感謝と祈りといやし

熊本アンテオケ教会の神様の栄光の表れを神様に栄光を帰しながら書いていきます

1月1日の逆転劇

2023年01月01日 | 恵み

 (体調不良のため)自宅で寝ていても参加可能なのは、オンライン礼拝の恵みです。

今年も我が家で年始なら、(11時からの)礼拝参加はほぼ不可能でした。

例年、母が存命中の時は「ごめん、礼拝の時間」と中座してましたが、

今年は私に代替わり。さすがにそういう訳にはいきません。

「今年は無理だろうな~。でも礼拝に参加したい」の旨を、時々イエス様にお祈りしていました。

とりあえず今年は、(父が兄の家で年始を過ごすので)クリアです。

父が早く救われて、2人で堂々と礼拝に参加できたらいいなあ。

神に感謝します。

hiromi


大晦日の逆転劇【神棚の札】

2022年12月31日 | 恵み

家には神棚(←自営業だったので商売繁盛のもの)があります。

兄家族が某神社の会員(ただし信仰は無さげ)で、母は家族会員でした。

そして今年も某神社から、神棚に奉献する新しい札が郵送されてきました。

中を改めると、祈祷の案内書類も入っています。

去年の札をどうするか?母のを無断で処分するわけにもいかないので思いきって聞いてみました。

私「父に聞いたら『母の仏壇あるから神棚は別に・・』とは言ってる」

義姉「じゃ破魔矢と一緒に古い札を頂戴、持ってくから。新しい札と入替えればいいよ」

義姉が無神論者で本当に良かった~、安堵しました。未祈祷の札は、ただの印刷物です。

教会に与えられている「リバイバルが始まりました」という神の約束。

もしも今回、こういう形で現れたのなら・・本当に、神は素晴らしい

神をほめたたえます

hiromi


大晦日の逆転劇(【年末年始の過ごし方】)

2022年12月31日 | 恵み

 母が亡くなって初めての年末年始。

今迄は、すぐ近くに住む兄家族を迎えて我が家で過ごしていました。

今年から私が代替わりです。

でも正月準備は母が仕切っていたので段取りが良くわかりません(喪中なのでなおさら・・)。

私だけなら別に特別な事は何もしませんが、未信者の父80歳と同居なのでそうもいきません。

ネットで調べ、かつ記憶を頼りに準備を進めていました。

しかし元々体力があまりなく/更年期真っただ中の私にはハードルが高かったようで、

今朝、めまいがして寝床から起きられなくなりました。

父はデイサービスに出かけたので、これ幸いと昼まで寝ましたが、体調が戻りません。

★ 今日、明日の年末年始を何とかおもてなし頑張って、乗り切ったとしても、

★ 今迄の経験上、1月初旬の職場復帰に絶対!悪影響が出る可能性大で、

全方向に迷惑かける未来しか想定できません・・・思い切って兄達に電話しました。

「動けそうにない。家で寝てるから、悪いけど父をそちらに迎えて年末年始を過ごしてもらえない?」と。

いきなり当日丸投げにもかかわらず快諾してもらえ、そして父も、施設側のミス(=父の15時退所を16時~と勘違い)が幸いし(?)、帰宅後まもなく兄達が迎えに来、そのまま出かけて行きました。

おかげで私はゆっくり休む事が出来、父が戻ってくる時間に合わせて家の電気と暖房をつけ、熱いお茶を入れて迎えることが出来る位の体力が戻りました、ハレルヤ。

年末年始の団らんを楽しみにしていた父も、予定ご破算は回避され、(めったに行かない兄の家が物珍しいこともあり)とても楽しかったそうです。←私が寝込むのには慣れてるので心配せず。

義姉から「(兄達が)珍しく仕事が早く終わったの。例年通り夜遅く帰宅で、お義父様と会わずじまいになると思ってたけど。一同勢ぞろいの団らんだったよ~」と聞き、嬉しくて神をほめたたえました。

そういえば母も「正月まで生きていたい。静かに父と私の3人で年末年始を過ごしたい」と言ってました。

父は兄達とにぎやかに楽しく過ごし、寝込んで留守番の私は、母と静かに過ごした。と言えなくもないような・・・。

生きておられる神に感謝します。

hiromi


大晦日の逆転劇(イントロダクション)

2022年12月31日 | 恵み

11月から多忙他諸事情で更新が止まっていたブログ

12月が終る3分前の今、記事を上げる事ができ感謝です。

実は大晦日の今朝から体調不良で寝ています。明日も一日寝る予定ですが

その只中で、以下の祝福された話を順繰りでUPするつもりです。ハレルヤ!

