった。受賞理由の「液性伝達物質」はいわゆる情報伝達物質のこと。神経抹消部(シナプス)の情報伝達物質の種類は多数ある。

 情報伝達物質はシナプス前細胞で合成されその受容体はシナプス後細胞にある。この年のノーベル賞は、アセチルコリンとノルアドレナリンの作用に関する研究に対して贈られた。

 アセチルコリンに関する研究は、1936年のノーベル生理学・医学賞の授賞対象研究だった。ヘンリー・デールとオットー・レーヴィが受賞している。

 レーヴィが迷走神経から出ていた物質をカエルの心臓を使って調べたものであったが、デールがこの物質がアセチルコリンであることを発見している。

 今回の研究は、アセチルコリンのはたらきを詳しく調べたことに意義がある。

 シナプス小胞と情報伝達物質

 1911年ドイツで生まれたユダヤ人医学研究者ベルンハルト・カッツは、ナチスの迫害を逃れて1935年2月にイギリスに渡った。アセチルコリンの発見者ヘンリー・デールの研究拠点、ロンドン大学で研究を引き継いだ。

 彼はシナプスの基本的な性質を解明。シナプスが神経細胞間の信号伝達に重要な役割を持つことを明らかにした。アセチルコリンがシナプス前細胞の小胞に包まれ、後細胞に放出する時、カルシウムが重要な役割をするという仮説を立て、これを実証した。

 フォン・ユーレアは1946年にノルアドレナリンを発見した。さらにノルアドレナリンが神経細胞に蓄積されるとその神経細胞が臓器や組織の働きを支配することを示した。

 アクセルロッドは、ニューヨーク市立大学で修士号を取得。後に国立衛生研究所の心肺血管研究所で研究を開始、ここで始めたノルアドレナリンなどカテコールアミン系神経伝達物質(アドレナリン、ボーパミンなど)の神経細胞からの放出と再吸収が行われリサイクルされることを発見した。

 シナプスの働き 

 細胞生物学において、シナプス(synapse)は、神経細胞間あるいは筋繊維(筋線維)、神経細胞と他種細胞間に形成される、シグナル伝達などの神経活動に関わる接合部位とその構造である。

 化学シナプス(小胞シナプス)と電気シナプス(無小胞シナプス)、および両者が混在する混合シナプスに分類される。シグナルを伝える方の細胞をシナプス前細胞、伝えられる方の細胞をシナプス後細胞という。

 化学シナプスとは、細胞間に神経伝達物質が放出され、それが受容体に結合することによって細胞間の情報伝達が行われるシナプスのことを指す。

 化学シナプスは電気シナプスより広範に見られ、一般にシナプスとだけ言われるときはこちらを指すことが多い。

 化学シナプスの基本的構造は、神経細胞の軸索の先端が他の細胞(神経細胞の樹状突起や筋線維)と20nm程度の隙間(シナプス間隙)を空けて、シナプス接着分子によって細胞接着している状態である。

 シナプス間隙は模式図では強調されて大きな隙間をあけて描かれることが多いが、実際にはかなりべったりと接合している。 情報伝達は一方向に行われ、興奮がシナプスに達するとシナプス小胞が細胞膜に融合しシナプス間隙に神経伝達物質が放出される。

 そして拡散した神経伝達物質がシナプス後細胞に存在する受容体に結合することで刺激が伝達されて行く。 

 化学シナプス

 化学シナプスにおける典型的な情報伝達機序は以下のように進む。 前シナプス細胞の軸索を活動電位が伝わり、末端にある膨らみであるシナプス小頭に到達する。 

 活動電位によりシナプス小頭の膜上に位置する電位依存性カルシウムイオンチャネルが開く。 するとカルシウムイオンがシナプス内に流入し、シナプス小胞が細胞膜に接して神経伝達物質が細胞外に開口放出される。 

 神経伝達物質はシナプス間隙を拡散し、後シナプス細胞の細胞膜上に分布する神経伝達物質受容体に結合する。 後シナプス細胞のイオンチャネルが開き、細胞膜内外の電位差が変化する。

