社会民主党が決裂する。
元村山首相のお膝元、党大分県連の幹事長と元副党首が離党を表明した。
福島女史は離党せず、ただ一人になっても残るという。
社民党の国会議員は4人、公選法上の政党要件も満足できない。
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元をただせば、この党は日本社会党だった。
社会主義のマルクス思想を主流派とし、労働組合を支援団体として活動してきた政党である。
党は左派と右派に分裂してみたり、同盟系の民主社会党が出現したりと紆余曲折もあった。
時代は移り、マルクス主義は影を潜め、労働組合も総評から連合へと様変わりした。
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私は若いころ、日本社会党を支持し職場でも労働組合の分会役員を経験したりした。
当時は総評傘下の単産であったから、日本社会党の支持は組織決定でもあった。
選挙となれば、日本社会党への投票を組合員へも要請したものだった。
とにかく、日本社会党べったりだったのである。
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私が社民党から距離をおくようになったのは、北朝鮮による拉致問題から。
ある時期、日本政府は北朝鮮へ古米50万トンを贈ろうとしていた。
これに対し、拉致家族会の横田さんたちは、霞が関で抗議行動をしていた。
この時、社民党の辻元女史が横田さんたちの行動に冷や水をかけたのである。
「行方不明者の問題よりも北朝鮮への食糧支援だ」と。
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この時から社民党の北朝鮮に対する問題意識について疑問を持つようになった。
彼らは金日成を信奉するあまり、拉致被害者などは問題外だとしているのではないかと。
やがて、社民党は「北朝鮮のポチ」と揶揄されるのとになるのだが…
当時の辻元女史は、社民党から立憲民主党へ逃げ込んで、横田さんたちにした仕打ちは、
知らぬ顔の半べぇを決め込んでいる。
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いずれにしろ、社会民主党は戦後の日本政治史上から消えよとしている。
受け皿は立憲民主党のようだが、党に残るのは福島女史だけか。
そうなれば、タレントの『劇団ひとり』に倣って『社民ひとり』もあるかも。