感謝と祈りといやし

熊本アンテオケ教会の神様の栄光の表れを神様に栄光を帰しながら書いていきます

「ヤベツの祈り」@礼拝説教

2020年04月25日 | 祈りの答え

 かなり以前の話になりますが、第一歴代誌4章10節にある「ヤベツの祈り」は、キリスト教会で一時ブームになりました。「この通りに祈っていたら、その通りになった」という証しが評判となり、キリスト系出版社から関連本も売られていました。

 3か月ほど前になりますが、当教会の日曜礼拝説教で、「ヤベツの祈り」を毎日祈りましょう。という呼びかけがありました。「色々多忙だったり、対応すべき問題に対して、この祈りをもって神の助けを呼び求めよう」という内容で、「ヤベツの祈り?えらくまた古いというか懐かしいというか・・」と、まるでタイムスリップしたような気分。

 その時の私は、多忙も問題もなく、祈りの必要性を感じませんでした。しかし神は私に、一週間もしないうちに、(職場で)多忙と、対応すべき課題を次から次へと・・。そういう訳で、出勤中に毎日「ヤベツの祈り」を祈り始めました。

「私を大いに祝福し、私の地境(じざかい)を広げてくださいますように。御手が私と共にあり、災いから遠ざけて私が苦しむことのないようにして下さいますように」。ちなみに聖書では、この後にこう書いてあります、「そこで神は彼(=ヤベツ)の願ったことをかなえられた」。

 祈り始めて1か月もしないうちに、多忙ではあっても心に余裕が与えられ、周囲の方々の善意と助けもあり、なんとか業務をこなしていけて「イエス様感謝します」という日々となりました。ハレルヤ!

・・ただし、「助けなしでは業務を一人で切り盛りできない」という自他ともに認める実力不足なのに、なぜか業務の幅が広がっていき、その点のみちょっと大変です(=新しい事を教わると、定着していた(と思っていた)事柄を忘れ、あちこちボロがでる状態)。

同じ業務をする同僚からは「なんでhiromiさんだけ『あーしなさいこーしなさい』って指示があるの?」と不思議がられ、私も「?」でしたが、ある日、私の地境を広げてください」私が用いられる領域が増えますように)という祈りまでかなえられてしまった!と気づきました。(←私は「地境を広げて~」という意味はわからず・気にせず祈っていました)。

 さっそく礼拝説教をされた方に伝えました「祈りがかなえられました。でも地境を毎日広げられて少し大変です」。笑われつつ返ってきた返事は「あなたが地境を広げてほしくなくても、神の御心はその逆って事でしょ。感謝して受け取りなさい。神は最善しかされないんだから」。

神は生きておられます。こういう事もあるんですね~

栄光在主

hiromi


最新の画像もっと見る

コメントを投稿