くろたり庵/Kurotari's blog~since 2009

総務系サラリーマンの世に出ない言葉

「咽喉頭異常感症」だった!

2014-06-24 21:47:52 | 健康のためなら死んでもいい!?

唾をのみこむとつっかえるような感覚がある。

喉に何か詰まっているような感じがする。

喉仏のあたりに何か違和感がある。

「もしや食道がんでは?」と不安になるものの、

食べ物を飲み込んでも実際にはつっかえるようなことはなく、

気がつくといつの間にか治っている。

 

こんな症状が昔から時々あり、長年にわたって謎でしたが、

これにはちゃんとした医学的な呼称があることを最近になって初めて知りました。

「咽喉頭異常感症」というのだそうです。

 

病院で検査をしても喉に炎症や腫瘍などの器質的な異常は見られないけれど、

本人に異常感の自覚症状はあるもので、その人が訴える異常を総称してそう呼ぶのだそうです。

原因は極度の緊張感や不安感、うつ状態といった精神的なものから、

アレルギーや甲状腺異常、貧血症など他の肉体的な疾患によるものまでさまざまだそうです。

要するに詳しい因果関係はわかっていないということなのでしょう。

 

自分も子供の頃からアレルギー性鼻炎だし、えびやかにを食べると喉がイガイガするし、

最近もこの症状が出たのは、仕事上のことで眠れないほど強烈なストレスを感じたときのことでした。

何十年も生きていても、自分の体のことなのに、知らなかったことってあるものなのですね。

原因がわかってなんだかすっきりしました。

 


世界遺産登録勧告前の富岡製糸場

2014-06-23 22:42:28 | お出かけ

「富岡製糸場と絹産業遺産群」が6月21日に世界文化遺産に登録されました。

登録に先立つ4月26日、ユネスコの諮問機関であるICOMOSによって登録の勧告があり、

富岡製糸場にはどっと観光客が訪れるようになりました。

その一週間前、まさかこんなに大騒ぎになるとは思いもよらず、

たまたま富岡製糸場を訪れていました。

正門を入ってすぐの「東繭倉庫」明治5年(1872年)建築。

建物内は資料館になっています。

「東繭倉庫」の建物内の資料展示。

「操糸場」の内部。往時の様子がそのまま残っています。

現在、建物内部を見学できるのは「東繭倉庫」と「操糸場」の二棟だけです。

「ブリュナ館」明治6年(1873年)建築。

養蚕指導者として雇われていたフランス人、ポール・ブリュナの住居。

工女さんたちの寄宿舎です。

「西繭倉庫」明治5年(1872年)建築。

閑散とした富岡製糸場としては、おそらく最後の機会でした。

今年(2014年)2月の大雪で、残念ながら乾燥場などの建物が倒壊してしまいました。

場内には貴重な明治期の遺構がたくさんありますが、そのほとんどは内部公開されていません。

世界文化遺産に登録され、多くの観光客が訪れるようになってしまったいまでは、

建物保存の見地からも、内部公開はますます難しくなったのではないかと思われます。

公開エリアが拡大するのであれば、是が非でもまた行きたいと思います。


ある日、病は突然に!(10)~病気になって考えた

2014-06-21 23:21:46 | 健康のためなら死んでもいい!?
アバスチンの硝子体注射(眼球注射)から二か月。
 
一か月目と二か月目の検診を経て、
黄斑部の浮腫は消失し、ほぼ正常な状態に戻っていました。
網膜に広がった出血も徐々に体内に吸収されているようで、
眼鏡をかけてもぼやけて見えなかった遠くの文字も、
徐々に見えるようになってきました。
 
両眼で見ているぶんには、生活に支障はありません。
しかし、左眼だけで見ると、視界のところどころはかすみ、
ものの輪郭もにじんだように見え、右眼に比べると精彩を欠いています。
「残念ですが、もう右眼と同じように見えることはありません」
最初の病院で医師からそう告げられたのは、
こういうことだったのでしょう。
 
せめてアバスチンの薬効が切れても、
「この状態が維持できれば御の字」と思えるところまで回復しましたが、
この病気は、そう簡単ではないようです。
 
発症から三か月以上が経過し、
急性期から慢性期へと移行したこれからは、
新生血管の増殖による硝子体出血や血管新生緑内障などの
合併症に注意する必要があり、定期的な検診が欠かせません。
根治させる治療法のないやっかいな病気なのだそうです。
 
網膜静脈閉塞症は「眼の脳梗塞」とも呼ばれているそうです。
血管の閉塞がたまたま眼だったわけで、脳や心臓の可能性もあったわけです。
昨日まで元気だった人が、突然亡くなるということを時々見聞きしていましたが、
それは決して他人ごとではなく、自分にも起こりうることなのだということを、
想像ではなく、リアルに実感させられたのがこの病気でした。
 
人は「子供が独立したら」とか「定年退職したら」などと、
条件をつけて自分の将来の予定を立て、また夢を描きます。
しかし、その時が来たとき、
それを実行できる健康な体であるという保証はどこにもないのです。
 
残された時間を生きることについて、
この病気は真剣に考えるきっかけとなりました。