感謝と祈りといやし

熊本アンテオケ教会の神様の栄光の表れを神様に栄光を帰しながら書いていきます

某教団の献金

2022年07月16日 | 献金(経済の祝福)

 安倍元首相の事件から1週間以上が経過し、メディアは某教団の、それも献金の話題で持ちきりです。

家庭も育児も放棄し教会どっぷりの母、1億以上のお金を献金し破産、生活困窮等。何とも救いのない話です。

「こんな事件を起こしたのは、きっと私の信心が足りないからだ、献金が足りないせいだ」と、

ならなければよいのですが・・。

(犯人も、獄中で御心の教誨師と出会い、イエス様を信じ、罪を悔い改める機会が与えられますように・・)。

正直、連日の報道に「本当の神は、私達から奪うお方じゃない、与える方なのに!」と、

怒りがこみ上げる私に、母が「でも某教団もキリスト教でしょ?」。

「あれは異端(いたん)といって、絶対違うから!」と返したところ、さらに突っ込んだ質問が。

「でもあんたも十分の一だっけ?例えば給料から献金するんでしょ」

「聖書には総収入の10分の1は神のもの。捧げるようにと書いてあるからね()」

 (絶対某教団とこちらを同一視して、更に何か言ってくるだろう)と、身構えましたが、何も言ってきません。

後日、自宅に来た兄の奥様も絶対(以下略)・・至って普通通りで何も言ってきません。

 それは1年前位、以下のやりとりのお蔭かもしれません。

「私達も年を取った。で、もし親の遺産貰ったら、教会に10分の1あげるの?兄さんたちもソレ気にしてたよ」

「もちろん。例えば2千万なら200万。そのお金は教会会計に入れられるよ。牧師が全額貰うとかはないよ」

「・・でもそんな話、納得できないでしょ?親が汗水流して貯めたお金なんだから、まず自分達の為に使ってよ」

「私にくれたら10分の一は必ず、する。でも『聖書に書いてあるから!』をごり押しする気はないし、

(ワケわからない事で)親を悲しませたくないから、献金×なら・・遺産は受取り辞退する事になるね」

あんた頭おかしい!とか言われたような気がしますが、対応は正しかったので良しとします。

神に感謝します。hiromi

「十分の一をことごとく、宝物倉に携えて来て、わたし(=神)の家の食物とせよ。こうしてわたしをためしてみよ。―万軍の主(=神)は仰せられる―わたしがあなたがたのために、天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあなたがたに注ぐかどうかをためしてみよ」(マラキ3:10)

これは、【10分の一献金をすると、経済を祝福する】という、神の約束です。

例えば私の場合、親戚から「どうしてhiromiは、仕事が次から次へと見つかるんだ?」(←当時病み上がりで体力無く・仕事が続かず辞めまくり)と、知らないうちに有名に。そして「次から次」のおかげで経済も困窮せず、感謝な事でした、栄光在主。


献金よもやま話

2021年11月28日 | 献金(経済の祝福)

 母はNHKの連続テレビ小説(BSの再放送)がお気に入りで、毎日かかさず観ています。

ある日、質問されました。

注:私はドラマ未視聴なので、下記は母視点でのドラマ説明です

1979年放映の「マー姉ちゃん」というドラマには、熱心なクリスチャンが出てくるそうで、「明日の事を思いわずらうな」(マタイの福音書6:34)というポリシー(?)の元に、

娘の給料を献金したり、貧乏な人にお金も物もパッパカあげてしまい、その結果家の家賃が払えず、幽霊が出るという怪しい・でも家賃はただの家に引っ越した・・等で

「あんたもそういう類の人種?」と聞かれ、母に説明しました

  1. 給料の什一献金(ならともかく、(施しとはいえ)娘の同意無く勝手に。とかありえない
  2. 家賃払う義務を果たさずに献金は×。大家に迷惑かけて、人に恵みを施すのは順序が逆・本末転倒

※什一献金:収入の十分の一を神に捧げる献金の事。「十分の一は神のもの」と聖書に書かれているので。

わかってもらえたかな・・

 

