感謝と祈りといやし

熊本アンテオケ教会の神様の栄光の表れを神様に栄光を帰しながら書いていきます

父の愛車における最善

2022年11月05日 | 心のいやし

 未信者の父も80歳になり、年内に自動車免許を返納することになりました。

それに伴い仕事で長年乗っていた父愛用の社用軽ワゴン車も処分することになりました。

(車はうちの社名と電話番号入り、見かけはまあまあ。走行距離は14万キロ超だけどエンジンも足回りも問題なし)

元従業員に譲ろうと声をかけたら、カーナビだけ持っていかれて父はガッカリしていました。

廃車するのは忍びないので、ただで構わないからと貰い手を探した所、

父の元仕事仲間のそのまた知り合いのAさんが手を上げました。

その方が実際乗るのか、転売するかはわかりません。しかし、

借りてる駐車場はあと2週間で契約が切れるので、いずれにせよ車を手放す必要がありました。

古いけど、父にとっては亡き妻と共に一生懸命働いた、思い入れのある車です。

たらいまわしに更に気落ちしている父があまりにも気の毒で、

「イエス様、父に最善を与えて下さい」と、時々祈っていました。

ある日、唐突に「教会に『誰か、車いりませんか?』と連絡しないと、すぐに!」と、

焦る気持ちがこみ上げ、車の写真を数枚撮り、牧師夫人に↑を連絡しました。

すると、「教会の皆は車持ち。でもウチの上に住んでるBさんは車が壊れて難儀してた。話してみようか」

Bさんの仕事は、父と似たような業種で「是非貰いたい!」との返事がありました。

「御心がなるように」と数日祈ったところ、

Aさんは「駐車場が用意できなかったから」と、辞退され、車はBさんに譲ることに。

車をBさんの所に運ぶ際、父も同行したのですが、

Bさんから「大事に乗っておられたんですねー!車を見てすぐわかりました!」

「タイヤも新品だし、ルーフキャリアも付いてる!」

「軽だから小回りも聞くし、燃費もいいし仕事上本当に助かります。感謝です」等々

ニコニコ笑顔で感謝されて、父も上機嫌でした。

たまたま牧師宅の上に住んでたBさんも父も未信者なのに(笑)、神に祝福されました。

栄光在主。

hiromi


「神さまの貨物」(ジャン=クロード・グランベール著)

2021年03月13日 | 心のいやし

 白馬スネルゴイキャンプで紹介された本です。さっそく熊本市立図書館で借りてきました。

内容は、童話です。簡単なあらすじを紹介します。

1942年、世界大戦の最中、貨物列車で絶滅収容所に送られる大勢のユダヤ人達。

その線路近くには、貧しい木こりの老夫婦が住んでいました。

夫から「あれは貨物列車だ」と聞いて、「あの列車はたくさんの食べ物や素敵な商品を運んでいるのだろう。いつか私も、あの列車に乗って、そして美味しい物をお腹いっぱい食べたり、色んな商品を手に取ってみたい」と、楽しい想像を巡らせる、木こりのおかみさん。

 いつしかその列車が通るたびに手を振り、呼びかけるようになりました。「ある日、もしかしたら明日、いえ、いつでもいい。あの列車の誰かが、空腹の私をあわれに思って、その素敵な荷物の中から通りすがりに施しをしてくれるかもしれない」という希望を持って。

 ある日、ゆっくり走っていた列車から「受け取ってくれ!」という強い意図を持った手の合図と共に、きれいなショールに包まれたユダヤ人の赤ん坊が、雪の上に落とされます。

 本文を紹介します⇒「おかみさんは、くずおれてひざまずき、胸の上で両手を組みあわせて、天になんと感謝したらいいのかわからずにいた。ついに、ついに、あれだけむなしく祈り続けた果てに!小窓からの手は、今や彼女に向けられて、有無を言わさぬ強い調子で、包みを取るよう命令している。この包みはおかみさんのものなのだ。おかみさんだけの、おかみさん宛ての」

「貧しい木こりのおかみさんは、(中略)雪に足を取られながらも、その小さな包みを拾い上げようと駆けよった。そして夢中で、胸をドキドキ言わせながら、贈りものの中身を早く知りたくて大急ぎで包装紙を開ける人のように、包みの結び目をほどいた。すると、どうだろう。中からは、あんなにも乞い願っていたものが、おかみさんの夢だったものが、現れたのだ」(本文 P.33-34)

