九品人の落書帖

写真をまじえ、身の回りで見聞きしたことを、つれづれなるままに!

キム総書記“おやつれ?”

2021年06月30日 | 日記

 北朝鮮のメディアが金正恩総書記の“おやつれ姿”を報じた。

 しかも、「キム総書記同志のやつれた姿を見た時、人民は胸を痛めました」とか、

 「涙が自然に流れる」とか、平壌市民の声も合わせて。

 画像で見る限り、

 今年の1月と6月の金正恩だが、どこが“おやつれ”か判然としないようにも思える。

 むしろ、6月の方が顔のむくみがとれ、ダイエットに成功したように見えて結構な様子だ。

                    ■

 北朝鮮のコロナ感染者はゼロだと主張しているが、

 党の中央会議においてコロナ対策で幹部に重大な失態があったと、キム総書記が激怒したとか。

 おそらく、何人かの幹部の粛正は避けられないだろう。

 誰が消されるか?

 北朝鮮労働党のお偉いさんを知らないから、とにかくお気の毒さまである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ワクチン接種を済ませました。

2021年06月29日 | 日記

 1回目のワクチン接種から、

 ちょうど21日目の本日、2回目の接種を済ませた。

 ネットから予約しての一般病院での接種だったが、2回とも同じ病院だったこともあり、

 万事がスムースに運んで良かった。

 これで、

 私の外出自粛も、ワクチン未了の時に比べて少しは大目にみてもらえることになりそう。

 熊本市のコロナも、まん延防止特別措置が解除されて以降、一桁の低減傾向にあるのも有難い。

 延期されていた熊本城天守の特別公開が、今週から始まった。

 先ずは、天守から城下を眺めてスカッとした気分を味わおうかと思ったりしている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

WINDOWS10はサービス終了?

2021年06月27日 | 日記

 近頃、私のPC画面に「WINDOWS10のバージョンは終了を迎えました。

 再起動して新しいバージョンをインストールします」との表示が出る。

 再起動の選択肢として、【時刻を選択】、【今夜に再起動】、【今すぐ再起動】の三つ。

 早速、【今すぐ再起動】をクリックしてみた。

                    

 すると、画面には「WINDOWS10の更新を構成しています」と表示され、

 完了の度合いを示す%と「電源は切らないでください」のメッセージが出て、

 処理の進捗を示す矢車が、クルリクルリと回転する。

 この間、「処理にしばらくかかります」とか「PCは数回再起動します」とかのメッセージも。

 こうして、かなりの時間が経過して〔シャットダウン〕となり、電源も落ちる。

                    

 電源ボタンを押して、再びPCを立ち上げる。

 画面は「コンピューターに対する変更を元に戻しています」と表示され、

 処理の進捗を示す矢車が、クルリクルリと回り出す。

 これは、新しいバージョンのインストールに失敗し、構成を元に戻すという事か?

 そのまま見守ることにしていたら、いつもの立ち上げ画面になった。

                    

 果たして、あの再起動や新しいバージョンのインストールとは、何だったのか?

 WINDOWS10はサービス終了となり、11へグレードアップされるのか?

 いま思い返しても、何が何だかサッパリ分らん。

 誰か教えて!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

五輪代表選考会、男子100m

2021年06月25日 | スポーツ

 五輪代表選考会の男子100m決勝、優勝したのは多田修平選手。

 

 一位:多田修平 10″15

 二位:デーデー・ブルーノ 10″19

 三位:山縣亮太 10″27

 以下、四位:小池祐貴、五位:桐生祥秀、六位:サニブラウン

 優勝インタビューの多田選手。

 これで、参加標準記録(10″05)を突破している、多田、山縣は五輪代表に内定。

 残り一人は、デーデーブルーノが標準記録をクリアしていないので、今のところ未定。

 いずれにしろ、男子100mの代表枠は三人だから桐生選手の五輪代表は?

 9秒台の記録を持つ山縣、桐生、小池だったが、

 一発勝負の怖さを見せつけられた男子100mの決勝であった。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

