酒を飲むと、車が来ているにもかかわらず、
平然と横断歩道ではない場所を横断したり、赤信号を無視したりして歩く先輩がいました。
酒が飲めないシラフの私は、
鳴らされるクラクションに冷や汗をかきながら注意するのですが、
彼はまったく意に介さず、いつも困り果てたものでした。
「自動車が歩行者を轢いたら悪いのは向こう。だから絶対に轢かれない」
彼がこねる理屈もわからないでもありませんが、
それには運転者が、目の前の歩行者の存在を認識していることが大前提になります。
酔っ払いには、まるでそんなことには思いが至らないようです。
酔っ払うと事故が多くなるのは、思考力や運動能力が鈍くなるだけでなく、
アルコールによって「恐怖心」がなくなるからだと言われています。
しかし、酔っ払いでなくても似たような光景は日常的に見かけます。
赤信号でも堂々と交差点を横断する歩行者や自転車。
イヤホンで耳をふさぎ、携帯電話のディスプレイを熱心に見ている歩行者や自転車。
どれもこれも、決して自分が注意深いから事故に遭わなかったのではなく、
周囲が自分の存在を認識してくれ、交通ルールや交通マナーを守ってくれていたから、
これまで無事にいられたに過ぎません。
交通ルールに限らず、
私たちはお互いが社会のルールやマナー、モラルを守っているから、
毎日を安全・無事に過ごすことができます。
相手にだけルールやマナー・モラルを守ることを依存し、
自分は勝手気ままに振舞って無事に過ごせるほど、この社会は甘くありません。
ルールやマナー、モラルを守らずに事故に遭った者が、
自分のことを棚に上げて被害者面するのはお門違いというものです。