九品人の落書帖

写真をまじえ、身の回りで見聞きしたことを、つれづれなるままに!

責任逃れのアノ手コノ手

2020年10月31日 | 書籍

 コロナ禍は、むかし買って、つんどく状態だった本を引っ張り出す機会をくれる。

 燕山夜話も、そんな中の一冊である。

 この本は、当時(1961年-64年)の

 中国における政治や世相を風刺も効かせながら随筆風に書いたもの。

 これが、あの中国を大混乱に巻き込んだ“文化大革命の原点”の書とされたという。

 いま読み返してみて、どこが“反党、反社会主義”なのか疑問を持つほど軽い読み物である。

 以下、その中から『責任逃れのアノ手コノ手』を引く。

                   ■

 その1。

 有名な外科医がいた。

 ある高級将校が流れ矢に当り深く肉内の刺さったので、その医師を呼び治療させた。

 その外科医はハサミで矢の竹を切り取り、跪いて謝礼を要求した。

 将校は矢じりが未だ残っており、それも治療してくれるよう言ったら、

 医者は「とんでもありません。それは内科医の仕事です」と言った。

  

 その2。

 足にオデキができた人がおり、その痛みは耐えられないほどであった。

 それで家人に壁に穴をあけてくれるよう命じた。

 穴があくと足を伸ばして穴の中へ突っ込み、足を隣家へ一尺あまり入れた。

 そして言った「足は隣へやったから、痛みはわしと関係ないんだ」

                    ■

 分業社会における責任逃れは、誰もが陥りがち。

 共産主義下の中国でも、人々は自己の責任から逃れようとするものらしい。

 筆者は、私有財産制度の影響でも極度な個人主義を戒めるよう説いたものと想われる。 

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【新型コロナ】第三波へ要警戒

2020年10月30日 | 日記

 今朝のニュースで、我が国の新型コロナ感染者が10万人を突破したと聴いた。

 これまでの感染発生状況を振り返ってみると、第一波の4月は1万2千人台、

 第二波の8月は3万2千人台、そして9月1万2千人台、10月1万6千人台。

 この先、暖房器具などを使うから換気などが不十分となり、感染リスクも増えるので、

 11月は第三波の心配すら出てきた。

                      ■

 直近の更新データー(10月29日現在)によると、

 現在感染者数=5,704人(総感染者数-退院者数-死亡者数)

 陽性率=4,09%(PCR陽性者数/PCR検査数)

 死亡者数=1,732人

                      ■

 これからインフルエンザのシーズンを迎え、これらの数値を踏まえ一層の用心だ。

 三密を避け、マスク、手洗い・消毒など一層の徹底である。

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キンモクセイ

2020年10月29日 | 日記

 我が家への出入り口には、キンモクセイの植木がある。

 いつもは素通りだが、きょうは晴天下での芳香に思わず足を止めた。

 中国原産で、古くから植木として鑑賞されるモクセイ科の常緑低木。

 雄木と雌木とあり、日本で栽培されるものは雄木ばかりで実はつけないと聞いた。

                     ■

 花言葉は『謙譲』と『気高い人』とか。

 謙譲は、良い香りに反して控えめな小さな花をつけることに由来。

 気高い人は、雨が降ると芳香を惜しげもなく散らすことに因むとされる。

 コロナ禍で家に閉じ籠る日々だが、樹や花から貰えるエネルギーもある。 

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ホークス/パ・リーグ優勝!

2020年10月28日 | スポーツ

 27日、リーグ優勝までの残りマジックを2としていたソフトバンク・ホークスは、

 2位のロッテを直接対決で下し、3年ぶり19回目の優勝を果たした。

 今回は、恒例となっていた“監督の胴上げ”などは行われず。

 選手たちはマウンドを中心に円形をつくり、スタンドのファンと共に『バンザイ三唱』。

 孫オーナー、王会長も交じっての記念撮影などが見られた。

 コロナ禍での今シーズンだから、選手らの祝勝ビールかけなども行われないという。

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菅総理 “脱炭素” 表明!