沖縄きょう慰霊の日

2021年06月23日 | 日記

 太平洋戦争末期、20万余が亡くなった沖縄の地上戦から76年。

 1945年6月23日は日本軍の組織的な戦闘が終わった日。

 沖縄は、きょう「慰霊の日」をむかえる。

          ■          ■

 米軍が

 沖縄本島へ上陸したのは、1945年4月1日。

 これを迎え撃つ日本側第32軍は、この戦いを持久戦と位置づけしていた。

          ■           ■

 計画・立案した第32軍の作戦参謀主任の八原大佐によれば、

 「鉄(砲弾)に対して土(壕)で防ぎ、引き付けて殲滅する」という戦術、

 「短刀闇討ち、差し違い戦法」と名付け、水際作戦には撃って出ないことにした。

 第32軍司令官の牛島中将と上司の長参謀長も、これを了とした。

          ■           ■

 だから、嘉手納海岸から上陸した米軍は、一発の銃弾も受けないのに驚き、

 「これは、エープリル・フールか」と目をまばたき、

 「島を間違えたのではないか」と司令部に問い合わせる部隊もいたらしい。

 第32軍は、

 首里の丘に壕を造り「天岩戸戦闘司令所」の看板を建て、

 牛島司令官、長参謀長、八原大佐らが並んで、続々と上陸用舟艇で揚がってくる米軍を眺めた。

 持久戦とは言え、いざ島の中央部まで米軍に占領され、飛行場まで奪われてみると、

 攻撃を催促する指示が、上部の第十方面軍司令部や海軍筋からも出始める。

 作戦参謀主任の八原大佐は、総攻撃は消耗戦で勝ち目は無いと、自説にこだわったが、

 無理を承知で総攻撃作戦を立案せざるを得ない事態に立ち至る。

          ■          ■

 日本側の攻撃は米軍の圧倒的な攻勢で、ほぼ壊滅的な結果となり、損害は増大するばかり。

 やがて、首里の壕へも米軍が迫ってきて、司令所の維持も困難な事態となった。

 5月27日、首里を撤退した第32軍は、島の南端、摩文仁へ。

 摩文仁の司令所へ敵機の銃弾が飛来し始めるのが、6月19日。

 牛島司令官は参謀たちに退却を命じた。

 6月23日未明、牛島司令官と長参謀長の二人は自決。

          ■          ■

 八原大佐は二人が自決する前、長参謀長から“起死回生の妙薬”という丸薬と

 百円札五枚を貰い「脱出しろ」と指示される。

 私服に着替えた八原大佐は、摩文仁の壕をはなれ、やがて米軍の捕虜となる。

 終戦ののち復員した。  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夏至の歳時記

2021年06月21日 | 日記

 点けっぱなしのラジオから、

 きょうは夏至。

 「北半球では、昼間の時間が最も長い一日」と流れてきた。

 私の住む熊本市では、日の出は5時10分、日の入り19時29分である。

 天気は晴れ、太陽を14時間19分も拝める有難い一日となる。

                    ■

 夏至に因んだ歳時記クイズ(三択問題)は、如何?

 問1、夏至に盛んにおこなわれたのは、どれ?

    ①、海開き ②、田植え ③、酒造り

 問2、夏至によく食べられたのは、どれ?

    ①、鯛 ②、そら豆 ③、蛸

 問3、夏至の夜遊びで盛んだったのは、どれ?

    ①、月見 ②、蛍狩り ③、肝試し

                    ■

 問題は、いずれもラジオからの受け売り。

 答えは、古き良き時代の平安・鎌倉を想定して考えて下さい。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

父の日

2021年06月20日 | 日記

 きょうは父の日。

 私にも世間並みに、離れて暮らす娘から宅配便が届いた。

 サントリーの山崎原酒樽醸成ブレンド≪醸造家の夢≫というビール。

 ラベルを見ただけでも、高級・珍品そうである。

                    ■

 父の日は戦後の日本へ持ち込まれたもので、私らの子供時代は知らなかった。

 まず、マザーズディとして母の日が流行り出し、後からファザーズディの父の日が。

 だから、父の日は母の日に比べ、一歩も二歩も遅れて定着してきたものである。

 今日はギフト屋と宅配便のお陰で、母の日並みに父の日をキャンペーンしてくれるから、

 世の父親たちも恩恵に預かれるのだ。

                    ■

 本場、アメリカのファザー( father ) を辞書で引くと、

 Father  of  his  country  と言えば、初代大統領のジョージ、ワシントン。

 Father  of  waters ,  the  に続く単語は、ミシシッピィー 。

 The  child  is  father  to  the  man .  三つ子の魂、百まで≪子供はおとなの父≫

 Like  father ,  like  son ,  この父にして、この子あり。

                    ■

 父(ファザー)の持つ英単語の意義を見てくると、

 父の日とは、子供からのプレゼントを期待する前に父親らしい振舞いが出来ているか?