せっかくなので昔、夏の白馬キャンプ(=当教会で毎年行われるキャンプ)で聞いたお話を紹介します。

(ブログに書いていいですか?と聞いたら快諾してくれたので

 Aさん宅は、家族全員クリスチャン。TLEA教会にしっかりと繋がっていました。

ある時からAさんのご主人は病を得、会社も礼拝もお休みして療養生活になりましたが、

ご主人は家族を教会に快く送り出して下さり、母子で教会の礼拝に出席していました。

そして定年を迎えたご主人に、多額の退職金が支給されました。

什一献金するつもりでしたが、躊躇したそうです。

「夫は什一献金を黙認するだろう。でも療養生活も続いてて、十分の一とはいえ多額だったし」

「献金を惜しむ気はなかった。けど夫に心理的負担をかけたくない」と考えたAさんは、

神に祈ったそうです。

「夫の退職金から1円も引き出すことなく、什一献金をできますように」と。

祈りは聞かれました。すっかり忘れていたAさん名義の通帳が、

自宅の某所(=戸棚か押入れ)から出てきて、

その口座には什一献金分のお金(=独身時代の貯金)が入っていたそうです。

「hiromiさん。イエス様は天国にある銀行の頭取なの。私、経済(お金)に関しても神から裏切られたことはない。聖書に書いてある事に従えば(=ここでは什一献金の事)、神は素晴らしい事をされるよ」

もちろん献金済ませて終わり、ではなくて、かならず良き報いはあります。

神の言葉(=ここでは聖書)に従えば祝福される。

という契約が、神とクリスチャンの関係にあるからです。

Aさんは証し(=神の体験談)が、本当にたくさんある人で、話を聞いてて非常に恵まれました

母のおかげで思い出しました。神に感謝します。

hiromi


熊本地震”後”の思い出(感謝献金)

2021年05月15日 | 献金(経済の祝福)

 今回は、この話(2016年の熊本地震)の 、「3年後の話」です。

 信仰書を読むと、結構、献金の証しがあります。内容を要約すると「神にお金を捧げた⇒経済的に豊かになった」「金銭に対して考えが変わった(信仰が引き上がった)」等です。

 聖書には、「受けるより、与える方が幸いである」(使徒の働き20章35節)と書かれています。いつしか私も、そんな体験がしたい、感謝献金など、特別な献金に挑戦したいと思うようになりました・・が、そんな金銭的余裕は中々。でもイエス様は、そんな願いを叶えて下さいました。

 上記の数年後、熊本地震が起きました。本震で、私が寝ていたベッドの右側は「V」字型にへし折れ、その部分がベッド下の床に付き、まるでハンモックのような形に変形しました・・。左側に身を寄せれば、まあ寝られたのでそのまま3年使っていたある日、急激に腰が激しく痛みだし、身動きできなくなって数日欠勤(診断は「筋肉痛」)。4~5万円位のシングルベッドを、家具店勤務の兄から買う事にしました。手持ち資金もあり、身内割引価格になるので、祈りは時々、一言「質が良いベッドを買えますように」。

 母のベッドも古くなった為一緒に買い替える事になり、兄を家に呼びました。「安物はダメ。日本製で、シモンズのセミダブルがいい」云々、母のリッチな話を横で聞きつつ、「私はシングルベッド。予算内で適当に選んで」。すると母が唐突に「一緒に買ってあげる、同じセミダブルのベッド」。部屋は狭いし、自分で買うからいいと一旦断ったのですが「セミダブルでないとダメ!」と、頑として譲りません。いつもは「それ位、自分で買え」と言う兄も、何故か「そんな時は『ありがとう、嬉しい』だろ」と母の援護をします

 事の背後に何とな~く神の働きかけを感じたので、ありがたく買ってもらいました、税込13万のベッド。寝心地最高、熟睡できるようになり、神と家族に感謝しました。しかし、話はここで終わりませんでした。

 神が判断された「良いベッド」というのは、セミダブルのブランド物のベッドだったのかな~と、感謝の思いで一杯だったある日、「その感謝の思いを、神に具体的に表現するように」という考えが浮かびました。いわゆる「感謝献金」です。什一献金なら【総収入の十分の一(例えば、給与なら天引き前の金額から十分の一)】、しかし、感謝献金は初なので、捧げる献金額の基準がわかりません。

「お気持ちの額だと、ささやかになりそう。十分の一だと13000円か~。もうすぐ白馬キャンプもあるし、ちょっときついな~」。イエス様に「捧げる金額を教えてください」と祈りましたが、祈りの答えは別になく、むしろ私がどう判断するか、心をご覧になっておられるかのよう。信仰の諸先輩にアドバイスを求めても、サクッと一言「私は、献金するのが嫌ではない」。

 「どうしよう。 第一、感謝献金に回せるお金あるっけ」と考えた時、ハッと気づきました!先月、病欠で数日間欠勤した分が、有給休暇で全部カバーされていたのです。会社から「有給使いなよ。というか、もう手続きしといた」というサプライズがあり、その時初めて、有給が付いてる事を知った私。「欠勤分は無給」と思っていたので、それはまさに天からふってわいたお金としか思えず、サクッと献金に回せました。そして、有給分の金額は、ほぼベッドの購入代金の十分の一。

