感謝と祈りといやし

熊本アンテオケ教会の神様の栄光の表れを神様に栄光を帰しながら書いていきます

熊本地震の思い出

2021年04月26日 | 証し(体験談)

 この話は、私が教会に通い始めた20年くらい前にさかのぼります。

教会でもらう週報の「祈りの課題」の一つに、「東京と熊本の地震の為に」というものがあり、ビビりの私は「怖い目に合わないように・守られるように」と、祈るようになりました(多分15年間は、折に触れて祈っていたと思います)。

 祈り続ける中で、「家や車など、壊滅的なダメージを受けないように」「同様に体や心も、後遺症が残る程の大怪我や、精神的なダメージを受けないように」と、内容が具体的になり、ついには「どんな事があっても、全部感謝することが出来るように」となりました。

 【前震発生:21時】、私はスーパーで買い物をしていました。店の棚から商品が全部落ちて(=震度5の揺れで、ナイアガラの滝みたいな落ち方でした)、床に散乱し、周りは騒然となりましたが、私はとても冷静で、買ったものを袋詰めしていると警備員の方に「危険ですから早く!外に出てください!!」と誘導されてしまいました。帰宅すると、テレビのニュースは地震一色。しかし家の様子は普段と変わらずでした(=私の帰宅直前に、母が一人で家の被害を元通りに片付けてしまったそうです)。

【本震発生:夜中1時】2階でベッドに横になったと同時に本震(震度6強)に遭遇し、激しい揺れで家具が次々と倒れ、ベッドの床も折れました。ベッドにしがみつきながら、「天井が崩れてきたら、床が抜けたら・・」と恐怖がこみあげましたが、同時に「この状況を感謝しよう!」という思いが湧き、声に出して「主よ、地震を感謝します。もしここで死んでも、私は間違いなく天国に行ける事を感謝します」「世の終わりまで、神はクリスチャンと共にいて下さると聖書に書いてあります。今もそうです!感謝します!」と、感謝の祈りを始めました。いえ、神の恵みで、それができました。「私、こんな時に一体何やってんの!?」と同時に思いつつも、激しい揺れで動けないので感謝の祈り位しかできない状況でした、しかし、それは大正解でした!。感謝の祈りをしていると、恐怖が薄れ、代わりに「その通り、絶対大丈夫!」と、少しづつ平安な気持ちになります。揺れが止まった時も(=1分は揺れたと感じます)、普通に普段着に着替え、怖がる両親をなだめながら家の外に出て、その後、立て続けの大きな余震にも動揺しません。両親やご近所など周囲が怖がり、不安を口にしても、冷静なままの自分に、「祈りが聞かれたんだ・・」と感じました。

【後日談】私の家がある地域は、地震の被害が少なく、しいて言えば1週間ほど水道の水が黄色い(泥?)程度でした。しかし周囲の未信者の方々の苦難を見聞きし、祈りの範囲が自分の事ばかりだった事が残念で、後日しばらく悔改めの祈りをしました。

祈りは聞かれます。

hiromi


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