 自らを省みて反問する日でもありそう。

 さもないと、チコちゃんに「ボーっと生きてんじゃねーよ」と叱られそう。

    

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北のウサギ飼育戦闘作戦

2021年06月17日 | 日記

 このところ、北朝鮮からのニュースが少なかったが、

 今朝は、久し振りに北のニュースに接した。

 朝鮮中央テレビが伝えたもので、ウサギ飼育のアニメ・キャンペーンである。

 一昨日、

 党中央委員会で金正恩総書記は「国民の食糧事情が切迫している」と。

 この食糧難を乗り切るため、「草を肉にしよう」とウサギ飼育の奨励である。

                    ■

 このニュースに接して、私の頭に浮かんだのは、自分の小学生の頃のウサギ飼育。

 あの頃、日本も戦後間もなくで大変な食糧難の時代であった。

 我が家でもウサギを飼育することになり、私は、その飼育担当とされた。

 とにかく、餌にするための草葉を集めるのが大変な苦労であった。

 ウサギは成長が早い反面、餌も沢山な量が必要だった。

 北のウサギ飼育も、

 その担い手は、ほとんどが学童たちだろうと推察される。

 北の山野が、そんなに緑ゆたかとも思えないから、ウサギの餌集めが大変だ。

 あの国独特の〇〇戦闘月間などで、学童たちにノルマが課せられているのかも?

                    

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

漱石先生と屁の話し

2021年06月14日 | 書籍

 令和3年文科省の全国学力テストは、先ごろ(5月24日)実施された。

 そのうち、中学3年の国語問題は夏目漱石の『我輩は猫である』から。

 次の文を読んで各問いに答えよ、という形式の出題であった。

 現代の受験生らにとっても、夏目漱石は必読書のようだ。

                    

 問題文は、“我輩”と近所のボス猫“黒”との会話場面からの記述であった。

 以下、解答例などはさておき、漱石先生と屁の話しである。

                    

 “我輩”と“黒”とが、暖かい茶畑で雑談するところ。

 “黒”が何匹のネズミを捕ったかと聞くから、“我輩”は「まだ捕ったことは無い」と答える。

 すると、“黒”は「オレは三、四十匹は捕った。イタチも追っかけたぞ」と自慢げ。

 そして、「イタチの奴、どぶ板へ追い込んだら最後っぺをこきやがった。

 その臭えの臭くねえのて無かった。それからイタチを見ると胸が悪くならあ」と。

                    

 漱石先生は、ちゃっかり屁の話しを書き込んでおられる。

 胃の悪い漱石は、胃薬が手放せなかったのは周知のところだ。

 漱石も人の子、己の屁を嗅いで、その臭いのきつさを意識せずにはおれなかったようだ。

 伝聞によると、正月の家族とのカルタ遊びなどでは、【屁をひって尻すぼめ】の札は、

 決まって自分の前に置き、子供達には絶対に取られないようにした。

                    

 漱石先生は俳句の造詣も深い。

 屁もひらず 沈香もたかず 年の暮れ

 屁くらべが また始まるぞ 冬ごもり

 など一茶の句を推奨しておられるのは、微笑ましい。

                    

 漱石先生ご自身の句にも、屁が出てくる。

 口切や こはけしからぬ 放屁談

 口切とは冬の季語で、茶会でのことだそうな。

 屁の話しばかり書いていたら、何だか雰囲気も変になってきた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

黒船とアルコールとミルク

2021年06月10日 | 書籍

 私たちが教わった日本史の教科書では、幕末の黒船来航を、

 泰平の眠りを覚ますジョウキセン たった四ハイで 夜も眠らず

 この狂歌を交えて暗記させられ、覚えたものだ。

 現在の教科書には掲載されていないので、知らない生徒も多いらしい。

                   

 黒船で浦賀へ来たペリー一行は、日本の酒を舐めて、その美味しさにビックリした。

 値段も安い。美味しくて安いアルコールがあることに驚いていたという。

 ペリーの軍艦に招かれた日本の侍たちも、出されたシャンパンやブドウ酒に感激した。

 招待客70人ほどが飲みまくって、代表者の林大学以外の者たちは全員が酔っ払った。

 千鳥足でボートに乗り、17発の礼砲に送られて久里浜へ戻ってきた。

 アルコールに関する日米関係の滑り出しは、良好だったようだ。

                   

 ミクルに関しては、少々難航した。

 領事ハリスは、ミルクを飲むのに苦労したようだ。

 まず、「申出の牛乳の儀は断りに及び候」と、下田奉行に拒否された。

 そもそも乳汁は母牛が子牛を育てるためのもので、人間が飲むとは奇怪千万と。

 ハリスは「母牛を飼い自分の手元で乳を搾ることで如何」と申し入れ、

 「他人へ譲り渡し候儀決して相成り難く候」とやっと許可されたという。

                   

 昔、何かで読んだ話しだが、いま手元にない。

 思い出しながら書いている。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする