くろたり庵/Kurotari's blog~since 2009

総務系サラリーマンの世に出ない言葉

無礼者

2013-07-31 21:40:03 | 子育て
「いまの学生って、本当に無礼なんですよ」
ある大学の先生がそんなことを言いました。
遅刻や途中退席は平気だし、講義中の私語もあたりまえだといいます。
もちろん、昔からそんな学生はたくさんいました。
私だって決して品行方正な模範学生だったわけではありません。

では何が無礼だと言っているのでしょうか。

「昔の学生には、遅刻や途中退席、
  講義中の私語は悪いことという自覚があった」
とその先生は言います。
だから講師や他の学生から目立たないようにするし、
見つけて注意すれば「すみません」と恥ずかしそうに謝りました。
ところが、いまは悪びれもしない学生が多いというのです。

「自分の勝手(自由)でしょ」
これが、そんな学生たちの本音のようだといいます。
その根底にあるのは、「お金は払っている」という意識です。
さすがに「お金を払ったのだから、単位はもらえて当然」
と、そこまで図々しく勘違いしている学生は少ないようですが、
「授業料はちゃんと払っているに何が悪いのか。
 授業がわからなくなったり、単位を落としたりしても、
 困るのは自分なのだから、他人に言われる筋合いはないでしょ」
という意識が根底に感じられると言うのです。

あまつさえ学生ばかりか、
テレビや週刊誌では評論家や解説者までもが、
「つまらない講義をする教員の方が悪い」とか、
「学生が興味を引かれるような講義をする努力をすべき」
などと、わけ知り顔で言うのですから始末に負えません。
明らかに論点のすり替えです。
「講義がつまらないから無礼でも構わない」
という道理はありません。

彼らにあるのは「学生と先生」という関係ではなく、
お金を介した「消費者と供給者」という意識だけなのです。

「お金を払ったのだから何をしても構わない」
「誰かに迷惑をかけなければ何をしても自由」
そのような考え方や立ち振る舞いができるのは、
相手や周囲の人たちを対等な人間として尊重していないからに他なりません。
それが無礼と言うことなのです。

「そのような考えや行為は、自分の人間性を著しく貶めている」
そういうことをもっと子どもの頃から教えるべきなのです。



前には進めない国

2013-07-29 22:08:08 | 政治経済のことも考えよう
サッカーの日韓戦で韓国側応援団が観客席に掲げた、
日本を非難する巨大横断幕の報道を見て、
昨日のNHK大河ドラマの八重のセリフを思い出しました。

「恨みを支えにしては、後ろを向くばかりで前には進めねえ」

薩摩や長州から朝敵とされて討たれ、
いつの日にか復讐することを心に誓って生きる会津の人びと。
八重自身もそんな怨讐にとらわれて苦しみ、発した言葉でした。

「歴史を忘却した民族に未来はない」 という韓国の横断幕は、
あまりにもこれとは対照的で、タイムリーな出来事のように感じられました。
しかも、伊藤博文を暗殺した安重根の巨大肖像画まで掲げる始末。
(この国には、安重根のほかに国際社会に自慢できる人物はいないのでしょうか)

彼らはこれを「日本の歴史認識の違いが問題」と糾弾しますが、
日本人からみれば、もはやこれは「国民性の違いの問題」でしかありません。

私たちの親や祖父たちが、
アメリカ軍の無差別空襲や原爆投下に恨みを持ち続け、
いつまでもアメリカ人を憎み、子供や孫たちにも彼らを拒絶し、
協力し合わないよう教育し続けていたらどうでしょう。
果たして現在の日本の発展と繁栄はあったでしょうか。
代々にわたって恨みつらみを教え込まれて、
私たちは果たして幸福を感じることができたでしょうか。
どちらの言葉が子供たちに幸福をもたらすかは一目瞭然です。

それは戦勝国であるとか、戦敗国であるとかの問題ではありません。
親の世代が子供たちをどのように育て、
その子供たちがどのように生きていくかの問題なのです。
親の世代の重荷を子供たちの世代に負わせない。
それが子供たちの幸福と自国の繁栄を願う親の世代の務めです。

それにしてもこれだけ徹底して、
非常識な方法で大声を張り上げて過去にこだわり続けたら、
日本以外の国々もさすがにドン引きします。
そうやって逆に自分が国際社会で孤立するということに、
なぜ思いが至らないのか不思議でなりません。



