感謝と祈りといやし

熊本アンテオケ教会の神様の栄光の表れを神様に栄光を帰しながら書いていきます

神に〇〇を捧げたら・・

2021年05月01日 | 祈りの答え

 神に捧げる。というと、「祈りを捧げる」「献金をささげる」等のイメージがありますが・・、私はこの教会で「悪い習慣や良くない事も、神に捧げなさい」と、お勧めされたことがあります(笑)。

それはご迷惑では?と聞き返すと、ソレが「神の目から見て良く無いモノ」なら取り上げられる(=例:悪習慣ならそれから解放される)。でも、もしソレに神のご計画があれば、【とても良い物にして、返して下さる】と説明されました。

 私が神に捧げたのは、ハードロック・ヘヴィメタルのCD120枚と山のような音楽雑誌です。

 私は中学生の頃からずっとその手の音楽が大大大好きで、レア物レコード(5分収録で6000円!)を嬉々として買ったりと・・今だとヲタクというのでしょうか?。しかし、イエス様を信じてから、そういう音楽を聴くのも自室に音源がある事も、抵抗を感じるようになりました。彼らの音楽(=歌詞)やライフスタイルが、教会や聖書の価値観と相いれなくなってしまったからです。

 ミュージシャンやバンドには本当にゴメンナサイと心中で謝りつつ、レコードもCDも全部捨てました。「イエス様、私は大好きだったこれらの音楽を捧げます」と、祈りながら。

 次は、押入れの中の、大量の音楽雑誌の処分です。片付け中、ある人物が表紙の本がバサッと落ちてきました。その人(DSM氏)は、美男で音楽の才あり。でも嫌味で意地が悪くて下品で大大大嫌いなミュージシャン。しかしその時は何故か、その本を拾い、彼のインタビュー記事を読み始めました。内容は、いつもと違って珍しい事にまぁまぁマトモ。読んでいるうちに、彼に対して胸が痛むというか悲しみがこみ上げてきて、大粒の涙がポロポロ・・(=泣くような内容ではありません)。読み終わると、居住まいを正して、祈らずにはいられませんでした。「涙の理由はわかりませんが、神はご存知です。DSMさんのために祈ります。イエス様を信じることが出来ますように」。その後、折に触れて救いの為にちょこちょこ祈るようになりました。私の祈りなんて、砂漠に水1滴レベルだけど・・思いながら。

 しかし数年後、こういう形で祈りが答えられました。私が捧げた音楽・バンドの中から、一人がクリスチャンになり、しかも私とやり取り・・、まさに奇跡です。

生きておられる神に感謝します。栄光在主。

hiromi


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