両国の江戸東京博物館で開館20周年記念特別展、
「明治のこころ~モースが見た庶民のくらし」展が開催されています。
(写真はクリックで拡大します)
「モース」とは、日本人なら誰でも学校で必ず習う縄文遺跡、
「大森貝塚」の発見者であるアメリカ人「エドワード・モース」のことです。
モースの本業は動物学者。
明治10年(1877年)、彼は専門の腕足類の研究のために日本に訪れ、
汽車の車窓から線路の切通しに貝殻の堆積を発見し、
一目でこれが大昔の遺跡「貝塚」であると確信しました。
そして大森貝塚の発掘は、日本で初めての学術的遺跡調査として、
日本史にその名を刻むことになったのです。
私たちが一般に知っているモースと言えばそんなところですが、
モースは3回にわたって日本を訪れ、日本の庶民の暮らしや国民性に魅かれ、
さまざまな品々や写真を「記録」としてアメリカに持ち帰っていました。
その数は約2,900点にもおよびます。
この企画展では、
エセックス博物館とボストン美術館に収蔵されているモース・コレクションから、
320点の写真や日用品、陶器、スケッチなどを公開しています。
会場入口のモースの肖像画と明治の子どもたち。
肖像画のモースは往年のショーン・コネリーのようにシブい!
モースは子供が大好きで、休日になると子供たちをたくさん集め、
自分がガキ大将のようになって戦争ごっこなどをして遊んだそうです。
今回の展示の目玉は、モース自身が注文して作らせた「生き人形」。
農夫(婦)と赤ん坊の生き人形。
「生き人形」とは、まるで生きた人間のように見える等身大の人形で、
幕末から明治前半にかけて見世物として流行したものです。
いまでいうなら等身大フィギュアですね。
当時は大流行し、とてもたくさんの生き人形が制作されましたが、
美術品ではなく興行用であったことや、震災や戦災によってその多くが失われ、
現在ではほとんど残っていません。
「甲冑武士」の人形は、初の里帰り・日本初公開です。
モース・コレクションの特徴は、高価な美術品や骨董品だけでなく、
当時の庶民が使用していた日用品や道具の数々をくまなく収集していることです。
高価な美術品や骨董品は、いつでも大事にされ後世に残りますが、
日常で使う品々や生活の様子は、当時は「あたりまえ」過ぎて、
ほとんど「モノ」や「記録」として残りません。
従って、いまとなってはとても貴重なものなのです。
図録から~瓶入り砂糖菓子
密封されたまま130年間保存されていた砂糖菓子(1890年頃製造)。
このほか、瓶入りイナゴの佃煮や缶入り海苔(中身も見ることができます)など、
当時の食料品も出展されています。
当時の砂糖菓子はどんな味なのでしょう。興味がわきます。
べっ甲のひごでできた虫かご
当時の日用品や道具は、
その多くが木材や竹、紙や布、土(陶製)で作られています。
当時はそれがあたりまえだったのでしょうが、
そこに用いられた人々の知恵と工夫、
そして職人の精巧で高度な技術で作られた品々には驚かされます。
日本に魅せられたモースは3回来日し、滞在した日々を日記に残しました。
「日本その日その日」と題されたその日記には、
明治の日本人を称える数々の言葉が残されています。
「人々が正直である国にいることは、実に気持ちがよい」
「この地球の表面に棲息する文明人で、日本人ほど、
自然のあらゆる形況を愛する国民はいない」
「驚くことには、また残念ながら、自分の国で、
人道の名に於いて道徳的教訓の重荷になっている善徳や品性を、
日本人は生まれながらにして持っているらしい」
「世界中で日本ほど子供が親切に扱われ、
そして子供のために深い注意が払われる国はない。
ニコニコしている所から判断すると、
子供たちは朝から晩まで幸福であるらしい」
「私は今までこんなに人が働くのを見たことがないと思ったくらい、
盛な活動が行われつつあった」
「この国の人々の芸術的性情は、いろいろな方法で示されている。
子供が誤って障子に穴をあけたとすると、
四角い紙片をはりつけずに、桜の花の形に切った紙をはる」
展示物を見ながら、壁にはられた一言一句を読んでいくと、
次第に「日本人に生まれてよかった」と、なんだか元気が出てきます。
久しぶりに心がふるえた企画展でした。