くろたり庵/Kurotari's blog~since 2009

総務系サラリーマンの世に出ない言葉

ウチでももらえるかも!?

2012-05-30 23:54:41 | 政治経済のことも考えよう
年収が1000万円を超えても、
不安定な仕事で妻子を養わなければならないからと、
母親には生活保護を受給させ続けた某お笑い芸人。

母親に2000万円のマンションをプレゼントし、
息子がローンを全額負担するも、
当の母親には生活保護を受給させた某お笑い芸人。

そもそも、分別のある良識人であれば、
30歳を過ぎても売れなければ芸人の道に見切りをつけ、
定職に就いているでしょうから、常識で測れない恥も外聞もない行為は、
「いわずもがな」 とも言えます。

しかし、聞き捨てならないのは、二人とも判で押したような、
「福祉事務所に相談して受給を決めた」 という説明です。

福祉事務所の担当者から言えば、
「給付すべきか否かの判断基準に明確な決まりがない」
と抗弁したいところでしょう。

「給付を拒否してお互いに嫌な思いをするくらいなら、
 法に触れるわけじゃないのだから、給付したほうがラク」
明確な客観的基準がなく、あいまいになっていれば、
安易な方向に流されるのは組織の常、人の情というものです。

今回の騒動の原因の半分は、
給付を決めた福祉事務所にもあるのではないでしょうか。

「明確な判断基準がない」というなら厚生労働省は作るべきだし、
全国の判断基準が不明瞭な事例をまとめて、判例のようにすべきでしょう。
そして何より求められるのは、職員のスキルアップです。


本当に健康に良いのか

2012-05-29 23:19:23 | つれづれなるまま
近ごろは飲み会の席でも、
ノンアルコールビールを頼む人が増えてきました。

もともとアルコールを飲める人は、
ノンアルコールビールの味にもこだわりがあるようですが、
スーパー下戸の私には、その違いがさっぱりわかりません。

最近になって増えてきたこの手の飲料。

ノンアルコールなのにアルコールの味がする飲み物。
糖類ゼロなのに甘い飲み物。
体の中で脂肪を吸収させない飲み物。

その飲み物というか、
物体は一体何からできているのでしょうか。

ふとそんなことを考える今日この頃です。


いつか還る日

2012-05-27 22:17:08 | つれづれなるまま
昨年、103歳で他界した実家の祖母が、
晩年に繰り返して口にしていたのは、小学校の思い出でした。

「算術の成績が一番だったこと」
「学年の成績優良者は表彰され、記念に硯(すずり)をもらったこと」
「お転婆な同級生は、記念品が入った手さげ袋を振り回し、帰り道で割ってしまったこと」

歳をとってからのことは忘れ、
遠く離れて暮らす孫やひ孫の顔はわからなくなっても、
小学校時代のことは鮮明に覚えているようでした。

ひるがえっていま、自分の小学校時代のことを思い返してみると、
小学校を卒業してから30年以上が過ぎても、古い木造校舎の間取りも覚えているし、
中学校の校歌は忘れても、小学校の校歌は口ずさむことができます。

私の実家の家族は、
私を含めて、祖母、両親、兄弟、そしてその子供たちと、
約100年にわたって同じ小学校を卒業しました。

尋常小学校、国民学校、新制小学校と、
時代によって教育の制度や校舎の形は違えども、
家族全員が一本の団子の串のように、
世代をこえて共通のプロフィールでつながっています。

その意味を考えると、
あらためてその幸運に感謝せずにはいられません。

私の通った小学校は、田舎の学校だったので、
裕福な家庭の子供もいれば、極端に貧しい家庭の子供もいました。
いまの都会のように、住んでいる地域によってある程度決まってしまう、
「その地域の平均的な家庭」というものがないのです。

また、私立の学校もないので、成績による学級編成や、
似たような学力の子供たちが集まるということもありませんでした。
将来、東大に入るような成績優秀な子供もいれば、
勉強はまるでダメだけれど、スポーツが得意だったり、
絵がずば抜けて上手いといった子供が同じ学級にいたりしました。

受験で選抜される高校や私立の学校に比べれば、
小学校は、はるかに実社会に近い社会性をともなった世界だったのです。

私が故郷を離れ、都会に生活の根をおろしてずいぶんたちます。
ここで子供を育てながら、時おり子供に説教をたれるとき、
それが田舎の小学校で学んだことだったと気付かされるときがあります。

自分が意識していないだけで、
それほどまでに、小学校時代の記憶というものは心と体に染みついているようです。

祖母がそうであったように、
「いつの日か、私もあの日に還るときが来るのだろうか」 と最近思うのです。


明日は我が身か?

2012-05-26 20:53:27 | 政治経済のことも考えよう
「この歳になると、もう会社の10年後とか、
 考えて働く気力がなくなってくるんだよなあ」

私の知り合いの、ある会社の総務部長がそう言いました。
彼は50代半ば。もうあと数年もすれば定年で退職します。

「この歳でこの役職なら、この先の自分のポジションも想像がつくし、
 この御時世じゃ、事務系の社員が雇用延長になるはずもない。
 『残りの会社員生活を無事平穏に定年まで過ごせれば、まあいいか』、 
 という気持ちになってくるんだ、この歳になってくると」

バブル崩壊以降、会社への帰属意識が希薄になり、
愛社精神などという言葉はもはや死語となってしまいました。

「会社での先も見えているし、年金がもらえるまで食いつなげればいい」

今後、政府や厚労省が奨励する「定年の延長や廃止」が法的義務となれば、
このように考える無気力な年配社員が、社内に増加するのは明らかです。

「定年の延長や廃止」は、若年者の雇用を妨げるとして議論になります。
厚労省の報告書では、ヨーロッパの施策を例にあげ、
「『定年の引き上げ・下げ』と『若年者雇用』との間には相関関係はない」
としています。

しかし、それ以前に企業の健全な成長を妨げ、
企業活動の活力を落とすことにもなりかねないのではないでしょうか。

また、「少数の若年層が、多数の高齢者を支えることになる」 
という、これからやってくる年金制度の問題を、
国はただ単に、民間企業へと押しつけただけのようにも見えます。



金環日食 雑感

2012-05-21 23:50:53 | 今日の出来事
「30年間待ち続けた金環日食」 と言えば大仰ですが、
小学校から高校にかけて天文少年だった私にとっては、
子供の頃に本で読んだ「日本で金環日食が見られる日」が、
やはり待ち遠しかったのは事実です。

日食グラスは、
天文少年少女なら誰もが知っている「Vixen(ビクセン)」のものを購入。
これがなんと1,600円!(遮光プレートの安全性が高いらしい)

前日は天気予報にやきもきし、
今日はいつもより一時間も早く起きて出社。

いまさらになって、
「金環日食って、なんで起きるんだ?」 と聞いてくる上司を尻目に、
七時から会社のビルの屋上に待機しました。

屋上から周囲を見渡すと、他のビルの屋上や歩道橋のうえに、
金環(ゴールドリング)の瞬間を見ようと待ちわびる人がたくさん。

 
歩道橋の上で立ち止まり、空を見上げる通行人。


近隣の建物の屋上にも大勢の人。

そして、金環になったその瞬間、
街のあちらこちらから、「おお~!」というどよめき声があがりました。
かつてワールドカップで日本がゴールしたときのことを思い出し、
奇妙な一体感を感じてしまいました。

太陽の80%以上が遮られると聞いていたので、
どれほど暗くなるのかと思いきや、曇りの日になったような程度で、
そのあたりは少し肩すかしでしたが、
逆に、「いかに太陽のパワーが強いものか」ということを実感しました。