長年「子どもが欲しい」と祈っていたおかみさんの祈りの答えでもありました。

ここでちょっぴりネタバレです。(反転して読んでください)

「実際の人生でも物語のなかでも、本当にあって欲しいもの、それは愛だ。愛、子どもたちに注がれる愛。自分の子にも、他人の子にも。たとえどんなことがあっても、どんなことが無くても、その愛があればこそ、人間は生きてゆける。」(本文 P.149)

「物語の中で『人でなし(=ユダヤ人)に心はない!やつらは野良犬、追い払え!』という偏見と差別に満ちたスローガンに対して貧しい木こりのおかみさんは『人でなしも、人よ。人でなしにも、(中略)心がある。おまえさんやわたしと同じように』と言い切ります。世界のあちこちで、不寛容の傾向がじわじわと広がっているような今、おかみさんのこの言葉、この愛が、多くの人に届きますよう、願わずにいられない」(翻訳者あとがきより)

 普段、コロッと忘れていた他者への思いやりのこころ(かな?)を思い出し、また価値観が、世間のソレにかなり染まってるな~と気づいたりと、この本で心のデトックス(=毒抜き)された気が・・、えぇと、何かうまく表現できない、ゴメンナサイ。 でもおススメです、良い意味で心が温かくなりモヤモヤします。なおこの童話は、2022年にはアニメ映画で公開予定だそうです。

神に感謝します。

hiromi

【追記】聖書の御ことば:「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます」(1コリント13:4-7)

「こういうわけで、いつまでものこるものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。」(同13:13節)


感謝と賛美の祈祷会

2021年01月23日 | 心のいやし

めまぐるしい数日間でした。

その①: 先日、スマホで議事録取られながら、上司に1時間半のお説教を食らいました。「あなたはただのパートでしょ?一体何をやらかしたの?」と友人知人から聞かれましたが、単にこちらの仕事の仕方と会話力の問題という事で、議事録も、言った・言わないのトラブル防止の為に録ると説明されました。

 ただ上司から「意地はるの止めて、もっと素直になったら」と言われたのはかなりショックでした。というのも、クリスチャンとして「いつも喜んでいなさい・絶えず祈りなさい・すべての事について感謝しなさい」(1テサロニケ5:16-18)を実践してるつもりが、それを「良い人ぶるよね」と受け取られていたのかと・・(←個人の見解です)。「じゃあ今から素直になります」と、上司のスマホを取り上げて窓から放り投げたくなりましたが、神の恵みによって何とか耐えました

その②: 数日後に、職場の先輩の逆ギレ、内容はほぼ只のいちゃもん。謝罪した所「あなたっていつもしおらしく謝罪するけど何それ、まるで私が悪いみたいじゃない」と、更にヒートアップ。と共通の見解を感じ(←個人の見解です)、更にショックがぶり返し、深まり、へこみました。

その③: 教会の方と別件で会話中「何かあった?言葉や声が、所々沈んでるけど」。①②を打ち明け、「何でも感謝する事は、短く見積もっても10年は実践してますが、教会外の人(=ノンクリスチャン)には、ただの良い人ぶりっこにみえる?とショックです」。

【教会の方のアドバイス】

その①:の答え=「そりゃ私たちはクリスチャンなんだから、『いつも喜び~』は訓練みたいなもんでしょ(笑)、聖書にそうしろって書いてあるし。その出来事も感謝しなさい(笑)」

その②:の答え「あなたの立場じゃ謝罪しかできないのに、また斬新な怒られ方されて(笑)。それも感謝しよう

毎週日曜の16時から30分、教会では「感謝と賛美の祈祷会」があります。その中で、牧師夫人と共に、①②について感謝の祈りを捧げました。大分、落ち込みが減りました。

神に感謝します。(匿名希望)


ブチ切れも益に

2020年06月16日 | 心のいやし

「イスラエルについては、こう言っています。『不従順で反抗する民に対して、わたし(=神)は、一日中、手を差し伸べた』」(ローマ 10:21)

旧約聖書によると、イスラエル人(=ユダヤ人)は、神がご自分の民として選ばれた民族です。

新約聖書(旧約聖書で預言されていたメシア/救い主イエス・キリストの事が書いてある)では、イエス様を信じた人々(クリスチャン)は、(霊的な意味で)イスラエル人です。キリストを信じたものは、人種も国籍も問わず、神の民とされました。

