くろたり庵/Kurotari's blog~since 2009

総務系サラリーマンの世に出ない言葉

下戸には下戸のやりかたがある

2013-09-29 23:10:40 | これが会社で生きる道
仕事では、たとえ酒を一滴も飲めない下戸であっても、
大事な酒席に出なければならないことはたくさんあります。

若手社員のときは、飲むほうは上司や先輩社員に任せ、
自分は出席者のグラスの減り具合や料理の進み具合を見て、
水割りを作ったり、料理を頼んだりして場をつなげます。
それが「下戸でも気が利く」と思われるコツです。

しかし、ある程度の年代になり、役職になれば、
いつまでも、そうしているわけにもいきません。
自分が中心となり、あるいは相手と差向いになって、
接待しなければならない場面も出てきます。

そんな酒席に出なければならないときは、
酒が飲める気の利いた部下や後輩を一人連れて行きます。

「私は体質的にまったく酒が飲めません。 酒は、彼が私の代わりです」

そう紹介して宴席を始めるのです。
注射のときのアルコール消毒で腕が真っ赤になるほど、
アルコールを受け付けないような体質の人でも、
ビジネスでは、酒席を設けなければならない場面があるものです。
自分が飲めないからと言って、酒席で差向いとなるような場面で、
二時間近くも、一方的に相手に注いでいるわけにもいきません。

でも、酒が飲めなくても、相手にそう感じさせないことはできるのです。
そんなとき、大切なのが「酒の友」ならぬ「酒の共」なのです。



まさに「坊主憎けりゃ袈裟まで」法案

2013-09-26 23:08:10 | つれづれなるまま
韓国の与党議員が旭日旗の使用を禁止し、
違反した場合には刑罰を科す刑法の改正法案を提出しました。

「旭日旗は韓国民に歴史的な痛みを呼び起こす象徴」

これが彼らの主張です。
彼らは反日を叫ぶ根拠として、
再三にわたって「被害者の痛み」を口にします。
「被害者」だと言えば、すべてが正当化されると信じています。
被害者でない者が、口をはさめないこともよく知っています。

そうして「痛み」という言葉でカムフラージュした、「屈辱」を晴らそうとします。

反日教育は「痛み」ではなく、「民族の屈辱」の教育であり、
「平和と友好」ではなく、「屈辱を晴らす」ことを教えるものです。
彼らのしばしば口にする言葉、「歴史」や「痛み」を「屈辱」に置き換えると、
彼らの言いたいこと、やりたいことが実によく理解できます。

それは、決して歴史認識の違いなどではないのです。
だから、日本がどんなに彼らに謝罪しようと、
補償しようと、彼らの心は決して癒されることはないし、
反日行動も終わることがありません。

なぜなら、「痛み」も「屈辱」も、
誰かが解決してくれるものではありません。
自分自身で克服し、乗り越えなければ、
絶対に前進することはできないものだからです。

彼らにはそれができるだけの、
高邁な精神を備えた民族だと信じたいものです。



明治のこころ~モース展

2013-09-23 19:37:04 | お出かけ
両国の江戸東京博物館で開館20周年記念特別展、
「明治のこころ~モースが見た庶民のくらし」展が開催されています。

(写真はクリックで拡大します)
 

 

「モース」とは、日本人なら誰でも学校で必ず習う縄文遺跡、
「大森貝塚」の発見者であるアメリカ人「エドワード・モース」のことです。

モースの本業は動物学者。
明治10年(1877年)、彼は専門の腕足類の研究のために日本に訪れ、
汽車の車窓から線路の切通しに貝殻の堆積を発見し、
一目でこれが大昔の遺跡「貝塚」であると確信しました。
そして大森貝塚の発掘は、日本で初めての学術的遺跡調査として、
日本史にその名を刻むことになったのです。

私たちが一般に知っているモースと言えばそんなところですが、
モースは3回にわたって日本を訪れ、日本の庶民の暮らしや国民性に魅かれ、
さまざまな品々や写真を「記録」としてアメリカに持ち帰っていました。
その数は約2,900点にもおよびます。

この企画展では、
エセックス博物館とボストン美術館に収蔵されているモース・コレクションから、
320点の写真や日用品、陶器、スケッチなどを公開しています。


会場入口のモースの肖像画と明治の子どもたち。
肖像画のモースは往年のショーン・コネリーのようにシブい!

