くろたり庵/Kurotari's blog~since 2009

総務系サラリーマンの世に出ない言葉

「雑用」の効用

2012-04-30 21:21:18 | これが会社で生きる道
「私でなくてもいい仕事なら、誰か他の人に言ってください」

自分の担当の仕事ができるようになると、
それ以外の仕事をそう言って断る人がいます。

その人は、大きな勘違いをしています。
残念ながら、会社には「あなた」でなければならない仕事などありません。
どうしても「あなた」でなければならないとしたら、それは組織として欠陥があります。
なぜなら、それでは企業として成り立たないからです。
それは、そう言っている私とて同じこと。
それが会社というものです。

誰でもできる業務や手間のかかる細かい用事を「雑用」というのなら、
仕事は「雑用」の積み重ねであり、会社は「雑用」で成り立っています。

華々しい業績は、
格好いい企画書を作成したり、熱い議論を戦わせたり、
あるいは気の利いたお客様との会話などがもたらすのではありません。
そこに至るまでの地道な「雑用」が完璧だからこそ、
もたらされるものなのです。

「あなたの仕事への信頼」は、
そんな「雑用」の積み重ねの上にあります。
「雑用」を「逃げず」「クサらず」「投げ出さず」に完璧にこなしてこそ、
周りから信用され、信頼を得て、より重要な仕事を任されるのです。

難しいことではありません。発想を転換してください。
「雑用」をないがしろにせず、懸命にこなすことで信頼が得られるのです。
こんなに易しいことは、ないではありませんか。


いまさら「タイタニック 3D」

2012-04-29 23:59:59 | こんな映画をみた
いまさらですが、「タイタニック」3D版を観てきました。

この映画をはじめてDVDで観たとき、
劇場のスクリーンで見逃したことをとても悔やんだのですが、
「いまさらストーリーも知っている映画を3時間も観ていられるだろうか」と思いつつ、
あのスケール感を味わいたくて、思い切って劇場に行ってきました。

もともとこの映画は、
レオナルド・ディカプリオとケイト・ウィンスレットが演じる、
「極貧画家」と「上流社会のお嬢様」の身分を超えた悲恋が話題となって、
女性の圧倒的支持を受けた映画でした。

しかし、この映画の面白さは、
監督のジェームズ・キャメロンが語ったように、
8歳から80歳まで、それぞれの世代で、それぞれの楽しみかたができ、
また、観る年齢によって新たな発見ができることです。

ラブロマンス映画だと思う人もいれば、パニック映画だと思う人もいるでしょう。
格差社会や身分差別を批判する社会派ドラマだと感じる人もいるかもしれません。

そんなキャメロン監督の言葉通り、
ストーリーは知っていても、3時間があっという間に過ぎていきました。

私がこの映画を最初に観た15年前は、
「この映画は、ローズ(主人公の女性)の生涯を描いた人間ドラマだ」 と思いました。
タイタニックの沈没から生還したローズが、
ジャック(ディカプリオ)との束の間の出逢いを生きる力に変えて人生を切り拓き、
年老いて再びタイタニックへ還ってくるまでの長い人生の物語だと。

映画の中では、101歳になったローズの、それまでの人生を伝えるものは、
冒頭と最後に映し出される、彼女の寝室に飾られた若き日の写真しかありません。
しかし、タイタニックで彼女がジャック(ディカプリオ)と過ごした短い日々が、
そのセピア色に変色した幾枚もの写真と見事につながり、
映画を観る者の心に、彼女のその後の人生を鮮やかに描き出します。

船の切っ先で空を飛ぶように両手を広げるシーンと、
フライトスーツで飛行機に足をかける若き日のローズの写真。
「馬の乗り方を教えてあげる」 
ジャックが彼女に語ったそんなシーンは、
笑顔で馬にまたがるローズの写真へとつながっています。

当時は、そんなジェームズ・キャメロンの演出に深く感心したものです。

そして今回、「タイタニック」を観て心に強く訴えかけられたのは、
豪華客船の一等船室で優雅に着飾って食事をする富豪たちと、
その船を動かすために、船底で真っ黒になって石炭をくべる人夫たちとの、
あまりにも大きな格差とそれによって支えられている社会の姿でした。

浸水が始まると、船が沈没するのを防ぐために隔壁が閉鎖され、
船底の彼らは真っ先に閉じこめられて犠牲となっていきます。

「形は違えども、いつの時代でも社会の仕組みは変わっていない」
駆け出しの社会人の時にはわからないことでも、
15年の歳月が経てば、しみじみと実感することもあるものです。

ところで、今回の売り物である肝心の3D。
正直、この映画は大きなスクリーンで観る価値はあっても、
3Dである必要性はまったくないと感じました。

3Dであるか否かは、この映画の評価にはまったく関係ありません。
むしろ、3Dに期待しすぎると、立体的に見える場面ばかり気になって、
ストーリーやスケールの大きさに集中できません。

少なくとも私の脳みそは、3D映画向きではない。
個人的には、そんなことも気づかされた映画でした。



「善悪」の議論はまやかし

2012-04-27 23:59:59 | 総務のお仕事(いろいろ)
「原発は”悪”なのか!」

大飯原発の再稼動の是非が議論されるなか、
再稼動を望む地元住民から、このような発言があったと報道されていました。

原発に「善」も「悪」もありません。
あるのはどこまで「安全」で、どこからが「危険」かだけです。

たとえれば、何かの拍子にブレーキが利かなくなって、
暴走するかも知れない自動車を運転しても良いのか?
そのような自動車でも乗っていたいか?