2020年10月27日 | 日記

 26日、臨時国会が始まり菅総理の初・所信表明を拝聴した。

  「2050年までに温室効果ガスの排出量を全体としてゼロにする

 すなわち2050年カーボンニュートラル、脱炭素社会の実現を目指すことを、ここに宣言いたします」

                     ■

 既に、英国やフランスなどは“実質ゼロ”を法制化しているから、日本も“ようやく”である。

 だが、技術的には色々と困難な課題があるようだ。

 Co2からメタンをつくるカーボンリサイクルがキーテクノロジーだとされる。

 経産省は、革新的なイノベーションの旗振り役として主導すると決意表明。

 環境省もCo2に値段をつけ、排出量に応じて企業や家庭に負担して貰う制度を検討する。

                     ■

 国連の事務総長は「日本の菅総理の指導力に感謝したい」と述べた。

 世界の関心が日本へ向けて集まる。

 日本国政府と国民は、あげて“脱炭素社会”へ向け挑戦することとなった。

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家康の終活

2020年10月26日 | 日記

 テレビを観ての受け売りだが“家康の終活”について書く。

 徳川の世が末代まで続くようにとの基礎固めであり、それは諸法度の制定などであった。

 大坂の陣で淀殿と秀頼が自刃し家康の天下となったのは1615年5月。

 その家康が没するのは翌年(1616年)4月。

 この僅か1年足らずの間における家康の動きは、お見事というほかない。

                    ■

 大坂から京都・二条城へ凱旋した家康は、大坂城で手に入れた金銀を朝廷へ献上。

 配下の武将らへの論功行賞もそこそこに、まず手掛けたのが『一国一城令』と『武家諸法度』。

 「弓馬の道もっぱら相たしなむべきこと、居城の修補をなすとき言上すべしこと」など。

 『禁中公家中御法度』は「天子の修めるべきは第一に学問のこと、武門の冠位は別に定めること」など。

 『宗派寺院法度』は「寺社を本山と末寺に分け幕府が本山を統括する」など。

                    ■

 これらの諸法度を7月中にやってのけた家康は、8月には駿府へ引き上げている。

 実に手側良い幕藩体制の基礎固めだが、それには十分な事前準備があったという。

 僧・金地院に命じ、時には二人で口述など禅問答のような経過で作成されていたのであった。

                    ■

 10月に入ると江戸城へ。

 竹千代と国松の跡目争いには『長幼の序』で示し、三代将軍・家光を内外へ知らしめた。

 また、家康の六男・忠輝の勘当にも手を染めた。

 忠輝は越後高田の75万石であったが、忠輝の舅は伊達政宗だった。

 そのころ世間では、とかく忠輝が政宗と組んで謀反のうわさがあった。

 忠輝は改易となり伊予へお預け、最期は信州で迎えることになった。

                    ■

 そんなこんなで、この年は明けた。

 翌年、家康は松のうちに食した鯛の天ぷらにあたり病の床につく。

 4月没、享年75。

 徳川の世は、十五代将軍・慶喜まで続いたのである。

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叩き上げ総理vs.エリート学者

2020年10月24日 | 日記

 日本学術会議の会員任用を阻まれた6人のエリート学者が、

 菅総理の任命拒否に対し“学問の自由”とか“法律違反”とか反論している。

 菅総理の説明は「総合的、俯瞰的」とか言い繕っているが、

 本心では「曲学阿世の徒」だから拒否したと言いたいのではあるまいか?

                    ■

 戦後にあった時の政権トップとエリート学者との話しを思い出した。

 講和条約をめぐる吉田総理の「曲学阿世の徒」発言である。

 サンフランシスコ講和のとき、全面講和か単独講和かで国論はもめた。

 東大総長の南原らは、ソ連を含む全面講和を主張した。

 エリート学者の集まりも、ほぼ全面講和論であった。

                    ■

 吉田総理は南原らを「曲学阿世の徒」と呼び、単独講和で押し切ったのである。

 今、ふり返ってみるとき全面講和にこだわっていたら、どうなっていたか?

 ソ連の反対などで講和条約は難渋し、日本の戦後復興は大変だったと思われる。

                    ■

 今回の任命拒否の6人のうちの1人が、

 「菅総理は憲法を読み替えて独裁者になろうとしている」と批判している。

 ヒトラーですら全権を掌握するのに特別法を制定した、という主張である。

 菅総理からすれば、この発言に「曲学阿世の徒」と言い返したいところか?