モースは子供が大好きで、休日になると子供たちをたくさん集め、
自分がガキ大将のようになって戦争ごっこなどをして遊んだそうです。

今回の展示の目玉は、モース自身が注文して作らせた「生き人形」。

 
農夫(婦)と赤ん坊の生き人形。

「生き人形」とは、まるで生きた人間のように見える等身大の人形で、
幕末から明治前半にかけて見世物として流行したものです。
いまでいうなら等身大フィギュアですね。

当時は大流行し、とてもたくさんの生き人形が制作されましたが、
美術品ではなく興行用であったことや、震災や戦災によってその多くが失われ、
現在ではほとんど残っていません。

 
「甲冑武士」の人形は、初の里帰り・日本初公開です。

モース・コレクションの特徴は、高価な美術品や骨董品だけでなく、
当時の庶民が使用していた日用品や道具の数々をくまなく収集していることです。
高価な美術品や骨董品は、いつでも大事にされ後世に残りますが、
日常で使う品々や生活の様子は、当時は「あたりまえ」過ぎて、
ほとんど「モノ」や「記録」として残りません。
従って、いまとなってはとても貴重なものなのです。

  
図録から~瓶入り砂糖菓子
密封されたまま130年間保存されていた砂糖菓子(1890年頃製造)。
このほか、瓶入りイナゴの佃煮や缶入り海苔(中身も見ることができます)など、
当時の食料品も出展されています。
当時の砂糖菓子はどんな味なのでしょう。興味がわきます。


べっ甲のひごでできた虫かご

当時の日用品や道具は、
その多くが木材や竹、紙や布、土(陶製)で作られています。
当時はそれがあたりまえだったのでしょうが、
そこに用いられた人々の知恵と工夫、
そして職人の精巧で高度な技術で作られた品々には驚かされます。

日本に魅せられたモースは3回来日し、滞在した日々を日記に残しました。
「日本その日その日」と題されたその日記には、
明治の日本人を称える数々の言葉が残されています。

「人々が正直である国にいることは、実に気持ちがよい」

「この地球の表面に棲息する文明人で、日本人ほど、
 自然のあらゆる形況を愛する国民はいない」

「驚くことには、また残念ながら、自分の国で、
 人道の名に於いて道徳的教訓の重荷になっている善徳や品性を、
 日本人は生まれながらにして持っているらしい」

「世界中で日本ほど子供が親切に扱われ、
 そして子供のために深い注意が払われる国はない。
 ニコニコしている所から判断すると、
 子供たちは朝から晩まで幸福であるらしい」

「私は今までこんなに人が働くのを見たことがないと思ったくらい、
 盛な活動が行われつつあった」

「この国の人々の芸術的性情は、いろいろな方法で示されている。
 子供が誤って障子に穴をあけたとすると、
 四角い紙片をはりつけずに、桜の花の形に切った紙をはる」

展示物を見ながら、壁にはられた一言一句を読んでいくと、
次第に「日本人に生まれてよかった」と、なんだか元気が出てきます。

久しぶりに心がふるえた企画展でした。





世界遺産を盾に

2013-09-22 23:59:59 | つれづれなるまま
エジプトの争乱では、
反体制派(ムスリム同胞団)が古代遺跡に立てこもり、
遺跡を盾(タテ)に抵抗を続けようと目論んでいる、
との情報があるそうです。