「逃げず、くさらず、投げ出さず」

2013-07-28 23:33:01 | これが会社で生きる道
ある後輩が地方の支店に転勤になりました。

現在の彼の年齢は30代の半ばです。
彼は入社して間もなく、本社の経営管理部門に配属され、
そこで10年近くにわたって財務系の業務を担当してきました。
それは彼にとってやりがいのある、誇りに満ちた仕事だったようです。
「自分がやっている仕事は、他の誰も代わることができない」
そう思っていたようです。

そんな彼が一年前、グループ会社の管理部門に異動になりました。
彼が何か失敗したとか、ペナルティをくらったとかいうわけではありません。
あまりにも長い期間、同じ部署にいたので、
他の業務も経験したほうが良いという配慮からです。
この会社では、本社とグループ会社との人材の往来はよくある人事でした。

しかし、若いうちから本社に配属されていた彼にとっては、
グループ会社への異動は大きなショックだったようです。
それに加えて、彼の後任の者が、彼から引き継いだ業務を、
何の問題もなく遂行していることに、彼のプライドは深く傷ついたようでした。

彼は、異動したグループ会社の上司に直訴しました。
そして、本社の人事権を統括する担当役員にもメールで訴えました。
「いまの仕事は、自分がやりたい仕事ではない」
「いまの仕事を長く続けるつもりはない」

そして一年後、
彼は今回の地方店所への異動となったのでした。
もちろん、彼の本意ではありません。

本社の経営管理部門で10年も勤務した彼です。
決して仕事ができないわけではありません。
そんな彼が、どうして自分の意にそぐわない配属をされたのでしょうか。
グループ会社へ異動した時、どう行動をすべきだったのでしょうか。

長い社会人生活の間には、自分の意に反した、
自分の思い通りにならない時期が必ずあります。
そんなとき、その不本意な時期をどう過ごしたかで、
その後の人生は大きく変わってくるのです。



本当は怖い日本人(2)

2013-07-26 22:49:55 | つれづれなるまま
先日、さいたま市のJR南浦和駅で、
ホームと車両の間に落ちた女性を乗客らが助け出したことが、
新聞で報道されました。

このニュースは、写真とともに世界各地でも報道され、
「どうしてこんなに迅速に乗客が団結できるのか」
「おそらくは、日本だけで起こりうること」
「(3.11に続き)日本が、また世界を驚かせた」
など、各国が驚きと称賛の声をあげているといいます。


私たち日本人にしてみれば、
「どうしてこんなことで驚かれたり、称えられたりするの?」
と不思議に感じるとともに、逆に、
「こんなことで驚くようなら、外国には住みたくないなあ」
などとも思ってしまいます。

しかし、私たちは自覚していないだけで、諸外国が報道したように、
これこそが日本人の国民性を象徴的に表しているのかもしれません。
見方によっては、明治維新後の急速な発展や先の大戦、
そして敗戦後の奇跡的な復興と成長も、
この国民性ゆえに起こったとも言えるでしょう。

それが日本人の強みであり、怖さかもしれません。



登山者の劣化を招く入山料

2013-07-25 22:05:54 | つれづれなるまま
今日から富士山の入山料の徴収が試験的に始まりました。
根本には「入山者数の抑制」という課題があるようですが、
とりあえずその使い道として、「『環境保全』と『安全対策』のため」、
という目的を理由に掲げています。

「環境保全」と「安全対策」を謳うと、必ず現れるのが「勘違い登山者」です。
「お金を払ったのだから当然の権利」だと言わんばかりに、
ゴミを持ち帰らずに山小屋に置いて帰る者やトイレ使用料を踏み倒す者、
気安く救助を求める者が増えることが危惧されます。

「お金を払った人はお客様」=「一番偉い」
という醜い消費者意識がこういった勘違い行動をもたらします。

シミュレーションでは、富士山の入山者数を現在の半分に減らすには、
入山料を7000円程度に設定する必要があるといいます。
しかし、徴収する料金が高額になればなるほど、
そして任意でなく強制であるほどこうした登山者は、
入山者数に反比例して増えるでしょう。

お金を払うことによって、
人の意識は消費者になってしまうものです。
「払った分のモトはとりたい」という、欲に基づく消費者心理は、
なかなか変えられるものではありません。

特に富士山ではそれが顕著に現れるでしょう。
なぜなら、富士山を登る人の多くは、
日ごろから登山に関心のある「登山者」ではなく、
いわゆる観光客だからです。