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くろたり庵/Kurotari's blog~since 2009

総務系サラリーマンの世に出ない言葉

これが子育ての真実

2014-01-17 23:59:22 | 子育て

いろいろな本を読んでみたり、
さまざまな人の話しをきいてみたりしたけれど、

結局、親は自分が育てられたようにしか、
自分の子どもを育てられないし、
子どもは親が育てたようにしか育ちません。

これが子育ての究極の真実でした。

年齢相応のバカをやろう!

2013-09-02 22:04:13 | 子育て
飲食店やコンビニエンスストアのアルバイト店員が、
店での悪ふざけ写真をインターネット上に公開して、
世間の物議をかもしています。

アルバイト店員とはいえ、
彼らが担うべき社会的な責任や、
そして彼らが達してしまった年齢を考えると、
まったく先行きが末恐ろしくなるほどのバカさ加減です。

相次ぐこれらの報道を見ていて、
私は自分が幼稚園か小学校低学年のころに、
食べ物で遊んだり、家の天袋や地袋に隠れたりして、
親に見つかって叱られたことを思い出しました。
狭いところに隠れたくなる子供の好奇心を親に見越され、
「冷蔵庫は中から開けられないから、入ったら出られなくなるぞ」
などとおどかされ恐怖を感じたのものでした。

彼らのやっていることは、まさにこれじゃないか!

テレビなどでは、評論家と称する人たちが彼らの行為を、
「インターネットに偏重したコミュニケーションが、
 仲間内だけの世界であるという勘違いを生み出している」
などと、さも専門的に分析したかのように解説しています。

しかし、そういう問題ではありません。
年齢相応の分別があれば、インターネットに公開する云々ではなく、
そもそもこういう非常識なお遊びはしないものです。

子供のころ、年齢相応のバカ(遊び)をやっておかないと、
大きくなってから、自分の行為のバカさ加減に気がつきません。
人にはその年齢に応じて学ぶべき遊びがあるのです。


無礼者

2013-07-31 21:40:03 | 子育て
「いまの学生って、本当に無礼なんですよ」
ある大学の先生がそんなことを言いました。
遅刻や途中退席は平気だし、講義中の私語もあたりまえだといいます。
もちろん、昔からそんな学生はたくさんいました。
私だって決して品行方正な模範学生だったわけではありません。

では何が無礼だと言っているのでしょうか。

「昔の学生には、遅刻や途中退席、
  講義中の私語は悪いことという自覚があった」
とその先生は言います。
だから講師や他の学生から目立たないようにするし、
見つけて注意すれば「すみません」と恥ずかしそうに謝りました。
ところが、いまは悪びれもしない学生が多いというのです。

「自分の勝手(自由)でしょ」
これが、そんな学生たちの本音のようだといいます。
その根底にあるのは、「お金は払っている」という意識です。
さすがに「お金を払ったのだから、単位はもらえて当然」
と、そこまで図々しく勘違いしている学生は少ないようですが、
「授業料はちゃんと払っているに何が悪いのか。
 授業がわからなくなったり、単位を落としたりしても、
 困るのは自分なのだから、他人に言われる筋合いはないでしょ」
という意識が根底に感じられると言うのです。

あまつさえ学生ばかりか、
テレビや週刊誌では評論家や解説者までもが、
「つまらない講義をする教員の方が悪い」とか、
「学生が興味を引かれるような講義をする努力をすべき」
などと、わけ知り顔で言うのですから始末に負えません。
明らかに論点のすり替えです。
「講義がつまらないから無礼でも構わない」
という道理はありません。

彼らにあるのは「学生と先生」という関係ではなく、
お金を介した「消費者と供給者」という意識だけなのです。

「お金を払ったのだから何をしても構わない」
「誰かに迷惑をかけなければ何をしても自由」
そのような考え方や立ち振る舞いができるのは、
相手や周囲の人たちを対等な人間として尊重していないからに他なりません。
それが無礼と言うことなのです。

「そのような考えや行為は、自分の人間性を著しく貶めている」
そういうことをもっと子どもの頃から教えるべきなのです。



最近、脳みそで汗をかきましたか?

2013-06-15 13:55:41 | 子育て
「脳みそで汗をかく」 という言葉を聞かなくなって久しい。

あたりを見渡せば、映画も本も、絵画も歌も、
なにもかもが、「考える」ことでなく「感じる」ことを強調してばかり。

人生では、
「選択に迷ったときは、自分の直感で選べ」 とか、
「おもしろそう・楽しそうなほうを選べば
 あれこれ考えて選んで失敗するよりも、後悔が少ない」とか、
まるで「考えること」が劣っているかのように、
感覚で生きることが花ざかり。

ものを訊いても「なんとなく」とか、
「そんな感じがしたから」とか、
意志の疎通もままならないことも多々。

そうやって人は考えることを面倒くさがり、
とことんまで考えることをしなくなって、
やがて考えようとしても、考えられない頭になっていきます。

そんな最近の風潮に辟易していたら、
映画「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」の中で
こんなセリフがありました。

「今の世の中は『どう感じるか』ばかりを重要にしている。
 人々の関心はどう感じるかで、何を考えるかじゃない。
 『考えること』や『アイデア』がおもしろいのに。
 考えが言葉になり、その言葉が行動になる。
 行動が習慣になって、習慣の積み重ねが人格となり、
 人格がその人の運命を形づくるのです」

腹にストンと落ちました。



本物が持つ力

2013-04-24 23:52:17 | 子育て
本物を見るために、本物を聴くために、
本物を知るために、お金を活かそう!

今はインターネットやテレビで、
世界中のたいていのものを見聞きすることができます。
だから人はそれだけで、なんでも知ったような気になります。
それによって健全な好奇心を削がれ、目標や目的を失くします。
そしてやがてそれは、無気力・無感動へとつながっていきます。

しかし、本物が有する力、本物が与えてくれるエネルギーは、
インターネットやテレビ、書物などを媒体にしたそれの比ではありません。

芸術家や作家、芸人や職人など、一流と呼ばれる人はみな、
本物になるために、本物に触れ、本物から学び取るために、
たとえ貧乏であっても、それこそお金を惜しみませんでした。

もちろん、一般人である私たちが、
芸術家や芸人のような真似をする必要はないでしょう。
でも、張りぼての自分にならないように、本物の自分であるために、
お金を活かすことを惜しんではなりません。