 不従順で反抗する民とは、「神に従わない民」という意味です。

 つい先日の出来事です。恥ずかしい事に私は、自宅と職場で、(今時の言葉で言えば)ブチキレてしまい、怒鳴る・怒りで涙目等散々でした。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について感謝しなさい」(1テサロニケ5:16-18)なんて無理、聞きたくもない!と、怒りや否定的な感情に満たされました。

 しかし、それと同時に、「神は私の事を心配し、慰めと平安を与えようとしておられる」という思いが、うっすらとですが心にわいてきます。聖霊の働きでした。

「こんな時こそ感謝しなきゃ、喜ばなきゃ、信仰を使わないと」等、頑張る必要はありませんでした。神はいつも愛とあわれみをもって、手を差し伸べておられる。と感じました。

「差し伸べられた手を、握るには・・こうするのかな?」と、うっすらと湧いてくる思いに意識を向けると、

「どんな時でも神は、私と共にいて下さる」。

「今の自分が最高に嫌で嫌で仕方ない。でも神は、そんな私を丸ごと愛しておられる」。

「『愛は神から出ているのです。』(Ⅰヨハネ4:7)。」等々、

神の愛や聖書の御言葉が、ネガティブな心に水のように注がれ、神の愛が、心の奥底に深く広がるのを感じました。

怒りや否定的な思いが徐々に消え、神への感謝に代わっていきました。

今は「ブチ切れた出来事を、神はどのように祝福に変えられるのか?」という信仰が与えられつつあります。

不快な出来事も、益になりました。

神をほめたたえます。栄光在主。

hiromi


“Morning Star”/ゴスペルによる癒し

2019年12月05日 | 心のいやし

当教会団体では毎年、77曲のオリジナルゴスペルを「風のひびき(ゴスペル第〇集)」と銘打って、CDや歌集で発表しています。

今回は、去年発表された前作(第6集)のお話です。

 私の知りあいに、ほぼ信仰を失ったと思われるSさん(仮名)がいます。認知症を患っていたご家族(Aさん)が行方不明になり、数か月後に事故死という形で発見:天に召された事が原因と思われます。Aさんは礼拝を守り、教会の手伝いもする方だったようで、Sさんは「(認知症は仕方ないとしても)そんなAが、何故こんなひどい目に」という思いがあったのでしょう。この出来事を「残酷だ」と言いました。

 当時、本当に胸が痛みましたが、何をどう言えばよいかわからず・・。それから数年経った現在のSさんは、イエス様を信じる前の状態に戻ったかのよう。無理もない。と思う半面、あんなに信仰的だった人なのに悲しいな・・と、何とも複雑な気持ちになるのでした。

そんなある日、風のひびき(のCD)を聞いていたら、思わず引き込まれたゴスペルが“Morning Star”でした。

“Morning Star(明けの星)”

① 拝啓、あなたを想いながら
I sit here thinking of you   
あなたに手紙を送ります
As write this letter to send to you
あなたの愛する人が天国に
I’m shocked by the news given me
旅立った知らせに驚きながら
Of the person you love that’s gone to glory
遠く離れているけど
I know that we are far away
心を合わせて祈っています
But We put our hearts together to pray for you
からだの一部のように
Like a part of a body
寄り添うことができますように
To come close and keep each other
あなたに覚えてほしいことが1つあります
There is one thing I want you to know to keep in your heart
それは私たちがあなたと
It is that we love you And not just you but we love you and your family
あなたの家族を愛してること

どうか いつも 変わらない愛が あなたと共にいて
I pray that this never changing love will stay and will always be with you
あなたを 支えて助けますように
I pray that it support and help you
倒れることがないように
I pray that you will never fall
夜明けに光る星が
The morning star that shines so bright
大地を照らすように
Let it shine in all the land
あなたの心を
And it’ll shine for you
静かに照らして
Quietly light your heart
行く道を導くように
To lead your path


② 深いうめきの中で
In the middle of darkness
天を見上げる 力さえない時
With no power to even look up to heaven
大丈夫 共にいるから
There was a voice that came to me
うつむく先から声がしたんだ
Saying that it’s okay and that I will be with you
どれだけたくさんの愛を
I wonder how much love
僕は受けて来たのだろう
I’ve received till now 
いつか僕も出会った誰かに
If One day I can return that love
受けた愛を返せたなら
To someone I meet on this path

どうか いつも 変わらない愛が あなたと共にいて
I pray that this never changing love will stay and will always be with you
あなたを 支えて助けますように
I pray that it support and help you
倒れることがないように
I pray that you will never fall
夜明けに光る星が
The morning star that shines so bright
大地を照らすように
Let it shine in all the land
あなたの心を
And it’ll shine for you
優しく照らして
Gently light your heart
行く道を導くように
To lead your path

