感謝と祈りといやし

熊本アンテオケ教会の神様の栄光の表れを神様に栄光を帰しながら書いていきます

神に指摘された話(指示預言)

2022年11月23日 | 脱出の道

 ひと月前の話です。

我が家は私だけがクリスチャンです。

家には40年超、祀(まつ)られている神棚があり、最近は、亡くなった母の仏壇も加わりました。

居間のテレビでオンライン礼拝に参加していると、

視界の右上に神棚、左側には仏壇。文字通りの多宗教で、本当に奇妙な光景です。

けれど「偶像(神棚と仏壇)があるのは嫌だけど、私は拝まないからまあ、いいか」と思っていました。

そんな私の心中を、神は御見通しでした。

10月の熊本阿蘇・合同カリスマ聖会の全体ミニストリーで、

「異教のものを取り除け」との預言が語られたのです。

(内心を見透かされたようでギョッとしました)。

取り除くには、父がイエス様を信じ、父の許可を得て処分できるよう祈るしか方法がありません。

家は父の名義で、私は住まわせてもらってますが、

神は、(無頓着で涼しい顔の)私に、明確に鋭く指示された。と受け取りました・・・

神は生きておられます

hiromi

※注:キリスト教の教理では、仏壇に死者の魂及びその霊は、いない。となります。

聖書には「神は唯一(イエス・キリスト)である」と書いてあるので、

神棚には、”神ではない霊”が祀られている。という事になります。


偶像礼拝をせずに済んだ話

2022年11月22日 | 脱出の道

 先日、母の49日忌がありました。その時の話です。

私は欠席したかったので、断る方法を画策していたら、兄からあっさり「お前は欠席するだろ」。

家で留守番になりホッとしましたが、ふと「父も不参加になるように」と思い、時々一言祈っていました。

 すると49日忌の前々日、父が「熱もだるさもどこも痛くないが、下痢気味だ」と体調不良を訴え、

49日忌の前日には「法要でウロウロしたらまずい」と父は欠席を決めました。

そして法要には兄一家が行き、私は父を病院へ。

「80歳と高齢だから気温差が激しい日々と、精神的なものから来る体調不良では」と診断されました)

父の体調不良は気になるところですが・・・それも含めて神に感謝します。

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これがキリスト・イエスにあって神があなた方に望んでおられる事です」(1テサロニケ5:16-18)

hiromi


「自分から歩み寄る」話

2022年04月11日 | 脱出の道

 夫の帰宅がやたらと遅い。スマホばかり見ている、出費が多い等、もしや浮気と疑念をもった妻がいました。

調べてみると、疑念はほぼ確信に・・。裏切られた怒りに燃えた妻は、復讐を誓いました

「今から私は、世界で一番いい妻になるそして夫が幸せの絶頂の時、離婚届と慰謝料請求を突き付けてやる

 翌日から計画遂行が始まりました。

夫が起きる前にきれいに化粧をし、きちんと髪や服を整え、常に身ぎれいにする。

夫の好みを把握し、見栄えも良く健康的で、極力手作りの美味しい食事を整える。スルーされても笑顔。

も掃除が行き届きピカピカ

連絡もせずに深夜に帰宅しても、怒りをぐっとこらえて笑顔で「お疲れ様~」。

夜、一緒に飲みに行った友人や会社の同僚を、いきなり自宅に連れてきても

「電話位してよ」という怒りをぐっと飲み込み、嫌な顔一つせずおもてなしetc・・

 「夫に復讐するために」良い妻になるという不断の努力は、つらいどころか楽しい位でした。

そして夫の様子が、少しづつ変わっていきました。

いつも仏頂面で、妻をうざそうに扱っていたのに、柔らかい表情で親しげに話しかけてくるようになりました。

帰宅時間も早くなり、家にいる時間が増え、その結果として浮気相手とも別れたようでした。

ある日、「お前と結婚してよかった。今迄本当にごめん。これからはいい夫になるように心を入れ替える」と、

遠回しに謝罪が待ちに待った瞬間。しかし「え、いきなり何~」と、あいまいに笑ってしまった妻

その時から「夫がここまで変わるなんて。私も、色々態度が悪かったのかも」「復讐したい気はある。でも今は、本当に幸せ」「何も知らなかった事にして、このままやり直そうか・・」と未だに決めかねている妻でした(完)

