日本学術会議の会員任用を阻まれた6人のエリート学者が、
菅総理の任命拒否に対し“学問の自由”とか“法律違反”とか反論している。
菅総理の説明は「総合的、俯瞰的」とか言い繕っているが、
本心では「曲学阿世の徒」だから拒否したと言いたいのではあるまいか?
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戦後にあった時の政権トップとエリート学者との話しを思い出した。
講和条約をめぐる吉田総理の「曲学阿世の徒」発言である。
サンフランシスコ講和のとき、全面講和か単独講和かで国論はもめた。
東大総長の南原らは、ソ連を含む全面講和を主張した。
エリート学者の集まりも、ほぼ全面講和論であった。
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吉田総理は南原らを「曲学阿世の徒」と呼び、単独講和で押し切ったのである。
今、ふり返ってみるとき全面講和にこだわっていたら、どうなっていたか?
ソ連の反対などで講和条約は難渋し、日本の戦後復興は大変だったと思われる。
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今回の任命拒否の6人のうちの1人が、
「菅総理は憲法を読み替えて独裁者になろうとしている」と批判している。
ヒトラーですら全権を掌握するのに特別法を制定した、という主張である。
菅総理からすれば、この発言に「曲学阿世の徒」と言い返したいところか?
勝手ながら、菅総理の心のうちに分け入ってみた次第である。