感謝と祈りといやし

熊本アンテオケ教会の神様の栄光の表れを神様に栄光を帰しながら書いていきます

信仰心の癒し3(最終回)

2019年06月30日 | 恵み

 「信仰心の癒し」で書いたブログ内容は、世間的に言えばPTSD(トラウマ:心的外傷)なのかもしれません。

でも、それと逆に、PTG(心的外傷後成長)という概念があります。簡単に言えば、PTSDを通して成長する(試練を通しての成長)という意味です。

 心の傷、悲惨な出来事から来る「被害者意識」に立ち続けるか、それとも聖書や教会の礼拝で毎回語られる「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について感謝しなさい」という勧めを実践するか。その選択は、個人にあります。

 話は変わりますが、数年前、東日本大震災で被災し、100年大丈夫と言われた教会会堂が使えなくなったある牧師が、熊本地震のチャリティコンサートで熊本市に来られ、こんなメッセージをされました。

「教会の人たちは全員無事だったけど、建てたばかりの会堂も壊れ、避難生活を送る中、私も1週間で9キロ痩せ、半年(1年?)程、まともに眠れなくなりました」

「でも私は、不自由な生活の中で、いかに神以外のものに心を向けていたかという事に気づかされました。食べること、寝る場所があること・・・震災が起こるまで、そんなことは空気があるがごとく当然と思い、神に感謝する前に『あの事やこの事がどうのこうの・・』と、そこにばかり気を取られていたのです」

「世界中の方々の尊いご厚意で、避難生活が徐々に好転する中、私も教会員たちも、神がいかに私たちを愛し、み心に留めておられていたかを知りました」

「でも周囲を見渡すとどうでしょうか。震災で心身ともに打ちひしがれているノンクリスチャンの方々に、私は福音を伝えたい!と思いを新たにしています。『人にはできないことが神にはできる』からです」

「だから皆さん、熊本地震で被災されている方々の痛みを、忘れないでください。あなたにある希望を、他の方々にも分けてあげるために、どうすればよいか考えて下さい」

さらっと書きましたが、ここでは「神がいるのにどうして」と「神をほめたたえます」のどちらを選択したかの結果がはっきり表れています。

聖書通読も信仰書を読むことも、毎週の教会の日曜礼拝出席も、私が被害者意識にどっぷりつからないようにと、神が助けて下さったことでした。

 もし私にPTG(心的外傷後成長)が起こったのなら、【神への感謝】と、(信者・未信者問わずで)【他の人も、例外なく神に愛されている】、【私に何ができるだろうか】・・という気持ちが生じた事が、それに該当します。

生きておられる神をほめたたえます。hiromi


信仰心の癒し2

2019年06月29日 | 恵み

 前回のブログで「信仰の暗黒時代」と表現した十年間ですが、神の恵みもありました。今回はその話です。

病気と神への不信感に耐えかねた私は、神学校も休学し、教会のスタッフもやめて普通の一信徒に戻りました。この時の私は、心痛と挫折感いっぱいで毎日「イエス様どうしてなんですか」の日々だったのは、前回書いた通りです。

 ただこの時、同時に「時間はたっぷりあるから、聖書をじっくり読めるなあ」とも思いました。

 私は元々読書好きだった事もあり、神学生になって聖書を勉強するうちに「注解書を見ながら、きちんと分かった上で(←背景を把握して)聖書を読みたい」と思うようになっていました。しかしそれには時間が相当かかります。「いつかできればいいな。でも忙しいから無理だな」と思っていたら・・・

 これをやって不信感は癒えましたか?と聞かれたら、答えは「いいえ」です。でも読書好きも益になり「これはこれ、それはそれ」で、注解書と照らし合わせつつ聖書を日々読みました、楽しかったですけど、予想通り相当な時間がかかりました(笑)。

 国内外の信仰書をあれこれ読むようになったのもこの時期です。信仰の先輩たちはほぼ例外なく苦難を通っています。そこをどうくぐり抜けたか?これがまた、見事に十人十色。何とも読みごたえがあり、かつ良い学びになりました。神をほめたたえます 

 ある時、教会で「聖書通読(創世記~黙示録迄)を20回すれば、土台ができる」というのを聞いたので、それを目指しました。

「土台って何かな?」と思っていたのですが、めでたく成し遂げたある日、聖書を読んでいると「その知恵と知識とはあなたのものになった」(第2歴代誌 1:12)という御言葉が心に強く迫ってきました。

 それ以来、現在に至るまで、人(ノンクリスチャン)に聖書をわかりやすく説明できるようになり、聖書の御言葉で【霊的、実際的な状況の判断(いわゆる「見分け」)と正確な対応】ができるようになりました。

