オシッコが黄色いわけ
突然だが、ウンコやオシッコが黄色いのはなぜだろう?
正解は「ビリルビン (bilirubin)」という物質が含まれているからである。ピリルビン は赤血球の色素であるヘモグロビンが分解されてできる。
「ビリルビン」は基本的には廃棄物で、赤血球が死んだ後、ヘモグロビンはマクロファージによって分解され、そのうちヘムはさらにFe2+、一酸化炭素と緑色のビリベルジン (biliverdin) に分解され、さらにビリベルジンが還元されてビリルビンとなる。
赤血球の破壊によってできたビリルビンは、アルブミンとくっつき、肝臓に運ばれる、そして肝臓にたどりつくと、ビリルビンはアルブミンと切り離されて、肝細胞内にはいる。
肝細胞内の小胞体というところで、グルクロン酸抱合というものをうけて、肝細胞から出て、毛細胆管腔へいき、胆管に胆汁として出される。そして胆汁は、総胆管をでて、十二指腸へでる。
つまり、赤血球破壊→肝細胞→胆管→十二指腸という流れになっていて、この流れのどこがが詰まったり、肝臓の機能が低下したりすると、ビリルビンが血中に行ってしまい、血中のビリルビンが上昇する。これが皮膚や白眼が黄色く見える「黄疸(おうだん)」である。
黄疸の原因は、肝硬変、肝炎、胆石、胆管がんなどの病気で、肝機能が低下したり、毛細胆管が破壊されたりして、毛細胆管に行くはずのビリルビンが血中へ出てしまう。では、ビリルビンはどんな成分でできているのだろう?
アルプスの麓・グラーツ市
オーストリアのグラーツは小さい地方都市だが、南部国境に近くを旧ユーゴスラビアやイタリアに接している。アルプスの谷を抜ける交通の要衝なので、文化的には開けた土地柄であった。
ユーゴスラビア出身のフリッツ・プレーグル ( F.Pregl,1869~1930 ) は医学を目指してグラーツ大学に学び、卒業後生化学の研究を始めた。
ここでは蛋白質や胆汁酸の分析の研究を行った。1913年にはグラーツ大学医学部の教授となり、医化学研究所の所長を勤めた。研究テーマに胆石の加水分解物の化学構造を決めるというのがあって、このための試料をどうして確保するかが問題となった。
胆石は肝臓から送り出された胆汁が胆管で固まり、結石になってしまったもの。その成分は、コレステロールやビリルビンであることが、現在では知られているが、当時はまだ分からなかった。
有機物の分析「燃焼法」
当時、有機物の成分を分析する方法としては「燃焼法」があった。燃焼法はベルセリウスやリービッヒが開発した方法で、有機物の炭素、水素を燃焼することでCO2と、H2Oにして、その量を測定することでもとの成分を調べる方法である。
プレーグルは胆石の成分を調べるのに、胆石を燃焼させていたが、一回の元素分析に数グラムの試料を必要とした。これを充たすには余りにも手に入る試料量が足りず、必要な量の試料を集めるには何年も実験を繰り返すしか方法がなかった。
研究を放棄するしかないという局面まで来たが、プレーグルはこのようなことは他にも起こるはずと考え、むしろ今ある試料量で分析できる方法はないものかと立ち止まった。幸運なことに同じグラーツの町にエミッヒがすでに微量化学を進め着々と成果を挙げていた。
プレーグルは度々エミッヒの研究室を訪れ,有機元素分析の微量化のヒントをうけた。以来彼は本職の医学研究を止めてしまい、生涯を微量分析法の研究に打ち込むことになる。
「有機化合物の微量分析法」誕生
最初の仕事は数ミリグラムの試料を精密に計量できるはかりを手に入れることだった。エミッヒはすでにハンブルグのクールマンからセミマイクロ級のはかりを手に入れていたが、もう一段精密なものを求めてクールマンに微量はかりを依頼した。製作には随分な苦労があったが、遂に要求に合うクールマン微量はかりを完成させた。
このはかりは読み取り精度が1μg(現在の標準偏差で2~3μg)、その上荷重が20gに耐え、ガラスの吸収管が載せられるという当時としては画期的な機械だった。おかげで水と二酸化炭素吸収管を燃焼管につなぐという重量法の炭素水素定量装置が実現した。もちろんこの装置が実用になるまでには苦しい試行錯誤があった。
燃焼管の加熱にはガス炉が使われたが、700~800℃がせいぜいで、試料の完全酸化が困難なものもあり、燃焼時のキャリヤーガスの流量制御も手加減が必要で、熟練するには骨が折れた。炭素水素分析についで窒素、ハロゲン、硫黄、リン、さらに原子団や分子量測定まで一連の微量化が進められた。
医化学研究所の中に微量分析の研修コースが開かれ、世界中から受講生が講習を受けた。日本からもヨーロッパ滞在中の留学生が何名かこの講習を受け、その技術を持ち帰った。1917年これら微量分析技術をまとめた著書 "Die quantitative organische Mikroanalyse" が出版され 、たちまち全世界に普及した。
そして、1923年にはプレーグルの微量分析法が有機化学の進歩に大きく貢献したとしてノーベル化学賞が贈られた。受賞理由は「有機化合物の微量分析法の開発」である。(穂積啓一郎・微量分析の生い立ち)
現在の化合物分析法
こうして、ベルセリウス、リービッヒ、デュマ、プレーグルらによって開発された「燃焼法」による有機物の微量分析法は、現在でもCHNコーダーに使われている基本原理となっている。
現在の方法では、サンプルを酸素を混合したヘリウム気流下で、高温に加熱し(酸化炉)、構成元素のうち炭素は CO2、窒素は NOx、硫黄は SOx、水素は H2O に変換する。このガスを別の炉(還元炉)に移し、Cu 存在下加熱すると NOx が還元されて N2 となる。この CO2、N2、H2O を定量することによって、それぞれの元素の比率を算出する。
現在、有機化合物の分析法は燃焼法の他、ガスクロマトグラフィー、赤外線スペクトル、NMRスペクトル、質量スペクトル、X線構造解析、UV,VIS(吸光光度法)、蛍光光度法(蛍光光度計)、AA(原子吸光法)、ICP発光分析法など、さまざまな方法が用いられている。
参考HP Wikipedia「フリッツ・プレーグル」「イェンス・ベリセウス」「ユストゥス・フォン・リービッヒ」「黄疸」・患者さんのための医療用語集「黄疸とは?」・CHNネットフォーラム 穂積啓一郎「微量分析の生い立ち」
役にたつ有機微量元素分析 日本分析化学会有機微量分析研究懇談会,内山 一美,前橋 良夫 みみずく舎 このアイテムの詳細を見る |
有機化合物のスペクトルによる同定法―MS,IR,NMRの併用 シルバーシュタイン,David J. Kiemle,Francis X. Webster 東京化学同人 このアイテムの詳細を見る |