ちなみにこれ、私がネットで見つけた話で、実話か否かはわかりません。

(秘めた動機はともかく)相手の非を責める前に自分から歩み寄って、良い行いによって相手を変えた話です。

世間様でもこうならば、クリスチャンが

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について感謝しなさい」(1テサロニケ5:16-18)

という、聖書の勧めに従うならば、神はもっと素晴らしい事をなされるよねと思う、今日この頃でした。

神に感謝します。

hiromi

『追記』

クリスチャンが聖書の勧めに従うと、話はこんな風に変わるかも。

夫の裏切りに対して、まず「すべての事に感謝して」、神に「解決が与えられるように」と、祈りによって願い求めるなら、「夫が『きちんと事実を話した上で』妻に謝罪し」「妻も『私も至らない点があったから』と、夫を許す」。

モヤモヤが減ります(笑)。


職場の人間関係が祝福された@預言の賜物(後日談)

2021年11月27日 | 脱出の道

  11月に入り、4月に移動した上司が時たまヘルプでやってきました。

「あれー?仕事が早くなったねぇ」と、おほめに預かりました。ハレルヤ

その流れでBさんからも一言頂きました。

「仕事は丁寧も大切。でも要領の良さも必要。時には手を抜く(=サボるではなく)とかね」。

 その数日後、なぜかそういう訓練(=要領よく・時間通りに仕事を終わらせる)が始まりました。

Bさんがあえてそうしてるのかは不明ですが、Bさんを通しての、イエス様の意図はありそうです。

実際、作業が手早く丁寧なベテランBさんのご指導で、私は全てがガサツな事が、皆にバレバレ状態

でも、そんな自覚も感謝します

この頃に、イエス様にお祈りしていて本当に良かった

神をほめたたえます。

(匿名希望)


世の悩みは尽きぬとも、神は共にいまし

2021年10月28日 | 脱出の道

ふと気が向いて、

東京アンテオケ教会の主日礼拝(10月24日の日曜:第2礼拝)を

YouTubeで視聴しました。

礼拝最後の、〈全体ミニストリー〉で

「数人の方にいじめられてしまって、その事が心の傷になってる方がいます。

「これを感謝し、主(=神)をたたえていきなさい。解放されるとともに、その事を通しての主のわざを見ます」

という【知恵知識のことば】が語られた時、「私の時も、こういう勧めがあった」と驚きました。

(※ 前回記事「神の御心があります」は、続けて「だから○○しなさい」と言われました。内容を思い出せず省略しています)。

生きておられる神をほめたたえます。

 振り返ると、神の導きというものは、基本的に「問題困難に立ち向かえ」。

「恐れるな。わたし(=神)が、あなたと共にいる」

「起きた問題と困難を神に感謝しなさい。解決を祈り求めなさい」

「わたし(=神)はその問題と困難を益にし、逆転の勝利を現す」

です。

 今回、知恵知識のことばを「私の事だ」と受け取った方も、祝福されますように。

主に感謝します。(匿名希望)


職場の人間関係が祝福された@預言の賜物

2021年10月23日 | 脱出の道

 半年~一年前位、TLEA東京アンテオケ教会の第7礼拝にオンラインで参加したときの事です。

 TLEA教会の礼拝では、最後に「全体ミニストリー」があります。簡単に説明すると、

【礼拝説教者がその場で神に祈り、会衆(=礼拝参加者)に向けて、カリスマ(=御霊の賜物)の働き(=預言、知恵知識の言葉、癒し)を用いる】というものです。(※ 御霊の賜物に関しては、Ⅰコリント12:7-10を参照)

 