どうか いつも 変わらない愛が あなたと共にいて
I pray that this never changing love will stay and will always be with you
あなたを 支えて助けますように
I pray that it support and help you
倒れることがないように
I pray that you will never fall
夜明けに光る星が
The morning star that shines so bright
大地を照らすように
Let it shine in all the land
あなたの心を
And it’ll shine for you
強く照らして
Strongly light your heart
行く道を導くように
To lead your path

行く道を導きますように
May it keep leading your path 

(©荒地に川ミュージック/©by Rivers in the Music,Inc)

作詞作曲したM牧師に曲の由来を伺ったところ・・

「私の父は熱心なクリスチャンでしたが、病気になり、長期療養後に天に召されました。天国に行ったと分かってはいるけど、息子として、父にもっと色んな事ができたのでは・・・という思いがずっと消えませんでした。そんな折、母国に帰っていたアメリカ人宣教師が手紙をくれました」

「それを読んだら、心の引っ掛かりがきれいになくなって...その後『手紙の内容でゴスペルを作るように』と、神様に導かれました」

私も、このゴスペルを聴きこんで、悲しさやショックが徐々に癒されていきました。神に感謝します。

Sさんは、このブログの事を知っているので、同じ恵みが現されますように。

hiromi


熱中症の恐怖が消えた

2019年07月27日 | 心のいやし

 白馬キャンプから帰ってきたら、熊本県は梅雨明けしていました。

私は暑さに弱く、熱中症になったら困る・・と、夏は毎年、少なからず恐怖を感じていました。

でも、聖書にはこう書いてあります。「恐れるな」「すべての事について感謝しなさい(1テサロニケ5:16)」。

なので毎年、私なりに日常生活に気を付けたり(睡眠や水をこまめに飲んだり)、「熊本の猛暑を感謝します」etc・・と、

地味な対応を続けてきました。しかしほぼ毎年熱中症に→回復が遅い→仕事病欠して迷惑かける。の繰り返しで、

そして去年も熱中症で仕事を数日休み・・と、負け戦の連続でした

しかし、今年の白馬キャンプから帰った後、ある変化に気づきました。

熱中症の恐怖をほとんど感じません。

そして元々エアコン嫌い&めんどくさがりなので、飲み物は水、食欲なければたべない、扇風機派なのですが、

白馬以後は、暑ければ我慢せずにエアコンをつけ、スポーツドリンクを飲み、食欲なければそうめん・・をやめ、お手製のバナナ牛乳を飲む。と、生活習慣が変化していました。

もしかすると、今年は熱中症にならない&病欠しないかもしれないと、希望がわいています。

白馬キャンプでは、癌や結構な大病を患っておられる方が、神の癒しを求めて、たくさんキャンプに参加されていました。

私も、神の癒しの恵みにあやかったかもしれません。

神に感謝します。

hiromi 


信仰心の癒し

2019年06月15日 | 心のいやし

 私は中学生のころから洋楽が大好きで、高校生になったら好みが洋楽=ロック。に定着し、英語を話せた親友と「大人になったら一度は絶対、本場のコンサート(=アメリカ:ロサンゼルス)に行こうよ!」といつも話していました。

 そして、20代後半に、念願のロサンゼルスの地を踏みましたが、それは教会で海外宣教(マーリン子どもアメリカチーム)に参加するという形でした。行く先は当然ロック・コンサートではなくマーリン・キャロザーズ師(Rev.Merlin Carothers)のセミナー。当時の私はマーリン師を全く知らず、ニッコニコ笑顔で幸せそうなおじいちゃまだなあ、という印象。そんな私が20年経過した現在も教会にいて、マーリン師がセミナー&自身の著書で提唱されておられた「感謝と賛美」を実践し、証しをこのブログで書いてるのも、本当に不思議です。神を賛美します

 話は変わりますが その後(今から15年ほど前)、私は病気になり、かつ色々あって神に根深い不信感が生じて棄教寸前の状態になり、それは10年超続きました(信仰の暗黒時代)。教会と教会の人々はとても良くしてくれたので教会には通っていましたが、景色は白黒に見え(例えではありません)、毎日毎日「イエス様どうしてなんですか!!」と内心叫んでいるという苦しい日々を送っていました。