その① 【年末年始の過ごし方】

その②【神棚の札】

その③【職場復帰】

神に感謝します。

hiromi


家で父とオンライン礼拝

2022年11月20日 | 恵み

 居間の大画面テレビはyoutubeが観られる為、日曜のオンライン礼拝も居間を使っています。

テレビの前には父の愛用の座椅子があり、礼拝だと、一番前の指定席に早変わりです。

 本人は未信者です。礼拝に参加している自覚も意識もありませんが、

最近はずっと、礼拝終了まで椅子に座って眺めています。ハレルヤ

先週の日曜礼拝の説教は、当教会の新年度の御言葉

「あなたがたは向きを変え、葦の海への道を荒野に向かって旅立て」(申命記1章40節)でした。

の御言葉が画面に大写しになった時、

荒野に向かって旅立て?良い言葉だなあ」と、謎の感想をつぶやく父・・。

なんだかんだで神が父に触れて下さっていることを信じます

今日も父とオンラインで礼拝に出席できますように

神に感謝します。

hiromi


余命宣告と信仰

2022年09月17日 | 恵み

 肺がん特有の咳はするものの母は元気です。

しかし先日の通院で肺炎が判明し、そのまま入院しました。

 本日、主治医の先生と兄夫妻も交えて母に、帰宅後は父に、

母の余命がいくばくもないと伝えました(=今後は終末期医療:緩和ケアになります)。

「同居の私がパートを休職し、在宅で母を看(み)たい」と思い、兄夫妻とも合意しました。

兄夫妻から「当然、出来る限り協力する」

「でも(同居のお前に)相当負担かかって、看るのが無理と思ったら遠慮せず俺たちに言え」等、

協力の約束を貰えました、ハレルヤ。

 2か月前の聖会で母が救われたことに、感謝の祈りをしながら、

「母も79歳だし、間違いなく天国に行けるし、余命は家で過ごさせたい」で、私の思索は完全停止でした。

神はそんな私に、伏兵を設けてくださいました。

(母の救いの為に祈っていた教会の方々が)母の今後の為に祈る。と、連絡を頂いたのです。

「神は最善しかなさらない。神に信頼しよう」

「余命宣告だけじゃなく、神のことばも聞いて(=祈って)みなさい」と、長文の励ましメールを頂きました。

それを何度か読み返していると「奇跡を求めよう(=神のみ心がなるように)」と、

少しづつ思索が変わってきました。

神にも、教会の皆様にも、感謝しきりです。

hiromi

 

 

 

 


母の79歳の誕生日

2022年09月08日 | 恵み

 阿蘇までドライブし、ささやかな両親孝行をしました★

平日のせいか基本どこも、ガラッガラ。

阿蘇の高森湧水トンネルを見学し、

外のベンチで、持参した簡単なお弁当を食べ、

14時半頃帰宅し、夕食を作り食べてもらって終了。

ただそれだけですが、

両親に私がしてもらったことを、

いまお返しできる恵みを神に感謝します。

hiromi

ことわざ:「孝行をしたい時には親はなし」

聖書:「あなたの父と母を敬え。〜そうしたら、あなたは幸せになり、地上で長生きする」(エペソ6:2-3)


父とオンライン礼拝に参加(?)した話

2022年07月30日 | 恵み

 今年の白馬キャンプも無事終了、ハレルヤ

ちなみに私は、白馬で強く語られた御言葉があります。

「あなた方が父(=神)を礼拝するのは、この山でもなく、エルサレムでもない。そういう時が来ます」

「しかし、真の礼拝者達が霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です(中略)。

「神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません」

(ヨハネ 4:21,23,24)