 その時も「〇〇がいやされました」etc・・次々と言葉を語られていく中、

「あなたをいじめている人達に、神の御心があります」という預言に、ギョッ

「まさかモラハラのAさんと癇癪持ち(?)のBさんの事かな」と、思い当たる節があったからです。

(このブログでも以前、A・Bさんとの別件話を書いてました⇒ ①Aさん ②Bさん)。

 はっきり言って、私は仕事がうまくさばけません。しかし当時の上司はとても親切で、いつも助けて貰っていました。

 ベテランで仕事ができるA&Bさん達には、それが不愉快だったようで、

「甘やかされて、ホント幼稚」と面と向かって言われたり、理不尽な態度を取られたり、聞えよがしの悪口をよく言われました。(←仕事がさばけず、ABさん達の足を引っ張ってたのが一番の原因ですが)。

「うわ勘弁 」と思いつつも、「神の御心がある」とは、どういう意味かと祈りました。

すると、「腹が立っても、つらくても、ありのままを感謝しなさい」との語りかけが祈りの内にありました。

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。それがキリスト・イエスにあって神があなた方(=クリスチャン)にのぞんでおられる事です」(Ⅰテサロニケ 5:16-18)

「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々(=クリスチャン)の為には、神がすべての事を働かせて益として下さる事を、私達は知っています」(ローマ8:28)

これらの聖書の御言葉に従って、感謝の祈りを日々実践していきました。

「私の要領の悪さを感謝します」「またキレられました。感謝します」etc・・

すると、苦い思いが中和されていき、「イエス様、仕事がさばけるようにして下さい」と素直に祈れるように。

少しづつですが、心からの自然な笑顔が出る様にもなりました。

(笑顔が出るのはまさに神の助けでした。A・Bさん達も冷たい態度をキープしつつも、「?」と不思議そうでした)。

 そして今年の4月、上司が異動。

預言が語られる以前は「異動後は、もっといじめられそう・・」と心配でしたが、もう大丈夫

さらに熱心に仕事に取り組むようになり、数か月後、仕事がスピードアップしている事にも気づき、嬉しくなりました。

A・Bさん達の態度も徐々に変化し、現在、嫌味と陰口と冷たい見下したような態度は全く無くなり、私の仕事をちょいちょい助けてくれて、態度も口調もフレンドリーです

神に感謝します。栄光在主

(匿名希望)


職場のコロナ禍

2021年08月21日 | 脱出の道

熊本もコロナ第5波により、感染者がうなぎ上りです。

私の周囲だと、こういう状態です。

  1. 先月、両親の友人(2名)がコロナに感染。
  2. 先週~今週職場(=ただし別フロアの別部署)で、コロナ陽性者が2名発生。
  3. 本日同じ部署で働く同僚のご家族の周囲(通勤・通学先)から、コロナ陽性者が発生(=家族感染の懸念がある為、同僚2名が急遽自宅待機決定)。

 先週の私は、公私共に多忙で疲れが取れず、時間があればひたすら寝ていました。

職場では、出勤前に熱を測るルールがあります。

その日はバタバタして出勤してきたせいか、「なんかちょっと熱っぽいな~」と体温測ると37.0℃・・

会社に入らず上司に報告し、10分程外気に当たって体温を36℃台にし(?)、勤務開始。

しかし内心は「コロナの無症状だったらどうしよう」とハラハラでした(←職場は【体の異常を感じたら即退勤、自宅待機し会社の指示を待つ】というコロナ禍ルールがあります)。

人手不足にコロナ対策で業務は倍増な上、〈強い倦怠感や高熱〉といったコロナの典型的症状がない為、退勤すべきか判断つきません。上司は無言でしたが「自己管理はキチンとしてよ」と、目と雰囲気が完全に怒っていました・・

そういう訳で、外気に当たっている10分間、神に(=助けを求めて)祈りました。

「イエス様、私には感染の有無が分かりません。だから正しい判断を与えて下さい」

「もし感染してるなら、①上司から即退勤の指示。 ②今すぐ発熱して問答無用で帰宅等、とにかく職場に災いを持ち込めないようにして下さい」

 【祈りの答え】

  1. 勤務開始から1~2時間で熱っぽさがなくなり、勤務を無事全う。
  2. 帰宅後「風邪、コロナ、見分け方」でネット検索。結論は「初期の風邪か更年期障害(体の火照り)」。