 そんなある日、ふと昔好きだった音楽を思い出し、色んなミュージシャンやバンドのプロモをYoutubeで観ていました。すると私が中学生の頃から知ってる、非常に素行が悪く悪名高いDさんがクリスチャンになった(と推察される)プロモを発見!。驚くと共に「いや、これは絶対、悪質な冷やかしで作られたプロモに違いない!」と、普段の神への不信感が吹っ飛んで(笑)、Dさんのインタビューをネットや音楽雑誌を買って読みまくりました。しかし、そこには、一貫して救われた喜びを語る言葉ばかり。ふと、次の御言葉を思い出しました。

 「ふたりの人が、祈るために宮に上った。ひとりはパリサイ人で、もうひとりは取税人であった。パリサイ人は、立って、心の中でこんな祈りをした。『神よ。私はほかの人々のようにゆする者、不正な者、姦淫する者ではなく、ことにこの取税人のようではないことを、感謝します。私は週に二度断食し、自分の受けるものはみな、その十分の一をささげております。』ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。『神さま。こんな罪人の私をあわれんでください。』(ルカ18:10-14)

 その時に気づかされました。私は神学生になって神の戒めを守っていたのに、なんで日常生活もままならない病気になったんですか!と神に腹を立てていた事や、他の人を見下していた傲慢さ・・。このパリサイ人はまさに私でした。それに比べて色んな悪事をやってきたけど)、この人はなんて素直に神を喜んでるんだろう。と、自分が恥ずかしくなりました。

 その後もDさんのインタビューを読み続けました。そこで話されてる神の話が本当に嬉しくて、読むたびに励まされ、神への不信感が軽くなっていきます。信仰心が回復していくのがわかりました。そして白黒に見えていた景色も徐々にカラーに戻り始めました!本当に不思議です。最終的に、私の不信感は、神への感謝と「本当に愚かでした。私の罪を許して下さい」という悔改めに変わったのでした!

 あまりにも嬉しくて、是非Dさんにお礼を言いたいと考えた私は、マーリン師の本を添えて、手紙を送りました。"God made me very happy through you. How happy I am now!" (神はあなたを用いて私を喜ばせて下さいました。私は今とても幸せです!)と書いて。

主をほめたたえます、栄光在主。

hiromi 

※このブログを書いた数日後、Dさんは、癌を患い治療を始めた事を公にされました。本が、有効に用いられますように

マーリン子どもアメリカチームで買った「獄中からの賛美」

購入時に頂いたサイン


赦し (ゆるし)の祝福

2019年01月20日 | 心のいやし

私にとって、目からウロコだった証しがあります。信仰書(著者は牧師)からの引用です。長いです(笑)。

教会に、ある女性が訪ねてきました。話はご主人の文句。初対面でいきなりまくしたてられて驚く牧師。

曰く、主人は酒飲みなどの遊び人ではないが、人に使われるのが嫌だと働かない。当然生活は貧しい。きっと夫の親のしつけが悪かったんだ。だらしない夫を持った私はみじめだ云々・・・。

「どう思います?それでも私が悪いと思われますか?」同意を求めるように聞かれた牧師は「うーん、あなたにも悪い点がない事もないなあ」と返答。

「私のどこが悪いんですか!」と逆ギレする女性に「赦さないことが悪いなあ」と返すと、

「人間に人を赦すなんてできるもんか!腹が立てば喧嘩すればいいでしょう、聖人ぶって。イエス・キリストが『父よ彼らを赦したまえ』なんて、自分を殺そうとする人に言ったなんて嘘に決まってる。あなたは奥さんを殺したり、自分の子どもを誘拐するような人でも赦せますか!他人事だから気楽にそんな事が言えるんでしょう!」

機関銃のようにまくしたてられたそうですが、心中はきっともだえ苦しんでいるのだろうと察した牧師は、こう答えました。

「あなたの言うとおりです。人間だれしも人を赦すことはできないし、私もすぐ怒るタイプです。赦さなきゃと思いつつも、同時に仕返しを考えてしまう。私があなたの立場なら、きっとあなたと同じ事をするだろうし、もっとえげつないかも。けど、私たちにはできないという事と、それが悪いかどうか、ということは別の問題と違いますか」

すると、女性の態度が一挙に変わりました。実は、信仰を求めていろんな教会に行った事がある。この教会の評判を聞いて、試してみようと今日やって来た。あなたのしたような話は初耳だ。と種明かし(?)後に「私、今度からこの教会に来ます。よろしくお願いします。」とあいさつされ、ハッピーエンド。【引用終わり】