 化学シナプスは、興奮性シナプス、抑制性シナプス(シナプス後抑制性とも呼ばれる)、シナプス前抑制性の3つに分けられる。 

 興奮性シナプスは信号を受け取ると、興奮性シナプス後電位(EPSP; Excitatory PostSynaptic Potential)という信号を発生させる。

 EPSPは神経細胞の分極状態が崩れる電位となるため、脱分極と呼ばれる。 抑制性シナプスは信号を受け取ると、抑制性シナプス後電位(IPSP; Inhibitory PostSynaptic Potential)という信号を発生させる。

 IPSPは神経細胞の分極状態が強化される電位となるため、過分極と呼ばれる。 シナプス前抑制性は、興奮性シナプスが起こす興奮性シナプス後電位(EPSP)を減少させる働きを持つ。

 シナプスの活動状態などによってシナプスの伝達効率が変化するシナプス可塑性は、記憶や学習に重要な役割を持つと考えられている。 シナプス前細胞とシナプス後細胞がともに高頻度で連続発火すると、持続的なEPSPによりシナプスの伝達効率が増加する。

 これを長期増強(LTP; Long Term Potentiation)という。また、低頻度の発火や、抑制性シナプス後細胞の連続発火によるIPSPの持続によって、シナプスの伝達効率が低下する現象を長期抑圧(LTD; Long Term Depression)という。

 近年では、シナプス前細胞とシナプス後細胞の発火時間差のみによっても結合強度に変化が見られることが分かっている。これをスパイクタイミング依存シナプス可塑性(STDP; Spike Timing Dependent Plasticity)という。 

 また、一旦LTPやLTDを起こしたシナプスに対して適切な刺激を与えると、そのLTPやLTDが消失する事も知られており、それぞれ脱増強 (Depotentiation)、脱抑圧 (Dedepression) などと呼ばれる。

 電気シナプス

 電気シナプスとは、細胞間がイオンなどを通過させる分子で接着され、細胞間に直接イオン電流が流れることによって細胞間のシグナル伝達が行われるシナプスのことを指す。網膜の神経細胞間や心筋の筋繊維間などで広範に見られる。 化学シナプスのように方向づけられた伝達はできないが、それよりも高速な伝達が行われ、多くの細胞が協調して動作する現象を引き起こす。

 電気シナプスは無脊椎動物の神経系では一般的にみられるが、長らく脊椎動物の中枢神経系では見出されておらず、脊椎動物の脳での神経伝達は化学シナプスのみによるものと考えられていた。 後になって海馬や大脳皮質の抑制性介在神経細胞の樹状突起間で発見され、重要な伝達手段となっていることが見出された。

 電気シナプスは一般に、コネクソンというタンパク質6量体が2つの細胞の細胞膜を貫通し、ギャップ結合と呼ばれる細胞間結合を形成している構造を持つ。コネクソンはコネキシンというタンパク質が六角形に配列した6量体構造で、中央に小孔が存在する。この小孔はカルシウムイオン濃度によってコネクソンが変形することで開閉する。

 小孔が開いているときには分子量が1000程度以下の分子を通過させ、濃度勾配圧などによって拡散する。 化学シナプスが数十 nm の間隔を持つのに対して、電気シナプスではコネクソンが両細胞膜の間隔を数 nm まで接近させており、極めて近接している。

 発生過程でのシナプスの形成は、伸長する軸索の先端に存在する成長円錐が標的に到達した時に開始する(軸索誘導、シナプス形成、神経回路形成)。神経終末の末端(神経終末球)に神経インパルスが到達すると、神経伝達物質であるアセチルコリンが、筋形質膜と神経終末球の間に広がるシナプス間隙に放出される。

 筋形質膜の凹凸部を運動終板と呼ぶ。運動終板上にはアセチルコリン受容体が位置し、アセチルコリンを受け取ると、ナトリウムイオンチャネルが開き、ナトリウムイオンが流れ込む。すると筋活動電位が発生し、筋肉が収縮する。アセチルコリンはアセチルコリンエステラーゼによって急速に分解される。

