倉野立人のブログです。

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コロナウィルスワクチン接種のゴタゴタ劇 & 東京五輪の「辞任」を巡るゴタゴタ劇

2021-07-21 | 日記

過般 電話で、知的障がい者支援団体の関係者の方(Aさん)と話す機会があり、その中で 昨今の「ゴタゴタ劇」について言(ご)ちることとなりました。

 

先ずは 新型コロナウィルスのワクチン接種(事業)について。

この事業については、既に65才以上の高年齢者への接種が進められているのに続き 現在は64才以下(40才まで)の方々への接種券の配布(郵送)が行なわれており、いわゆる〝手続き上〟では 接種計画に基づき順次に亘り接種が進められることになっています。

 

(資料/長野市の接種券)

 

 

 

ところが ここへきて、肝心のワクチン自体の供給が減らされる事態となり、それまで「早く早く!」と急(せ)かされていた接種主体の市区町村は、いわばアクセル全開状態の中 突如急ブレーキを踏まれた(踏まされた)格好になり、半ば困惑のうちに接種事業を継続せざるを得ない状況となっています。

 

で…そのシワ寄せは 関係方面にも及ぶこととなり、かかる障がい者関係団体にも及ぶこととなっているのです。

このこと(障がい者支援団体関係者への優先接種)については、私の立場でも 万一の際の感染リスクを考えれば(優先接種を)推奨すべきとの考えから 関係機関(保健所)に対し具申していたところであり、それらを総じて 市(保健所)においては、消防士等の社会安全を守る立場の者と併せて 保育士や高齢者介護施設職員、そして障がい者支援団体関係者のような「社会的弱者」の支援にあたる職域者に対しての優先接種を前向きに検討することで推移していることを聞き及んでいました。

ところが その計画は、あくまでワクチンが順調に供給されることを前提に立てられたものであり、前述のように〝急ブレーキ〟が踏まれた今は 計画はできても〝モノ(ワクチン)〟が間に合わず 如何ともし難い状況に陥ってしまっているとのことであります。

この状況の下では、かえって 各市民に配られた「接種券」を元に個人の資格で個別接種か集団接種に臨んでもらった方が(接種が)早いかもしれないとのこと…市(保健所)自体も「今後の推移はワクチン供給次第」と、何とも歯切れの悪い回答に終始していました。

 

このことについてAさんは「長野市が障がい者支援団体関係者への優先接種を計画してくれていること自体は評価するけれど、それを当てにしていた施設においては、(ワクチン供給の目減りによって)「いつまでに接種完了」との目処(めど)が立たなくなり、その間 相変わらず感染のリスク(重症化や集団的感染)を背負ったまま業務に臨まなければならず憂慮に堪えない。」と吐露しておられました。

私としても、障がい者支援団体(施設)で 一度(ひとたび)感染が広がるようなことになれば その後の対応が如何に難儀なものかを推察する中、引き続き保健所等への(優先接種の)打診と、必要に応じて調整役を担うことを申し上げたところです。

 

 

 

 

 

また 東京五輪2020の開会を目前に控えた中、開会式の楽曲(作曲)を担当した氏が 過去の雑誌インタビューで、かなり悪質な「同級生(障がい者)いじめ」をしたことを吐露したことが改めて問題視され、最終的に五輪開会式の楽曲メンバーを辞任することになったことについても話しが及びました。

 

 

 

 

このことについてAさんは「辞任は当然」としたうえで「五輪大会は「平和の祭典」であると同時に「世界(人)の〝平等の祭典〟」でもあると思う。特に最近は「パラリンピック」や「スペシャルオリンピックス」の位置づけも高まってきているし。」

「そこで最も大切なのは「理念」じゃないか。」

「大会(競技)を通じて、結果(順位)を得ることはもちろん大切だけど、そればかりを追って 肝心の「理念」が置き去りにされたら、五輪そのものの価値は半減してしまう。」

「ところが、今回の開会式の楽曲の作者を巡る辞任劇は、まさに「結果」を求めることだけ(曲が良ければそれでイイ)に腐心する余り その(楽曲の)制作者の「理念」にまで心を配ることを疎(おろそ)かにした…要は、五輪の理念を理解しない者「人と人の平等」という観点を蔑(ないがし)ろにした蛮行(障がい者いじめ)をしたものを採用し、その(いじめの)事実が判ったにも関わらず慰留し 結局世論に負けて辞任を認める「後手対応」に失した事(こと)の顛末が、いみじくも今回の組織委の「体質」を表しているんじゃないか。」

「今回のことは 本人もお粗末だけど、主催者でありながら「五輪の理念」を蔑(ないがし)ろにしたJOCや組織委員会がイチバン〝ご粗末〟だったんじゃないか。」と断罪されていました。

 

そのうえでAさんは、やや違う切り口で一言。

「五輪大会には、おそらく多額の税金が投入されているでしょ。今回「無観客」になったことで、おそらく採算は大赤字だと思う。」

「今回の五輪大会は、コロナ禍の中での強行開催で 賛否が渦巻いているけど、私が私の立場で懸念するのは、このこと(五輪開催)で この後の行財政運営に悪影響が及び、結果 五輪後の行財政運営において、障がい者福祉施策など「社会的弱者」への支援策の(予算枠が)削られるようなことになりはしないか、ということ。」

「もし そんなことになれば「いったい何のための五輪大会だったんだ」ということになるよね。」

「いつでも後回しにされるのは、ウチらのような弱者なんだから。」と。

 

 

さまざまな価値観の下で開催されることとなった「東京五輪2020」しかしながら、そのツケを「その後」に回すようなことになってはならない。

その点で一致した 電話での時間でした。

 

 

 

※余談

Aさんとの話しの中で「学校(児童生徒)への〝飲み物の通達〟」も話しの中に。

報道によると、地元の小中学生限定でサッカーを観戦する学校で 会場に持ち込む「飲み物」について「(持ち込むなら)コカ・コーラ社の飲料でお願いします。」との〝通達〟が発せられ、大きな物議を招くこととなりました。

 

 

 

 

要するに「コカ・コーラ社」は 東京五輪2020のメインスポンサーなので、観戦者は それを〝忖度(そんたく)〟してうえで行動せよ、とのことのようですが、それを学校を通じて言う(言わせる)か?と Aさんは怒り心頭でありました。

「一事が万事。この組織委員会が、どっちの方を向いて運営しているかがヨ~ク判った事案だった。」と、憤りも冷めやらぬ声でありました。