「赦さないことが悪い」。重大な気づきでした。

現代でも、いじめや様々な理由で【心に傷を受けた】人は多数です。私にもありましたが、この証しにならい、自分の心の傷に立ち続けることはやめて、代わりに「赦し」を実践するようになりました。

自分を吟味し、非があれば直すようにして、もし非がなかったら、相手を赦せるように祈り、感謝の祈りをささげたりなどの信仰の対応をしました。しばらくは、正直本当につらいです。感情のままに怒ったり文句言ったりしてる方がよほど楽と思っていたのですが・・・。

御言葉の力は凄いです。相手を赦す事に比例して、私も「(赦せないという)縛りや怒り」から解放されてきて、心身ともにすごく楽になっていくのでした。

神に感謝します、栄光在主

hiromi


2つの葬儀

2018年06月09日 | 心のいやし

日本では、お葬式はほぼ仏教形式なので、お通夜・告別式と称するのが一般的です。

キリスト教(プロテスタント)ではお通夜→前夜式(ぜんやしき)。お葬式(告別式)→召天式(しょうてんしき)となります。

※【オマケ】よくある間違い「昇天式」。(←「昇天」は、「復活したイエス様が天に昇られた」という意味で、人間には使いません)。

4月の伯母の葬儀の際に着た喪服を、約2か月後、また着る事になりました。

伯母は救われてはいましたが、葬儀は仏教式でした。

喪主と葬儀の方には、あらかじめ事前に

「私は宗教が違います。申し訳ありませんが拝んだり、焼香することは遠慮させて下さい」

「式の間は受付係をさせて下さい」と、ずっと受付にいて弔問客の対応をしていました。

伯母は80歳後半と高齢だったので、友人も来ることなく(殆ど亡くなっていたり、施設に居られたりなどで)、

親族弔問客合わせて20人くらいのものでしたが、皆、滅多に会わない人ばかりなのにとても話が弾み、笑顔がめだつ明るい葬儀でした(笑)。

「伯母は集まってにぎやかに飲み食いが大好きだったから、きっと天国で喜んでくれてるだろう。」

「イエス様。こういう場でも伯母を(親族も)祝福して下さり感謝します」と、受付で感謝を捧げました。

伯母の葬儀の約2か月後、再び受付係です。今度は(キリスト教式葬儀で)前夜式。

その方は病床でイエス様を信じ、1か月経過しないうちに天に召されました。

弔問客がそれはもうたくさん来られ、受付でちょっとした人だかりができ、喪主である奥様も驚く人の多さ。

一緒に受付係をしていたWさんと私は仲良くてんやわんや(笑)。

私は伯母の時に受付係をしていた事が益になり、それなりに対応することができ、

Wさんに「hiromiさん、なんか手馴れてないですか?」とほめられました(?)。主に感謝します

話を戻しますが、弔問に来られた方々が、各々心からの弔意を示されるのは素晴らしい事でした。

本当に皆様に愛されておられて、(大病に見舞われはしたけども)幸せな生涯だったことを思わされました。

伯母もその方もイエス様を信じた後に、この世を去り、天国に入られました。

もう死ぬことがなく、永遠に天国で生きておられ、そして再び、彼らと私たちは天国で再会します。

その方の葬儀の式次第には、(イエス様を信じる事ができるようにと)

「受け入れの祈り」が丁寧に書いてありました。

弔問客の方々が、イエス様を信じて救われますように。

2人の葬儀を通して、天国の事をいろいろ考えさせられました。

主に感謝します。hiromi


夢でのいやし

2015年12月26日 | 心のいやし

 ある日、とても憂鬱な気分でした。まるで胸に漬物石を詰め込んだような重さがあり、「開胸手術でもしたら、本当に石があったりして・・・」などとつぶやきつつ就寝。すると、夢を見ました。

 満面の笑顔の教会のO牧師が登場し「犬を飼い始めたよ。見せるね」。子犬をホイと渡され、はずみで受け取ると、その子犬がそれはもう大喜びで顔をベロベロ・・・。子犬の大好きオーラがとても可愛く、こっちも大笑い。笑いながら目覚め、「あ、夢か」。同時に、胸の重さがなくなっていて、代わりになんともほがらかな心持ちになっていました。

 「う~ん、こんなにお腹の底から大笑いしたのは久しぶり。でもそれだけで、あの重さがゼロになるものかな」と何とも不思議な気分に。O牧師も「犬?飼ってないよ」。

 いまだに真相は謎ですが、登場人物が牧師で、気分も実に爽快になったので、神に感謝しました。hiromi