キャンプ後初の日曜礼拝は、TLEA東京アンテオケ教会でした(事情により熊本の礼拝に参加せず)。

いつもは2階の自室で1人、オンライン礼拝参加ですが、

何となく神の促し(=父がいる居間で礼拝参加)を感じ、

かつ「御言葉(=どこでも礼拝)を実践してみようか」と考え、

1階居間のテレビ(Youtube)経由で、オンライン礼拝に参加する事にしました。

 礼拝を生中継するテレビの横で、健康体操に励む父が視界に入る 不思議な状況下でしたが、

いつもの小さいノートパソコンのソレと違いテレビの大画面は迫力があり、

神の臨在もより強く感じ(るような気がして)、神に感謝です

ただ、ちょっぴり制約はありました。

礼拝賛美は、ノンクリスチャンの父に不審がられないよう 居間入口のカーテンに身を隠し、

堂々と両手を上げて、でもコソコソ小声で歌う等・・ 

でも内心「【イスラエルの賛美の中に住まわれる主】(詩篇22:3)が、父の心に触れて下さるようにと、

神に期待する思いが、(神によって)強められているのがわかりました。(主をほめたたえます!

 主の祈り、聖餐式と礼拝が進む中、

健康体操を終えた父が、居間のソファに座って礼拝を眺め始めました。

白馬キャンプの映像が流れ、「今日の奇跡」という証し映像が始まったところ

「こりゃ、たまたま(=偶然の出来事)だろ?」等、父のコメントが始まり、

「いや、これはね・・」とコメント返しと解説をする私。

そして礼拝説教が始まりました。

パウロ秋元牧師を見て「こん人は、足の悪かとか?歳はいくつだろか」と父が質問。

それに回答しつつも「今日はまるで、礼拝<<父に教会紹介&案内状態大丈夫かな」と微妙な気分。

しかし父は最後まで、私と礼拝に参加(?)したのでしたオンライン礼拝だからできた。とも言えますが)。

ちなみに約2年半前の父は、こうでした )。

明らかに流れが変わっています。母に続いて父も救われますように。栄光在主

hiromi


母の救いの余波:その②(最終回)

2022年07月03日 | 恵み

 とりなしの祈りによって母が救われたせいか、

私の周囲の人たち(皆、厳しい病の渦中にあります)にも、

「イエス様を信じてほしい!」という思いが強くなりました。

でも、どうやって 教会で癒しが起きてることを話しても、微妙な空気が流れて空振りするし・・・。

「無力だな~ どうしたものか 」 と思いつつ聖書を読んでいたら、ある御言葉が目に留まりました。

「主よ。あなたは天と地と海とその中のすべてのものを造られた方です。」

「主よ。いま彼等の脅かしをご覧になり、あなたのしもべたちにみことばを大胆に語らせて下さい。」

「御手を伸ばしていやしを行わせ、

あなたの聖なるしもべイエスの御名によって、しるしと不思議なわざを行わせて下さい。」(使徒の働き 4章24,29,30節)

「そういえばコレ、20年位前に、ウチの教会の週報の表紙に掲げてあった御言葉だ

とりあえず、この御言葉を用いて救いといやしのためにお祈りする事にしました。

すると数日後の日曜礼拝、翌日の月曜祈祷会でのメッセージで、

当教会の癒しの集会(月1回)で、

祈ってもらったら身体の痛みが無くなった等、いくつかのいやしが起きたことが語られたのです。

イエス様が「あなたも、神を信じて彼らの為に祈りなさい」と、

背中を押して下さった気がして、とても励まされました。

神に感謝します。

hiromi


母の救いの余波:その①

2022年07月02日 | 恵み

「教会はキリストの体であり、一切のものを一切のものによって満たす方の満ちておられるところです」(エペソ1:23)

 祈りの恵みは「聖会で母が救われた。嬉しいなあ」で終わりませんでした。

TLEA熊本アンテオケ教会に20年超在籍していますが、今までになく「私、教会にいて本当に良かった!」と、幸せです。

(祈祷会で祈って下さった教会の皆様に対しても「ありがとう本当に感謝しています」と、込で)。

私一人では、母が救われることはありませんでした。祈りが続かなくて。

祈祷会で祈りつつ「本当に祈りは聞かれるのかな」と内心ハラハラ(不信仰)もありましたが、

教会につながった故の恵みを深く深く体験し、今もずっと、喜びが継続中です。

大げさでなく「私、生きててよかったなあ」。

神に感謝します栄光在主

hiromi