以前、NHKでエジプトの小学校が紹介されていました。
そこでは、毎朝、国旗に敬礼する子供たちの姿が映っていました。
その映像を見て、
もし、日本がこのような国と戦争をすることになったら、
とても勝ち目はないだろうと感じたものです。
「愛国心」
どうして日本人は、この言葉を嫌うのでしょう。
先の大戦の記憶を呼び起こされるからでしょうか。
あるいはそこに戦争の臭いを感じ取るからでしょうか。
そんな日本人でも、ワールドカップやオリンピックになると、
顔に日の丸をペイントし、国旗を振り回しながら
「にわか愛国者」になって「勝った」「負けた」の大騒ぎをします。
このことからもわかるように、
「愛国心」というものは、「競い合うこと」や「争いごと」といったものと、
決して無縁ではありません。
「自分の国を愛する」「大切にする」ということは、
その権利や存在を他国に脅かされたときには、
戦争も辞さないということでもあります。
いまだに「愛国心を育てる教育」というものを
軍国主義教育につながるものとして反対する人がいます。
自国の領土が侵害されても、
「エヘラ、エヘラ」として抗議ひとつできない政治家がいます。
まして、日本人ではない者(日本国籍を持たない者)にまで、
この国の参政権を与えようと主張する団体があります。
私たち親の世代の社会的な役割は、
子供や孫たちに、より良い日本を残し、つないでいくことです。
それは決してきれいごとではありません。
世界の国々の経済情勢が大きく変化し、
パワーバランスが崩れ始めている現代。
「愛国心」という言葉の良し悪しや、
好き嫌いにこだわっている時代ではありません。
自分の住む国のことを、
大切に考える子供たちを育てることが重要です。
世界史を振り返ってみても、隣人はいつでも良い人で、
日本という国がいつまでも独立国家として世界中から尊重され、
存続するという保障はどこにもありません。
中華人民共和国の日本自治区となるか、
アメリカ合衆国の51番目の州となるかを選ぶ日が、
絶対に来ないとは誰も言い切れないのです。
少なくとも私は、子供たちにそんな選択をさせたくはありません。