イエス様、感謝します

(匿名希望)


終活ノート

2021年06月17日 | 脱出の道

【母の検査数値が激減した話の後日談です。

ステージ4の末期がんだというのに母は元気いっぱいで、

家庭菜園(=日差しがさんさんと降り注ぐ)での土いじりも、(「もう治ったんじゃない?」と友人たちに言われながらの)山歩きも何でもござれです。

 それに惑わされた私は、「母が元気な今のうちに、家の事の引継ぎ(=両親の口座や保険の把握、葬儀等の「終活」)しないと」という考えが、「まあ、そんなに急がなくてもいいか」。最後は「母が元気になってよかった~」と、まことにのんき・眠っているような心理状態に陥りました。

 しかし、イエス様は、その惑わしを断ち切ってくださいました。

☆☆☆

 母の検査数値が激減して喜び、その話のブログを書いた数日後、朝方に、私はを見ました。

 山歩きの格好をした元気な母が、「なんか胸が痛い・・」と急にうずくまり、そのまま意識不明に。「お母さん!?」と、血相を変えて救急車を呼ぼうとしても、パニックで「救急車の電話番号・・思い出せない!!」。

兄に電話しようにも手が震え、かけても電話に出ない!「このまま死んだらどうしよう!!」と、絶望した瞬間、「hiromi~。今から山登り行くから、車出して」という元気な母の声で、目が覚めました。

 まるで時間が巻き戻ったような感覚でした。

「『ちゃんと対応せよ』と、神が見せて下さった夢」と感じました。

車内で母に夢の内容を話し、「『備えあれば憂いなし』。終活ノートを作るから、協力して」。

当然母は「こんなに元気なのに、縁起でもない!」と、不機嫌になりましたが、興奮して心臓バクバク状態の私には、怖いものはありません。

「事前にそういう引継ぎをしとけば、もし何かあってもお互い安心だし」「お父さんは酔っぱらってて無理だし。私を助けると思って、お願い!」が決め手となり、しぶしぶながらも了承してくれました。

義姉(兄の奥さん)にも!と、「生々しい夢を見て・・ 怖いから終活ノート作る事にした」と話したところ、

「それは良かった~。実は、はたで見てて『hiromiさん、のんきだな~大丈夫かな』と思ってた。お義母さんとhiromiさんじゃ、喧嘩しそうだから私も協力するよ、一緒に作ろう

 義姉は経済に強く、母のがん発覚時、相続税やお墓等の相談を一手に引き受けていた人です。

私は、その手のが良くわからず、本を読んで情報収集・勉強中でした。本当に助かります。

イエス様、感謝します・・

hiromi


悪霊問題も(=対応するなら)益になる

2019年08月24日 | 脱出の道

 「クリスチャンに、悪霊の問題はあるでしょうか」という質問を見たことがあります。

福音派の某牧師(とても著名な方です)は

「悪霊は現実に存在します。聖書にそう書いてあるからです」と答え、続けて「でもクリスチャンは神の子だから聖霊が内在しています。聖霊と悪霊は一緒にいられません」

「その方の性格や、何らかの精神病の現れを、悪霊問題と混同されていませんか」と、御言葉を紐解きながら説明されました。

わかりやすいし、御言葉の選択も解説もさすがです。とてもためになりましたが、私の見解は少し違います。

以前のブログに、

①(占いや黒魔術等の)悪霊に関する事柄に関わったら、悪霊とつながりができる。

②(クリスチャンになったら)神は、その人と悪霊の関係を断ち切ろうとされる。

③悪霊から解放されるポイントは【本人の悔い改めと適切な対応】と【教会】にある

という内容を書きました。「精神病や性格」に由来。という場合も多いですが、すべてがそうではありません。

 その後、聖霊派の某牧師(この方もとても著名な方です)のお話が「なるほど~」と、良い学びになる内容だったので、紹介します。

インドネシア宣教をされていた時、現地の若い女性がイエス様を信じました。そして献身し神学校にも入学しました。その際、彼女は悔い改めの祈りと共に一切の偶像礼拝を捨て、それに関連した道具も処分しました。

