くろたり庵/Kurotari's blog~since 2009

総務系サラリーマンの世に出ない言葉

「医者に殺されない47の心得」

2013-11-24 23:11:41 | 書籍の紹介
2012年のベストセラーの一冊で、菊池寛賞を受賞した、
「医者に殺されない47の心得」(アスコム)を読んでみました。


「医者に殺されない47の心得」 近藤誠 著 / アスコム 刊

ベストセラーゆえに、賛否両論が渦巻く本書。
「この本のせいで、助かるはずだった命のどれほどが失われたことか!」
などと言った、センセーショナルな反論もある雑誌記事にはありました。

この本における癌についての要旨はおおむね以下のとおりです。
①癌には命を奪う本物の癌と、放置しても平気な癌もどきがある。
②本物の癌と、癌もどきを早期の段階で気極めるのはとても困難。
③本物の癌であれば、発見された段階ですでに他の部位に転移している。
④治療で完治したと言われる癌は、ほとんどが癌もどきである。
⑤手術や抗がん剤は患者の生活の質を低下させ、寿命を縮めるだけ。

外科手術は身体をメスで切り開き、内臓を切り取ってしまうのですから、
身体的にも精神的にも負担にならないわけがありません。
ちょっとした日常の切り傷でさえ負担になることを思えば、
どれほどのストレスがあるかわかろうと言うものです。
また、抗がん剤も癌細胞を殺してしまう薬品なのですから、
正常な細胞にとってもどれほど影響があるか容易に想像できます。

著者は、これらの治療を全面的に否定しているのではないと思います。
そういった治療の危険性や副作用など、マイナス面を患者にきちんと説明せず、
一方的な治療を施す医師にかかることが危険だと言うことです。

この本に対する賛否はいろいろあります。
そのどれが正しいかは、私にはわかりません。
ただこの本を読んだ私の感想は、次の一点につきました。

人は誰でもいずれ必ず死にます。
そしてその死因を人は自分で選ぶことはできません。
しかし、人は死因を選ぶことができなくても、
どのように生きて、どのように死んでいくかを選ぶことはできます。
もし、それが癌であったとき、あなたはどのように死にますか。

この本はそう問いかけているのだと。


幻のノーベル賞作家

2013-11-16 23:20:16 | 書籍の紹介
学生時代、開高健に凝ったことがありました。

残念ながら開高健は、1989年に58歳という、
小説家としてはあまりにも若くして亡くなってしまった作家ですが、
私はもし彼が生きていれば、きっとノーベル文学賞の候補にも上がるような、
不世出の文豪になっていたと思っています。

そんな小説家に関する本を書店の書架で見つけ、思わず手にしてしまいました。


「開高健 名言辞典 漂えど沈まず」 滝田誠一郎 著/小学館 刊

この本の中には、
むかし読んだことのある懐かしい名言や、この本で初めて目にする名句、
思わず脱帽してこうべを垂れてしまうしかない名文の数々が、
出典とエピソードとともに紹介されており、読み進むうちに、
文学に人生の道標を求めて読み漁っていた若い日の想いが甦りました。

開高健は戦後の焼け跡で育ち、大学卒業後は壽屋(サントリー)に入社。
数年後、芥川賞の受賞を機に退社し、ベトナム戦争に記者として従軍。
帰国後はその凄絶な体験をもとに作品を発表する傍ら、
熱狂的な釣師として世界中を釣行しました。
食通としても知られ、酒と煙草をこよなく愛した彼の作品には、
そんな彼自身の体験と、そこから導き出された哲学が色濃く反映されています。

けれども、それよりも更に秀逸なのは、その表現力です。

凡人には思いつかないけれど、
一読すればその情景が凡人にもありありと伝わってくる、
そんな言葉を的確に見いだし、紡いでいく才能は、まさに職人技です。

もっとも、彼自身も、
「私は言葉の職人なのだから、どんな美味にであっても、
 ”筆舌に尽くせない”とか”言語に絶する”などと投げてはならない」
というようなことを言っているので、それは才能ではなく、
努力と苦闘の産物なのかもしれません。

先日、「よく本を読む」と言う大学生に、
「どんな本を読んでいるの?」と聞いてみたら、
映画の原作になるようなライトノベルの作家の名前が羅列されました。
「読まないよりはいいけれど、せっかく読むなら・・・」
と心の中で言いかけて、「余計なお世話か」と口に出すのはやめました。