 色々ありましたが、結論を言えば、今の教会につながっていたから前述の神の恵み(←聖書通読と全う)があり、今の私がいます。教会から離れてたらだんだん神からも聖書からも遠ざかり、神への根強い不信感だけが残っていたことでしょう。

 忍耐も苦しみもありましたが、その中で、自分の問題点に気づかされたり、学びが深くなったり、目からうろこだったりの10年間でした。いま振り返ると、当時の苦しさ(マイナス)より現在に至る祝福(プラス)の方が圧倒的に多いです。

今回は「信仰心がいやされた」というより、「信仰心が全く新しく作り変えられた」という話です。神をほめたたえます

hiromi


信仰心の癒し

2019年06月15日 | 心のいやし

 私は中学生のころから洋楽が大好きで、高校生になったら好みが洋楽=ロック。に定着し、英語を話せた親友と「大人になったら一度は絶対、本場のコンサート(=アメリカ:ロサンゼルス)に行こうよ!」といつも話していました。

 そして、20代後半に、念願のロサンゼルスの地を踏みましたが、それは教会で海外宣教(マーリン子どもアメリカチーム)に参加するという形でした。行く先は当然ロック・コンサートではなくマーリン・キャロザーズ師(Rev.Merlin Carothers)のセミナー。当時の私はマーリン師を全く知らず、ニッコニコ笑顔で幸せそうなおじいちゃまだなあ、という印象。そんな私が20年経過した現在も教会にいて、マーリン師がセミナー&自身の著書で提唱されておられた「感謝と賛美」を実践し、証しをこのブログで書いてるのも、本当に不思議です。神を賛美します

 話は変わりますが その後(今から15年ほど前)、私は病気になり、かつ色々あって神に根深い不信感が生じて棄教寸前の状態になり、それは10年超続きました(信仰の暗黒時代)。教会と教会の人々はとても良くしてくれたので教会には通っていましたが、景色は白黒に見え(例えではありません)、毎日毎日「イエス様どうしてなんですか!!」と内心叫んでいるという苦しい日々を送っていました。

 そんなある日、ふと昔好きだった音楽を思い出し、色んなミュージシャンやバンドのプロモをYoutubeで観ていました。すると私が中学生の頃から知ってる、非常に素行が悪く悪名高いDさんがクリスチャンになった(と推察される)プロモを発見!。驚くと共に「いや、これは絶対、悪質な冷やかしで作られたプロモに違いない!」と、普段の神への不信感が吹っ飛んで(笑)、Dさんのインタビューをネットや音楽雑誌を買って読みまくりました。しかし、そこには、一貫して救われた喜びを語る言葉ばかり。ふと、次の御言葉を思い出しました。

 「ふたりの人が、祈るために宮に上った。ひとりはパリサイ人で、もうひとりは取税人であった。パリサイ人は、立って、心の中でこんな祈りをした。『神よ。私はほかの人々のようにゆする者、不正な者、姦淫する者ではなく、ことにこの取税人のようではないことを、感謝します。私は週に二度断食し、自分の受けるものはみな、その十分の一をささげております。』ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。『神さま。こんな罪人の私をあわれんでください。』(ルカ18:10-14)

 その時に気づかされました。私は神学生になって神の戒めを守っていたのに、なんで日常生活もままならない病気になったんですか!と神に腹を立てていた事や、他の人を見下していた傲慢さ・・。このパリサイ人はまさに私でした。それに比べて色んな悪事をやってきたけど)、この人はなんて素直に神を喜んでるんだろう。と、自分が恥ずかしくなりました。

 その後もDさんのインタビューを読み続けました。そこで話されてる神の話が本当に嬉しくて、読むたびに励まされ、神への不信感が軽くなっていきます。信仰心が回復していくのがわかりました。そして白黒に見えていた景色も徐々にカラーに戻り始めました!本当に不思議です。最終的に、私の不信感は、神への感謝と「本当に愚かでした。私の罪を許して下さい」という悔改めに変わったのでした!

 あまりにも嬉しくて、是非Dさんにお礼を言いたいと考えた私は、マーリン師の本を添えて、手紙を送りました。"God made me very happy through you. How happy I am now!" (神はあなたを用いて私を喜ばせて下さいました。私は今とても幸せです!)と書いて。