 勝手ながら、菅総理の心のうちに分け入ってみた次第である。

   

 

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“脱ハンコ”によせて

2020年10月22日 | 日記

 菅政権の下、“脱ハンコ”が進められており世論も大方は賛成の様だ。

 だが、企業や官庁などにおける意思決定のハンコは、どうなるのか?

 これまで、日本の組織では伝統的に稟議書により上司のハンコを貰って意思決定してきた。

 この意思決定における稟議書のハンコもやめてしまうのか?

                    ■

 私の勤め人時代を振り返るとき、稟議書に上司のハンコを貰うのには苦労もあった。

 稟議書の作成は、主に係長クラスが担当した。

 それを課長補佐⇒課長⇒部長⇒局長と順にハンコを貰い、決裁されゴーサインとなった。

 途中で何故かハンコを押さない上司も居て難儀したもの。

 だから忖度することもしばしばで時間もかかった。

                    ■

 現在の企業や官庁での意思決定がどんな風かは知らない。

 もし、旧来の稟議書によるやり方が行われているとすれば、“脱ハンコ”は?

 そんなことを考えていたら、ふと思い出したのが大久保利通の決裁のやり方。

 内務卿・大久保参議の決裁は次の3パターン。

 ①「それは御評議にかけましょう」

 ②「それは篤と考えておきます」

 ③「それは御評議にはなりますまい」

 ①は決裁、②は保留か要調査、③は否定。

                    ■

 明治新政府の諸施策は、このスピードでもって進められたのである。

 

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【ゴルフ】日本オープン、稲森が逆転V

2020年10月19日 | スポーツ

 日本オープン最終日、最終組の二人(谷原と稲森)の17番、18番でのプレーが勝敗を分けた。

 17番パー4、一打先行のトップ谷原は痛恨のボギー、稲森がパー、二人は共に-4で並んだ。

 18番パー5、谷原のパーに対し、稲森がバーディを決めて-5。

 これで、稲森が2年ぶり2度目の日本オープン・チャンピオンとなった。

 稲森のツアー優勝は、今回で2度目。

 それが、いずれも日本オープンというメジャーを制してのことで、お見事。

 日本オープンは例年難コースが用意され、ラフは深く、グリーンの傾斜もきつい。

 当人は『曲がらない男』といわれ、フェアーウェーキープ率はナンバー・ワンとか。

 『ラフに入れず無駄な一打を減らす』ことで4日間ともイーブンパー以上を守った。

                    ■

            最終成績

 ① 稲森    -5 

 ② 谷原    -4

 ③ 石川(遼) -3

 ③ 内藤    -3

 ⑤ 杉原(※) -2

 ⑤ 河本(※) -2 

                    ■ 

 なお、ローアマ(※)に選ばれたのは大学生の二人(杉原と河本)。

 共に2アンダーの5位という成績であった。

 二人とも300ヤードの飛距離と優れた小技もあり、将来が楽しみである。

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東京タワー/東京スカイツリー

2020年10月18日 | 旅行

 今度、東京へ行く機会があれば、東京タワーとスカイツリーへは是非にも出かけたい。

 東京タワーへは、転勤族の頃、首都圏に住んでいたから何度か登った。

 東京スカイツリーへは、退職後、同窓会で上京した時、一度だけ登っている。

【東京タワー】  【東京スカイツリー】

 東京タワーは高さ333メートル。

 昭和33年(1958)、日本が高度経済成長へ向け、

 “これから頑張るぞ”といった雰囲気で建っているように見える。

 力強い構造で赤く塗られたペンキからも、それを象徴しているようだ。

                    ■

 東京スカイツリーは高さ634メートル。

 平成24年(2012)、日本経済のリーマンショックからの回復を感じさせてくれる。

 テクノロジーの粋を集め強靭でしなやかな姿は、色彩の青系統とも調和していい。

                    ■

 東京タワーが完成した時、私は成人式を終えた丁度二十歳だった。

 東京スカイツリーの時は、現役を引いて高齢者への仲間入りした時期と重なる。

 だから、この二つの塔を自分と重ね合わせて見ることが多い。

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