“数年に一度”の形容詞がついた大寒波が、日本列島を襲い、
九州北部まで降りてきて、ここ熊本市の大晦日の朝は雪化粧となった。
一年を振り返って、今年はコロナで始まりコロナで終わることとなった。
思い返してみても、遠出は全くなく、市外へも一歩も出ていない。
人との日常会話なども、ほとんど交わさなかった家籠りの日々だった。
新しい年も、引き続きコロナ、コロナで始まる。
とにかく、早い終息を願って除夜の鐘を待つ。
“数年に一度”の形容詞がついた大寒波が、日本列島を襲い、
九州北部まで降りてきて、ここ熊本市の大晦日の朝は雪化粧となった。
一年を振り返って、今年はコロナで始まりコロナで終わることとなった。
思い返してみても、遠出は全くなく、市外へも一歩も出ていない。
人との日常会話なども、ほとんど交わさなかった家籠りの日々だった。
新しい年も、引き続きコロナ、コロナで始まる。
とにかく、早い終息を願って除夜の鐘を待つ。
東京都で、きょう(12月29日)856人の感染が確認された。
これで、15日連続して曜日ごとの最多感染記録を更新することとなった。
英国や南アフリカでのウイルス変異種が入国したこともあり、この先が案じられる。
政府は全世界を対象に二つの出入国緩和策を、急遽、停止したのは妥当な判断だ。
菅首相は「静かな正月を」と呼び掛けているから、国民もこれに応じて、
何とか、この年末年始を乗り切らねばなるまい。
中国が目指す先は覇王か?
このところ伝えられるニュースは、どれも勇ましいものばかりだ。
2028年にはGDPでアメリカを抜いて世界第一位とか。
宇宙やサイバー空間は安全領域とし、発展の利益についても同様とする。
これらを護るために、軍事対抗の措置をとれるとする法制化をなしたそうだ。
毛沢東は、今も天安門広場から、この国を見守っている。
あの世ではあるが、毛沢東に尋ねてみることにした。
以下、その模様である。
「お国は国家資本主義以上のようですが?」と、恐る恐るマイクを向けてみた。
すると、毛沢東はゆったりした口調で答えてくれた。
「建国時の大躍進運動や人民公社の理念が、すっかり消えて寂しいよ」と。
わしは今日あるを心配して、臨終前、わざわざ紅衛兵を使って文化大革命を起こさせた。
そして『走資派』の連中を一掃しておいたのに、結局、資本主義になってしまった。
習近平や党幹部たちが、わしの『矛盾論』や『実践論』を読まないからだ。
近々、『毛沢東語録』のスマホ版を下界へダウンロードするつもり。
毛語録スマホを振りかざして、『造反有理』、『打倒走資派』と暴れまわる、
文化大革命のときのような新たな紅衛兵が現れることだろう、と。
この国は建国以来、整風運動⇒文化大革命ときたから、今度は何がはじまるか?
そこで、途端に目が覚めた。
あー、夢の続きが見たい。
第三波による感染拡大で、首都圏などでは感染者数が日々の過去最多記録を更新中だが、
わが熊本県も、ついに同様な事態に至った。
きのう(12月25日)熊本県の新規感染者数は68人と発表された。
この1週間の新規感染者数を拾うと、
20日21人、21日14人、22日25人、23日30人、24日31人であり、
25日68人の感染は、まさに爆発的拡大と言えそう。
これで熊本県における直近1週間の人口10万人あたり感染は、12,53人となった。
全国都道府県では17位の不名誉な地位。
九州管内に限っても、福岡16,87人、沖縄14,25人につぐクラスター発生県だ。
この先、年末年始の過ごし方が、コロナ抑え込みの大事な期間になる。
感染拡大を防ぐ決め手は、人々の動きを抑えることだと分かってきた。
私の年末年始の過ごし方は、今年は帰省する者もいないことだし、
『初詣は、しばらく間をおいて』そして『三が日は寝正月』と決めた。
「私の知らない中で(補填が)行われた」きょうの国会における安倍さんの弁明である。
桜を見る会をめぐる前夜の夕食会の問題で、これまでの国会答弁は「事実に反していた」と。
どだい、都心の高級ホテルで一人五千円の割り勘夕食会は、あり得ない話しだった。
安倍事務所から支払い不足分の補填があったのは、誰もが思っていたこと。
公設秘書が略式起訴されたことで、安倍さんもついに事務所からの補填を認めた。
それでも「私は知らなかった」と強弁するあたりは相変わらずだ。
安倍さんほど、歴代首相の中でも言葉をはぐらかす政治家は見たことがない。
このことは、安倍一次内閣の時から危惧されてきた。
美しい国へ、と述べていたが、一体に言いはぐらかしの多い人で心配だ、と。
そのことは、二次内閣のモリ・カケ問題などでも如実になったのである。
これで桜を見る会をめぐる問題は、幕引きとなりそう。
この際、口惜しまぐれに安倍さんへ戒名をつけることを考えてみた。
虚偽院殿嘘百十八大居士
エンマ大王も許してくれるかも。
恒例となった某保険会社の今年の創作四字熟語が発表された。
今年は新型コロナの脅威に見舞われた一年となったことから、
漢字一字は『密』だったが、四字熟語の方も同様なこととなった。
■
最優秀作に選ばれたのは、『医師奮診』(コロナ禍で医師が奮闘)
優秀作は9作品で、以下、新型コロナに関係するものが目立つ。
収束渇望(コロナの感染収束を渇望)
妖姿願霊(妖怪アマビエに疫病退散を願う)
全面口覆(誰もがマスクを外せない)