 ベルンハルト・カッツ

 1970年ノーベル生理学・医学賞受賞者。受賞理由「神経末梢部における伝達物質の発見と、その貯蔵、解離、不活化の機構に関する研究 」

 ベルンハルト・カッツ(Bernhard Katz)あるいはサー・バーナード・カッツ(Sir Bernard Katz, 1911年3月26日 - 2003年4月20日)は、ドイツ出身のイギリスの生理学者。 

 ライプツィヒ出身。ライプツィヒ大学医学部卒業。アドルフ・ヒトラーによるユダヤ人弾圧を避けて、1935年2月にイギリスに渡った。1952年にユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン教授に就任し、王立協会の会員に選ばれた[1]。 
神経末梢部における伝達物質の発見と研究により、1970年ジュリアス・アクセルロッド、ウルフ・スファンテ・フォン・オイラーと共にノーベル生理学・医学賞を受賞した。 

 ウルフ・スファンテ・フォン・オイラー

 ウルフ・スファンテ・フォン・オイラー(Ulf Svante von Euler、1905年2月7日 - 1983年3月9日)は、スウェーデンの生理学者で薬理学者。神経伝達物質の研究で、1970年度のノーベル生理学・医学賞を受賞した。

 ウルフはストックホルムで、化学教授のハンス・フォン・オイラー=ケルピンと植物学・地質学教授のアストリッド・クレーベという、二人の著名な科学者の間に生まれた。父のハンスはドイツ人で、1929年にノーベル化学賞を受賞している。母方の祖父のペール・テオドール・クレーベもウプサラ大学の化学教授で、ツリウム、ホルミウムという元素の発見者である。

 このような由緒ある家柄に生まれ、幼い頃から科学、教育、研究に触れて育ったことから、ウルフが科学者を目指したのも驚くことではなく、彼は1922年にカロリンスカ研究所の医学部に進んだ。彼は赤血球沈降速度とレオロジーの専門家であるロビン・ファーレウスの下で、血管収縮物質の病態生理学の研究を行った。彼は1930年に博士号を取得し、同年、薬理学の助手に採用された。1930年から31年にかけて、ウルフはロチェスター大学のフェローとなり、外国でポスドクとして研究を行う機会に恵まれた。 

 彼はイギリスに行き、ロンドンのヘンリー・ハレット・デール、バーミンガムのバーグ・デールの下で研究を行い、次いで大陸に渡ってベルギー・ヘントのコルネイユ・ハイマンス、ドイツ・フランクフルトのグスタフ・エムデンの下でも研究を行った。

 さらに1934年にはロンドンに戻り、アーチボルド・ヒルについて生物物理学を学び、1938年にはG.L.ブラウンについて神経-筋肉間の情報伝達について学んだ。1946年から47年にかけてはブエノスアイレスでバーナード・ウッセイにより設立された生物学・医学研究所のエドゥアルド・ブラウン・メネンデスの研究室で働いた。

 優秀な研究者を嗅ぎ分ける彼の嗅覚が優れているということは、デール、ハイマンス、ヒル、ウッセイがみな後に、ノーベル生理学・医学賞を受賞していることからも伺い知ることができる。1973年王立協会外国人会員選出。

 ウルフは第二次世界大戦後に、ケーニヒスベルクのラジオ局で働いていたダグマー・クロンステッドと結婚した。 

 シナプスの研究

 ポスドクとして短期間、デールの研究室に滞在していた間は、彼にとって実りの多い期間であった。1931年、彼はジョン・ギャダムとともに神経伝達物質としても働く重要なペプチドであるサブスタンスPを発見した。ストックホルムに戻っても彼はこの研究を続け、4つの重要な、内因性活性化物質を発見した。1935年にプロスタグランジンとベシグランジン、1942年にピペリジン、1946年にはノルアドレナリンを発見している。

