laisser faire,laisser passer

人生は壮大なヒマつぶし。
楽しく気楽につぶして生きてます。

MUSTではなくWILLの力

2014-07-22 | cinema

世界の果ての通学路、見てきました。面白かった.

下高井戸シネマで見たのですが。。。徒歩でいける範囲にあったご近所シネマが二軒ともつぶれてしまって、いまやこちらが最寄…いや、渋谷のほうが距離的には近いんだけど、心理的に渋谷はご近所じゃないのでねw。

これからはこちらにちょくちょくお世話になることになるかも。

それにしても徒歩圏内に映画館がなくなったのは、なんかさびしいです。

 

てなことはともかく、

ケニア、モロッコ、アルゼンチン、そしてインドの僻地に住む子供たちが、片道ん十キロの道のりを、さまざまな困難を乗り越えて学校に通うさまを、淡々と追いかけた「だけ」なのにどうしてこんなに面白いんだろう。
もちろん映画作品になっている以上、そこにはある程度の虚構もあるのだろうけれど、とにかく全体に流れる子供たちの生命力と知性に引きずられて数十分間を過ごしたという感じだった。

険しい岩山を乗り越えたり、馬に乗ってパンパを駆け抜けたり、サバンナで象やキリンに囲まれたりしながらの通学路。私の考える日常とはあまりにかけ離れたこの状態が、11歳の彼らにとってはまさに「日常」なのだよね。
いちばん気になったのが冒頭画像のインドの三兄弟。長男が足が不自由で、車椅子を次男と三男が引いたり押したりしながら川を越えたり泥道にはまったりしながら通学しているのだけれど、この次男と三男があまりにいい子で・・・どうしていやな顔ひとつせずにこんなことができるのか。そして、長男も決して卑屈になるわけでも悪びれるわけでもなく、かといって威張っているわけでもなく、ごく自然に車椅子で運ばれていくのよね。
なんなんだろう、この、私にとっては「不自然」な「自然さ」は・・・とずーーっと映画を見ながら考え続けたのだけれど、結局結論は出なかった。
僻地・貧乏・足が不自由と、常識的にはハンディキャップだらけの環境なのに、まったく同情する気が起きない。いや、悪い意味ではなく、同情すべき顔を彼らはしてないのだもの。
泥にはまって動けなくなった車椅子を放り出すでもなく、怒るでもなく、淡々と受け入れ、なんとか対処していくその態度。かといって状況を受け入れるだけではなく、日々学校に通うことによって、現状を少しでも改善しようとする前向きの態度もちゃんと見られて・・・
ただ、この次男三男がもう少し成長したときに、長男との関係に疑問を持ったりするんじゃないかな、という危惧が拭い去れなかったのも事実。性悪説すぎるだろうか?

インドの兄弟だけではない。
見事に英語を操るケニアの少年、家族で初めて学校に行っているというモロッコの少女、乳搾りや羊の群れを追わせたらすでに一人前になっているアルゼンチンの少年・・・みんな自分の状況を受け入れつつ、ちゃんと前を向いて生きている、その姿に、文明やある程度の富や、さまざまなアドバンテージを得ているかのような自分にはない底知れぬ魅力を感じてしまった。

学校って行かなければならない、ものではなく、こうやって、「行きたい!」と思って苦労して行ってこそ本当の学びにつながるのだろうなあ、などとも。

いや、だからといって絶対に彼らの立場になってみたい、とは思わないあたりがワタクシのだめだめなところ、なんですがねぇ・・・w