セクハラは完全になくなりましたが、しかし今度は(同じ人から)モラル・ハラスメント(=モラハラ)編に突入となりました。
(世間に同じような事で悩んでいる方は沢山おられるので、今回書かせていただきました。
(まだ途中経過ですが、この記事も、神が用いてくださいますように)
Aさんは山の天気のように気まぐれです。機嫌がいい時はふつうですが、不意にモラハラが一挙に来て「(私と組むと)フォローで負担がかかりすぎる!」とキレます。
以前よりもさらにすごい大声で怒鳴られる時もあり、まわりも眉をひそめ、私も「よく途中で仕事放り投げて逃げ出さないなあ・・。これも私に起こった神の奇跡かも」と、鼓膜にひびく大声を聞きながら神を思います(←攻撃によって感覚がマヒ気味になっていたのでした)。
「彼の物の言い方と態度は大いに問題あり。でも言い分は全くその通り。努力でカバーできてないし・・どうしたものか」と思いめぐらしていると、教会の礼拝説教に勝利のカギがありました。
「ピンチはチャンス。問題の中で信仰を用いる(聖書の言葉に従う、すべての事を感謝する他)。祈って神の助けを求めれれば、問題も益になる」等。
「この戦いはあなた方が戦うのではない。しっかり立って動かずにいよ。あなた方と共にいる主の救いを見よ」(Ⅱ歴代誌20:17)という聖書の御言葉があります。神に戦っていただくために、信仰を用いることにしました。Aさんの態度や言い分を神に感謝する祈りを始めたのです。
「もうぼろくそに言われますけど、正論なので反論ができずつらい事を神に感謝します」etc・・
ある日、仕事中にAさんにモラハラ風味の意見を言われ、返事しようとすると、思いの内にハッキリと「言わなくていい」と、強いストップがかかりました。「神の語りかけ?教会の祈祷会や礼拝の時ならともかく、仕事中にいきなり神の介入、今まであったっけ」と内心ビックリ。
しかし、そこから一挙に流れ(=考え方)が変わり始めました。「Aさんがキレる理由は、実は他にもあるのでは?」と疑問が生じ始めたのです。それで「事の本質を正確に見分けられるように」と、異言の祈りもプラスして日々、祈りを続けました。
すると、キレてる時のAさんには、以下の傾向がありました。
★言葉で暴力を振るい、攻撃している。(実際の暴力なら大問題/言葉のソレならさほど目立たない)
★(私への)言動が支配的/押さえつけようとしている。(同僚(=私)への態度として不適切)。
★Aさん自身が自分の感情に振り回されている印象。(浮き沈みの激しさで心身共に疲れる。それを私のせいにしてる?)
★本人はそれに全く気が付いてない(背後で霊が働いている可能性有)。
今までモラハラに気を取られて(=おおわれて)いたので、まさに目からウロコで、「なるほど、思い当たるフシはある。問題解決に一歩前進だ」と、嬉しくなりました。
そしていつもの感謝の祈りを始めようとすると、「違います。今のあなたの心中にある内容を祈りなさい」という促しが。その内容は次の通りです
「神よ。あなたは事の一部始終を見ておられました。私に咎(とが=悪い点)があれば、あなたはまず私に悔改めを導かれます。『あなたは仕事をきちんとできるようにと、祈り求めてない』とも語られました」
「今回、神はAさんの(私への)振る舞いに不快感を覚えておられ、〈仕事中に介入〉までされた事を感謝します。聖書には『神の裁きは正しい』とありますから、どうぞAさんと私の間を、正しく裁いて下さいますように」
「Aさんを用いて私を傷つけ、へこませ、痛めつけていた霊的な存在があるようです。気づかせて下さり感謝します」
「今回の件も益になります。私への神の愛を、今までより深く強く感じます。特別な祝福をありがとうございます」
果たして結果はどうなる?続編に乞ご期待・・なんて言っていいのかな 神に感謝します。(匿名希望)
【おまけ】問題や悩みのある方は、教会へ行きましょう もしくはオンライン礼拝参加(=視聴)をお勧めします (今の私があるのは、教会と礼拝出席のおかげです。栄光在主)