ただそれだけです。

物事は、当事者に語らせるとあらぬ方向に議論が脱線することがあります。

最近あった卑近な例では、受動喫煙防止の対策。
恥ずかしい話しですが、わが社では喫煙所を設けているにもかかわらず、
「仕事の効率が落ちる(=面倒くさい)」という理由で、
自席で喫煙する社員がいます。

「タバコの煙が健康に悪いのなら、自動車の排気ガスだって同じ。
 喫煙者を責める一方で、自分は自動車に乗るのは、自分勝手というものだ」
中には、平然とこのような反論をする喫煙者もいます。

オフィスで車のエンジンをふかす人はいません。
人の顔や他人の家にマフラーを向けてエンジンをふかせば、誰だって怒ります。

受動喫煙の防止は、「タバコを一切吸うな」と言っているのではありません。
「きちんとルールやマナーを守ろうよ」ということだけです。

旗色の悪くなった当時者は、意識的・無意識的にかかわらず、
とかく焦点を「善」「悪」の議論にすり替えようとする傾向があるものです
乗ってしまうと客観的な判断ができなくなります。



どっちが余計なお世話?

2012-04-26 22:47:50 | 総務のお仕事(いろいろ)
環境省が今年度の「クールビズ」の実施について発表しました。
これにあわせ、わが社でも環境省と同じように開始時期を前倒しして、
5月1日から「クールビズ」をスタートすることになりました。

早速、会社の社外ホームページに「お知らせ」を掲載します。

「当社では冷房設定を28℃に設定し、
 ノーネクタイ・ノー上着で業務を行いますので
 お客様のご理解とご協力をお願いいたします」

これは、「軽装で接客することを許してね」というメッセージです。
これに続けて、お客様への呼びかけが続きます。

「弊社にご来訪のお客様におかれましても、 お気軽に軽装でお越しください」

すると、ホームページを見たという一般の方から、
予想もしなかったクレームの電話がかかってきました。

「おたくの会社は、お客様に服装を指示するのか!
 お客様がどのような格好で行こうと自由ではないのか。
 このような文章は、すぐに削除してもらいたい」

要するに、お客様の方が立場が上なのだから、
おまえがお客様の服装をあれこれ言うのはおこがましい、
余計なお世話だということのようです。

もちろん会社としては、お客様の服装を指示したつもりはありません。
むしろ、「お客様に気を使わせてはいけない」 と配慮したつもりです。

一般の方も、お客様としての権利意識が行過ぎると、
このような、歪んだ正義感タイプのクレーマーに変貌します。
「自分は間違ったことは言っていない」 と自信たっぷりに話します。
クレーマーの中でも、もっともやっかいなタイプのひとつです。

杓子定規に解釈すれば、間違ったことは言っていません。
だからこそ、ここで相手の言い分を否定したり、疑問を呈したりすると、
相手はますます意地になってこじれるだけです。

このタイプが得たいのは、多くの場合が金品ではなく満足感です。
したがって、不承不承ながらも相手の言い分を聞き、
言いたいことを気の済むまで話してもらうしかありません。

「本人は『またひとつ良いことをした』と思っているんだろうなあ」
このようなクレームの後は、いつもそんな徒労感でいっぱいになるのです。



すわ!反社か?

2012-04-25 23:05:08 | 総務のお仕事(いろいろ)
受付から総務に内線電話で連絡が入りました。

「『社長に会わせてほしい』と言う方が来られています」
「アポなしですのでお断りしたら、『誰か代わりの者に会いたい』とおっしゃっています」

すわ、反社(反社会的勢力)が来たか!
そう思って心を落ち着け、構えて聞いてみると、来訪者は女性だといいます。
反社ではなくても、いきなり「社長に会いたい」と言って来社した女性は、
私の記憶では、過去に例がありません。

興味半分で、とりあえず面会してみると、
今春、ある会社に入社した新入社員でした。
いわゆる、研修を兼ねた飛び込み営業です。

余計なお世話だとは思いつつ、
こういう新米社会人を見ると、言いたくなるのがオジサンのサガ。

「いきなりやって来て、『社長に会いたい』じゃ、誰も相手にしてくれないよ」
「まずは用件を伝えて、『ご担当者に会わせてください』と言わなきゃだめ」
「そういうことは、研修に出される前に会社で教えてくれないの?」

叱られたと感じたのか、
その女性はいまにも泣きだしそうな表情で帰っていきました。

いまどき、「まだこんな会社があるのか」と感心するやら、あきれるやら。
その会社にとっては、「身をもって学ばせる」研修の一環かもしれませんが、
来訪される会社にしてみれば、迷惑以外のなにものでもありません。

こんな営業をする会社と取り引きしたいと思う会社は、絶対にありません。

うちの会社ですか?
20年前に語学研修をやっていましたが、
「羽田空港で外国人に話しかける」という実地研修を行い、
「迷惑だ」と会社にクレームがバンバン入って以来、
第三者を巻き込む研修は一切なくなりました。