一見素晴らしい歩みですが、牧師は「彼女と悪霊のつながりが100%断ち切られていない。80%位ではないか」と違和感を覚えたそうです(=経験からくる「見分け」。ヘブル5:14)。

しかし彼女に色々確認しても「もう魔術や偶像礼拝はしていません。お守りも道具類も全部処分しました。信じて下さい」というばかり。嘘をついてるようには見えません。「でも彼女はクリスチャンとして、ちょっと首をかしげる事柄が見受けられる。その原因は何だろうか・・」。

 ある日、牧師は「もしや彼女が母親の胎内にいる時に、家族や親族が悪霊に関わったのでは?」と思い立ち、さっそく確認を取ると、彼女の母曰く「大抵のインドネシア人は、代々、家宝として剣(=魔術師が祈祷した物)を持っています」。

「原因はそれだ!持ってきなさい」。家族の了解を得た上で(※1)、牧師が剣を捨てた所、彼女は変えられました。牧師が引っかかっていた妙な事柄が一掃されたという形で。

最後に牧師はこう話されました。

「インドネシアは偶像礼拝や悪霊関係がすごく強い国だから、献身するならそういう関わりを100%断ち切らないと色々まずいんだよ」

「悪霊だって、牧師や献身者(の家)にいたくないに決まってる。光と闇は真逆の物だからね。でも適切な対処をしないと、悪霊は、絶対に出て行かない」。

アーメン!そういう意味では、過去の私も貴重な体験をしました(悪霊と関わらないのが一番ですが)

すべてを益にして下さる神に、感謝します。

hiromi

ヘブル5:14 「堅い食物は大人の物であって、経験によって良い物と悪い物とを見分ける感覚を訓練された人たちの物です」(【大人=霊的に成長した人】を指す。具体的には ①信仰の年数が長い ②神の言葉に対する深い知識がある ③神の言葉によって善悪を判断できる)。

(※1)他の人の所有物なので、了解を得るのは必須です!


月曜祈祷会にて@父の問題

2018年12月01日 | 脱出の道

 私の実父は76歳です。以前の証し後、退院しました。入院中はまともでしたが今や毎日の連続飲酒に喫煙と、常時酔っぱらっています。そんな父に腹が立ち、母と一緒に怒ったり嘆いたり、ギャーギャー言う日々でした。

しかし聖書には「あなたの父と母を敬え」、「父や母をののしるものは死刑に処せられる」と書かれています。

 母は未信者ですが、私はクリスチャンです。聖書には「すべての事について感謝しなさい」とあるので、父の事を感謝する事にしました。「いつも酔っぱらってる事を感謝します」、「アルコールで頭の回転も相当鈍いです。感謝します。父を憐れんで下さい」などなど・・。しかし、感謝をするたび腹が立ち、イライラして闇の中を堂々巡りになります。

荷が重いと感じたので方法を変えました。毎週の月曜祈祷会に参加し、その度ごとに父の事を皆さんと共にお祈りする事にしたのです(※この祈祷会は、個人の祈りのリクエストを皆で祈ります)。

各々のお祈りを聞いてると、いろんな気づきがあり、私も父に対して(ちょっと)ひどかったな~と一息ついたりと、イライラが軽くなり、まず私がいやされていきました。父も、祈った翌日はちょっぴりまともに?なってるように見えます。父にキレる母をなだめたりできるようになりました(いつもではありませんが)。

 今思えば最初は「情けない」と、父に対して思い上がりと傲慢な思いで感謝の祈りをし、祈祷会でも同様でした。しかし最近は「父も年を取ったんだ。昔と違って当たり前。ギャーギャーいうのはやめよう」という悔改めと、「父の今後の人生に、神が与えようとしていることはなんだろう」に変化してきました。薄皮をはぐようなペースで、闇から光(希望)へと移り始めています。

教会の祈祷会がなければ、私の祈りは自然消滅し、そして何も変わらなかった事でしょう。神と、教会(の皆様)に感謝します。

hiromi