人類の遺産である古代エジプトの遺跡に立てこもれば、
誰も攻撃を仕掛けることはできないだろうというわけです。

このような戦術は、とくに珍しいものではありません。
歴史上で有名なものでは、17世紀後半にオスマントルコ帝国軍が
ギリシャのパルテノン神殿に立てこもった大トルコ戦争があります。
オスマン帝国軍は、敵対するヴェネチア軍が神殿であることを畏怖し、
攻撃してこないだろうと目論んで神殿を要塞化し立てこもりました。
しかし、その目論みはあっさりと打ち砕かれ、
砲撃を受けたパルテノン神殿は甚大な被害を受けたのです。

「殺らなければ殺られる」となれば、
命に優先する文化財など存在しないのは敵も味方も同じです。
太平洋戦争で京都や奈良が空爆されなかったのは、
貴重な文化財が集中する古都だったからだという説も、
いまでは完全に否定されています。

もし有名なギザのピラミッドが盾にされたら・・・。

タリバンによって破壊されたバーミヤンの石仏。
アメリカの空襲によって焼失した名古屋城。
一度破壊された文化財は、二度と取り戻すことはできません。



これも国家の品格

2013-09-21 23:59:59 | つれづれなるまま
最近、エジプトの争乱に乗じて起きた、
マラウィの博物館での収蔵物の略奪事件が報道されました。
反体制派(ムスリム同胞団)の仕業だとする説もありましたが、
どうやら単なる盗賊団による犯行だというのが正しいようです。

争乱や災害時の略奪事件は世界各地で起こります。
しかし、文化財の略奪は、
商店から売り物を略奪する行為とは、まったく意味が異なります。

文化財の破壊や略奪は、
金銭などには換算できない学術的価値や芸術的価値、
また、その存在が証明する歴史そのものを抹殺する行為です。

このような報道を目にするたび、
人類の遺産とも言うべき重要な文化財は、
誰がどのようにして管理することが一番良いのか、考えさせられます。

政治や経済が安定しない国では、
争乱によって遺跡や文化財が略奪・破壊されたり、
独裁国では指導者の思想や宗教に対する施策・弾圧などによって、
それらが破壊されたりすることがしばしばあります。

一方で、古代エジプトや古代ギリシャ・ローマの遺物のように、
長い歴史のなかで、発掘・発見された数多くの彫刻や絵画、レリーフなどが、
美術品や戦利品として、あるいは研究の対象物として、
さまざまな国々に持ち出されたりもしました。

そして時代が下り、
持ち出された国の政治や経済が安定してくると、
持ち出した国々に対してその返還を求めるようになります。
特に最近は、欧米の美術館や博物館に対する、
収蔵品の返還要求の運動がさかんになっているようです。

しかし、過去に国外へ持ち出されていたからこそ失われることなく、
現在まで保管されているものが数多くあるのも事実です。

日本でも、明治維新前後の混乱期に多くの美術品や調度品、
仏像などが日本人によって盗まれ、売られたりして海外に流出しました。
また、外国人が当時の日本人には理解できない芸術的価値を見いだし、
買い集められて海外に渡っていきました。

そのおかげで、
廃仏毀釈の政策や大戦の禍災を免れものは多くあります。
そしていま私たちは、それを博物館や美術館、
時々開催される企画展などで目にすることができます。

「卵はひとつのカゴに盛るな」とは相場の格言ですが、
これは投資に限らない、あらゆるリスク管理の基本です。

文化財を保護するだけの充分な資金的余裕がない国。
また、文化や美術・芸術に対する国民の意識が薄かったり、
文化財が「お金(カネ)」にしか見えないような貧困層の多い国では、
とくにそうだと言えるでしょう。

果たして、争乱に乗じて文化財の略奪が起こる国や、
盗んだ文化財を「取り返したのだ」と言って被害者へ返さない国に、
文化財の価値を理解し、大切に管理して、
後世に残すことができるのでしょうか。