ケータイ小説やライトノベルで育った世代には、
「文学」などという言葉は、かび臭い古書の世界なのかもしれません。

ところで、私がむかし読んだ開高健の本は、
引っ越しを繰り返すたびに処分してしまいました。
けれども、どうしても手放す気になれず手元に残したものが三冊あります。
それが「生物としての静物」(エッセイ集)と「耳の物語Ⅰ・Ⅱ」(長編小説)でした。
そして、久しぶりに再読してみようと思ったのでした。


「ある奴隷少女に起こった出来事」

2013-08-24 23:34:00 | 書籍の紹介
小説はめったに読まないのですが、
「歴史」+「ノンフィクション」のふたつのキーワードで手に取りました。

「ある奴隷少女に起こった出来事」
ハリエット・アン・ジェイコブズ 著 / 堀越ゆき 訳 / 大和書房 刊

この本は、150年前のアメリカの黒人女性によって書かれた自伝小説です。
発刊当時は、その優れた文章力とあまりにもショッキングな内容から、
白人著者によるフィクション・ノベルだと考えられていたそうで、
話題になることもなく、出版から一世紀以上の間、人々から忘れられていました。

そして120年後、ある歴史学者によって偶然発見され、
その後の研究によって、本書に登場する人物はすべて実在した人物であり、
事実に忠実な自伝であることが証明されたそうです。

物語は1820年代のアメリカ、ノースカロライナ州。
主人公のリンダ・ブレント(著者の筆名)は、自分が奴隷とは知らず、
優しい女主人のもとで幼年時代を過ごしますが、やがて彼女の死去により、
医師であるフリント家の奴隷となります(相続されます)。

15歳になったリンダは、
35歳年上のフリント医師の性的興味の対象となり、
性的暴行を受け続けるようになります。
誰にも相談できずに苦悩するリンダは、フリント医師の虐待から逃れるため、
別の白人紳士で弁護士のサンズの愛人になることを決心します。

やがてリンダはサンズとの間に二人の子供を産みますが、
フリント医師は、リンダを自分の思い通りにあやつれない嫉妬から、
彼女に対して筆舌に尽くしがたい陰険な嫌がらせを続けます。
そこでリンダは、奴隷制のない北部への逃亡を決断します。

逃亡したリンダは、
自由黒人となっていた祖母マーサの家の屋根裏に潜伏します。
発見されればマーサだけでなく、子供たちの命にも危害が及ぶなか、
リンダは七年間そこに潜伏し続け、北部への逃亡の機会を待ちます。

そしてリンダはとうとう北部への脱出を果たし、
その先でブルース家の保母として雇われることになりますが、
逃亡奴隷法を根拠に、フリント医師の執拗な追手が迫り・・・

「事実は小説より奇なり」という言葉が陳腐に思えるほど、
リンダの壮絶な人生が展開されます。

奴隷制のもとでは、奴隷は白人の「所有財産=モノ」でした。
奴隷は売買が可能な商品であり、夫婦であろうが親子であろうが、
所有者の都合によって引き離され、売られていきました。
もちろんどこに売られたかわからない永遠の別れです。

しかも奴隷少女は白人男性から性的対象とされることが多かったらしく、
わざわざ法律で「子供の身分は母親の身分を継承する」とまで定めていたそうです。
奴隷を所有する白人にしてみれば、奴隷に子供が生まれるということは、
父親が誰であっても、自分の財産が増えるということになるわけです。

そんな社会が、アメリカでは150年ほど前まで、実際に続いていたのです。

奴隷制は法律によって支えられていました。
当時、人びとの良心の拠り所であったはずのキリスト教精神も、
人権や道徳、あるいは良識と言った人道的な観念も、
すべて奴隷制という法律に打ち負かされていたのです。

法律が常に「善」であり「正義」であるとは限りません。
「人間の欲望を満たし」、「支配者の権力を護る」ために作られた法律が、
いかに恐ろしいもので、善良な人間を狂気に走らせるものであるかということを、
この本は、奴隷制という史実を通じてまざまざと感じさせます。
それは決して奴隷制だけでの出来事ではなく、
現代にも通じる問題だとも言えます。



「ジョン万次郎~幕末日本を通訳した男」

2012-12-22 23:14:59 | 書籍の紹介
ジョン・マン(ジョン万次郎)こと、中濱万次郎は、
歴史上の人物の中で、私が好きな人物のひとりです。

海で遭難してアメリカの捕鯨船に助けられた彼は、
10年間の海外生活と捕鯨船での航海をへて帰国。
彼の西洋に関する知識や体験談は、
幕末の人々に多大な影響を与えました。

以前のブログでも書きましたが、
多くの日本人が彼のことを知っているにもかかわらず、
彼を主人公にしたドラマや映画は一度も作られていません。
大黒屋光太夫(江戸後期の漂流者)の漂流記譚が映画化されているのに、
彼よりもっと有名なジョン万次郎が映像化されないのはどうしてだろうかと、
以前から不思議に思っていました。

