この話は、私が教会に通い始めた20年くらい前にさかのぼります。
教会でもらう週報の「祈りの課題」の一つに、「東京と熊本の地震の為に」というものがあり、ビビりの私は「怖い目に合わないように・守られるように」と、祈るようになりました(多分15年間は、折に触れて祈っていたと思います)。
祈り続ける中で、「家や車など、壊滅的なダメージを受けないように」「同様に体や心も、後遺症が残る程の大怪我や、精神的なダメージを受けないように」と、内容が具体的になり、ついには「どんな事があっても、全部感謝することが出来るように」となりました。
【前震発生:21時】、私はスーパーで買い物をしていました。店の棚から商品が全部落ちて(=震度5の揺れで、ナイアガラの滝みたいな落ち方でした)、床に散乱し、周りは騒然となりましたが、私はとても冷静で、買ったものを袋詰めしていると警備員の方に「危険ですから早く!外に出てください!!」と誘導されてしまいました。帰宅すると、テレビのニュースは地震一色。しかし家の様子は普段と変わらずでした(=私の帰宅直前に、母が一人で家の被害を元通りに片付けてしまったそうです)。
【本震発生:夜中1時】2階でベッドに横になったと同時に本震(震度6強)に遭遇し、激しい揺れで家具が次々と倒れ、ベッドの床も折れました。ベッドにしがみつきながら、「天井が崩れてきたら、床が抜けたら・・」と恐怖がこみあげましたが、同時に「この状況を感謝しよう!」という思いが湧き、声に出して「主よ、地震を感謝します。もしここで死んでも、私は間違いなく天国に行ける事を感謝します」「世の終わりまで、神はクリスチャンと共にいて下さると聖書に書いてあります。今もそうです!感謝します!」と、感謝の祈りを始めました。いえ、神の恵みで、それができました。「私、こんな時に一体何やってんの!?」と同時に思いつつも、激しい揺れで動けないので感謝の祈り位しかできない状況でした、しかし、それは大正解でした!。感謝の祈りをしていると、恐怖が薄れ、代わりに「その通り、絶対大丈夫!」と、少しづつ平安な気持ちになります。揺れが止まった時も(=1分は揺れたと感じます)、普通に普段着に着替え、怖がる両親をなだめながら家の外に出て、その後、立て続けの大きな余震にも動揺しません。両親やご近所など周囲が怖がり、不安を口にしても、冷静なままの自分に、「祈りが聞かれたんだ・・」と感じました。
【後日談】私の家がある地域は、地震の被害が少なく、しいて言えば1週間ほど水道の水が黄色い(泥?)程度でした。しかし周囲の未信者の方々の苦難を見聞きし、祈りの範囲が自分の事ばかりだった事が残念で、後日しばらく悔改めの祈りをしました。
祈りは聞かれます。
hiromi
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