くろたり庵/Kurotari's blog~since 2009

総務系サラリーマンの世に出ない言葉

小さいけれど深い疑問

2013-01-30 22:43:58 | これが会社で生きる道
ふつうは初対面のときに名刺交換した後は、
異動や組織変更でもなければ、新しい名刺を渡す機会はありません。
そうして何年間も同じ担当者と取り引きをしていると、
「相手がいつの間にか昇進しており、
 そうとは知らずに旧い役職で呼んで気まずい思いをした」
などという人は多いのではないでしょうか。

「役職に敬称をつけるべきか否か」とか、
「敬称は『殿』とすべきか、『様』とすべきか」
などといった議論はよく見聞きします。
しかし、社外の相手の氏名に役職をつけること、
あるいはつけないことの是非についての議論はあまり見かけません。

そもそも社外の相手に対し、
役職で呼ばなかったり、役職名をつけないことは失礼なのでしょうか。

もちろんビジネスマナーでは、宛名を書くときには、
「組織名+役職+氏名+敬称」とすることが正式とされています。
お礼状や招待状など、あらたまった手紙やメールを送る場合は、
宛名の組織名や役職名に不安があれば、相手の会社に電話などして、
確認してから発送する手間を惜しむべきではありません。

しかし、日常の担当者同士のやり取りなどであれば、
相手の名前を口に出して呼んだり、メールや書類の宛名では、
役職名をつけないほうが良いと考えます。

相手が昇進していたことを知らず、
旧い役職を呼び続けてしまう可能性を考えたら、
初対面の時から、声に出して呼ぶときは「○○さん」、
宛名に書くときは「××株式会社 △△部 ○○ ◇◇様」、
などとしておいたほうが、のちのち失礼もありません。

もちろん社内でもこの方法は通用します。
総務の仕事などでは、相手は自分のことを知っているのに、
自分は相手のことをまるで知らないということが頻繁にあります。
そんなときは、うろ覚えの役職で相手を呼ぶよりも、
思い切って分け隔てなく「さん」付けで呼んでしまったほうが安心です。

長年この方法を続けていますが、
社内外において、「無礼だ」と言われたことはありません。

ところでときどき、
「○○部長さん」などと、役職に敬称をつけて呼ぶ人を見かけます。
特に、電話を取り次いでもらうときなどに、思わず言ってしまうようです。
もちろんこれは夜のお店の世界での呼び方です。
注意したいものです。



老兵には老兵の役割が

2013-01-28 22:22:38 | これが会社で生きる道
会社の合理化会議などで、
年配の管理職や役員が若手社員にハッパをかけます。

「キミたちの若い柔軟な思考で、
 従前にとらわれない斬新な発想と、
 強い行動力が必要なんだ」

そして若手社員が優れた意見を出すと、
「ようし、がんばってやってくれ。
 これからは、もうキミたちの時代なんだ」
と締めくくります。

いかにも理解のある、
革新的で有能な上司のように見えます。

果たして、本当にそうでしょうか。

管理職の多くの人は、このような会議や勉強会を開くと、
若手社員の意見を聞くだけで、職務を全うした気になってしまいます。
「がんばってやれ」と言い、発言した社員に行動を委ねてしまうことで、
自分は自主性を尊重する有能なリーダーだと思い込んでしまいます。

しかし若手社員は、柔軟な発想で優れたアイデアを思いついても、
会社という大きな組織を動かし、それを実現させる術や手腕がありません。
逆に年配社員は、頭が硬直して現状を打破する発想ができなくても、
組織を動かす人脈や根回しの術を知っています。

老兵の役割は、
斬新な企画を提案することではありません。
老兵の役割は、若手社員の提案に優れたものがあれば、
それを実現するために、社内に道筋をつけることにあるのです。

それをしないのは、管理職としての職務放棄であり、
無能のそしりを免れることはできません。


あえて偏見のそしりを承知で・・・

2013-01-26 23:12:00 | つれづれなるまま
キャップ(いわゆる野球帽)を被っている、
まるでスポーツなどしそうもない大人を見かけますが、
くせのある人や変わり者が多いように感じるのは気のせいでしょうか。

テレビなどで報道される未解決事件で、
「現場では野球帽を被った不審な男が・・・」
などと伝えられることが多いからだけではありません。

街中や電車の中などでは、
人とぶつかっても「すいません」の一言も言えなかったり、
割り込みやゴミのポイ捨てなど、傍若無人な振る舞いをする大人に、
キャップを被っている人が多いような気がします。

また、スポーツ以外でキャップを被っている大人が、
グループで楽しそうにしているのを見たことがありません。
街中でキャップを被っている人は、たいがい一人でいます。
帽子のつばを目深にかぶり、顔を隠すようにしていると、
なんとなく不気味でこちらも距離をとって身構えてしまいます。

