コロナ禍は、むかし買って、つんどく状態だった本を引っ張り出す機会をくれる。
『燕山夜話』も、そんな中の一冊である。
この本は、当時(1961年-64年)の
中国における政治や世相を風刺も効かせながら随筆風に書いたもの。
これが、あの中国を大混乱に巻き込んだ“文化大革命の原点”の書とされたという。
いま読み返してみて、どこが“反党、反社会主義”なのか疑問を持つほど軽い読み物である。
以下、その中から『責任逃れのアノ手コノ手』を引く。
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その1。
有名な外科医がいた。
ある高級将校が流れ矢に当り深く肉内の刺さったので、その医師を呼び治療させた。
その外科医はハサミで矢の竹を切り取り、跪いて謝礼を要求した。
将校は矢じりが未だ残っており、それも治療してくれるよう言ったら、
医者は「とんでもありません。それは内科医の仕事です」と言った。
その2。
足にオデキができた人がおり、その痛みは耐えられないほどであった。
それで家人に壁に穴をあけてくれるよう命じた。
穴があくと足を伸ばして穴の中へ突っ込み、足を隣家へ一尺あまり入れた。
そして言った「足は隣へやったから、痛みはわしと関係ないんだ」。
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分業社会における責任逃れは、誰もが陥りがち。
共産主義下の中国でも、人々は自己の責任から逃れようとするものらしい。
筆者は、私有財産制度の影響でも極度な個人主義を戒めるよう説いたものと想われる。