イエス様は祈りに答え、元手も備えて下さいました。後日、献金した後に、経験したことがない類の喜びに満たされました。神をほめたたえます。

hiromi


(信仰の)什一献金 その②

2020年11月21日 | 献金(経済の祝福)

 「信仰の)什一献金 その①」の続編です。

「20万円与えてください」と祈り、(その十分の一である)「2万円の(信仰の)什一献金」をしました。

修理代は9万だったので、ふと思いました。

「20万は請求される可能性あったから、2万円を献金したけど10万いかなかった。・・・1万円返ってこないかな」と。

・・我ながら欲が深いというかセコい

 しかし、教会に返金請求する訳にもいかないし、教会の月ごとの会計報告書も発行された後だったので、「1万円分を、感謝献金に変更してください」もできません。

「でも、もし戻ってきたら助かるな~」という状況でした。というのも11月は、ある事情で会社の勤務日が半月を切るため、来月の給料がシャレにならないからです(←その後、超健康体で病気知らずの母に病が見つかり、病院への送迎他、時間を気にせず余裕で対応できた事は幸いでしたが)

 そして今月の給料が出ました。「超~切り詰めて、少しでも来月の足しにしよう」と思いつつ、母に今月の家賃を払おうとすると、なぜか1万円値引きしてくれました。

車の修理代の残金も「いらない。あんたにやる」といきなりチャラにしてくれました。

母も、突然の病で動揺してるのでしょうが・・戻ってきました1万円。修理代¥0のオマケ付きで。

 母いわく「医療保険の給付金が出るし、高額医療費の補助も見込めるし、とりあえずお金は心配しないでいい」そうです。

 気分は複雑ですが、とりあえず手持ちのお金(10万円の特別給付金の残り)を足せば、来月の生活費他は大丈夫になりました。

それはともかく、とりあえず今後の事をいろいろ考えないと・・。

イエス様感謝します。

それと、母が救われますように。

hiromi


(信仰の)什一献金 その①

2020年11月14日 | 献金(経済の祝福)

 以前に書いた「母の車で自損事故起こした、修理にいくらかかるかな」というの続編です。

車の左後部ドアに、かなり深いへこみと、塗装が剥げて地金が見えるひっかき傷・・。

車の修理見積りをした所、

★ドアを新品に交換で約10万。加工賃や作業代は別料金。

★交換せずにドアのへこみを直し、再塗装はかなりの時間と手間がかかる。最低でも17万位。

★周囲の声「20~25万位はかかるんじゃない?」

「手持ちのお金じゃ足りない」と困った私は、イエス様にお願いすることにしました。

とりあえず修理費用を20万に仮定し、

「求めなさい。そうすれば与えられます」(マタイ7:7)の御言葉通りに、

まず【20万円分の十分の一献金】として2万円をささげ、「20万円を与えてください」と祈り始めました(※2)

「とりあえず『17万位』のA店に頼もうか」と決め、

母に話すと「知り合いの整備工場に頼む」とゴネます。

しかしその整備工場というのが・・、17万の店を紹介してくれた方が

「あそこは商売人気質でふっかけられる可能性があるからダメ。自分も何度か納得いかない事があってA店に乗り換えた」と、忠告してくれたところ。

 「請求額が高くなったら困る」と思いましたが、母が新車で購入したお気に入りの車を、自損事故で盛大にやっちゃった負い目には勝てません。

内心「イエス様、ちょっとこれ、厳しいです」と、苦しげな感謝の祈り(※1)をしながら母の言い分を受け入れました。

整備工場から「結構がっつり傷つけてるね~。こりゃ大変だ、結構時間かかるよ」と言われて戦々恐々の数週間が過ぎました・・。

修理が終わり、ピカピカになって戻ってきた車を喜びつつも、恐る恐る請求書を見ると修理代は約9万・・え10万切ってる!「元々あった傷もついでに直してもらったから。5万円払ってくれればいいよ」と母。

17万のA店がぼっていたという意味ではなく、整備工場では修理のやり方を工夫してかなり費用を抑え、更に知り合い価格にしてくれたようです。

ドアを至近距離でよ~く見ると、塗装に微妙~な凸凹がありますが、はた目には全くわかりません。

イエス様感謝します。それと整備工場と母にも、祝福がありますように

hiromi

(※1)「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について感謝しなさい」(Ⅰテサロニケ5:16-18)