テンガロンハットでもベレー帽でも、チロリアンハットでもありません。
そんな風に感じるのは、いわゆる野球帽と呼ばれるキャップだけです。

「キャップは子供が被るもの」という先入観があるのかもしれません。
あるいは、「キャップ=野球帽(運動するときに被るもの)」という印象が強いため、
首から下がスポーツウェアでないことに異質なものを感じるのかもしれません。

また、テンガロンハットやベレー帽を被るような人は、
それに見合った服装になるよう気を配りますが、
キャップにはそういう必要がありません。
見方を変えれば、そういう気配りの必要のなさが、
逆に傍若無人な人である確率を高めているのかもしれません。

偏見にならないよう、自分なりに分析してみるのですが、
それでもやはり、野球帽を被った人はなんとなく苦手なのです。


喫煙事情、今昔

2013-01-25 23:59:18 | つれづれなるまま
現在、BSフジで連続ドラマ「北の国から」を再放送しています。
初放送は1981年。今から31年も前のドラマになりますが、
あらためてみると、その喫煙シーンの多さに驚きます。

ドラマの中では、
黒板五郎(田中邦衛)や黒板令子(いしだあゆみ)をはじめ、
宮前雪子(竹下景子:純と螢の叔母)、北村草太(岩城滉一)など、
メインキャストのほとんどが喫煙者として描かれています。
彼らは時には物思いにふけりながら、時にはあわてふためき、動揺しながら、
灰皿がない場所や非喫煙者(子供など)の前などでも、
ところ構わずタバコに手を伸ばし、ライターに火をつけるのです。

タバコが登場人物の心理描写の小道具として使われ、
当時は演出のうえで欠かせないアイテムだったとはいえ、
昔はこれほどまでにタバコを吸うことが自由で、
社会も喫煙者に対して寛大だったのかと驚かされます。

嫌煙や分煙といった言葉が定着した今だったら、
非喫煙者が観れば不快感をもよおすのではないかと思えるほど、
喫煙シーンが多用されており、
もしかしたら、文字通りあまりにも煙たい演出に、
当時のような「感動の大作」にはならなかったかも知れません。

このドラマが初放送された1980年代前半から90年代にかけては、
嫌煙の概念や分煙の意識が徐々に広まりつつあったものの、
世間ではまだまだ普通にそこかしこで喫煙が許容されていました。

駅のプラットホームにはむき出しの吸い殻入れが置かれ、
公共施設や銀行などの長椅子の前にも吸い殻入れがありました。
飲食店では「タバコをお吸いになりますか?」などと問われることもなく、
職場でも普通に自分の席でタバコを吸っていました。

職場や公共施設での分煙や路上禁煙が急速に広まるのは、
2000年代に入り、健康増進法が制定されてからです。

日本人の喫煙に対する意識の急速な変化は、
わずかここ10年余りの間の出来事になります。
その間に、これほどまでに喫煙マナーが向上し、
ハード面では禁煙化・分煙化が進んだのです。

そう考えると、日本人てやっぱり「すごい」と思うと同時に、
そしてある意味では、「怖い」メンタリティを持つ民族だと思うのです。


タバコミュニケーションは必要か

2013-01-24 23:53:15 | 総務のお仕事(いろいろ)
産業医からの強い指導もあり、
わが社の総務では、来月から喫煙室廃止の方針を打ち出しました。
これにより、タバコを吸いたい人は、エレベーターで1階まで降りて、
職場から離れた場所にある喫煙所まで行かなければなりません。

廃止が明らかになると、喫煙者の間からは、
「喫煙室は情報交換の場となるなど、
 業務上のメリットがあることを考慮してほしい」
などといった意見が寄せられるようになりました。

このような喫煙室で行われる、
喫煙者同士の交流をタバコミュニケーションと言うそうです。
アフターファイブに職場の人たちと酒を飲む、
ノミュニケーションのようなものです。

喫煙室は息抜きの場でもあることから、
普段は会話しない他部署の人や重役などと話すきっかけになるほか、
思いがけない情報が聞けたり、ざっくばらんに上司に相談したりと、
そのメリットは大きいと喫煙者は強調します。

私も以前はタバコを吸っていたのでよく理解できます。
タバコをやめてからは、喫煙室で情報交換している同僚がうらやましくもありました。
しかし翻ってみると、タバコを吸わなくなったからといって、
致命的な情報不足に陥ったり、仕事を進めにくくなったりしたかといえば、
決してそんなことはありません。

むしろ喫煙室は情報交換の場となる一方で、
他人の悪口や陰口の温床となり、愚痴をこぼしあい傷を舐めあう場にもなるのです。
また、会社の人事情報や経営情報が「喫煙者である」ということで入手できたり、
喫煙室で業務上のことが決まってしまうような会社であれば、
それはもはや正常な組織とは言えません。

人は誰でも自分の行為に意義を見つけようとし、
有益であることの根拠や大義名分を見出そうとしたがるものです。
しかしながら大抵の場合、本人が思うほどでもないことがほとんどです。