感謝と祈りといやし

熊本アンテオケ教会の神様の栄光の表れを神様に栄光を帰しながら書いていきます

礼拝で起こり始めたいやし(その②)

2023年04月09日 | いやし

 東京アンテオケ教会では、一日に7回の礼拝が持たれます。

私も時々、自宅からオンラインで礼拝に参加します。

礼拝最後に、癒しの全体ミニストリーがありますが、毎回、結構な頻度で

「認知症が癒されました」と、説教者による癒しの宣言があります。

それを聞いているうちに、

「最近気になっていた父の認知症(らしき傾向/80歳なので単に老化かも)が、

いやされるかもしれない!」という気持ちが起きてきました。

 

 居間のテレビでオンライン礼拝に参加する際、

未信者の老父も、座椅子に座って礼拝を最初から最後まで眺めている⇒礼拝に参加している(?)ので

教会に満ちている神の癒しや奇蹟が、父に起こる可能性は大です。

(※癒しや奇蹟は教会の中で起こります。故に癒しを求める場合、礼拝に参加している必要があります。)

それで私が、(父に内緒で)癒されるようにと祈り始めました。

「病の癒しは、父本人の『癒されたい・治りたい』という求めが基本だけど、父にそんな気も信仰もないし・・」

「ならダメ元(?)、私が父に代わって、癒しを求めてみよう

というのが、出発点です。

祈り始めて3か月くらいですが、

父のトンチンカンな言動や行動が、徐々にまともになってきています

本当に驚いています

神に感謝します

hiromi


礼拝で起こり始めたいやし(その①)

2023年04月08日 | いやし

 コロナ禍から約3年、自宅でオンライン礼拝をしています。

礼拝では最後に、全体ミニストリーといって、説教者が会衆に向け、癒しの祈りをされます。

「皆さん、イエス様に期待しましょう」

「病のあるところに自分の手を置いて、癒されるよう神に祈り求めて下さい」

私は、2年ほど前から慢性の腱鞘炎になり、いつも右手の親指辺りにかなり強い痛みがありました。

整形外科では「腱鞘炎は治療ではなく、痛み止めの対処療法になる」と診断され、

年2回の痛み止めの注射処方だけで困っていた事もあり、毎回手を置いて癒しを祈り始めました。

それから半年経った現在、徐々に強い痛みが治まり始め、

現在は気にならないレベルの鈍痛になりました。

今後も、主に期待して完全な癒しを求めていきます。

神をほめたたえます。

hiromi