 1939年に彼はカロリンスカ研究所の生理学教授になり、1971年に退官した。また、ゲラン・リルジェストランドとの共同研究で、肺の酸素の局地的な減少に対して生理学的に動脈にシャントを形成するという、オイラー=リルジェストランド機構という、重要な発見をした。

 しかし、ノルアドレナリンが発見された1946年以降、ウルフらは病的な状態にある生物の組織と神経系の研究に没頭し始めた。

 そして、ノルアドレナリンはシナプスの末端に貯まるという画期的な発見をした。1970年、彼はベルンハルト・カッツ、ジュリアス・アクセルロッドとともにノーベル生理学・医学賞を受賞した。彼はノーベル財団でも1953年以降、ノーベル委員会の生理学・医学部門の委員として、また1965年からは委員長として働いていた。

 彼は、1965年から67年にかけて国際病理学会の会長を務めている。またノーベル賞以外にも様々な賞を受賞している。1961年にはガードナー賞、65年にはジャーレ賞、67年にはストーファー賞、53年にはカール・ルードヴィッヒメダル、69年にはシュミードバーグ・プラケット、70年にはラ・マドニーナを受賞し、さらに世界中の大学から名誉博士号を贈られ、多くの学会の会員に選ばれている。

 ジュリアス・アクセルロッド

 ジュリアス・アクセルロッド(Julius Axelrod, 1912年5月30日 – 2004年12月29日)はアメリカの生化学者である。1970年度ノーベル生理学・医学賞をベルンハルト・カッツおよびウルフ・スファンテ・フォン・オイラーとともに受賞した。受賞理由はカテコールアミン系神経伝達物質(アドレナリン、ノルアドレナリンや後に発見されたドーパミンなど脳内で機能する一群の物質)の放出および再取り込みに関する研究業績であった。アクセルロッドはまた睡眠周期に対する松果体の調節機能についても重要な業績を残した。 

 アクセルロッドはポーランドからのユダヤ系移民の子としてニューヨーク市に生まれた。1933年にニューヨーク市立大学シティカレッジで生物学学士号を取得した。彼は医師になることを希望していたが受験したいずれの医科大学も不合格であった。

 しばらくニューヨーク大学で実験技術者として働いたのち、1935年にニューヨーク市衛生局に職を得て、食物に添加したビタミンの試験を行った。しかし実験室でアンモニア瓶の破裂事故に遭い左眼を負傷した。それ以後一生の間左目に眼帯をつけることになる。衛生局で働きながら夜学で学び、1941年にニューヨーク大学から科学修士号を取得した。 

 鎮痛剤の研究

 アクセルロッドは1946年にゴールドウォーター記念病院のバーナード・ブローディ Bernard Brodie のもとに職を得た。ブローディの研究指導によって彼は研究者としてのキャリアを開始する。ブローディとアクセルロッドの研究テーマは鎮痛剤がどのように働くのかということであった。 1940年代には非アスピリン鎮痛剤使用者にメトヘモグロビン血症という血液疾患が発生していた。アクセルロッドとブローディは、これら鎮痛剤の主成分であるアセトアニリドが原因であることを発見し、代りにアセトアミノフェン(既にタイレノールとして知られていた)を用いることを推奨した。 

 カテコールアミンの研究

 1949年にアクセルロッドは国立心臓研究所National Heart Institute(国立衛生研究所National Institutes of Health (NIH)に属する)で研究を始めた。ここで彼はカフェインの作用機構解明に取り組み、これによって交感神経系とその主要な神経伝達物質であるにアドレナリンとノルアドレナリンに関心を持った。

 この間彼はまたコデイン、モルヒネ、メタンフェタミンそしてエフェドリンの研究も指導し、LSDに関する最初の研究にも取り掛かった。博士号がないとキャリアを進められないと実感し、彼は1954年にNIHを休職してジョージ・ワシントン大学大学院に入学した。これまでの研究の一部を学位の対象とすることが認められたため翌年には修了した。