出発振興(「Gotoトラベル」で景気回復)
薬家争鳴(製薬会社のワクチン開発競争)
王棋聖聰(藤井聡太七段が史上最年少で二冠)
自由香望(自由を求める香港市民の行動)
父継三冠(コントレイル、父を継いで三冠馬)
頻出鬼滅(「鬼滅の刃」が大ヒット)
平成28年の熊本地震で被災した熊本城の長塀が、ようやく甦った。
被災後に解体され、平成31年2月から復旧工事が進められていたもの。
この度、工事のための足場が取り外され、新しい年を元の姿で迎えることができる。
熊本城全体の復旧工事は、まだ遅々な部分もあるが、ビューポイントがまた一つ戻った。
コロナに感染した人が、よく口にする言葉は「食べても味がしなかった」とか、
「臭いの感覚が何か変」とか。
思い当たることもないのに、味覚や嗅覚がおかしかったという話しは、
コロナに関するニュースでも、度々、耳にする。
■
インフルエンザの場合は、まず鼻水や咳があって、その後、味覚がおかしくなるのだが、
コロナの場合は、突然に味覚や嗅覚に異変が生じる症例が多く報告されている。
コロナの治療にあたる医師の話しでは、初期の段階で80%程度の患者に、その傾向があるという。
ある女性は「どれもマニュキュァの臭いがする」と訴えたそうだ。
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味覚や嗅覚を治療する薬は今のところ無いので、自然に回復するのを待つしかない。
ほとんでのケースで、1カ月ほどすれば自然に治るというから、あまり心配することは無さそう。
なお、ヨーロッパでは嗅覚トレーニングもあると聞いた。
これは、一日に二回、レモン、ユーカリ、バラ、チョウジの4種を嗅ぎ分けるもの。
■
今、日本列島はコロナの第三波が暴れ回っている。
更なるPCR検査の徹底がなければ、誰もがコロナの餌食になるかもしれない。
検査体制を『発熱外来』から拡げて、是非とも『味覚・嗅覚障害』も加える必要がありそう。
万一、思い当たることなく味覚・嗅覚の異変を感じたら“相談センター”か、“かかりつけ医師”へ、
電話を入れるか、“耳鼻咽喉科”の外来へ。
12月のクラシックといえば、ベートーベンの第九交響曲だ。
第四楽章の『歓喜の歌』の大合唱は、大方の人々の心に強く響く。
このところラジオやテレビから、しきりにベートーベンを聞かせてもらえるから、
コロナ禍の家籠りから少しばかりでも解放された気分になれて有り難い。
【ベートーベン】
今年は、ベートーベン生誕の二百五十年にあたると聞いた。
そこで、彼にまつわる連想を私の書棚から寄せ集めて書いてみたい。
■
ベートーベンはナポレオンを人類解放の革命児として尊敬していた。
この英雄のために第三交響曲を作り『ボナパルト』とタイトルして献呈するつもりでいた。
しかし、この曲の完成直後にナポレオンが皇帝の座につくのを聞いた。
ベートーベンは、それを知って「あの男も俗物だった」と叫び献辞の文字を消した。
ベートーベンの最期の言葉は「友よ、拍手を。喜劇は終わった」とされる。
■
ベートーベンはゲーテとの関係も知られている。
ドイツが生んだ大作曲家と大詩人は、しばしば会っていたが仲良しではなかったそうだ。
ゲーテは「野性的だ」、ベートーベンは「宮廷風で詩人らしくない」と、
互いに相手を、くさしていたと伝へられる。
社会民主党が決裂する。
元村山首相のお膝元、党大分県連の幹事長と元副党首が離党を表明した。
福島女史は離党せず、ただ一人になっても残るという。
社民党の国会議員は4人、公選法上の政党要件も満足できない。
■
元をただせば、この党は日本社会党だった。
社会主義のマルクス思想を主流派とし、労働組合を支援団体として活動してきた政党である。
党は左派と右派に分裂してみたり、同盟系の民主社会党が出現したりと紆余曲折もあった。
時代は移り、マルクス主義は影を潜め、労働組合も総評から連合へと様変わりした。
■
私は若いころ、日本社会党を支持し職場でも労働組合の分会役員を経験したりした。
当時は総評傘下の単産であったから、日本社会党の支持は組織決定でもあった。
選挙となれば、日本社会党への投票を組合員へも要請したものだった。
とにかく、日本社会党べったりだったのである。
■
私が社民党から距離をおくようになったのは、北朝鮮による拉致問題から。
ある時期、日本政府は北朝鮮へ古米50万トンを贈ろうとしていた。
これに対し、拉致家族会の横田さんたちは、霞が関で抗議行動をしていた。
この時、社民党の辻元女史が横田さんたちの行動に冷や水をかけたのである。
「行方不明者の問題よりも北朝鮮への食糧支援だ」と。
■
この時から社民党の北朝鮮に対する問題意識について疑問を持つようになった。
彼らは金日成を信奉するあまり、拉致被害者などは問題外だとしているのではないかと。
やがて、社民党は「北朝鮮のポチ」と揶揄されるのとになるのだが…
当時の辻元女史は、社民党から立憲民主党へ逃げ込んで、横田さんたちにした仕打ちは、
知らぬ顔の半べぇを決め込んでいる。
■
いずれにしろ、社会民主党は戦後の日本政治史上から消えよとしている。
受け皿は立憲民主党のようだが、党に残るのは福島女史だけか。
そうなれば、タレントの『劇団ひとり』に倣って『社民ひとり』もあるかも。