(※2)「信仰の什一献金」とは、受けたと信じて、その金額の十分の一を神にささげる行為です。

「祈って求める者はすでに受けたと信じなさい。そうすれば、その通りになります」(マルコ11:24)

(注意)ただし、普通の「什一献金」(=給料やお小遣いや臨時収入等の「収入の十分の一を神にささげる行為」)をしていない場合は、まずそこから始めましょう。それを飛び越して「信仰の什一献金」をしても、祈りは聞かれません。


天国からの贈り物(その②)

2020年01月18日 | 献金(経済の祝福)

 神は愛です。今回、本当にそれを実感しました。

 1月4日が給料日。寝込む前の4日だけ働いた分をもらい、前回頂いた預金通帳から今月の生活費に必要な分を補充して、一安心です。体調はかなり回復したので仕事は再開しましたが、病院で他の病気の可能性が見つかりました。

「預金の残高もまだ結構あるし、また仕事休む事態になっても、何とかなるな」と考え、4月に再検査の予定を入れ、「預金の残金に手を付けないで済むように」と祈り始めました。すると「そのお金で負債を払いなさい」という思いが来ます。

 10年以上前、私は病気で長期間療養し、家賃その他を両親に借り、数十万の負債を作ってしまいました。「負債を完済できるように」と祈りはしても、両親が返済を言ってこない事にずっと甘えていました。しかし最近礼拝で、「払うものはきちんと払いなさい」というメッセージを聞き、「このままではダメだ」と思っていた矢先、今回体調不良で寝込んでしまったのです。

 預金残高は負債の額に少し多い位でした。「祈りがきかれた凄い主よ感謝します」と、ものすごく嬉しくなり、気が変わらないうちにと母に「今まで不義理してて本当にごめんね。借りてたお金、一括で払うから」と伝えた所「それ、元々は、私があんたから家賃として貰ってたお金を、あんたが寝込んで気の毒だからあげたんだけど」「今回、『負債を一括払いする』のは結構だけど、そのお金を流用するなら単に【あげたものを返す】って事だから。ドヤ顔で言う事じゃないでしょーが」

と、母に心底あきれられてしまいました。でも、おかげさまで負債はゼロです。神をほめたたえます

 その後、教会のAさんから「体調はどう?え?『経済に神の助けがあった』って?それは良かったね~。しかも、そんなに残りがあるなら、冬の白馬スネルゴイキャンプに今からでも余裕で参加できるね」というお言葉。それには笑顔でこう答えました。「確かにそうなんですが、払うものを払ってからにします。順序を逆にしたらだめって礼拝で言われたから」。Aさんいわく「そりゃそうだ。今後も主に期待だね」。

主は生きておられます。栄光在主。

hiromi


天国からの贈り物(その①)

2020年01月11日 | 献金(経済の祝福)

 12月初旬から2020年1月初旬まで、体調を崩し、めまいと吐き気で1ヶ月寝込みました(診断結果は過労)。

一ヶ月の前半は昼夜問わずひたすら寝ていたので日々の記憶がほぼなし。

一ヶ月の中盤、徐々に頭をよぎる「来月の給料がほぼゼロだ。生活費どうしよう・・」。

寝込んでいるので「イエス様、生活費を与えてください。給料1か月分位の金額だと助かります」と、寝床で力な~く、かつ余力があるときに、ポツポツとお祈りする日々でした。

「什一献金はきちんとしているので、生活費は備えられるはず。そう聖書に書いてある」と自分に言い聞かせつつも「祈りが聞かれたら奇跡だな~」と、信仰と不信仰の間を行き来していました。

その数日後、サプライズが起きました。

母が私名義の預金通帳を「はいこれ」と持ってきて、「生活費ないだろうから、しょうがないからやる。あんたが家に入れてた家賃の一部」。なんと母からの献金でした。親の愛はありがたいなあと感動しつつ明細を見ていたところ、数年前に10万の入金履歴があります。でも心当たりがありません。

「それ、伯母さんから。息子さんがあんたにも『母が生前お世話になったから』ってくれたお金。」

数年前に認知症になって、天に帰った伯母からのプレゼント・・としか思えませんでした。

なお通帳には一ヶ月分の給料の2倍以上の金額があり、生活費の心配が一掃されました。その後、喜びながら不信仰を悔改めたのは、言うまでもありません。

イエス様、感謝します。

hiromi


什一献金の思い出

2018年12月29日 | 献金(経済の祝福)