主をほめたたえます、栄光在主。

hiromi 

※このブログを書いた数日後、Dさんは、癌を患い治療を始めた事を公にされました。本が、有効に用いられますように

マーリン子どもアメリカチームで買った「獄中からの賛美」

購入時に頂いたサイン


体調不良の癒し

2019年06月10日 | いやし
以前、職場で体調が悪くなりました。前も似たようなことがあり、朝のお仕事の時は平気だったのに、お昼からの仕事の場に行くと、急に体調が悪くなるのです。以前が霊的なものによる体調不良だったため、今回も、そうだと思い、神様に祈り、霊の縛りをしました。その場ではなんの効果も得られず、体調の悪さは変わらなかったので、また早退して帰ろうかと思っていたら、周りの方が私の体調の悪さに気づいて下さり、声をかけて来ました。ですが以前は「帰った方がいいよ」と心配して下さったんですが、今回は「大丈夫?」と心配はするものの「帰ったら?」などと言ってくれなかったので、私も、これって我慢して帰らない方がいいのかな?と思い始め、我慢することにしました…。ですが気づくと、嘘のように体調がどんどんと良くなり、笑顔すらも作れなかった顔に自然と笑顔がでるようになり、体調が癒されてきました。その時にふと、思いに「預言」と来ました。以前は、「霊的なものには、預言をするといい」と聞き、預言をしたらホントに神様に守られ体調不良がピタっとやんでいたので、それを思い出しました。そうだ、預言を毎日しながら通勤してたはずなのに、最近は体調が良い日が続いていたため忘れていたのです。そのことに気づき、教えて下さり、癒してくださった神様に感謝し、預言を忘れずに通勤することを心がけるようにしました。今日も預言をしたら1日体調が守られました。感謝します。

村上祝福


とりなしの祈り(職場編)

2019年06月08日 | 恵み

 以前、こんな証しを書きましたが、今回はその続きです。

Kさんは一身上の都合で離職することになりました。「今迄お世話になりました~」と、挨拶に行き、

少しお話しする中で、Kさんは、当教会の周辺にしょっちゅう買い物に来るという事が判明。

教会の周辺イコール私の行動範囲です

しかもそこは、以前当教会の賛美グループが、週1回の路上ライブをしていた場所でした

「もしバッタリ会ったら、声かけてね」とニッコリされましたが、

同時に「救いのために、さらに継続して祈りなさい」と、イエス様に言われたような気分でした。

神は、小さな祈りも、を傾けて聴いてくださる方なんだなあーと嬉しくなりました。

主に感謝します。

hiromi


神様の癒し

2019年06月07日 | いやし
元々私は腰の病があり、5番目の背骨が前に12ミリズレていて、これ以上進んだら、手術と言われていました。
1週間ほど前に、仰け反って座った瞬間に、
ズレている背骨の部分が何かおかしい感じに
なりました、いつもと違ったのです。もしかしたら、ズレが酷くなった
のではないかと、頭の中は、手術のことが頭に
浮かびました。
そうなったら私は家のことも、仕事も教会の、
奉仕も出来無くなる💦

主人は1人では 何も出来ない人なので、私が
入院たら お仕事と家事で大変になる。
神様に祈るしかないと思い、神様 ズレた部分を
元の状態に戻して下さいと必死で祈りました。
主人が仕事が出来なくなると経済も厳しくなります、どうか手術をしなくて済みますようにと。

祈ってしばらくして、背骨の違和感がなくなり、いつもと変わらない感じがしました💦
きっと神様が祈りを聞いて下さったと思います。

Watanabe



父へのとりなし

2019年06月01日 | 喜び

 令和初日から始まった父の禁酒禁煙ですが、禁酒に関しては、1か月持ちませんでした

父のために祈っている時に、イエス様は「信仰による祈りは病む人を回復させます(ヤコブ5:15)」という御言葉の約束を与えて下さいましたが、父が禁酒禁煙を決心した時、嬉しくてつい油断したというか張りつめていた気が抜けたせいか(?)

父へのとりなしの祈りをしばらくやめてしまい、禁酒に関しては、元に戻ってしまったという・・

「祈りで戦う」というのはまさに、こういうことなんだなあとよくわかりました

とはいっても、そんな父に対してむっとし、かつちょっと不信仰になってしまったのですが、イエス様は面白い方法を取ってこられました。

 ① 急に「孝行を、したいときには親はなし」という言葉が気になって仕方なくなったのです(何で聖書の御言葉じゃなくてことわざ?)。そのおかげで「そうだよね、頑張って祈ろう」と、ちょっぴり前向きに

 ② 仕事中、ある方に父の事を愚痴ると「私も存命中はムッとしたことが良くあったよ。でもね、いなくなると寂しいもんだよ」

父の禁酒禁煙にばかり集中して、肝心なことを見落としていたことに気づかされました。

父が救われて、天で再会できるように、もっと気合い入れて祈ろう!と、より一層神に期待する思いになりました。

いまや父が酔っぱらっていようが言動が意味不明だろうが、神が父を祝福して下さる。その事だけは疑いません。

神に感謝します。栄光在主

hiromi