その理由が、この本を読んで少しだけわかったような気がします。

 永国淳哉 著 / 新人物往来社 刊

ジョン万次郎と言えば、
アメリカでの生活や帰国後の活躍がクローズアップされますが、
海外生活のうちの約7年間は、捕鯨船に乗って世界中を航海しています。
その距離たるや、地球を七周するほどだといいます。

その間、彼はアフリカやソロモン諸島、キリバスなど、
当時の日本人がおよそ訪れたことのない地域を巡り歩いています。
アフリカでは船員仲間から、「黒人を連れて帰ると高く売れる」と言われ、
南太平洋の島々では捕鯨船員は女性と交換するため、
島の有力者にタバコやアヘンを提供したと彼は記録しています。
そこで彼は、欧米列強の植民地支配を目の当たりにしているのです。

また、万次郎は帰国資金を稼ぐために北アメリカ大陸を横断し、
ゴールドラッシュに沸くアメリカ西海岸へも渡っています。
そこで人を変えてしまう「ゴールド」の恐ろしさを目の当たりにし、
常時、ピストルを携えていたといいます。

とかく「遭難・米国留学・帰国」と
「明治維新への功績」でまとめられてしまう万次郎の生涯ですが、
実際の万次郎の生涯は、単なる偉人伝では終わりません。
彼が海外で過ごした10年間は、スケールの大きな冒険譚でもあるのです。

そんな万次郎の冒険譚を映像化するのは、
費用の面でも技術の面でもかなり難しいことは容易に想像できます。
しかしながら、彼の残したオセアニアの人々に関する記述を読むと、
地球を七周もしたという冒険への想像がかきたてられてわくわくします。

やっぱり映画にしてみたい。
あらためてそう思ったのでした。


「危ない大学」

2012-10-14 13:05:05 | 書籍の紹介
昨日の新聞によれば、今春大学を卒業した56万人のうち、
就職をしたのは36万人で、率にして64%を切る水準だといいます。
だから若者の雇用をとりまく環境は依然として厳しいと。


「危ない大学」 海老原嗣生ほか 著 / ㈱洋泉社 刊

しかし、文部科学省の「学校基本調査」によれば、
四年制大学の新卒者の正社員就職数は、
バブル期(1980年代後半)で29万4千人/年。
2008年は39万人、リーマンショックの09年でも38万人でした。
したがって、今年の36万人という数字が、特に悪いわけではありません。

これに対し、大学の数はこの25年間で7割増加(460校→780校)、
大学生の数も6割増加(185万人→289万人)しています。
1980年代には25~26%だった大学進学率は、今や50%超。
しかも子供の数は減っているのに、です。

つまり、大学新卒者の就職率の悪化は、
不況で大卒者の採用が激減しているわけではなく、
求人数はそれほど減っていないのに、大学生の数ばかりが激増したため、
就職率が相対的に悪化しているというわけです。

また、大学が増えても学生が来なければ学校経営は成り立ちません。
そこで、昔なら成績が振るわず大学に進学できなかった学生層を取り込みました。
さらに、OA入試や学校推薦入試、一芸入試など、学生が入学し易いようにした結果、
日本の大学生の学力レベルは大幅に低下していくことになりました。

なにしろ私立大の場合、一般入試(学力試験)で入学するのは半数以下。
OA入試の9割、推薦入試の3割以上には成績基準さえないといいます。
これが週刊誌や新聞で記事になるような、分数計算ができなかったり、
アルファベットが読めなかったりする大学生が増えた原因というわけです。

企業が、採用基準を下げることは絶対にありえません。
したがって、大卒者の就職率は、「いわずもがな」というわけです。

こうして物事を別の角度からながめてみると、
新聞に書かれていることは、一面から見たことでしかないことがわかります。
ネットにせよ、週刊誌にせよ、書籍にせよ、
私たちはいろいろな切り口で検証した情報に接する必要があります。

身内に大学生がいなければ、
教育関係者でもない限り、このような本を読む機会は少ないでしょう。
そうすると、どうしても自分が学生だった頃の大学を基準に比較しがちです。
しかし、それは適切な比較ではありません。

「大学を出たのだから・・・」という考え方は、もはや幻想にすぎません。
大学生はしっかりと自分の立ち位置を自覚する必要があるし、
親の世代も今の大学は、かつての大学とは別物であることを認識する必要があります。

そして何より社会自体が、
今の日本において「大学とは何か」「大学生とは何者か」、
考えを改めなおす必要があると感じたのでした。