年末年始で物入りだからでしょうか、大昔の笑い話を思い出したので書いてみます。

クリスチャンになりたての20年前、周りは「什一献金は当然すべきもの。理由?聖書にそうしろと書いてあります」という人ばかりでした。

※什一献金(じゅういちけんきん)とは、自分の総収入の十分の一を、神のものとして教会に捧げる献金の事です。

例えば、当時の牧師と喧嘩して教会を出た後も、匿名で教会に献金する方がいたりと筋金入りでした。

(その方いわく「牧師にじゃなくて神への捧げものだから。それはそれ、これはこれ」)。

おかげで良い影響を受け、什一献金に対する抵抗感や惜しむ心は、現在も特にありません。

しかし一度だけ、「今月の什一はしない!」と思ったことがあります。

理由は覚えていませんが、私は本気で神に立腹した事があります。そしてどんなに怒っているかを神にアピールしたいと考え、その手段として什一献金を使いこむ事にしました(笑)。

服を買おうか、おいしい物を食べようか・・・と、楽しいイベントを考えつつも

「でもこれは、私の自由にしていいお金じゃない」と、内心おだやかではありませんでした。

でも腹立つし、やっぱり使おう!と、取り分けておいた什一献金の袋を探しました、が「まさか失くした?」という位、全く出てきません。

あちこち探すうちに、徐々に冷静になり・・「やっぱり神のものに手を出すのは良くない。イエス様ごめんなさい。使い込むのはやめます。」と、悔い改めの祈りをした所、半日もしないうちに、初めに捜した「いつもの置き場所」からあっさり出てきて驚きました。

「什一は神のもの(マラキ書3:8-10)」と聖書にあるので、怒りにまかせて使い込む(盗む)という罪を犯さないように。そんな事をすれば悪魔が喜ぶでしょうから、それを阻止して下さったと受け取りました。

そして今思うと、神は心を見られると聖書に書いてあるので、別に怒りをアピールしなくてもバレバレだったわけで・・・。今思えば幼いというか、初々しいというか恥ずかしいというか、かわいい話です。

ユニークな方法で働いてくださった、主をほめたたえます(笑)。

hiromi


イエス様が良くして下さった事

2017年09月23日 | 献金(経済の祝福)

 【いやし】 私は、昔した病気が原因で自律神経を痛めています。それで季節の変わり目は体がだるくなったり、ひどい時には寝込んだりします。ここ数年は何ともなかったので安心していたら、夏の猛暑のせいなのか8月後半は完全に寝込んで起き上がれなくなりました。食事もとれず、動くとめまいやふらつき。日常生活が送れなくなり8月末に仕事も辞めました。

 以前病院で「病気は完治してる。でも後遺症は病気ではないから治せない。薬もリハビリも意味がありません」と告知されていたので打つ手がありません。神に癒しを求める気にもなれず、「どうしよう」と、ただ悶々としていました。9月中旬まで寝込んだ後、時々起きられるようになったので「リハビリ代わりに意識して体を動かそう」と、教会の会計をできる範囲で手伝う事にしましたが、体がつらくて椅子に座る姿勢を維持できずに床に座り込む始末。

 それを見ていた牧師夫人が「大変そうだね~。手伝いのお礼に体が癒されるよう、毎日とりなしの祈りするよ」。 すると次の日から、なぜか体の重苦しさが徐々に無くなり始め、食欲も出て、起き上がれる様になり、通常の生活に徐々に戻り始め・・・驚きました、ハレルヤ!

 【聖書の約束:御言葉のちから】 「(体がかなり弱って)普通に働くのはまだ難しそう。・・・生活費をどうしよう」。しかし祈る余裕も余力もありません。「イエス様、私は毎月きちんと十分の一献金をしています。マラキ書に書いてある通り、天の窓を開いて、今の私の窮乏を助けて下さい。って・・・そんな都合よく行くかな。私はどうしていいかわかりません、本当にお手上げです。導きを与えてください。・・・でも、一体どうなるんだろう。どうか助けてください」と、ゴチャゴチャした独り言を思いめぐらすのがせいぜいでした。

 しかし主は私を顧みて下さり、そして体調の回復も止まることなく、昔のバイト先に連絡して短時間雇用でしばらく働かせてもらえることになりました。そして会社も繁盛しているのか、雇用条件が以前に比べて格段に良くなっていて「最初の2か月間の時給は1時間1300円。週払いと月払いどちらもOKです」と説明されました。すぐ給料が出るなら大助かりな上、そして8月末で辞めた会社の半分の勤務時間でも、高時給のおかげでそれなりの額の給料がもらえます。驚きました。

 今回、私はただ寝込んでひたすら自分の財布と体を心配していただけでした。祈りは他の方がして下さり、聖書に書かれた約束は本当だったという、なんとも恵み深い体験でした。

 主をほめたたえます、栄光在主 hiromi