 1955年にNIHに戻り彼の最も重要な研究に取り掛かった。アクセルロッドは神経伝達物質アドレナリンとノルアドレナリンの放出、再取り込みおよび貯蔵に関する研究に対してノーベル賞を授与された。

 1957年にモノアミン酸化酵素阻害薬の研究過程で彼は、カテコールアミン系神経伝達物質はシナプスから放出された後単に働かなくなるわけではなく、シナプス前膜に再び取り込まれ、その後の使用にリサイクルされるということを示した。

 アドレナリンは不活性な形で組織に貯留され必要なときに放出されるという理論を彼は打ち立てた。この研究により後のセロトニン選択的取り込み阻害薬(SSRI、抗うつ薬で代表的なものにプロザックがある)の基盤が作られたのである。またアクセルロッドは酵素カテコール-O-メチルトランスフェラーゼ(カテコールアミンの分解に関与する)を発見し研究した。

 松果体の研究

 そののちアクセルロッドの研究は松果体に集中された。彼と共同研究者たちはメラトニンが松果体を生物時計として機能させることで中枢神経系に絶大な影響を与えることを明らかにした。メラトニンは神経伝達物質のセロトニンが変換されて生ずること、また松果体はセロトニンの分泌を制御することで体のサーカディアンリズムを進めることが、彼によって証明された。彼はNIHで研究を続け1984年に退職した。 

 1970年にノーベル賞を受賞した後、アクセルロッドはいくつかの科学政策問題の支持者として活躍した。1973年にリチャード・ニクソン大統領ががん治療だけを目標とする機関を創設したが、アクセルロッドはノーベル賞受賞者マーシャル・W・ニーレンバーグ、クリスチャン・アンフィンセンとともに、この新機関に反対する科学者たちの嘆願書を取り纏めた。

 がんだけに注目しては他のもっと有望な医学研究に公的資金を使えなくなるというのがその主旨であった。またアクセルロッドはソビエト連邦における科学者の投獄に抗議する声明に名を連ねている。 

参考 Wikipedia: ジュリアス・アクセルロッド ウルフ・スファンテ・フォン・オイラー ベルンハルト・カッツ

 

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第70回ノーベル化学賞 ルイ・ルロアール 「糖ヌクレオチドの発見と糖生合成におけるその役割についての研究」

2020年03月11日 | ノーベル賞

 糖代謝とは何か?

 生物はその生命を維持するために食物を摂取し、あるいは光合成を行い、エネルギーを獲得する。このような生体内における代謝のメカニズム、特に糖代謝について明らかにして1970年ノーベル化学賞を受賞したのがアルゼンチンの生化学者ルイ・ルロワールである。

 1947年ノーベル生理学・医学賞を受賞したバーナード・ウッセイが受賞したのも「糖代謝」の研究であった。バーナード・ウッセイもアルゼンチン生化学者である。ルイ・ルノアールはアルゼンチン人として初のノーベル化学賞だった。2人はどのような関係だったのだろうか?そして、研究した「糖代謝」とはどのようなものだったのか?

続きはこちら → http://sciencejournal.livedoor.biz/ 

参考 Wikipedia: https://ja.wikipedia.org/wiki/ルイ・ルロワール

 

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第70回ノーベル物理学賞 アルヴェーン「電磁流体力学における基礎研究、プラズマ物理学への応用」

2020年03月11日 | ノーベル賞

 1970年のノーベル物理学賞

 1970年のノーベル物理学賞は、磁力に関する研究に贈られた。

 スェーデンの物理学者ハンネス・アルヴェーンの受賞理由は「電磁流体力学における基礎研究、プラズマ物理学への応用」。

 フランスの物理学者ルイ・ネールの受賞理由は「固体物理学における重要な応用をもたらした反強磁性およびフェリ磁性に関する基礎的研究および諸発見」である。

続きはこちら → http://sciencejournal.livedoor.biz/ 

参考 Wikipedia: https://ja.wikipedia.org/wiki/ハンス・アルヴェーン

  

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