酒を飲むと、車が来ているにもかかわらず、
平然と横断歩道ではない場所を横断したり、赤信号を無視したりして歩く先輩がいました。
酒が飲めないシラフの私は、
鳴らされるクラクションに冷や汗をかきながら注意するのですが、
彼はまったく意に介さず、いつも困り果てたものでした。
「自動車が歩行者を轢いたら悪いのは向こう。だから絶対に轢かれない」
彼がこねる理屈もわからないでもありませんが、
それには運転者が、目の前の歩行者の存在を認識していることが大前提になります。
酔っ払いには、まるでそんなことには思いが至らないようです。
酔っ払うと事故が多くなるのは、思考力や運動能力が鈍くなるだけでなく、
アルコールによって「恐怖心」がなくなるからだと言われています。
しかし、酔っ払いでなくても似たような光景は日常的に見かけます。
赤信号でも堂々と交差点を横断する歩行者や自転車。
イヤホンで耳をふさぎ、携帯電話のディスプレイを熱心に見ている歩行者や自転車。
どれもこれも、決して自分が注意深いから事故に遭わなかったのではなく、
周囲が自分の存在を認識してくれ、交通ルールや交通マナーを守ってくれていたから、
これまで無事にいられたに過ぎません。
交通ルールに限らず、
私たちはお互いが社会のルールやマナー、モラルを守っているから、
毎日を安全・無事に過ごすことができます。
相手にだけルールやマナー・モラルを守ることを依存し、
自分は勝手気ままに振舞って無事に過ごせるほど、この社会は甘くありません。
ルールやマナー、モラルを守らずに事故に遭った者が、
自分のことを棚に上げて被害者面するのはお門違いというものです。
出だしの文言に引かれて拝読いたしました。
なぜ、出だしの文言に引かれたか、と言いますのは、東京で勤めていた仕事の現役時代のことを思い出したからです。
私は、全くお酒が飲めませんが、同僚たちと東京の門前仲町辺りで食事をする機会がありました。
同僚の中に、必ずお酒を多量に飲んで「酔っぱらう」のがいて、私や他の同僚で、何とか安全にタクシーに乗せて帰そうとするのですが、酔った同僚はなかなか、一筋縄ではタクシーに乗らず、困った経験をしたものです。
ある同僚は、酔っぱらった同僚が、車の走る道路で転びそうになり、助けようとして、助けようとした同僚が転んで顔に大怪我をしたことがあります。翌日、酔っぱらっていた同僚がシラフになり出社し、怪我をした同僚の顔を見て、「どうしてそんな怪我をしたのか・・・」と聞いて、昨夜の自分の不始末を本当に記憶がないのか、そのような事を言う同僚に困った経験をしましたので、当時の出来事を思い起こしました。
「酔っ払いになられる方」は、他の人に迷惑をかけることを考えて、自重して欲しいと思いました。 まして、ご紹介の通りに、自分のマナー違反を他の人の勢にして、知らぬふりは、許されることではありません。
ある大酒飲みの同僚は、私に「実は大酒飲みは貪欲で利己主義者で、自分の飲み癖が嫌になることがあるが・・・」と、明かされたことがあります。
ですから、他の人の益を優先することが出来ないのかも知れません。
優れた紹介記事に感謝致します。
私は下戸なのに、というかシラフだったために、これまで酔っ払いのお供で警察2回、救急車1回のお世話になりました。それはそれは語るほうは涙、聞くほうは爆笑の出来事ばかりでした。
「酒が呑めないやつは、人生の楽しみの半分を失っている」などと言われたこともありますが、終業後に毎日いそいそと飲み屋に連れ立っていく人たちを見ていると、貴重な時間とお金の大いなる喪失だと思います。
サラリーマン人生も半分を過ぎ、残された時間を思うと、「酔っ払っている時間」はもったいないと感じるようになりました。
しかし、それにつけても「酔っ払いの失態」に寛容な社会の傾向には腹立たしく思います。「失態を演じるほどまで飲んだ」ということについては、自己の責任を問われてしかるべきだと思うのですが。